【番外編】 ひとりぼっちのポニ
イラスト:リトルジェッター
本編の番外編になります。
読み切り完結です。
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【番外編】ひとりぼっちのポニ
ボクの名前はポニ。
レッドラインと呼ばれている南の海域に棲むセイレーンの幼成体だよ!
9年前に南海にあるセイレーンの谷で生まれたんだんだけど、ボク達セイレーンは、一個の個体から何百って数が生まれるんだ。だから姉妹が多くて、同じ顔をしてる子達がいっぱいいるんだよ。
子供が産める体になると体型が変化して成体になるんだけど、それまでの18年間、ほとんど体型に変化がないだよね。身長は大きくなるけど、人間でいうところの6歳児くらいになると止まってしまうんだ。皆がそうだし、不思議に思った事もなかったけど、他の種族の事を知るとセイレーンって変わった種族だなぁって思ったよ。
全員が女性体だし、夫婦っていう概念もないんだ。時期が来ると、選ばれた個体に卵を孕んだ兆候が突然に現れるんだけど、誰が選ばれるのかも分かんないし、基準がどうなってるのかも知られてないんだけど、健康で体格のいい個体が選ばれる確率が高いんだってさ!
卵を孕んだ個体を『聖母』って呼んで、卵を抱けなかった他の皆が食料や卵の栄養となる人間のカラダを運んで来るんだ。特に、生きた状態の人間の内臓は凄く栄養価が高いらしく、船が通ると渦潮を起して沈めたり、津波を起して波で拐ったりするんだよ。だからセイレーンは人間達にもの凄〜く恐れられていて、見るだけでショック死してしまう者までいるって話だよ。ボクはまだナマの人間を直接見た事はないんだけどね!
皆が協力して『聖母』から卵が生まれると、それらは全て王様の棲む宮殿の保育室に集められるんだ。孵化した後の幼成体は、全てが王の子供として育てられるんだよ。
五歳になった幼成体は、それぞれの適性に合せてランク分けされ、それぞれが違う施設で一般教育や戦闘訓練、狩りの仕方などの生きていく為に必要な技術を学ぶんだ。
ボクのランクはゼロさ。
なぜか規格外という事で、ボクだけがひとりぼっちだった。五歳まで一緒に遊んでくれた友達も、ボクにランクが付かなかった事を知ると、腫れ物を見るような目で遠ざけるようになっちゃった。でもそれは仕方ない事だとボクは思うよ。
セイレーンは同じ顔のひとがたくさんいて、同じくらいの能力のひとがたくさんいて、皆が同じである事が普通の種族だからね。当然だけど、個性的なんて概念もないんだ。他の皆と違う事が罪悪と感じるのが当たり前の事だったんだよね。
でも、セイレーン王とその側近の四人のお姉さん達だけは、ボクに対して今までと同じように接してくれたよ。特に護衛隊の指揮をしているニョポラお姉さんは、ボクを大人達と同じ訓練をする場に連れて行ってくれて、独りでいる時間を過ごさなくてもいいようにしてくれたんだ。
ニョポラお姉さんは、別に訓練に参加しなくてもいいって言ってくれてたけど、何もしないで見てるだけなのは退屈だったし、つまらなかったからさ、見よう見まねで護衛隊の訓練に参加するようになっていたんだ。隊の皆も、小さな子供が戦闘訓練の真似事をしてるのを見て笑いながら見守ってくれていたよ。
そんな感じで二年が過ぎて、ボクが七歳の時だったと思う。普通は成体になってからしか出来ない『海流操作』を幼成体のボクが出来ているのに気付いたニョポラお姉さんが、ボクを王のもとに連れて行ったんだ。王様に会うのは久し振りだったけど、王様はボクの事も覚えていてくれるよね? なんて言ってもボク達は全員が王様の子供なんだから!
