大海のアダム【15】作戦会議
案内役の兵士に連れられてそれらしき建物に移り、声紋セキュリティ付の扉を三つ過ごして進んだ突き当りの重々しい扉を開けた正面にリラン老師の姿があった。今まで体験したどんな場面より重々しい雰囲気に包まれたその部屋の中央には大きなドーナツ状のテーブルが置かれ、真ん中に魔法科学技術で作らた3D式スクリーンが緑色の光を放ちながら海底の地形を映し出していた。
「遅い。余裕を持って服は届けさせたはずじゃが、もしかして間に合わなんだか?」
リラン老師が言った。はじめて竜宮城に来た時に通された古めかしい部屋とは全く違う本物の軍司令部だ。言いながら老師は、早くこっちへ来て座れとばかりに隣りの席を指さした。
「いや間に合ったよ、ありがとう。仕立ては完璧だった。でも、どうして爺さんがここに? 随分と前に退役したと言ってなかったか?」
参謀総司令部の本会議室には、今回の作戦指揮を取る主要メンバーが勢揃いしていた。リラン老師は先代竜王、つまり、現在の竜王バハムルトの父の兄に当たる人物だ。397歳という高齢で最年長記録を更新中だそうだが、これがまた凄いトンデモ爺さんで、拳術格闘技において史上最強と謳われる達人の中の達人である。
他のメンバーと比較しても身分も経歴も申し分ないわけだが、竜族最高齢である事を考えればこのような会議に同席しているのは少し不自然に感じる。ご隠居さんが最前線にまで出て来る理由とは何か? 特別顧問として不定期に武術指導をしているそうだが、軍人としては80年以上も前に登録を抹消されている。
「今回の戦は人類側との小競り合いとはレベルが違うでのぉ。負ければ全滅するかも知れん崖っぷちの戦よ。バハムルトの馬鹿がおらんので、ワシがその代わりという訳じゃ」
「そんな事は言っておられなかったでしょう。アダムが心配だから自分が補佐してやるのだと・・・」
ダクロスが口を挿むと宰相のラタニオンも頷き、続いて将軍らも揃ってウムと頷いた。宰相が居るのだから、王が不在の代わりなど用立てる必要はないのである。
「たわけ! だからお前は頭が足りんと言われるのじゃ。面と向かってそのような事を言えば、こやつの性格からして増長するか反発するかのどちらかじゃろう? その程度の事もわからんで筆頭将軍とは片腹痛いわ!」
相変わらずダグロスには厳しいようだ。
皆の前で頭が足りんなどと言われては面目丸つぶれだと思うが、ダグロス自身は別に気にした様子もない。「すいません」と謝りはしたが、どこ吹く風という感じだ。これが老師とのいつもの会話なんだろう。
俺はすすめられるままに席に座ると、集まったメンバーの顔を見渡してみた。はじめて見る者がほとんどで、知った顔はリラン老師とダグロス、それに宰相ラタニオンと彼の専属秘書だけだ。シール隊長やコルルの兄貴クラスの者は一人もいなかった。
「アダム殿も来られた事なのでさっそく会議をはじめたいところだが、まずはここにいるメンバーを紹介しよう。白竜将軍ダグロス、赤竜将軍ターン、蒼竜将軍テンペスト、黒竜将軍シャザン、翆竜将軍グリム、橙竜将軍エイロハ。我が海王軍最強部隊を統括する六大将軍たちだ。リラン老師については紹介するまでもあるまい」
宰相ラタニオンが手短にメンバーを紹介した。当然の事だが、将軍たちは皆ダグロスと同じく竜臥だった。体格も引け劣らないほどに屈強で、この広い会議室が狭苦しく感じるほどに圧倒的なエネルギーを発している。一般兵士ならこの場に立っただけで気絶してしまいそうな迫力があった。
「皆にアダム殿を紹介しよう。先刻行われたダグロス将軍との試合は真に素晴らしき闘いだった。全員にも見せてやりたかったが、次の機会は後に何度も訪れるものと確信している。彼はアリシア姫と結婚して竜王国の王子となるのだからな」
おお!というざわめきと共に興味の目が俺に向けられた。ダグロスからも聞いているに違いない。見下すような視線を送る者は一人もいなかった。代わりに、これでもかというくらいの好奇心と、武人としての血が騒ぐのか、ぜひとも一手お手合わせ願いたいをという声があちらこちらから上がった。場が一時騒然とするのをラタニオンが鎮め、話は続けられた。
