8.ガンベルクの町へ
翌朝テオバルドは、アリリオに声を掛けられた。ちょっと顔がゲッソリした感じに見える。
「おいテオ、お前ナタリアに何か吹き込んだのか?」
「え?!いや、アンナさんからダンジョンに一緒に入って欲しいって頼まれたんだけど、学校をちょっと休む事になるから先生に言ったんだ。そしたらナタリアがそれを聞いてて『一緒に行く』って言ってきたんだよ」
「あいつ、メチャクチャ乗り気でな。危険だからダメだって言ったら凄い剣幕で捲し立ててくるんだ。終いにゃ家出してでも付いて行くって言い張って…。何とかならんか?」
アリリオはナタリアを止めようとしたのだが、逆にナタリアを意固地にさせてしまったようだ。
「先生も止めようとしたけどダメだったし、僕にはどうにもできないよ…」
「そこを何とか!もしナタリアに何かあったらって考えると、もう仕事どころじゃねぇんだよ。ダンジョンだよ?色々なモンスターが出るって話じゃねぇか。村で行くコボルド狩りじゃねぇんだ。ああ、なんでこんな事になっちまってるんだよ」
「正直、僕も不安が無い訳じゃないよ。でもアンナさんの頼みじゃ断れないよ。だって命の恩人だもの」
「それを言われると、こっちも弱いんだよ。ナタリアが無事だったのも、あのアンナさんとテオのお陰だもんな。ナタリアはダイアウルフに襲われるような目にあったのに、トラウマになるどころか一緒にダンジョンに行きたい、だもんなぁ」
1年前、ダイアウルフに馬車を襲撃されたとき、アンナが居なければテオバルドとナタリアは間違いなく命を落としていたと言える。もちろんアンナもテオバルドが居なければ助かる道は無かっただろうが。
「母さんは地下2階までなら大丈夫だろうって許してくれたんだけど、絶対に安全って事はないよ。僕はナタリアを危険な所には連れて行きたくないんだけど、『どうしても行く』って言って聞かないんだ」
「お前が言ってもダメなのか…」
アリリオは、溜め息をつきながら下を向いた。
テオバルドの方は、そんなアリリオにどう言葉を掛けたらいいのか判らず固まっている。
「…」
「…」
気まずい沈黙にテオバルドが耐えられなくなり、声を絞り出そうとした時にアリリオが動いた。
「テオ、もしナタリアを傷物にしたときは責任取れよな!」
「え?え?何を?!」
アリリオにガシッと肩を掴まれ前後に揺さぶられながら、何かあった時には責任を取らされることが決まったテオバルド。なぜ責任を取らなきゃならないのか解らないながらも、アリリオに圧倒されて首を縦に振るしかないのであった。
---
いよいよ出発の日。村にやってきたアンナは、準備を整えたテオバルド…とナタリアを見つけることになる。
「えっ?ナタリアさんも一緒に?!」
「はい。テオが行くなら私も一緒に行きます」
「でもナタリアさんのご両親「両親からも許可は得ています!」
「ダンジョンは危険な事が「もちろん承知の上です!」
「しばらく村に帰ってこれな「5日くらい掛かるんですよね。分かっています。大丈夫です」
アンナが何か言おうとすると、やや食い気味に返すナタリア。
なんとか危険であることを伝えて思いとどまらせようとするが、既にナタリアの意志はオリハルコンの如くガッチガチに固まっている。30分ほど説得をしたが、さすがにアンナも諦めたようだ。
「はぁ…本当に危険なんですからね。私は注意しましたからね!」
「はい。十分気を付けます」
「すみません、娘が我儘言いまして…」
見送りに来ていたミランダがアンナに詫びる。アリリオの姿は見えない。ナタリアが言うには、家でヤケ酒を呑んでいるらしい。
「あ、いえ。同行していただく分には私も心強いんですけど、ナタリアさんに何かあったらと思うと…。本当はテオバルドさんも巻き込みたくは無いのですが、彼には今回どうしても助けて欲しくて…」
「アンナさん、もし本当に危険になったら、ナタリアを見捨てることになっても決して恨んだりしません。本人にもそう言って聞かせました。それでも行くというのです。私は覚悟を決めてます」
「ママ…」
「ナタリアは出来る限り僕が守るよ。ミランダおばさん、安心してよ」
「いえ、テオバルド。あなたも自分の身を第一に考えて頂戴。もしナタリアを助けようとしてテオバルドまで戻らないようなことがあれば、バネッサさんに申し訳が立ちません」
「おばさん…」
「ママ、きっと無事に帰ってくるから。約束する!」
「そうね。あなたが帰ってこないと、パパはあのままダメになっちゃいそうだから」
家に籠って出てこないアリリオの事を思いながら、ミランダはニッコリと笑って見せた。
「さぁ、いってらっしゃい!ちゃんと無事に帰ってくるのよ!」
「「いってきます!」」
「それではお二人をお預かりします」
3人はチャーターした馬車に乗って、ガンベルクの街を目指し出発した。
---
馬車に揺られること約4時間。3人は何事もなくガンベルクに着いた。
さすがに毎回ダイアウルフに襲われるほど運は悪く無い様だ。
「じゃぁ、馬車の中で話した通り、今夜はこの町で一泊して、明日の朝からダンジョンへ行くわよ」
「馬車にずっと乗ってたからお尻が痛くなっちゃったわ」
「そうね。じゃとりあえず宿を探しましょうか」
ガンベルクはブリタックほど大きい町ではないが、ダンジョンが近いこともあって宿屋は多くあるようだ。