「王よ。この子の事を覚えておいでですか?」
「ん?はて、覚えておらんな。お前の子だったかな?」
ボクはガッカリしたよ。
こんなに裏切られた気分になるのはコレがはじめてだった。流石は王様だね。はじめての体験はとても貴重さ! それが残念な体験でも、いつかきっと役に立つときが来ると思うよ。
「違います。私の子がこんなに小さい訳ないでしょう。既に全員が成人しております。ホラ? この顔に見覚えがありませんか?」
「う〜む。子どもなど毎年何千と産まれておるし、毎年何百と海洋生物に食われて死ぬ。いちいち顔など覚えておれんわ。その目はエメトラに似ておらんでもないが、少し違うようにも思うし・・・はてな?」
「毎回の事であまり驚きませんが、本当に適当でいい加減な王様ですね。エメトラは現在妊娠中です。ご自分の直系くらいは把握しておいて下さいませ。次期王の選出も10年以内には必要なのですから」
「次の王などお前がやればいいのじゃ。ポニョラに任せたぞ」
「ポニョラは私の母の名前です。側近の名前すらお忘れですか? 私の名はニョポラです!」
「ちょ、ちょっと言い違えただけじゃ! 紛らわしい名前をつけるから間違えたんじゃよ! ニョポラ、そうニョポラじゃ。もちろん覚えておるわい」
「嘘です。完全に忘れてましたね! いつも、お前とかオイとかしか呼ばないから変だなぁとは思っていたのですが、随分と前から私の名前など忘れていた。ね?そうでしょう?」
「名前を覚えとるかどうかなど、今はどうでもいいじゃろう? そんな話をしに来たのではあるまい」
ボクはこのとき気付いたんだ。
王は、ボクのことを特別扱いせずに普通に接してくれたんじゃなくて、全く関心がなくてどうでも良かったから適当に話を合せていただけって事にね。優しく寛大な王様だなんて尊敬したボクが馬鹿だったよ。この王様はヤル気の全くないただの老人だったんだ。
「この子の名前はポニ。適性検査の時に規格外として弾かれた子どもです。今は私の隊で預かっておりますが」
「おお、そうじゃった。思い出したぞい! じゃなくて、はじめから知っておったよ。して、役立っておるのか? 護衛隊の奴らはがさつな奴が多いからな。身の回りの事をさせる為に連れて行くみたいな事を言っておったと思うが?」
「珍しく覚えておいででしたか? その通りですが、思わぬ収穫がありました。この娘は天才かも知れません」
「天才? お前やエメトラのようにか?」
「いえ。私以上です。私が『海流操作』を覚えたのは13歳の時でした。しかし、この娘はまだ7歳。普通なら高速遊泳の訓練中です。それを二段階とばしての快挙に、隊の者たちも皆たいへん驚いております」
「なんじゃ、身の回り世話ではなく訓練させておったのか? 護衛隊の者と一緒に? お前も無茶苦茶するのお。しかし、それは確かに凄いことじゃな」
「卵は全て一カ所に集められてしまうので、誰の子供か分かりませんが、あの時の『聖母』達からこのような子供が産まれて来るとは本当に驚きです。王の直系は含まれていなかったはずなのに・・・」
「自然に不思議は付き物じゃ。そういう事もあるじゃろう。して、その娘をお前はどうしたいんじゃ? 特別な訓練でもさせる気か?」
「はい。二年後に行われる鉄人レースに参加させてみようと思います。年齢的には条件を満たしておりませんが、レースで上位入賞すれば特例で遡って護衛隊の入隊が認められます。このままでは、もし何かあってもポニは給仕係のままで何の保証もありません。怪我をしても治療も受けられないのでは可哀想過ぎます」
「そうじゃな。護衛隊は軍隊じゃ。軍には軍の規約がある。軍人ならば作戦中に敵に囚われた場合、国際軍事協定法が適応されるが、一般人はそうはいかん。捕虜交換もなしに殺されて終いじゃ。そういう事を言っておるのじゃろう?」
「その通りです。訓練中の怪我でさえ、今のポニには軍の病院での治療が許されていません。同じ訓練に参加しながら不公平過ぎます」
「うむ。ワシがひと言、特例を出すと言えば事足りるだろうが、そうなればこの娘が益々特例扱いされて孤独が増すばかり。ポニの意志を尊重せねばならんが、本人が望むならレースに参加させてみるのも良かろう。とりあえずは軍役見習いとして登録すれば良い」
「はい、ありがとうございます。王の許可が頂けましたので、エントリーの手配をしてみたいと思います」
「ポニとやらはそれで良いのか?」
「はい、王様! ボク、そのレースに出るよ!
