第??時限目・人外調査録 〜 『デミ ・ 半ばのものたち 』
── 大陸の闇の底、人の文明の黒い裏面。
大王や教主と呼ばれる地位の者たちや、陰謀の担い手ですら全容を知らない秘奥。そのさらに深みに在って、世界の行く末を案じ、栄光なき苦闘を続けるものたちがいた。
『第二の滅日は、いかなることがあろうとも阻む。』
名もなき功労者たちは、いつか重い労苦から解放されて正しく報われるのだろうか?
そして、 ── 実のところ。
名もなき功労者のそばには、さらに裏方がいた。
人知の及ばぬ労苦は、知るものがさらに少ない。
◇ ◇ ◇ ◇
□□ SS・アルカンドラスは蟲を追う □□
「……捕獲されたゴブリンは一匹。成体、雄… ケガは背中の擦り傷だけ。生きているが無抵抗。麻痺毒か? 痙攣し身動きせず。アルケニー? ん? ん? 擬きだな、アルケニー擬きは獲物をかかえて移動開始、と」
離れた場所で監視しながらのメモを書く男。観察される多節多足の異形は、草むらにひそむ男に気づく様子はない。
「さて、追いかけるか」
独り言を呟き立ち上がる。視線を落としもしない。その間も青年の手はペンを離さず、別の生き物のように動いて、最後にメモ帳を懐にしまった。観察対象の体格、推定重量、体色 ──、どうやって把握しているのか位置座標や時刻まで、人間離れした速さと正確さで書終えていた。
肩までの金髪をサラリと流す美青年は、やる気のなさそうな表情で草むらを離れた。
暗い森の木立の間を、奥へ奥へ。人が蟲にまたがるようなシルエットの六脚の異形は駆ける。森の中、不自然にこわばった獲物を軽々と運ぶ怪力。それでいて気配を消して、足音も微かに滑るように走る。
後追いの、金髪の青年の動きもまた異様。木の影から影へ移動し、異形の魔獣をしのぐ無音無風の動きは近くを通ったことを小鳥や虫にさえ気づかせない。
青年は足を止めず、チッ、と舌打ちした。
「つまらんつまらん。 ……なんで偉大なる我輩、アルカンドラスが地味な魔獣調査をしなければならんのだ? くそう、ラムラーダ様め。逆らったら殴るし、さぼったら殴るし、下手なおべっか言ったら殴るし、真面目にちゃんとやったら褒めながら殴るし、殴る以外のコミュニケーションを知らんのか? あの 暴 力 語 話者 め。
我輩はだな、死霊術と魔術の深奥を覗く為に、この世界の叡知を極めんが為にアレしたんだ。こんな体力体技頼りのフィールドワーク、アレをアレをした我輩には役者不足……、 アレ?
アレ、ってなんだ。アレぇ?
くそ、また、殴り飛ばされて記憶が飛んでいるぞ、何度目だ?」
取り留めなくしゃべる。喋り続ける。疾走しながら、木立や岩を避けながら、隠密尾行を続けながら。その動きは隠密をなりわいとする東方のシノビすら感嘆するだろう。
ブツブツ、呟く独り言さえ無ければ。
「積んだ本を読みたい。何もせずふかふかベッドでゴロゴロしたい。寝転んでポエムとか書きたい。せっかく“この”からだになったし、開けたらヤバそうな宝箱とか金庫もな、えいっ、と……、
いや、そうだ、おのれラムラーダ様め、厄介なことばかり押し付けおって。怖いから逆らえないケド。くそう、我輩の妄想の中で、どエロい目にあわせてくれてやる。全100話くらいだな、メチャメチャのグッチャグチャにしてムフとか言わしてくれる。まったく邪気の無い笑顔だけは可愛いのに、エロいのに、あんな反則の拳じゃなければ小突くくらい許せるのに、気の強い感じとか我輩の好みなのに……」
その声は、なぜか広がっていかないらしい。尾行されている魔獣はまるで気付かず無反応に先へと疾る。
やがてポッカリと洞穴のある岩肌へと到着。青年は見覚えのある地形が近づいてきたことを確認した。
「今日の狩りは終いか? ふんむ。ゴブリンを生けどりにしたなら、一刻も早く『巣』に運びたいわけか?