「既に知っての事と思うが、ゲルダゴスが三体同時に出現し、この竜宮城に向かって進行して来ている。到着予定時刻は午前2時07分。あと3時間少々だ。しかし、それを手を拱いて見ているつもりは更々ない。ここより撃って出てヤツを殲滅する」
「それについての質問だが、なぜ今回に限り三体も同時に出現し、しかもこの竜宮城を目指しているのだ? 竜宮城は三方を荒れ狂う乱海流の障壁に護られた自然要塞である。我が知る限り、ゲルダゴスが襲って来た事など一度もない。1800年前の大海召の時に防壁を越えたという記録があるが、あれは時の竜王がゲルダゴスの怒りを買ったせいだとも言われている。今回はなぜそうなったのか、その理由をお聞かせ願いたい」
翆竜将軍グリムと紹介があった男が、席に座ったまま低く野太い声を発した。秘書が「発言する時は挙手を願います」と言ったが聞き流されている感じだ。
「それについては調べている最中だが、仮説として考えられる事が二つある。ひとつは天敵である竜王様が不在な事。ひとつはアリシア様とアダム殿、それにゲルダゴスの攻撃を受けて生き延びた『蓮華小隊』の者達がこの竜宮城に滞在しているという事だ。対策班の研究チームの者達は後者の可能性が高いと言っている」
「なぜそういう説が成り立つ? 理解できんな」
「右に同じだ。竜王様が不在だからというならば理解できる。王ほどの存在力が消えれば、存在感知に優れた者ならばそれと分かるかも知れん。それほどに竜王様の存在力は偉大だ。しかし、姫とアダム殿、それに小隊数名の存在力を感知するなどゲルダゴスに可能なのか? 特にアダム殿の存在力などは、こうして目の前にしているというのに全く感知できない。素晴らしき陰形術と言えよう」
翆竜将軍に続き黒龍将軍が発言したが、同じく挙手はなかった。
「マーキング能力ではないかという話だ」
ラタニオンではなくダグロスが発言した。秘書が後ろで「発言する時は挙手して下さいって言ってるのにぃ〜」と言っているが誰も気にした様子はない。進行役を任されているであろう彼女は少し涙目になっている。
「マーキングだと?」
「ゲルダゴスにはまだ解明されていない能力が多い。怪音波で四肢の自由を奪う事は皆も知っているだろうが、神経毒や分離して触手を伸ばして攻撃したり、分離して小さいサイズになるとエイのように平たくなって泳ぎ、高速で移動する事など知らぬであろう?」
ダグロスは話を続けた。
「アレには不干渉とのルールがあった為、1800年前に『大召海』という未曾有の壊滅的危機を体験しながら、現在に至るまで何の対策も行われて来なかった。先々代の竜王様でさえ倒せなかったバケモノ相手に闘いを挑む馬鹿もいなかったしな。今までヤツと戦って逃げのびた者はなく、情報を持ち帰る事すら出来なかったのだ。今回それが出来たのはアダム殿の力あっての事。その情報を元に、解析班はゲルダゴスには逃した獲物をマーキングして追いかける能力があると判断した」
「会議前の雑談を蒸し返すようで悪いが、本当にアダム殿がゲルダゴスを倒したのか? 俄には信じられぬな」
「エイロハ、ならば貴殿もアダム殿と立ち会ってみるといい。闘ってみれば分かる。アダム殿は嘘をつくような男ではないと俺が保証しよう」
「だが、それがもし事実だとしたら、アダム殿は召喚されてから数日しか経たぬというのに既に覚醒者クラスという事になる。そんな話は聞いた事もないし、竜王様より強いアダムが存在するのはおかしい。そのような事はあってはならないことだ」
「口を慎めエイロハ! 貴様はバハムルト様の全力を見た事があるのか? 竜王様は我々とは全く違う存在なのだ。あのお姿であの強さだ。真竜化すれば、ゲルダゴスなど一瞬で始末できるだろう」
「そ、それは・・・・」
「あまりにも強大である為に、神により封じられた真なるお力。それを開放された竜王様は神に並ぶ力を持つ。この世界に竜王様より強いお方は存在しない」
真竜化とは何なのだろう?