ここに来る時に聞いたんだけど、優勝者にはロイヤルパティシエのエキセントリックケーキ食べ放題のチケットが貰えるんでしょ? 絶対に優勝してお腹いっぱいケーキを食べるんだ! クラゲでもお腹はふくれるけど、味はしないし少し臭いからね。ボクはやっぱりケーキがいいよ! お店が潰れるほど毎日ケーキを食いまくるよ!」
店を潰したらケーキ食えなくなるぞ!と突っ込みを入れられながら、ボクは三年に一度行われる『海域横断鉄人レース』に出場する為の訓練をする事になったんだ。
訓練はとにかく厳しかったし、毎日毎日基礎トレーニングばかりで退屈で嫌になっちゃったよ。でも楽しい事もいっぱいあったな。レースはチーム戦だからってボクと同じチームになる予定の三名を紹介されたんだ。クセのある人達ばかりで喧嘩とかもあったけど、基本的には同じく優勝を目指してる訳だし、目的が一緒だと自然に仲良くなれるんだよね。
特にリーダーのガラシャさんは、ボクの家にも遊びに来てくれたりしてとても優しくしてくれた。親子ほどに歳は離れていたけど、チームメイトとして平等に扱ってくれたんだ。本当に凄くいい人だよ。責任感も強いし、ボクはガラシャさんの事が大好きになったんだ。
大人になったら、ガラシャさんみたいなひとになりたいって本心でそう思うよ。訓練は厳しいけど、お姉さん達はみな親切で、同年代の友達はいなかったけど寂しくなかったよ。
ほんとだよ。
別に強がりなんかじゃないよ。強い子だねってみんなも言ってくれるんだから。
だからひとりでもボクは泣いたりしない。ケーキをお腹いっぱい食べる時までは我慢するんだ。明日はいよいよレース本番。ぜんぜん眠くならないからアレコレ考えちゃうけど、練習の成果をみんなにも見て貰うんだ。レースに勝ったら人気者になれるかな? サインの練習とかしとけば良かったなぁ。ああ、本当に明日がとっても楽しみだよ!
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私の名はガラシャ。
セイレーン族代表、セカンドチームのリーダーを努めさせて貰っている。今回のレースは、竜王軍の不動のエースが勇者との闘いのとき負傷した怪我が治りきっておらず、大方の予想に反して大混乱のレース展開になっている。
ここまでの様子を見る限り、セイレーンチームが久し振りに優勝を手にする可能性が出て来た。メンバーにも恵まれている事だし、今回はかなりの好成績が期待できるだろう。それはレースの中にいる我々が一番よく感じている事で、普段なら下品な冗談ばかり言っているサルバでさえ緊張した面持ちで爪を噛んだりしている。
「ついにこの日が来た。皆、準備はいいな?」
緊張感を和らげようとして、私はいつもより優しく声を掛けた。
「ボクは大丈夫! レイチェルさんがまだトイレから出て来れないみたいだけど?」
「あのチキンめ! ここ一番の時はいつもこうだ。うちのエースがこんな有り様じゃぁ先が思いやられるぜ!」
「そんなこと言って、サルバもさっきまで緊張して震えてたじゃないか。ポニを見習え。堂々として全くビビる様子もない」
「それを言わないで下さいよリーダー。このレースには我々セイレーンの威信が掛かってるんです。ビビらない方がおかしい。ポニの頭は壊れてるんです」
「ひどいよサルバ。ボクの頭は正常だよ。昨夜ケーキの海に溺れる夢を見てから興奮して眠れなくなっちゃったけど、若いから寝てなくても大丈夫さ!」
「私は少し席を外す。精神集中して気分を落ち着けておけよ」
ポニは王と話をしたあの日から二年間、びっしりと詰め込まれた殺人的訓練メニューをこなして、レース参加資格の基準タイムを大きく上回る数値でメンバー枠を手に入れていた。