…… 奇怪な魔獣だ。みためは亜人の上半身、下半分は蜘蛛?蠍?? 二腕六脚のなめらかな動き、熱分布は……手足に太い骨も無く、体奥に背骨も無い。あの体格で外骨格とは、やはりアルケニーではない。べつのものだ」
ぬるりとした動きで、口は閉じず、立ち木を避ける。
青年は移動しながら懐から取り出したメモを開き、新たな位置座標と新たな観察内容を書き込む。書き終えてメモを懐にしまうまでわずか2秒。
「伝承のラミアやスキュラ、半人半獣たちは『真の魔法使い』。魔獣の身体に叡智を宿し、魔力に法則を与えて奇跡を創造する。
だが、あのアルケニー擬きに、ラムラーダ様のような圧はない。
何なのだ? わざわざゴブリンを狩りに出て、生かしたまま持ち帰る理由。活力?肉の量? 嗜好? ……ちがうな。だが、運び入れるということは、この先の洞穴を拠点に決めた訳だな? 居着くつもりだな? だよな? 間違いないな?
ああああああ!クソムシめ!! お前ら散々うろつきおって。なぁ、ここがお前の家だよな? 終の住み処だよな? そうだよな?
── 我輩がんばった、巣は突き止めた。区切りだ、終いだ。露でびしょ濡れの夜明けとかもうヤダ。ヤブ蚊きらい。青い空とかきれいな空気とか、もういいから、もっと澱んで文明的で狭い部屋がいい。おうちに帰りたい、ごろごろしたい、積ん読の本を読みたい、ポエムを書きたいエロい小説も、」
「ふふ、独り言がループしてるね」
「ふひゃあああ!?」
****
金髪の青年は思い出す。東の国で『仕事』させられていたころ、あまりの退屈さに彼の国の古伝などを読みふけった。
── いつの間にか夜道にあらわれて背中に張り付く化け物。はて、なんといったか。コナキ?
東方に伝えられる怪異のように、突然に現れたのは黒い外套に身を包む美女。青年に気配を感じさせず、いつの間にか背中に張り付くような至近距離に立っていた。
女は、青年の背後から耳に息を吹き掛けるように囁く。
「流石、アルカンドラス君。思惑の外で予想を外してくるね。君は叡知を極めたいのかい? それともエッチを極めたいのかい?」
「後ろからららラムラーダ様、驚かさないで下さい」
「ふっふ、今の自分はゲルダだよ。ラムラーダは寝てる」
金髪の青年は女から一歩身を離し、恭しく姿勢を正す。冷や汗を浮かべたひきつった笑顔を浮かべ、
「は、そ、それは失礼しましたゲルダ様。お美しいお姿がまったく同じなので ──、というか見て分かるわけ無いではないか、ゲルダ様め」
「心の声が漏れてるよ。見分けられないならハオスと呼びたまえよ」
「はい、ゲルダ=ハオス様」
「どうだい? 兄弟に会った感想は?」
「はえ? 兄弟? 相変わらずゲルダ様の話は、間を飛ばしすぎて訳が解りませんね」
「叡知を極めようというなら、過程の考察などという無駄なことに思考を使うで無いよ。得た情報から真理を感じとりたまえ。君は理解する力はあるのだから、脳髄が『閃き』を宿せば君の望む叡知へと近づくだろうさ」
「……ラムラーダ様の身体の暴力とゲルダ様の思考の暴力と、どっちがマシだろう? 変に慣れてきた我輩の今後が怖い……」
「アルカンドラス君? … そうか死霊術で例えてあげよう。理解しやすいはずさ。
呪詛を力の根源とするアンデッドは、もはや通常の意味で死ぬことはない。しかし、負のエネルギーに蝕まれることで生命の在り方が歪む。心も狂う。この世界に止まるには意思と人格を保たねばならず、定期的に人の因子を外から取り込まねばならない ──、」
「 ── 吸血鬼であればそれは吸血行為となる、と。今さらですな。その欠点を克服するべく研究に打ち込みたいので休暇を下さい」
「今回の仕事は、君の研究の役に立つと思うがね?