バハムルトは竜に変身でるのだろうか?
後でアリシアに聞いてみようと俺は思った。
ひょんな事で竜王の秘密に触れたが、今は質問すべき時ではないと判断して聞き流す。ダグロスには俺が体験したゲルダゴス戦の情報を全て話してあった。俺の怪我の状態を確かめに来た時に話したのだが、アリシアのスキル効果が現れる前から彼はピンピンしていて、数分前のダメージなど全くない様子だった。当然回復魔法を使っての事だろうが、肉体的ハンデは予想以上で、少し不公平感を禁じ得なかった。
俺は彼の目を見て信用できると判断し、セイレーン達に頼んである作戦の内容や、本来やろうとしていた事がどんなであったかを詳しく話した。しばらく黙って聞いていた彼は、ならばもっと効果が望めて確率の高い地形があると、ゲルダゴス殲滅作戦に全面協力する約束してくれたのだ。
早速準備に掛かろうと部屋を後にしたダグロスは、俺から聞いた作戦をもとに竜王軍の巨大な軍事力を背景とした大規模作戦を立案した。アイデアは俺のものだが、実際に段取りしてくれたのは彼だ。筆頭師団白竜将軍の名は伊達ではなく、この軍議も全てダグロスがお膳立てしてくれた。俺は神輿に担がれた形だが、それがベストである事は間違いない。戦争なんて特殊なシロモノはプロに任せるに限るのだから。
「軍議を進める。この先の話はアダム殿がセイレーン達を使って既に準備されていた事だ。故に、アダム殿に作戦内容を説明して貰おうと思うが皆はどうだ?」
「えっ!? 俺が説明するの?」
「遅刻した罰じゃ。お前から説明せい」
突然ラタニオンから話を振られて少々慌てたが、リラン老師に尻を叩かれて作戦内容を説明する事になった。既に一度、ダグロスには話した内容だし、分からない部分や未定だった箇所はすぐにフォローしてくれたのでなんとか出来た。そして場面は作戦開始直前へと移る。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「セイレーンに頼んでおいたものは届いているか?」
俺はダグロスに聞いた。
「心配ない。既に設置してある。ネットはまだ二割ほど足りないが、作戦開始自己までには間に合わせる」
「セイレーンとの共闘部隊は編成できたか? シールさんが指示した時には全く捗らなかったらしいけど?」
「そちらも問題ない。国の大事にプライドもクソもないだろう。例のコルルという者にも小隊の指揮権を与えた。高速機動遊撃部隊という新設した小隊だ。期待通りに機能するかは彼の力量次第だが、おもしろいアイデアだと思う」
「神経毒を吐かれた場合、影響なく動けるのはたぶんその部隊だけだ。海流操作で海馬に神経毒が届かないようにして、毒にやられて動けなくなった兵士達を撤退させる。解毒薬は間に合いそうか?」
「問題ない。それに、対毒対音波の防御術式も急ピッチで装備中だ。あんな複雑な術式をこのような短時間で組み立てるとはアダム殿の魔法スキルは卓越しているな。魔術士隊が教えを請いたいと殺到しているぞ」
「あれは俺のスキルじゃなくて、同居人の持物の演算能力なんだ。詳しい事は言えなくて申し訳ないが」
