『 子どもたちは調査する ─────────── 授業再開の前日譚 』
ルブセィラ女史は手にする書類に目を通す。これが最後の確認。木箱に入れた資料と照らし合わせ、足りないものは無いことを最後の項目までチェックして、
「全て揃ってますね」
そして、最後の一枚の書類に署名する。ペンを置くとルブセィラ女史は、ふうぅ、と長い息を吐いた。
「みなさん、これで終わりました」
顔を上げて言うルブセィラ女史の言葉に、
「「「 終わったああああ……」」」
ルブセィラ女史の配下、魔獣研究班の全員が魂が抜けるような声を上げてパタパタと倒れていく。徹夜の疲労からすぐに寝息を立てる者もいる。
ルブセィラ女史もまた椅子の背もたれにグッタリと身体を預けて天井を見上げる。眼鏡がずり落ちかけるが戻す元気も無い。
「流石に疲れましたね……」
ルブセィラ女史と魔獣研究班は二十日振りにようやく安らぐことができるようになった。
事の発端は一月程前。
中央諸国の魔獣災害被災地に赴いた輜重隊が、何台もの馬車の荷台に大小の木箱を積み上げて帰ってきた。本来なら、ほとんど空荷のはずだ。
その空荷の木箱を有効利用しようと、中央諸国に出向していた聖獣警護隊隊員レクトが指示を出し、魔蟲新森の内外から集めた標本試料と調査書類を詰められるだけ詰めて輜重隊に託したのだ。
慌てたのか書類は未整理でゴチャゴチャしていた。魔蟲新森の新種魔獣の貴重な目撃証言、討伐活動の報告、魔獣の姿絵もどっさり添付されていた。
魔獣標本の方も整理されておらず保存処理が不完全で、中には危険な臭いを出し始めた生体サンプルもあった。そうした木箱が、ルブセィラ女史のもとに山と送られてきたのだ。
魔獣研究者ルブセィラ女史と研究班は、当初、魔蟲新森の情報の山に喜び勇んで飛び付いたのだが。
時を同じくして、大陸東方より「東の国」の風土や魔獣に関する専門資料が届けられた。ルブセィラが東の国のアシュラ(四つ腕オーガ)に興味をもったさいに手配していたものだ。
魔蟲新森の標本の山が片付くまで後回しにしたいところだったが、古のアシュラ関連の資料は、東方の高名な知識人や有力者、旧家が関わった貸し出しだった。一件一件、届いたものを改めて、すぐに受け取りの連絡を礼状も添えて出さなければならない。
要不要を確かめた後は重警備保管庫におさめ、ものによっては買取交渉や返送の手配が必要だった。
ルブセィラ女史と魔獣研究班はこの二十日、寝る間も惜しんで資料の分類整理、写本作り、サンプルの標本化、試料庫への収容、そして東方の収集家、研究者に贈る魔獣深森の学術標本の準備に追われていた。
ようやく終わった今、ルブセィラ女史の執務室の床には研究班の女性たちがグッタリと横たわり、まるで戦場の治療所のような有り様だった。
その執務室の扉を開けて一人の背の高い女性が入ってくる。
「班長ー、東方に送る黒コボルトの毛皮の配送手続き、おわりましたあ」
「お疲れさまです、ノエミィ」
「いやもー、ほんと、疲れましたよう」
研究班の一人ノエミィ。聖獣警護隊隊長補佐のルブセィラ女史を班長と呼ぶのは、ルブセィラ女史がアルケニー監視部隊に出向して来たとき、助手としてついてきた五人の女性研究者たち。
その一人、ノエミィはよっこらしょ、と手にする資料の山をルブセィラ女史の机の上に置く。
「・・・ノエミィ。まさか、まだ未整理の資料がありましたか?」
「あ、これは違いますよう。これはこどもたちの自由研究ですよう」
「自由研究?」
ルブセィラ女史と魔獣研究班を襲った激務は、他にしわよせを生んだ。
そのひとつが、ルブセィラが教師を務める伯爵家の子供達への授業だ。
「私の授業はこの二十日間、休講にしていました」
「さっき子供たちに会って、コレを受け取って来たんですよう」
「この館には、あの子たちに教えたがる人が多いというのに」
「ですよねー。この二十日間はルミリア様の礼儀作法とー、カダール様とゼラさんの社交ダンスとー、カラちゃんとジプちゃんはゼラさんと一緒にエモクス料理長からお料理を、フォウくんはサレンさんから裏アーレスト流捕縄術をおそわってた、と聞きましたよー」
「何故、フォウが捕縄術を?」
「カラちゃんとジプちゃんの糸使いに負けん気を起こしたみたいですよー。男の子ですねえ、おにいちゃんですねえ」
「それでよく自由研究もできましたね」
「あの子たちは班長の魔獣研究の講義が好きだから、じゃないですかあ? 班長のお仕事が今日で終わりって教えたら、じゃあコレをルブせんせーに、って」
「三人とも習い事が増えてたいへんなのに、魔獣研究に興味を持ち続けてくれるなんて……」
ルブセィラ女史は眼鏡の位置を指で直すと、カラァとジプソフィとフォーティスの自由研究に手を伸ばした。
◇◇◇◇
「これは、ヨロイイノシシのスケッチですね」
