7.アンナの試練
能力試験からおよそ1年。テオバルドは、毎日カットラスを振っていた。もちろん普段は怪我をしないように、刃には布を巻いてある。
最初のうちは素振りをするだけだったが、だんだん慣れてきて途中からは色々と練習法を考えて実践している。
気に入っているのは、大木の枝から大小色々な木っ端を紐で吊り下げて、それを叩く訓練だ。色んな方向に打ち込むと、時間差でまた自分に向かって戻ってくるので、それを躱しながらまた打ち込む。それを繰り返すのだ。最初は3つの木っ端で始めたが、今では6つまで増やしている。本当はもう少し数を増やしたかったのだが、それ以上増やすと紐が絡まりやすいのでバランスを考えて6つにしている。色んな方向に視野が向くようになったとテオバルドは思っている。
あと、長い竹竿を振るのも中々だ。最初は重さでフラフラして満足に振る事さえできずにいたが、今では竹の撓りを使って振る事も出来るようになった。大木に吊るした木っ端を4~5m離れた所から思ったように叩けるようになったのはつい最近だ。
村の狩りにもあの後2回呼ばれて参加した。まだ自分のカットラスを持って行くことはないが、1か月前のオーク狩りでは鍬の柄でも充分な活躍ができるようになった。
「お、テオバルドは大分いい動きをするようになったじゃないか!」とアリリオに褒められたくらいだ。
尤も、成長したのはテオバルドだけではない。ナタリアも大きく成長していた。
背丈の事ではなく、いや、背丈ももちろん伸びていたが、それ以上に女性らしく大きく成長していた。テオバルドが思わずドキドキしてしまう位、ソコとかココとかが。
「最近グッとナタリアちゃんが可愛くなったわよね。いや、もともと可愛い子だったけど、女性っぽくなったというか。ね、テオもそう思わない?」
などとバネッサに聞かれても、最近ちょっとナタリアを意識しているテオバルドに答えられる筈もない。
一方でナタリアは、『テオバルドと一緒にハンターになる』事を常に意識していた。むしろ、そのまま結婚して一生一緒にいるつもりでさえある。学校でテオバルドがしている練習の話を聞いて、それを見に行ったり一緒に練習させてもらったりした。
ちょっとした仕草や視線でテオバルドに意識させる事も忘れない。少女は強かなのである。
もちろん、家が農家のナタリアには、しなければならない力仕事はたくさんあるし、ハンターになるための基礎体力をつけるためにも積極的に手伝いもしていた。
1か月くらい前には、アリリオに無理やり頼んでテオバルドとのオーク狩りに同行していた。危険な戦闘には参加しなかったが、弱った個体のタコ殴りはさせて貰った。臆することなく足手まといにならずに最後まで付いて行くことが出来た。もちろん狩りの最中にもテオバルドへのアピールは忘れない。少女は強かなのである。
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「すみません、テオバルドさんはいらっしゃいますか?」
平和だったソラン村にちょっとした事件が起こったのは、初夏の事だった。
「はい、どなたですか…って、アンナさん!」
「こんにちは、お久しぶりですね。元気だった?」
「ええ、昨年ルフィノさんに貰ったカットラスも、だいぶ手に馴染んできた気がします。あ、アンナさんどうぞ上がってください」
「ありがとう。お邪魔しますね」
テオバルドがアンナを招き入れると、バネッサが聞いて来た。
「テオ、こちらはどなた?」
「あ、母さん、紹介するよ。こちらはアンナさん。1年前の馬車が襲われたときにお世話になった…」
「まぁ!あなたの恩人じゃないの!あらあら、どうしましょ。ようこそいらっしゃいました。私はテオドールの母でバネッサと申します」
「アンナ・オロスコと申します。1年前はテオドールさんに助けて頂いたのに、なかなかお礼にも来れずご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「いいえ、こちらこそ助けて頂いたと伺っております。息子を助けて頂きありがとうございました。それで今日は何かあったのですか?」
「その事なのですが…実は…あ、そうだ!これ、ブリタックで流行っているお菓子です。どうぞ皆さんで召し上がってください」
「わざわざご丁寧にありがとうございます。さっそくお茶でも淹れましょうね」
バネッサが台所にお茶を淹れに行く。
「それでアンナさん、何か言いかけましたよね?」
「…お願いテオバルド!私と一緒に来て!」
「えっ?えっ?何??」
突然の告白(?)に動揺するテオバルド。お茶を持ってきたバネッサも思わずその場で固まってしまう。
「ね!お願い!一緒に死の洞窟のダンジョンに付いて来て頂戴!」
「「ええぇぇぇぇ?!」」
思わず声が揃ってしまうテオバルドとバネッサであった。
死の洞窟ダンジョン。地下5層から成り、上層階では主にゾンビやスケルトンなどのアンデッドモンスターが跋扈している。
そして、ダンジョン内は濁ったエーテルの密度が濃いため、モンスターをを倒しても時間が経つとまた襲ってくる。それを逆に利用して戦闘の練習台にするハンターもいるが、Cランク程度の実力がないと難しいだろう。
「それで、なぜそのデスケイブに行こうとしてるんですか?」