「それは別に構わない。自身の奥義を説明する格闘家が居ないのと同じ事だ。身につけたければ、正式に弟子にならなくてはな」
「ん、まあ、そういう事にしておいてくれ。後どれくらいで作戦開始だ?」
「5分というところだ。だがいいのか?」
「何が?」
「お前が連れていたセイレーンの幼性体、ポニとかいう娘は見つからなかったのだろう?」
「いいんだよ。ゲルダゴスはセイレーンにとっては天敵だ。訓練された兵士ならまだしも、子供がアレと対峙するには荷が重すぎる。一度死にかけてるし、見た途端に硬直して動けなくなる可能性だってある。それに、今回はこんなに大勢の兵が居るんだ。わざわざ子供を連れ出す事はないさ」
「アダム殿がいいと言うなら俺は構わんがな」
「この海馬ありがとう。いい馬だな」
「竜王様のお気に入りだ。できるだけ無事に返してくれ。死んだりしたら俺の首が飛ぶかも知れん」
「おいおい、そりゃマズいだろ! これ竜王の馬なの!?」
「ははは、気にするな。無事なら何の問題もない。期待しているぞ速水卓也。俺はお前ともう一度手合せしたい」
「フラグ立てるんじゃねえよ、縁起でもない!」
「ではまたな」と片手を上げて俺の隊から離れるダグロス。彼は総司令官であり軍の要だ。最後尾で全体の指揮を取らねばならない。
俺は志願して遊撃隊の先訊部隊を請け負った。
顔見知りなど居ないと思ったのに、俺が先陣を切る事を知ってわざわざこの部隊に急遽参入した馬鹿がいた。
「あんたの背中はオレが守る。安心して戦ってくれよ!」
「お前、ダグロスんところの白竜師団小隊長じゃないのか? 大将を護るのが仕事だろう?」
「大丈夫だ。将軍の許可は貰ってある。それに見てくれ。オレんところの足自慢の連中を連れて来た。コイツらは使えるぜ? 海馬の腕なら大隊長格にだって劣らねえ。必ずあんたの役に立つ」
シリウスは牙をガチガチと鳴らしながら豪快に笑うと、俺の背中をドスンと叩いた。めちゃくちゃに痛い。避ける訳にいかないから受け止めたが、下手すると内臓が衝撃でやられそうだ。戦う前に病院送りとか勘弁して欲しい。
確かにシリウスの助っ人は有り難い。しかも連れて来た5人は全員が竜臥だった。全体を見渡しても分かるが、軍人の中でも竜臥は少ない。出生率が二割を切っているのだから当然だが、軍の中でも竜臥は特別であり、一人の戦力は竜人騎士20人に匹敵する。その貴重な戦力を5人という事は、100人の正騎士が増えた事と同じなのだ。簡単に自己紹介されたが、案の定小隊長クラスの者ばかりだった。自分の部隊を放ったらかして俺の護衛に着くとか本当にどうかしている。シリウスもそうだが、全員がリラン老師の正式な弟子という事だ。たぶん、老師が一枚噛んでいるとしか思えない展開だった。
ーーーあのお節介ジジイめ!俺の心配するより自分の心配しろ!明日の朝には死んでるかも知れないなんて弱気な事を言ってたくせに!
「そうじゃ。コイツらは中々に役に立つぞ。練習嫌いのシリウスなんぞよりよほど見込みがある若者よ」
「うおっ!? なんで爺さんまでここに居るんだ?