『海域横断鉄人レース』はその名の通り、ふたつの海域を横断し、数々の障害を回避しながら四人一組のチームが前半戦と後半戦に別れて順位を争う国際公式レースだ。
主催者は竜王様自身。
普段は入国禁止のセイレーンのような種族も、この日だけは入国が許されてる。この催しはたいそう古くから続いていて、今回は記念すべき500回目。つまり1500年も続いてる海で最も古い伝統を持つレースだ。
優勝者に与えられる賞金や権利も半端なく、各種族がその威信を掛けて戦うレースで、当然の事だが、スピード自慢の強者達が全海域から集まって来る。
過去の優勝者をみると、やはり竜人族のチームがダントツの成績で、つづいてシーサーペント族、その次が我々セイレーン族となっている。
マーメイドとか早そうに思えるだろうが、彼女達はスタミナに問題があり、毎回参加はしてるけどたいした成績は残してない。ダークホース的な存在としてはザギハン族だ。奴らは汚い手を使って妨害工作をする事でも有名で、スタミナのバケモノでもあり、とにかく後半戦になれば成るほど厄介な連中だった。なるべく早い段階で突き放し、優勝争いの枠から脱落させないことには何をしてくるか分からない。汚い手を使うが実力はあり、今まで4回も優勝していた。
我々セイレーン族代表の2チームは、史上最速と云われる伝説的エース護衛隊隊長ニョポラをリーダーとしたファーストチームと、私が率いるレイチェルをエースアタッカーとしてサポート役にサルバとポニを置いたセカンドチームだ。
ほとんどの部族が前半戦と後半戦に別れ2チーム一組でエントリーしてるが、ザギハン族だけは今回のレースも1チームだけで乗り切るつもりみたいだ。もっとも彼らの場合、妨害工作専門のチームを複数用意して潜ませているだろうけれど。
妨害工作についてはルールの範囲内であれば許されていて、その妨害工作チームヘの妨害には制限がない。つまりこのレースは、表向きのタイムレースと妨害工作をする側と阻止する側の争いという二つの顔を持っている。
だから、最強の竜王軍が護衛してる竜人チームが断トツで優勝回数が多いのは当たり前なんだ。なんだかズルい気もするが、レースの実力で勝ればどんなに護衛が強力でも優勝できない事もない。現に、シーサーペント族はその超強力な突進力で他の妨害工作を寄せ付けずに何度か優勝してるし、全海洋種族中最速レコードを持つセイレーン族もそれに次ぐ成績を残してる。
もし仮に妨害工作が完全に禁止で、純粋なスピードだけの勝負であったなら、毎回セイレーン族がぶっちぎりで優勝するとレイチェルがよく言うが、私も真実その通りだと思う。でもこのレースは、早さを競うだけのレースではなく、味方を護衛して目的を果たす事も念頭に置いた総合力を争うチーム戦だから、それを言っても仕方ない事だ。我々は戦闘力に劣る種族だから、とにかく敵を撹乱して直接交戦は避け、妨害工作を躱して逃げきる事を徹底してレースに挑むしかない。
「あ、レイチェルさんがやっとトイレから戻って来た!」
ポニが言った。
「こら!デカイ声で言うと、またレイチェルが緊張してトイレに・・・」サバルが言うなり「あうっ!」と、お腹を押さえたレイチェルは、すばやく∪ターンしてトイレに駆け込んでしまった。
「ほら見ろ。お前がデカイ声で注目を集めるから!」
「サルバさんの声のほうが大きかったと思うよ。注目を集めたのはサルバさんだと思うけど?」
「お前らいい加減にしろ! 後10分もしない内に隊長達のチームが来る。全員が揃っていなければその場で失格になるぞ!」
じゃれつく子犬がお互いを噛み合うが如くポニのほっぺを引っ張りつつ腕に食い込んだポニの牙を抜こうとしていたサルバは、真顔になって私を振り向き、同時にポニも戯れるのを止めた。
