2.奇跡的な帰還
咄嗟にナタリアとダイアウルフの間に身体を割り込ませたテオバルドは、パンチを繰り出すように右腕を突き出した。
ダイアウルフは構わず右腕ごと引き千切るつもりで、その拳から肘の先まで呑み込むように咬みついた。
「キャー!」
見ていたアンナも悲鳴を上げる。
「痛ってぇッッッッ!」
激痛に思わず身をよじるテオバルドであったが、なぜか右腕は咬み千切られることなく、まだ肩に繋がっていた。
「うわぁぁぁ!!!」
慌ててダイアウルフが咬みついたままの右腕をブンブンと振り回すテオバルド。すると、
「キャイーーン!!」
子犬か?!と思うような鳴き声を上げて、500kgのダイアウルフが5m程先の地面に叩きつけられ、そのまま数回バウンドして20m程後ろに吹っ飛ばされていた。
「…あれ?」
確かに噛まれた痛みは有ったけど、それ程のダメージはなかった。そればかりか、振り回した右腕に噛みついていたダイアウルフは20mも先で驚いたようにこちらを見ている。
「嫌ぁぁ!来ないで!!」
もう1頭のダイアウルフは今にもアンナに飛び掛かろうとしていた。
「あ!お姉さん!!」
テオバルドはアンナの声に振り返ると、ダイアウルフ目掛けて駆け出していた。
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「うわぁぉぉぁぁ!」
よく分からない雄叫びをあげながら迫りくる子供。ダイアウルフは走ってくるそれを一瞥すると、何故かそのまま目が釘付けになった。そして今までに感じたことのない感情が込み上げてくるのを感じた。
恐れ…?
それは自分たちの群れのリーダーから感じる威圧感より、もっと強い何か。こんな子供に?
そんなハズはない。こんなヤツはオレが前脚を一振りするだけで動かなくなる。
目の前の怯える獲物は後回しにして、あの妙なヤツを先に始末しよう。
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テオバルドは、自分が恐れる感情もなくダイアウルフに向かって走っていることに高揚感を感じつつも、それを疑問に思っている時間は無かった。
こちらに向き直るダイアウルフ。突進するテオバルド。
ダイアウルフは軽く跳躍して飛び掛かると、右前脚を振り下ろした。
ナタリアの時は無意識に手が出ただけのテオバルドだったが、今回はちょっとだけ心の余裕が出来ていた。
『絶体絶命のピンチで勝てっこないはずなのに、なんでこんな気持ちなんだろうな…』
飛びかかってくるダイアウルフが、なんだかスローに見える気がする。
こちらに伸びてくる右前脚を、右手で外側に払いのけながら体を躱し、交差する瞬間に左手でダイアウルフの顔面を殴る。
「ギャァィィン!!」
右眼を殴られたダイアウルフは体勢を立て直そうとしたが、激痛でそのまま横倒しになる。
「ナタリア!お姉さんと一緒に居て!」
アンナもハッと気付いたようにナタリアの方へ駆け寄る。
二人を背にして2頭のダイアウルフと向き合ったテオバルドは、
「ウォァァァァァーー!」
と叫ぶと、拳を上げてダイアウルフを睨みつけた。
ジリ…っと、右眼を殴られたダイアウルフが1歩下がると、もう1頭もテオバルドの方を見ながらゆっくりと後退を始めた。
「ウォォォォーー!!」
テオバルドがもう一度叫ぶと、2頭のダイアウルフは踵を返してゆっくり離れていった。
ダイアウルフはさすがに自分たちが敗けるとは思っていないだろうが、多少なりとも痛い思いをする事になりそうだ、と感じたのだろう。
それに食べ物は、さっき通り過ぎたあのでかい木の箱(馬車)にもある事は分かっている。ここは見逃してやる…
ダイアウルフはテオバルドから本能的な何か危険なモノを感じていたのかもしれない。
テオバルド達から100mほど離れたところで、ダイアウルフたちは残しておいた獲物(馬車)に向かって走り出していた。
遠ざかるダイアウルフを見ながら、3人は腰が抜けたようにその場にへたり込んだ。
「私たち…助かった…のかしら…?」
アンナが言った。
「テオ…テオぉ~怖かった!怖かったの~!」
ナタリアは泣き出した。
「ほら、まだダイアウルフが戻ってくるかもしれないし、今のうちになるべく遠くに離れたほうがいいよ。ね、お姉さん」
テオバルドが言うと、アンナも同意した。
「そ、そうね。さっき襲ってきたのは2頭だけだし。4頭で来られたら流石に…って、君!さっきのは何?あなたってあんなに強いの?」
ダイアウルフを殴り飛ばしたテオバルドを見たアンナは、信じられないと言うように尋ねた。
「いや…それは僕も驚いているっていうか…お姉さんが掛けてくれた魔法のお陰?」
「…まぁ詳しいことは後よね。一刻も早くここから離れないと!」
「ナタリア、ほら、立てる?」
祝福の効果がまだ残っているのか、気を取り直して立ち上がるナタリア。3人は遠くの馬車のあたりからダイアウルフの雄叫びが聞こえた気がしたが、振り返ることなく走って逃げ続けていた。
逃げ続ける事30分。ついに町からやってきた商隊を見つけ、ホッとする3人。
アンナが商隊に事態を告げると、護衛が言った。
「ダイアウルフ4頭だと?!それでお前たちは逃げ延びてきたのか?」