「カラちゃん、絵が上手になりましたね」
「そうですね。よく特徴を捉えています。ハラード様が狩ったヨロイイノシシですか。次の絵は……、解体現場ですね」
「うぷ」
「うぷって、ノエミィ。魔獣の解剖もしてきたでしょうに」
「うぷ、本物はなれてます。なれてますけどね、カラちゃんの絵はディフォルメされて、かえってねっとり感が……これ、笑顔のハラード伯爵が引き出した腸なんか、つやつや、ほかほか感がぐぬっと来ますぅ」
「独特な感性ですね」
「班長が言います?」
「フォウの絵は……、ヨロイイノシシの頭ですか。細かいところまでしっかりと描いてますね。二枚目の絵は……、肉を取り除いた頭蓋骨、ですか」
「これ、おもしろいですねえ。骨にする前と後を見比べられるようになってますよ。ほら、向きと縮尺がぴったり」
「自分で考えたんでしょうか? 絵は性格が出るものです」
「フォウくんキッチリしてますからねえ」
「ジプの絵は……???」
「ヨロイイノシシの後ろ足、ですねえ」
「いえ、ヨロイイノシシの後ろ足は分かるのですが……、なぜお皿の上に置いて描きますか?」
「あの子たちもゼラさんと同じで生肉モグモグしますからねえ」
「ヨロイイノシシのお肉にガマンできなくなりましたか……」
「こちらは、蝶の標本ですか」
「カラちゃんですね。私も子供のとき蝶の標本箱を作りましたよ、懐かしいなあ」
「ちょっとヘンですね? これは……」
「あれ? 針が無い?」
「‼️ ……糸。展翅に針を使わず、カラァの糸で箱の底に蝶を止めています!」
「それって、」
「聖獣の御子が、自分の糸で手作りした蝶標本……」
「館の外で、ヘンな高値が付きそうですねえ」
「次は、なんでしょうかこれは? 『ウェアキャットをブラッシングしてとれた毛』それに『手形』!? 」
「すごい、ウェアキャットですかあ。初めて見ました!」
「ちょっと待って下さい。フォウは一体、いつどこで、ウェアキャットと会ったんでしょう?」
「さあ? でもフォーティスくんですから、このウェアキャットはきっと綺麗なお姉さんタイプですよう」
「なんでそんなにマイペースなんですか。ウェアキャットとの遭遇だなんてローグシーのハンターギルドでも少ないというのに」
「ジプの箱の中身は……、とけた飴?」
「飴細工を、いくつも標本箱に入れたみたいですねー」
「何故、飴細工を?」
「あ、タグがついてますよ」
「ふむ、ロッティさんがジプに上げた飴細工、ですか」
「あ、わかりました。本物の蝶より、おいしく食べられる綺麗な飴細工の方がいいだろうと。ロッティさんは、きっとそう考えて街で買ってきたんですよ」
「あなたがなぜ、瞬時に推理できるのか不思議です」
「ジプはオトナですねー、黙って受け取って、それで飴の標本箱を作るなんて」
「おや? もうひとつあります。これは……」
「『領主館の中庭の生き物たち』と書いてありますね」
「それはいいのですが、どれもかじったあとがあるのですが」
ルブセィラ女史が覗き込む箱の中には、標本の隣に何か書いてある。
》ジャイアントクロウのヒナの羽毛
走って逃げられた
落ちてた羽はおいしくなかった
》シロガネカナヘビのシッポ
逃げられた、素早い
切れたシッポは、コリコリしておいしい
》グンタイネズミ
ボスは強い、まだ勝てない
臭くてイマイチおいしくない
》クログロアリ
酸っぱい
》マンマルコガネ
おいしい、香ばしい
「これは……!」
ルブセィラ女史はジプソフィの箱を覗きながら小さく震える。
「これまで虫系は『美味しかった、不味かった』といった味の調査はしてきませんでした。虫は食べるものでは無いと。私は研究者でありながら、虫は食用にならないという常識にとらわれていたなんて」
「あ、マンマルコガネは意外と美味しいですねえ」
「ノエミィ、あなた食べたんですか?」
「ジプちゃんが美味しそうに食べるから、ついつられて味見を」
「迂闊に口に入れるのは危険ですよ」
「え? 『夜元気』を自分で試した班長に言われたく無いですう」
》白くてやわらかいキノコ
名前がわからない
食べたら、からだがあったかくなった
お庭が虹色にみえて楽しくなった。
「あの、班長? これ、ジプちゃんが毒キノコの中毒を起こしたんじゃあ」
「ジプ!!」
その後、領主館の中庭の片隅にゲンソウニジタケの自生が確認された。急遽、この一角はルミリアの火系魔術で焼却されて、深い土まで熱消毒される。
こののち、ルブセィラ女史は魔獣研究の教科書の改訂版に食べる(味わう)調査の意義と警告。万一、中毒事故が起きたときの対処法を大幅に書き加えた。
「これは注意喚起のために早く授業を再開しないと」
• 今回のストーリーは、NOMAR様から頂きました。
• 原案:K John・Smith ::