先ほど席を外した私は、レースの状況を秒単位で表示している巨大ボードを確認しに行って来た。選手たちには情報漏洩を防ぐために通信機などの使用が禁止されているので、直に目で見て確かめるしかないのだ。
「リーダー、現在の状況は?」
「稀に見る接戦だ。一位がシーサーペント族、二位がセイレーン、三位が竜人族のチームだが、3チームともほとんど差がない状態だ。これだけ僅差で密集していると妨害工作もほとんど出来ないからな。我々セイレーン族がだんぜん有利になって来た。たぶん隊長たちは一位でこの折り返し地点に来るぞ!」
「一位で!? 凄い!凄い! ケーキ食べ放題の夢が現実味をおびて来たよ〜!」
「レイチェルはまだトイレから戻ってないのか?」
「いや、いったん戻ったんですが、また・・・」
「うん。今さっき戻ったンだけど、サルバさんが冷やかすような事を大声で言って注目を集めちゃったもんだから、緊張しちゃってトイレに逆戻りさ!」
「サルバお前、状況が分かっているのか? これは遊びじゃないんだぞ!」
「ポニ! てめえは、またそういう事を〜!」
「あ、レイチェルさん戻って来たよ。今度は優しくね、サルバさん?」
ムヒムヒと笑う幼女に、サルバは拳を向けながら牙を見せたが、レイチェルと合流し四人が揃ったので「集まれ」と号令を掛けた。しぶしぶ拳をおさめたサルバに緊張の様子はない。レイチェルもサルバとポニがじゃれ合う様子を見てから少し緊張が解れたようだ。
訓練ではエースの名に恥じぬ素晴らしいスピードを誇るレイチェルも、数十万人規模の観客が集まるこの折り返し地点の第二会場では元々の上がり症が壊滅的に酷くなり、何度もトイレに駆け込んでいる様子だった。
この上がり症さえなければ、彼女はニョポラ隊長とほとんど変わらぬタイムを叩き出す最速の脚を持つ隊員だ。もし予想通り隊長が一位でこの会場に入って来た場合、その差を生かして一気に優勢に持ち込む瞬発力があるのはレイチェルしかいないが、人目があるところで先鋒役を命ずるのはリスクが高いかも知れないと考えた。
サルバはサポート役で中間地点を繫ぐ役目だ。自分かポニのどちらをリード役に選ぶべきか私は迷った。先鋒の働き次第ではレースが決まってしまう可能性が高い。公式レース初出場で、しかも最年少のわずか9歳の幼女にその大役を任せてもいいものか?
「ポニ、ケーキ食べたいか?」
「うん!めちゃくちゃ食べたい! まだ食べた事ないもん!」
「先鋒次第でこのレースの先行きが決まる。お前に託したい。やってくれるか?」
「ボクが頑張れば優勝できるの?」
「ああ。ぶっちぎりで引き離せば、たぶん追いつかれる事はないだろう。後はレイチェルと私で開いた差をキープするだけで勝てる」
「分かった。ボクやるよ!」
「20㌔地点のブイがあるところまでは全力で飛ばせ。もし仮に動けなくなってもサーポーターのサルバがいる。小さなお前を抱えて泳ぐくらいは訳はない」
「ああ、アタイに任せろよ。力を使い果たしてへばってもこのサルバ様がお前を運んでやる。これはチーム戦だ。ひとりは皆の為に、皆はひとりの為にってな!」
「ニョポラ隊長の受け売りですね」
レイチェルが今日はじめて笑顔を見せた。
「よし、スタート位置に行こう。あと数分で先頭が来るはずだ」
先頭争いを繰り広げる上位3チームのセカンドがスタート位置に並ぶ。体の大きなシーサーペント族がかなり目立っているが、それよりも会場の目を引いたのはセイレーン族の先鋒の努める幼女の姿だった。セイレーンの幼成体をレースで見た事がある観客など皆無だ。あれは何の冗談かと会場がざわめき出し、ヤジが飛び乱れた。