「えぇ…でも、馬車を引いていた馬と御者、それと馬車に立てこもった客の一人は…」
「あぁ、それはそうだろうな。で、その場所はここからどれくらい先なんだ?」
「30分くらいは逃げてきてるから、5、6kmくらいは離れたと思う。アレが追って来てなければ、だけど」
テオバルドが言うと、護衛はちょっと考えたような感じで言った。
「まぁ、ダイアウルフがまともに追ってきたら、人の足じゃ逃げきれないわな。…旦那、今日は町に引き返して、改めて出直した方が良くないですか?ダイアウルフ4頭ってのが本当なら、この人数ではとても太刀打ちできませんぜ」
旦那、と呼ばれた商人は髭をさすりながら答えた。
「そう…だな。ちょっと急ぎたかったのだが仕方ない。一旦戻って出直すことにしよう。お前たちも町まで一緒に来るがいい」
「「「ありがとうございます!」」」
既に疲れでヘトヘトになっていた3人は、商人の好意で荷馬車の隅に乗せてもらっていた。
「テオ…助けてくれてありがとう」
「うん。でも無事でよかった…本当に…」
言い終えたテオバルドは、今頃になって緊張が解けたのか身体がガタガタと震えだした。噛まれた右腕が熱く感じ、ジワジワと痛くなってきた気もする。
「あ…暑い…いや、寒い…?」
「え?ちょっとテオ!大丈夫?!ねぇ!ちょっとぉ!」
ナタリアが体をゆすっているのが、なんだか熱に浮かされたようにフワフワ気持ちよく感じるテオバルドであったが、やがてゆっくりと意識を失っていった。
3時間ほどしてテオバルドが目を覚ますと、そこは医務室のベッド?のようだった。
「あれ…?ここは…」
「あ、やっと気が付いた!アンナさーん、起きたよー!」
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どうやら僕は荷馬車の中で気を失ってしまったらしい。
ナタリアはビックリしたらしいが、
「浅いけど息はちゃんとしてるから、大丈夫よ。多分、軽く気を失ったんだと思うわ」
とアンナさんが教えてくれたので取り乱さずに済んだらしい。
その後商隊は無事にブリタックの町まで戻って、テオバルドは門の詰め所にある医務室で寝かせてもらったらしい。
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失神したテオバルドとナタリアを医務室に残し、アンナは衛兵にダイアウルフに襲撃されたことを話していた。
ダイアウルフは4頭いたこと。
御者が馬に乗って助けを呼びに行こうとしたけど、襲われた(間違いなく殺された)こと。
乗客は4人いたけど、そのうちの1人に馬車から追い出されて、3人で走って逃げたこと。
…ここまで話したところで、アンナは考えた。
『あの少年が2頭のダイアウルフと戦った事は言うべきかしら?でも、撃退したって言っても信じてもらえないわよね』
アンナは目をつぶって、首をゆっくりと振りながら衛兵に続きを話した。
「私が話せるのはここまでです。馬車に残った一人がどうなったのかは見ていませんし、あまり思い出したくも考えたくも無いのです…」
「うむ、そうか。それは災難だったな。今、現場の確認に向かえる者を集めている所だ。ところであの子たちはあなたの連れなのか?」
「いえ、乗合馬車で一緒になっただけです。あの二人は知り合い同士のようですが…」
「そうだったのか。いや、あのような小さい子供を二人も連れて逃げてくるのは大変だったろう。で、すまないのだが、あなたにはもう2、3日この町に残っていてもらいたい。明日には現場に行けるだろうから、今聞いたことが確認できるまででいいんだ。済まないがよろしく頼む」
「わかりました。ではそれまで私は街の教会に居るようにします。あの子たちは…?」
「いや、あの子たちがあなたと無関係なら、なるべく早く親元に帰してあげたほうがいいだろう。明日の現場確認の部隊が街道の安全を確認すれば、馬車も出るはずだ」
「そうですね。ご配慮ありがとうございます」
衛兵の聞き取りを終え、医務室に入ったアンナ。テオバルドが目覚めたのはその10分後だった。
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「お世話になりました」
「こちらこそ助かったわ。とにかく3人とも無事に生き延びて良かったわね」
アンナに別れを告げ、テオバルドとナタリアは馬車に乗り込んだ。
「それじゃ、馬車を出すぞ~!」
翌日、乗り合い馬車はお昼過ぎに街を出た。調査部隊は、朝一番に出発して現地を確認。既にダイアウルフはいなかったそうだが、無残に破壊された馬車を見ればそれがダイアウルフであったことは容易に推察できたらしい。
もちろん昨日の今日だから、乗合馬車もすぐには出ないのかと思ったが、最初の馬車には護衛隊が付くことになったらしく、いつもより遅い出発ではあったが運行するとの事。
昨日テオバルドたちを連れ帰ってくれた商隊も一緒に出発するらしい。そりゃ護衛隊が付いてきてくれるのだから便乗したくもなるだろう。
周りを警戒しながらの移動のためか、いつもよりペースは遅かったが、夕方前に二人はソラン村に着いた。