「教会の同僚に聞いたら『ペガサス亭』のホーンラビット煮込みが美味しいって言ってたわ」
「あ、それ美味しそう!食べてみたい~」
「僕もそれが良いです」
「じゃぁ決まりね。でもペガサス亭ってどこかしら」
5分ほど歩くと、通りの向こうに「ペガサス亭」の看板が見えた。
3人が扉を開けると、美味しそうな食事のにおいが漂ってくる。5組の客がテーブルで食事をしていた。中に入るとアンナ達に気が付いたカウンターの親父が声を掛けてきた。
「いらっしゃい。今日は食事かね?それとも泊まりかね?」
「3人で一泊なんだけど、お部屋はあるかしら?あと、食事も頂きたいわ」
「3人一部屋でいいのかい?そしたら部屋代は一泊銀貨2枚だ。部屋で体を拭くお湯がいるなら小銀貨1枚追加だよ」
「じゃぁお湯は食事の後で。銀貨2枚と小銀貨1枚ね」
「ほれ、これがカギだ。奥の階段で2階に上がって、右通路3番目の部屋を使ってくれ」
鍵を開けて中に入ると、こじんまりとした部屋に、二段ベッドが2組置いてあった。どうやら定員は4人らしい。
「荷物を置いたら、食事にしましょ。着替えとかは置いてってもいいけど、武器や貴重品は持ってた方が良いわよ」
「もうお腹ペコペコよ」
ナタリアが早く行こうと急かしてくる。
「慌てなくても煮込みは逃げないよ、ナタリア」
「だって私、シチューが好きなんだもん」
そういえばシチューはナタリアの好物だったな、とテオバルドは思い出していた。
荷物を置き、下に降りると食堂はさっきより更に賑わっていた。空いている席に座って周りを見渡すと、お客さんの多くがシチューを食べていた。壁に掛かった黒板にメニューが書かれている。ホーンラビットの煮込みは、小銀貨1枚のようだ。
「二人とも、シチューで良い?」
「「はい」」
アンナはシチューとパンを3つづつ注文し、そのままテオバルド達に話しかけた。
「実は二人に試してみたいことがあるのよ」
「え?どんな事ですか?」
「新しい魔法を覚えたの。上級の祝福魔法よ。これでテオバルドさんの戦力がどれくらい上乗せされるか試してみたいの。さすがに明日ぶっつけ本番ってのも怖いしね」
「わかりました。これからやるんですか?」
「まさか。まずはご飯を食べてからにしましょうよ」
「そうよ、テオ。焦っちゃダメよ。あ、来た来た~」
給仕の子がシチューとパンを持ってきたようだ。3人は話を一旦打ち切って、シチューを食べはじめた。シチューは値段の割には肉が多く入っており、しっかり煮込んであるその肉は口に入れるとホロっとほどけ、噛むと旨味が口いっぱいに広がった。評判通りの味に満足する3人であった。
夕食後、3人は部屋に戻ってきた。
「さて、じゃぁ早速試してみましょうか」
「いつでも大丈夫ですよ」
「始めるわよ。…神よ御身の慈愛を我らに与え給え…VA・LOV・NU!」
3人の体を淡い光が包み、ゆっくりと消えていった。祝福魔法は無事に成功したようだ。
「うん、良い感じ!前の時より、もっと体が軽く感じるよ!」
ナタリアは祝福の効果を感じてちょっと興奮気味だ。一方でテオバルドは、首を傾げながら手を握ったり開いたりして感覚を確かめている。
「これ、確かに力とか増えてる感じはするんですけど、普通の祝福の方がもっと大きく変化していた感じがします。今の状態では、ダイアウルフを追い払う事は出来ないと思います」
「確かにそうみたいね。理屈は判らないけど、テオバルドさんには普通の祝福魔法の方が良さそうね…。はぁ、せっかく今回のために習得したのに残念」
アンナはそれほど正確にテオバルドの変化を感じられた訳ではないが、1年前にギルド副マスターのルフィノとソラン村に来た時に祝福を掛けたテオバルドと比べると、存在感が感じられなかった。
アンナは残念がっているが、上級祝福魔法は修道女としていずれ覚えなくてはならない魔法なので、無駄にはならないであろう。
「うーん、ちょっと計画が狂っちゃったけど、明日は朝食を食べたらデスケイブへ行くわよ。体を拭いてサッパリしたら早めに寝て明日に備えましょ!」
体を拭くための盥とお湯が部屋に届いた。アンナは「一緒に体を拭きましょ」と笑いながら言っていたが、テオバルドはナタリアに部屋を追い出され、ドアの前で30分も待たされることになった。
鍵穴から覗こうとしたのは内緒だが、ナタリアが内側からカギを掛けた時に、鍵穴部分にバッグをぶら下げて覗けないようにしていた。
「うわぁ、ナタリアって発育が良いのね!」
「ア、アンナさん!何言ってるんですかぁ!」
「ふふふ。確かにこれはテオバルドさんには目の毒ね」
「ちょっと、止めてくださいよぉ」
部屋の中から楽しそうな声がするのだが、それがさらにテオバルドを悶々とさせるのであった。
「入ってもいいよ~」
ナタリアがドアを開けて部屋に入れてくれた。当然2人とも着替えが済んでいる。
「あれ?これから僕が体を拭きたいんだけど…」
「どうぞ。私たちはもう寝ちゃうからご自由に」
どうやら、テオバルドは見られても良い事になっているらしい。
仕方なく服を脱いで体を拭き始めるテオバルドだったが、ナタリアは寝たふりをしながらしっかりと見ているのであった。いささか不公平に思えるが、これはしょうがない事なのである。