まさか、このまま参加するとか言わないだろうな? 作戦会議じゃ、見てるだけなのはつまらんが仕方ないと言ってただろ!」
「そうじゃ。見てるだけはつまらんからお前さんについて行く事にした。師匠が闘いに行くのに、弟子のワシが見ているだけでは世間体が悪い。ぐうたらな弟子に思われてはワシの弟子達に示しがつかんからな」
「やめてくれ。頼むから城で待っててくれよ。あんたにもしもの事があったら竜王に殺される」
「アホかお前は! ワシに何かあればお前は達人になる。自力で封印も解けぬ馬鹿に負けるものかよ!」
俺は作戦会議が終わって各自が解散した後、再びリラン老師の部屋に呼ばれた。そこで封筒に入れられた紙を見せられて『血の契約』を催促されたのだ。
書かれた文字は読めなかったが、表のようなものには数字がズラリと並んでいた。数字は何度か目にしているからなんとなくは分かるが、その数字が意味するものが何なのかは分からない。
「これは?」
「ワシの主治医が半年ほど前に持って来たものじゃ。それによるとワシの命は保ってあと半年、早ければ二ヶ月という事じゃった。二ヶ月などとおに越えておるがな」
「病気なのか!?」
「それもあるが、やはり寿命じゃよ。いろいろな臓器が機能障害を起こし、部分的に動いておらんらしい。平気な顔して動き回れるのが不思議だと言っておった」
「治す方法は・・ないのか?」
「寿命じゃぞ? 治す方法などあるモノか。今まで通りの生活を続け、静かに最期の日を待つだけじゃ。ワシが明日の朝には死んでおるかも知れんと言ったのは大袈裟でも何でもない。事実そうなのだからな。先ほどはコルルがいたから言えなんだが、ワシの命はあまり長くない」
「・・・・・・それでなのか?」
「そうじゃ。ワシは昔から諦めが悪くてな。どうしてもと決めた事は何としてもヤリ遂げたいと最後まで足掻いてしまう。未完成の奥義を完成させる時間はワシには無い。これはずっと思い描いて来た最終奥義じゃが、年老いた体には負担が大き過ぎて最終局面の一歩手前まで来て頓挫してしまった。でも諦めが悪いワシは、少しづつだが技を煮詰め後少しのところまで来た」
リラン老師の言葉に嘘がない事は、蛇眼に宿った賢能で分かる。紙に書かれた内容は分からずとも、それは本当に主治医が書いたものなのだろう。
「未完成のままでは死ねん。そう思い生きて来たが、最近になって急に、体に力が入らなくなる日が時々現れはじめた。今日はここ最近では珍しく体調がいい。そんな時にお前が現れダグロスと試合を始めた。ワシは震えたよ。神はワシを見捨てなかったのだと歓喜した。そして決めたのじゃ。ワシの全てをこの得体の知れぬ男に託そうとな」
「では試合を中断させたとき既に?」
「そう。奥義を渡す事も未完成の最終奥義を託す事も決めておった。後はどうやってそのように話を持って行くかじゃが、お前は猿王の弟子の弟子になれと持ち掛けてきた。無茶苦茶な理屈じゃが、その話に乗る事でワシとお前とには絆が結ばれる。その絆こそがワシの欲しいモノじゃった」
「もしあの時、俺が弟子の話を持ち出さなかったらどうしたんだ?」
「簡単な事よ。お前さんを適当に痛めつけ、命が欲しければワシの弟子となり言う事を聞けと命じた。お前さんに闘う力など残されては居らず、ガス欠寸前のボロボロなのは見てすぐに分かったからな」
「全てがお見通しか。全く恐れ入ったよ。あんたには敵わないな」
「当たり前じゃ。お前とワシとでは年期が違う。
まさか、このリュウケンを口先で丸め込めたと本気で思っておったのか? ワシは先代竜王の兄じゃぞ?」
ニヤリと笑う古参の達人に俺は完全に敗北した。
全ては爺さんの手の平の上で回されていたのだ。
「『血の契約』ってのはどうやるんだ。時間が掛かるならゲルダゴスを倒して落ち着いてからのがいいと思うが?」
「なに、時間など掛からん。ほとんど無条件に全てを渡してしまう契約じゃからな。条件に際限が無いから内容は実にシンプルじゃ。一瞬で終わる」
「そんなに簡単なのか?」
「論より証拠じゃ。それ、そこの皿を取ってくれ」
「これか? ホコリを被ってるが?」
「別に皿でなくても何でもいいのじゃ。今からワシのやる事を真似ろ」