あの蟲の魔獣はな、古代魔術文明の因子研究の成れの果て。可能性に喰らいついた環境適応の英傑だよ」
「は? え?」
青年が驚いて懐を探る。そこにあったメモが無い。
いつの間にか、ゲルダと名乗った女の手に自分の観察記録がおさまっていた。
青年が驚きに固まるのを気にも止めず、女は勝手に奪ったメモをすごい速さで繰りながら読む。女の両目はある種のトカゲのように左右ちぐはぐに動いていた。
ページをめくりながら話も止めない、
「ゴブリン、亜人型魔獣を攫うのは次世代に因子を取り込むためか。獲物を選り好みして、生きたままにしておくのは、新鮮な良質の因子を望んでのこと?
ところで、アルカンドラス君。亜人── 亜なる人。これも人から見た言い方になるな、うん ── この世界には、亜人型魔獣がずいぶん多いと思わないかい?」
「と、言われても我輩、魔獣研究家ではありませんし。ずいぶん多い? 亜人型魔獣などより、人間こそよほど多く、今も増えていると思いますが?」
「そうだねその通りだ。その人の驕りの果てがアレさ。だが、このような形で子孫を作り、魔獣の領域で生き残るとは、まったくもう生命の執念?可能性?には驚かされるね。
── ここは命あるものの世界。『最強の存在』とは常勝無敗でも致死破壊でもなく何としても生きようとするもの、それ以外ありえない。
アダーのお気に入りめ、なかなかいいこと言っていたわけだ。へふ……ひひひ。
ゴブリンやコボルト、亜人の因子を取り込んで、あのすがたに成る。へふ、ふひひひひ。おもしろい、ふひひひひひひひひひひひひひひひ。くへへへへへ──、アルカンドラス君、どうだい感想は?」
「いや、あの、我輩、あのような知性の無さそうな奇々怪蟲に思うことなどとくには。妙な力も、蟻や蜂のように群れるところも、偉大な我輩と我輩がいつかつくらんとする不滅の王国と、王にゅぉぉぉぉぉィ!?」
返事の途中、金髪の青年は叫び声を上げた。
── いつの間に? しまった、油断した……、
「王国? 王にゅお? 何を言ってるのかわからんな?」
アルカンドラスは正面からゲルダの抱擁に捕らえられていた。少し離れて立っていたはずが、気がつけばすぐ目の前にいる。細い腕はまるで鉄鎖だ。アルカンドラスは、金属の細い筒に全身を押し込まれたように拘束されていた。
「君? 君? 今から大事な話をするからよく聞きたまえよ! さぁ、さあ!!」
狂喜を孕む瞳が間近で覗き込む。
「やつらはな!どうにかようやく生き残ったんじゃない! 冬眠なんかしなかった、逃げなかった、ちっぽけで安楽な餌場に引きこもらなかった。
奥へ奥へ未知の奥へ、魔獣深森の奥へ。進みに進んで貪欲に力をたくわえ、他の魔獣たちと苛烈に殺し合ったんだよ。他の魔獣がもたない固有特性を捨てるどころか、尖らせながらだ!
亜人だよ! わかるかね! ゴブリンで行けるなら、オークやオーガも襲っている! 上位種にだって挑んだかも知れない!!
きききき危険だ危険だ危険だぁ❣️
不気味のオンリーワン、絢爛たるイレギュラー、先行き不明のワーストエンド!
だがな、困ったもんさね。森の一員になりおおせている。どうしようか、なあ?