緊迫したレース展開に興奮した観客達は、セイレーンがレースを捨てた若しくは、余裕で勝てるからハンデをつけてやると言っているモノだと思い「ふざけるな!」とも「バカにしてるのか!」とも、好き放題な事を言って大声を上げブーイングの嵐が起こった。
「ヤジなんか気にするな。お前は速い。ポニ、自信を持てよ」
「ありがとうガラシャさん。ボクなら全然平気さ。大丈夫だよ」
「よし、お前は強い子だな。会場をびっくりさせてやれ!」
その約1分後、ガラシャの言葉通り会場はシンと静まり返り、言葉を失った。
セイレーンの高等移動術『ブーストダッシュ』を使って飛び出したポニを先頭にしたセイレーンチームは、僅か数秒で海流操作の臨界スピードに達したばかりか、上級者しか出来ない渦巻状の海流操作が生み出す美しいひとすじの光を目にしたのだ。
「ぶっちぎぎれ!」と確かに言った。
「全力を出せ!」とも確かに言った。
しかし、この幼成体のセイレーンがこれ程のポテンシャルを持っており、全く普通ではない事に同じ隊の私ですら気付いていなかった。そう、ポニは特別な子供だったのだ。
ポニによるスタートダッシュが普通でないレベルにある事に焦った後続のシーサーペント族と竜人族のチームは、バトンを渡されてから全速力で追走しようとした時は既に遅し、セイレーン達はあっという間に視界から消えてしまい、遥か前方に薄っすらと白い泡の後が残るのみだった。
長年レースの中継をして来たベテラン解説者ですら言葉を失い、ポカンと口をあけて今まで見たこともないレベルの『超高速ブーストダッシュ』をどう説明して良いのやら頭が真っ白になって考えられなかった。
追走する2チームが走り出し、ようやく我に帰った解説者はポニの経歴を記した紙を必死に読み返したが、結局何も分からなかったので、ポニの事を『リトル·ジェッターポニ』と名付けて連呼し、凄い!凄い!をひたすら繰り返していた。
ポニは凄く気分が良かった。
こんなにスムーズに、しかも気持ちよく『海流操作』が出来た事などはじめてだった。練習の時に何度か四人一組で行う『ユニゾン泳法』を試してはいるが、個々の能力がそれぞれに違うので、基本的にはトレーニング等はひとりで行う。ポニの師匠はニョポラ隊長であり、ほとんどの練習は彼女と並走するかたちで行われた。要するに、ついて来いと言われ追いかけるかたちだ。
ユニゾン泳法は、先頭の者に合せて残りの三人が波長を合せ『海流操作』そのものをサポートする技法だ。体に触れて術に必要なエネルギーを分け与える。三人でひとりを支えるのだから負担は少ない。自分で海流操作する時の2割程度の力しか使わないで済む。
これは長距離移動する時の技術であり、やり方はそれぞれ違うが同じような方法をとる種族は多い。セイレーン族にも古くからこの技術が伝わっていて、特別でも何でもない技術だった。
しかし今回は違った。ガラシャが異常に気付いた時にはもうポニをサポートする体制にあったサルバが気絶していた。気絶しながらもポニの背中に触れた手を放さなかったのはたいしたモノだが、その頑張りがかえってこの異常事態に気づくのを遅らせてしまった。
「ポニ! 少しスピードを抑えろ。もう後続は着いて来れない。後は流すだけで充分に勝てる!」
「ナニ言ってんの? こんなに気分よく走れるなんて初めてだよ! どんどん力が湧いて来て、まだまだスピードを上げられるよ! ほら、こんなふうにさ!」
ユニゾン泳法の最高スピードと云われる時速240㌔はとうに超えている。こんなスピードはベテランのガラシャでも初体験だ。まだ上がるというその言葉通りに、ポニは更に速度を上げた。
ーーーなんてスピードだ!
こんなのはあり得ない! ポニ・・・この子はいったい何なんだ!? 私と同じセイレーン族なのか?