リラン老師はホコリを払った皿を机の上に置いた。そして小さな果物ナイフで指先に小さな傷をつけ、皿の上に血で円を書いた。俺もナイフで小さな傷を付け、爺さんが描いた円をなぞれと言うのでそれに習った。言葉も何もない。ただ爺さんの血の上に俺の血で円を重ねただけだ。
クルリと血の円が書き終わると、皿が光りパンと飛び散った。思わず破片を警戒して顔面をガードするが、破片は飛んで来なかった。飛び散った皿は光の粒となり、周囲に溶け込むように消えてしまったのだ。
「これで『血の契約』は完了した。簡単じゃろう?」
「たったこれだけ?言葉も要らないのか?」
「言葉など必要ない。この特別な契約に望むという覚悟がお互いにあれば良いのじゃ。表面的な言葉などより真実の覚悟、それが発動条件になる。割れた皿は光になって世界に溶け込んだ。誓は世界に認められ約束が結ばれた証拠じゃよ」
あまりにも簡単に終わった契約の儀式に拍子抜けする俺に、爺さんは続いて奥義の伝授をするからと私設道場へと連れて行かれた。
こちらは『血の契約』のように簡単ではなかった。会議終了からたっぷり一時間以上はあった作戦開始までの有余が、残り15分になってしまったのだ。おかげでセイレーン達との最後の打ち合わせをする時間もなくなり、いなくなったポニを探す時間もなかったという訳だ。
あの時は作戦には参加しないと言っていた老師が目の前でニヤニヤと笑いながら、かなり上機嫌で弟子達に声を掛けている。本気で病気の事を心配していたのに、俺の気持ちなど知らんぷりだ。この闘いで死んだりしたら流石に目覚めが悪くなる。俺はシリウスに耳打ちして老師を戦場に出さないように出来ないかと聞いてみた。
「老師が出るって言ってるんだ。無理だな。皆で束になっても老師を止められないんだから、オレひとりでどうにかなるとかあり得ない。だから期待するな。それにまだ破門されたくないし!」
「なんじゃ。ワシが行くのはそんなに迷惑か? コソコソ内緒話などしおってからに!」
弟子達と話していたから聞こえないと思っていたのに、やっぱりこの爺さんの耳は地獄耳だ。これは困った。かなり困った。本人はたぶん死ぬ時は武人らしく戦場でとか思っているのだろうが、俺に付き添ってソレはやめて欲しい。本人は大満足で昇天できても、俺にとっては大迷惑だ。絶対に竜王から恨まれる。アリシアとエッチしちゃった事だけでも殺されそうなのに、師匠であり、叔父であるリラン老師が俺と一緒の戦場で死んだらもう確実に呪い殺される。
その時、周囲にラッパの音が鳴り響いた。
作戦開始の合図だ。竜王軍は総勢178000人。義勇軍が12000人。セイレーン特殊部隊1700人。その他いろいろな部族から集められた傭兵達が36000人とちょい。合計227700人オーバーの大部隊が太鼓の音に合わせて一斉に進行をはじめた。
海を埋め尽くす異形の兵士達が進む。
海の怪物、絶対的破壊者、不滅のバケモノと呼ばれ太古より恐れられて来た海獣ゲルダゴスを殲滅する、最後の闘いの火蓋が今ここに切って落とされたのだ。
「行くぞみんな!我々特殊遊撃部隊は先行して奴を撹乱する。対毒対音波防御結界の作動確認急げ。各自海馬に加速誘導を!俺が道を作るから絶対に10㍍以上左右にズレるな。奴は視覚では判別しにくい」
「分かってます。とにかく先行し、倒せるなら一匹でも倒す。奴がデータと違う動きをしたらすぐに報告し、一時撤退。対抗策を練り再度攻撃の繰り返しで主力部隊が潜伏する地点まで奴を誘導。そしたらメインの仕掛けがドカーンで、奴は焼け死んで作戦終了。まあそんな都合よく行くとは限りませんが、戦なんてもんは生き物ですからね。臨機応変に対応して我々は我々の役目を果たすのみ」
シリウスの口調が変わった。
多少は砕けているが、上官に対しタメ口は無しだ。
「シリウス。君や君の仲間が強い事はわかっている。だが深追いはするなよ。奴は見かけとは違って知能が高い。未確認情報だが、異界の神の細胞から造られた実験動物らしいんだ。くれぐれも油断はするな」