出る杭なら討てる、出るならば撃っても刈っても斬っても焼いてもいいが、すっかり深くめり込んでいるとそうはいかん。当たり前の力づくでは駆逐できん。時間をかけて自然の摂理の輪に溶け込んだなら、一種の生物の絶滅は生態系にどんな影響を与えるか解らん。
必要なのは一心不乱、誠心誠意、根こそぎ秘密を暴く調査だ!! やつらの生涯の最弱、絶対の急所を探るのさ!!」
ゲルダの瞳が青年の視界を占めていた。
顔が近いなんていうものではない、眼球と眼球が触れるんじゃないかという距離。目から目へ、まくし立てるゲルダの中から、煮えたぎった狂気が視線に乗って己の脳に流れ込むように感じ、アルカンドラスは身を震わせる。
── 目と目でキスするくらいどアップ⁉︎ ゲルダ様の片眼、広がった三つの瞳孔、コワイッ!!
怯えるアルカンドラス。しかし、ふっ、とゲルダの熱狂は止まった。切り替わるようにその目に浮かぶのは、幼子を慈しむような眼差し。
「アルカンドラス君、王というのは、王国というのはね、群れを作る生物の領分だよ。
人の枠を外れたのに、個として万全になろうというのに。アルカンドラス君は王だのエロだのポエムだのといろいろ引きずって、かわいいね。さてはて、あいつらもアルカンドラス君のように制御できる知性と人格があればいいのだが」
アルカンドラスは震えながらも目の前の美女を見詰め直す。
「アルカンドラス君? どうかしたかね?」
「── 貴女、いや、貴女がたは!」
意気を取り戻し、なんとかしがみつくゲルダを押し退け身を離す。
── 人外の領域の支配者、貴様たちはいったい ──
口に出かけた言葉を呑み込み深く息を吸う。
「……それで。我輩の仕事はこれで終わりですかな? 休暇は?」
「人の枠を外れた者は滅す。あるいは常にきびしく監視下に置かれなければならない。常にだ。深都のルールだ。
── あの時、ラムラーダが気まぐれを起こさなければ、アルカンドラス君は滅されていたのだよ?
君のおもしろさをわかるには時間が要るが、我らが腰をすえて観察することはあまり無い。チャンスを活かし、こうして生きてお喋りできることを喜びたまえよ」
「は、はは、ははははは。嬉しさのあまり、切ない涙が止まりませんなあ」
── 今がサービスタイムだってか、このゲルダ様め!!
「うん?嬉しい? そりゃあよかった。さてさて、それじゃあ、あの君の兄弟の話だがね」
「ホントやめて下さい。我輩、あんなにキモくありませんぞ、あいつらはキシャキシャと、ゴブリンの腹に卵を…… 」
「それで、君の従姉妹なんだけどね。人の因子を取り込むとちょっと厄介なことになるかもな。千万単位でぐっ、と増えるとか、一国の人間の子どもが殺しつくされるとかだ。予想できない突然変異、先祖返りがあり得るからね。アルカンドラス君、とりあえず監視をフルタイム続けてくれたまえ。
あとは、サンプリングをよろしくお願いするよ。
ほら、ああして巣の中に運ばれたゴブリンをな、最少二体。できれば十二体。タイミングは君に任せるから、いい感じに腹の中で卵が孵化しかけたところで、ちょっと巣穴に入って攫って来てくれたまえ」
【 謝辞 】
今回のショートストーリーは「カルワリヨのアルケニー」事件の前日譚になります。
NOMAR様には、キャラクターのアルカンドラスと原文をいただきました。思いがけず、ふくらませるのが楽しく…… 「デミ・アルケニー」の記事から完全独立させることに。
NOMAR様、ありがとうございました。
また、加瀬優妃様は、冒頭のタイトルの新しいデザインを考案して下さいました。原稿に目を通し、禁書的な過去の情景にふさわしいものをと………
いつもありがとうございます。