テオバルドはデスケイブのダンジョンがどんな所なのかも知らなかったが、そこがダンジョンであることは理解した。ハンターになったら実力に見合ったダンジョンにも行ってみたいとは思っているが、今はまだ、ただの子供である。
「実は…修道女の試練で、デスケイブの地下2階の奥にある祭壇に祈りを捧げてこなくてはならないのです」
「それは何か僕に関係があるのですか?」
「いえ…もちろん特に関係が有るわけではないのですが…個人的に付いて来てもらいたいというか…お願いしたいというか…」
歯切れの悪いアンナを見てバネッサが質問する。
「ちょっといいかしら。デスケイブのダンジョンって、上層階はアンデッドモンスターのエリアよね?それほど動きも早くないし、修道女のアンナさんなら不死退散とか使えば問題ないんじゃないかしら」
「…」
「アンナさん?」
「……です…」
「え?アンナさん、なんて?」
「怖いんですぅー。私、ゾンビとかのアンデッドが苦手で…。あんなのが迫ってきたら絶対に呪文なんて唱えていられないです!!!」
「「ええぇぇぇぇ?!」」
再びハモるテオバルドとバネッサであった。
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「それで、テオバルドに付いて来て欲しいって事なのね」
「はい…テオバルドさんが来てくれれば、落ち着いて行動できそうな気がします。他に頼める人がいないんです!お願いします!」
話を聞いたバネッサは、やれやれ、と言った表情でテオバルドを見て言った。
「テオはどうしたい?アンナさんには色々と助けて貰ったんでしょ?」
「そりゃ僕にできる事ならアンナさんの手伝いをしてみたい。けど母さん、いいの?」
「あなたがやりたいと思うなら、母さんは応援するわ」
「あ、ありがとうございます!ありがとうございます!」
涙目でお礼をするアンナ。
「それで、デスケイブにはいつ行くの?」
「デスケイブには、次の満月の日に合わせて14日後に入ります。その前日までに最寄りの街ガンベルクへ行かないとなので、ソラン村を出るのは12日後の予定です。往復で5日間くらい見て頂ければ…」
「5日間かぁ。エルネスト先生にも伝えておかなきゃ」
「あ、もちろん旅費は私の方で出しますので。いきなり来たのに無茶なお願いを聞いていただいて有り難うございました。それではまた12日後に迎えに参ります!」
テオバルドとの約束を取り付けたアンナは、ホッとした顔で帰って行った。
「母さん、本当に行っても良いの?」
「だってアンナさんは命の恩人でしょ?ピンチの時には助けてあげなきゃ。それに、母さんも昔デスケイブに入ったことがあるけど、地下2階までなら大丈夫だと思うわ」
1年前に見た「祝福を受けた状態のテオバルド」ならCランク…もしかするとBランクハンターくらいの力量はあると感じたし、あれから毎日のように訓練していることをバネッサは知っている。
「ありがとう、母さん。僕、頑張ってくるよ」
「ええ。でも出発するのはまだ12日も先なのよ?今からそんなに気合いを入れる必要はないわ」
ふふふ、とバネッサは笑って続ける。
「でもテオ、デスケイブのダンジョンで行くのは地下2階の祭壇までよ。絶対に地下3階には行っちゃダメだからね。約束してね」
デスケイブのダンジョンは、地下2階までと地下3回以降とでは全く難易度が変わる。もちろんアンナも知っているだろうが、念のためにテオバルドにも約束させるバネッサだった。
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「…という事で、再来週の学校はお休みします」
「そうか。まさか卒業前にダンジョンへ行くことになるとはなぁ」
エルネストはそう言うと、テオバルドの肩を叩きながら言った。
「今のテオバルドならデスケイブのゾンビくらい倒せるだろう。でも地下3階には降りちゃダメだぞ。あそこは2階と3階は全く別もんだからな」
「ええ、それは母さんからも聞いてます。大丈夫ですよ、2階までしか行くつもりは有りませんから」
「絶対にムチャするなよ。無事に帰ってくるんだぞ…って、出発はまだ再来週か」
ハハハ、とエルネストが笑っていると、ナタリアが現れた。
「テオ、それ私も付いて行くわよ!」
「え?」
「は?」
「「ええぇぇぇぇ?!」」
『テオバルドがアンナさんと二人でダンジョンですって?しかもアンデッドが苦手なアンナさんが同行を頼んできた?そんなの二人きりでダンジョンに居たら…(ポッ)あんな事やこんな事になったり…イヤ!絶対にイヤ!いくらアンナさんでも、それは絶対に譲れないわ!』
ちょっとギラギラした目のナタリアに睨まれ、麻痺したかのように動けなくなるテオバルド。
「いいわね?!私も絶っっっ対に一緒に行くからね!」
コクコクと首を縦に振るしかないテオバルド。
「そんなこと言っても、そのアンナさんの都合とか…」
「先生は黙ってて!」
「ヒィッ」
先生でありハンターでもあるエルネストさえ思わず息を呑むナタリアの冷酷な視線。
『本当に付いて来る気かなぁ…でもあの目は本気だよな…アリリオおじさんが許してくれるはず無いと思うけどなぁ』
出発まであと10日。ナタリアの家で大喧嘩の声が響いたのは、その夜の事だった。