「実験動物? それが例え神の細胞から造られたとしても神じゃないんでしょう? こちらにはアンタっていう奇跡の存在がついてるし、1800年前とは装備もまるでレベルが違う。きっと勝てますよ」
楽観的なシリウスの雰囲気が部隊に伝染し、他の竜人兵士達の表情を自然に和ます。やはり竜臥とは戦場におけるムードメーカーなのだ。彼等が合流してくれるまでの隊の雰囲気とはまるで違っている。俺の部隊は、少しでも犠牲を減らす為に作戦実行可能の最小人数に抑えた。タグロスは反対したが、俺が押し切った形だ。
ゆかりとのリンク回復まで後20分だ。
リンクが回復し、ゆかりのチート能力が加わればゲルダゴス攻略は容易いはずだ。ゆかり無しでも倒せた相手が、少々デカくなったところで問題は無い。核は所詮ひとつだ。その核さえ破壊してしまえば体がどんなに大きくても倒せるだろう。
アリシアに散々警告されながらも、実際にその脅威に直面するまで俺はそのように考えていた。事実、俺が立案した作戦でヤツを倒せる確立は97.4%だとREYも算出していたのだから。
しかし現実は違っていた。
俺たちの目の前に現れたゲルダゴスは、俺が知るヤツとは全く違う別の姿をしていた。偵察部隊が知らせて来た地点に浮かぶ巨大なバケモノ。それはクジラの形をした動く三つの大きな山だった。ヤツは形態を変化させ、攻撃力を格段にアップさせていたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「と、言うわけなんだよ!酷いと思わない?」
「確かにそれは許される事ではありませんね。わたしでも怒ると思います」
「でしょ、でしょ! ボクの気持ちを分かってるのに利用するだけ利用してポイだなんて人でなしにも程があるよ!」
「でも本当に捨てられたのでしょうか? あの方はとても情が深い優しいお人です。そもそもゲルダゴスと闘うと決めたのは、ポニさんに恩義を感じていたからではありませんか?」
「ボクに恩義を?」
「そうです。命を救われたから、命を掛けてそれに応えようとした。でなければ、あの方の行動の理由が分かりません。命を救われた貴女の仲間が住み、一宿一飯の恩義があるセイレーンの谷を守る為に立ち上がった。古い考えかも知れませんが、そうする事が正しいと思っての行動だと思います」
「そうかなぁ? あんなデタラメに強いんだから、自分の力を見せびらかせてセイレーン達を支配したかっただけかも知れないよ。男なんて所詮は支配欲と性欲の塊なんだ。条件のいい物件が現れたら、昔の女には未練も何も感じないのさ! アリシアさんはいいひとだから忠告してあげるけど、あの男を信用しちゃいけないよ! もっと若くて綺麗でお金持ちの女が現れたら・・・アレ?竜王様の娘でお金持ちで綺麗で若いアリシアさんってこの世界じゃ最強じゃん!? ズルいよそれ。完璧過ぎるよ! その上こんなに優しいだなんて、神さまは不公平過ぎるよ! 断固抗議します!そう決めました!」
「まあまあ、落ち着いて下さい。ケーキのお代わりはいかがですか? お紅茶もありますよ?」
「もちろん頂きます!
これが噂に聞くロイヤルパティシエのエキセントリックケーキなんだね! シールさんのところで食べたマカロンも美味しかったけど、これは次元そのものが全く違うよ。もうホッペがトロけて落ちてしまいそうだ! どうしてこんなに美味しいんだろうか?」
「たぶん愛情ではないでしょうか? ロイヤルパティシエはケーキを食べてくれるひとが大好きなのです。ケーキを食べて幸せな気分になった時のポニさんのような笑顔を見るのが大好きなのです。だから日々休む事なく努力して、美味しいケーキを作る事だけに人生の全てを掛ける。それは愛情がなければ出来ない事ですよね?」
「うん、確かにそうだね! このケーキからは無限の愛を感じるよ。こんなケーキをたくさん食べれば、アリシアさんみたいに優しくてほんわかした女性になれるんだろうか? ケーキみたいな素敵なひとに!」
「わたしはケーキみたいですか? そんな事を言われたのは初めてです。ポニさんは愉快な方ですね。それに、笑顔がとてもチャーミングで可愛い。大人になればさぞかし美しい姿になられると思いますよ。目鼻立ちが母に似ています」