「サルバが気絶した。レイチェルも危ない。このままゴールしてもチーム全員が無事で到着するというルールに当て嵌まらずに我々は失格になる。ケーキ食べ放題が無くなるぞ!」
「そんなのは、もうどうでもイイよ! 凄く気分がいいんだ。まだまだ上がるよ! まだまだ、どこまでも上げれる気がするよ!」
それはスピード酔いだった。新米の団員がユニゾン泳法でたまになる事がある。自分が持つポテンシャルを大きく超えて未知のスピードを体験した時になる中毒症状みたいなモノだ。これにハマると、スピード狂になり、夜の峠道を危険なスピードで走り回り、刺激を求めて限界を越えようとした挙句に廃人になるという恐ろしい病気に発展する危険性がある。ポニの症状はまさしくソレだった。
しかし、ユニゾン中にサポート役が気絶した例など一度もないし、そのような現象は報告されていない。という事は、リードするポニが特別なのだ。サポート役の体力の全てを吸い上げ『海流操作』のエネルギーにしている。そうなる前に手を放せばいいと思うだろうが、気絶でもしない限りは簡単には離れないのだ。ならば何故、気絶したサルバは手を放さないのか?サルバの意思なのか、もしそうでないとしたなら・・・
ガクンとレイチェルの首が折れ、彼女も気絶したのが分かった。後は自分ひとりを残すのみ。自分も気絶すれば手が離れるのだろうか? もし離れず、このままエネルギーを強制的に吸い上げられたらどうなってしまうんだ?
私は恐ろしくなった。
ますます上がるスピード。普通では考えられない速度で流れる風景。切り立った岩の隙間をギリギリで躱しながら進むポニ。このとんでもないスピードを自在にコントロールしているなど、とても信じられない事だ。しかしそれは事実であり、紛れもない現実だった。
ーーーバ、バケモノだ・・・
この子は全く普通じゃない。幼成体のままで我々成人の訓練に楽々ついてくるという時点でおかしいと気づくべきだった!
そしてガラシャは暫くして気を失った。
気付いた時にポニの姿はなく、セイレーンチームは失格になっていた。
非公式記録だが、ポニの出したスピードは時速412㌔
誰にも破られる事のない、この先どんなに技術が向上しようとも誰にも真似の出来ないスピード記録だった。幸いサルバも、命を落とす事なく病院で意識を回復した。レイチェルはスピード恐怖症になり、以後レースに出る事のないまま妊娠をきっかけに退役した。
その後ポニはどうなったのか?
レース失格のショックからか、そのまま会場から姿を消したポニは、二ヶ月後にひとりで海を漂っているところを発見され連れ戻された。しかしポニが護衛隊の訓練に顔を出す事はなく、それ以後、誰とも関わらずにひとりで生活をはじめた。
こうなってしまったのは自分にも責任があると感じ、私は何度かポニの棲む貝殻の家に足を運んだ。だがポニは顔を見せてはくれず、「ボクに関わると不幸になる! だから来ないで!」を繰り返すのみだった。
この事件はいつしか人々の記憶からも忘れ去られ、伝説の『リトル·ジェッターポニ』の名を口にする者も今はもう誰も居ない。
人気のない場所にぽつんと一つ置かれた貝殻の家には、たったひとりで孤独に生活する幼女の姿が時折見られるだけで、自ら心を閉じたポニの人懐っこい笑顔を見る事はなく、大好きな嘘で周りを混乱させる事もなく時は流れ過ぎて行った。
そのポニの笑顔が再び見られるようになったのは、赤い月が空にある時期に起きた嵐の夜、偶然に出会ったという不思議な目をした青年と一緒に宮殿に現れた時であった。
「ねェ、ねェ。王様、お姉さん達。ボク結婚するよ! この人がボクの旦那様になるひとなんだ! ボクはきっとこの人のお嫁さんになる為に産まれて来たんだよ!」
頭にソヨヨを付けた男が、並べた食材に顔を突っ込んだまま寝息を立てて爆睡している。この男があの伝説のアダムだと知ったのは、久し振りに会った退役したレイチェルが血相を変えて警備事務所に駆け込み、漁に出た先でゲルダゴスを見たと報告した後の事であった。
その後、セイレーンの運命はアダムという一人の男に委ねられた。その傍らにはいつもポニの姿がある。ひとりぼっちのポニは独りではなくなったのだ。
「行くぞポニ! ゲルダゴスの野郎は俺が必ずぶっ潰す!」
そう言ったアダムの瞳に誰もが一様に魅入られた。そして間もなく、運命の戦いがはじまる。小さな少女が連れてきたセイレーンの英雄は、大海の大英雄となり、永遠に続く悪夢から我々を開放してくれる。
誰もが望む平穏を、この海に取り戻すために。
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次回は本編の投稿になります。
「真実の名」
お楽しみに!