「アリシアさんのお母さんってどんな人? 綺麗なの?」
「それはもう美しい方でした。優しく聡明で全ての美を集めたような完璧な方でした。もう会えないのは残念ですが・・・」
「会えないってどうして? 竜王様のお妃様が死んだなんて話は聞いた事がないよ?」
少し遠い目をしたアリシアにポニの心は傷んだ。マズい事を聞いてしまったと後悔の念が走る。そんなつもりで来た訳ではなかったのに、ポニはいつの間にかアリシアの事が好きになっていたのだ。
吐き捨てるように別れを告げて最愛の男の元から飛びだしたものの、その原因となったアリシア姫に会ってひとこと文句を言ってやらねば気が収まらないと、ポニは匂いを辿ってアリシアの部屋の近くまで来た。そこをメイド達に見つかり、捕まって怪しい賊と思われ処分されそうになったところをアリシアに救われたのだ。
初めて会った本物のお姫様に圧倒されたポニであったが、根性を振り絞って「泥棒ネコ!」と叫びガブリと一発噛み付こうとした。しかし、キリングメイドに護られたアリシアに一矢報いるなど不可能な事だ。再び取り押さえられたポニは今度こそ死を覚悟したが、アリシアは理由を聞かせて欲しいと優しく微笑み、ポニをテーブルにつかせてケーキを出した。女の子が甘いものを食べれば気分を落ち着かせるのは、この世界においても法則の一端だったのだ。
ロイヤルパティシエのエキセントリックケーキという至高のスイーツは、ポニの荒んだ心を一撃のもとに粉砕した。後はもうケーキが旨いという話と、自分を捨てた男に対する愚痴でふたりの時間は過ごされて行く。3つ目のケーキを食べ終わり、一時間も過ぎた頃にはポニはすっかりアリシアの魅力にハマっていた。口では愚痴をこぼしながらも、このひとが相手なら仕方ないと完全なる敗北を認めていた。
母の話をしてアリシアが悲しい顔をすると、ポニも悲しくなった。どうしたものかとオロオロしはじめた時にアリシアはポニに向かい笑顔を作る。
「母はとても優しく聡明な方でしたが、この世界の事が好きではなかったのです。この歪んだ世界に嫌悪感を隠せない様子でした。自分の力ではどうにも出来ない事が、その思いをいっそう強くさせたのでしょう。母は苦しみ、苦しみ抜いた上で私に全てを話しこの世界から去りました。当時5歳だった私は母の言葉の半分も理解できなかったけれど、分かった事がひとつありました。それは、運命の方が現れたとき母が残した希望の扉が開くという事です」
「希望の扉が開く?」
「そうです。母には二人の姉妹がいました。母達は神界でも有名な三姉妹だったそうです。しかし、とある神の実験で母達が暮していた神界は次元変動を起こし、母や母の姉妹はバラバラに次元の波に呑み込まれて飛ばされました。母はその次元変動を引き起こした原因を作った神の命令に従いこの世界に来ましたが、私の子宮にある仕掛けをしたのです」
「う〜ん。難し過ぎて何の事やらちんぷんかんぷんだど、アリシアさんのお母さんは結局のところ何をしたかったの?」
「バラバラになり、どこの次元に落ちたか分からない二人との再会です。ですから、私には産まれた時から扉と契約の式を胎内に持っているのです。母の姉妹、私にとって叔母様に当るふたりの『映し身』を産む事が私に与えられた運命です」
「何だか凄い事ってのはビシビシ伝わって来るけど、さっぱり分からないよ。アリシアさんは博学だね。映し身って名前の子が元気に産まれて来る事を祈ってるよ。変な名前だけどさ!」
ポニが「えへへ!」と笑うと、アリシアも「そうですね」と言ってニコリと微笑んだ。横で聞いていたJK達はクスクスと笑っていたが、ポニは皆がニコニコしているのが嬉しくて自分も楽しくなり声を出して笑い出した。
こんなに楽しく心の底から笑ったのはいつ以来だろうかと考えながら、ポニは目の端に浮かんだ涙の粒をスッと拭った。そのすぐ後に聞こえて来た進軍ラッパの音に現実へと引き戻されるまで、ポニはとても暖かく幸せな時間を過ごす事が出来たのだ。
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次回「燃える海」




