大海のアダム【10】竜宮城でさっそくバトル?
これより先は回想シーンになる。ゲルダゴスが同時に三体現れて、緊急招集令が発せられたところからだ。
「アダム殿、こちらへ」
竜宮城に到着した俺達を出迎えた兵士が、コルルにポニ、それとコルルの上官であり今回の作戦指揮を任されたシール伯爵婦人を連れ立って軍の参謀総指令本部へと案内する。
大きな二枚合わせの重厚な扉の向こうには、竜臥の護衛官二人を両側に置いた初老の男がこちらを向いて座っていた。これまた大きな机の上には報告書なのか資料なのか分らないが、大量の書類が山積みになっていて、そのスキ間から覗き見るように俺の顔をジロリと見てから眼鏡を外して立ち上がった。彼はスラリと背の高い細身の竜人で、口元に20㌢ほどの顎髭を生やし、額の両側には黄白金に光る角が二本づつ伸びている。
「宰相様、アダム殿をお連れしました」
シールがそう言って一礼すると、コルルも畏まってそれに続いて頭を下げた。俺とポニは突っ立ったまま部屋の中を見渡している。
司令本部という割りには意外に小さく、普通の書斎といった感じだ。俺たち四名を含め8人しか居ない。本部であるからには将軍やら上級騎士などがたくさんいて、作戦会議などしているシーンを想像していたのだが、そのイメージとはかなり違って物寂しい感じだった。
「お初にお目にかかる。私はこの国で宰相を務めるラタニオンと申す者。以後お見知り置きを」
「俺の名は速水卓也。日本という国から召喚された異世界人だ。さっそくで申し訳ないが、軍備のほどを確認したい。竜王軍の戦力を見せてくれないか?」
俺がそう言うと、宰相の左に控えていた竜臥の男がギロリと俺を睨み、次いで一歩前に踏み出そうとした。それをサッと手を上げて制したラタニオンは、目を細め俺に鋭い視線を送って返す。なにやら雰囲気が悪い。どうやら歓迎ムードではなさそうだ。
「なにゆえ我が国の戦力を見たいと?」
「なにゆえって、そんな事は聞くまでもないだろう。ゲルダゴスを倒す為に竜王軍の正確な戦力を数値化したいんだ。データがなければ作戦の立てようがない」
「なにか勘違いされておる様子なので言っておくが、私がアダム殿をここに呼んだ理由は戦争のためではない。ましてや、作戦指揮を頼むためでもない。故に、そなたが我が国の軍事力を把握する必要などないのだ」
「コルルやシール隊長から報告を受けてないのか? 後8時間もすれば、この竜宮城にもゲルダゴスが来るんだぞ!」
「正確には7時間と47分だ。ゲルダゴスには監視を付け遠距離観測しているからな」
「そこまで分かっているのなら・・・」
「くどいな、お前! 宰相様は、お前などがしゃしゃり出る場面ではないと言っているのだ。そんな事もわからんのかド素人め!」
左側に立つ先ほどの竜臥が口を開いた。
竜臥の全てがそうであるように、褐色の鱗を持つ肌の下には恐ろしいまでの分厚い筋肉がその全身を覆っていて、鋭い爪と大きな牙を持っている。見た感じ皆が同じような顔に見えるが、同種族ではまた違って見えるのかも知れない。竜王との大きな違いは体の体積と角の長さぐらいだ。はっきり言って、トカゲ顔の区別なんかつかない。
「コルル、お前も突っ立ってないでアダムに教えてやれ。我が竜王軍にはお前の助力など必要ないとな!」
「あ、兄上。そんな言い方はないと思います。アダム殿は我々の力となろうとわざわざ出向いてくれたのですよ?」
「こちらから頼んでなどおらん。要らぬお節介だ」
「口が過ぎるぞシリウス。宰相殿の前だ、控えろ」
右にいたもうひとりの竜臥が言った。こちらの方が上か?普通は左に地位が高い者が立つものだが、この国では関係ないのかも知れない。
「良い良い。シリウスは私の気持ちを代弁しただけだ。我々竜王軍はアダム殿の力などあてにしておらん。噂通りとあっては尚更にな」
なるほど、そういう事か。
来る途中、シール隊長から聞いた話は本当だった訳だ。
今回の召喚は失敗で、アダムには戦闘力がまるで無いと言う噂が城下に流れており、それを大概の者達は信じていると言うのだ。同時に猿王が弟子にしたと言う噂も流れていたが、失敗して無能だという方が信憑性があったらしい。それほど猿王が弟子にしたという事の方が可能性としてはゼロに近いという事だ。
あんた、どんだけ偏屈扱いされてんの!?
俺は心の中で、師匠である孫悟空に文句を言いたくなった。彼らの鑑定眼がどの程度のものなのかは分らないが、魔王ですら俺の戦闘力をゼロ以下と見誤るのだから、彼らの態度も当然と言えば当然かも知れない。無能扱いされて気分が悪いが、少し前までは本当に無能だったのだから、要らぬプライドを持つなよと自分に向かって言い聞かせた。
「あの噂はデタラメです。アダム殿は我々を襲ったゲルダゴスを退治しました。信じられないかも知れませんが、私はこの目でゲルダゴスがあの海域から消えた事実を確認しております」
「ほう? シール殿はアダムがゲルダゴスを倒すところを見たと言うのだな?」
右にいた竜臥が、俺を弁護しようと発言したシール隊長に睨みを効かせてそう言うと、彼女は押し黙り下を向いてしまった。その様子からも、右の竜臥はかなり地位の高い軍人であるらしい。左に控えているシリウスなる竜臥はコルルの兄貴らしいが、普通の竜人であるコルルとはまるで違い、凄まじい戦闘力を内包しているようだ。ただ立っているだけだが俺には分かる。
「直接見た訳ではありません。報告を受けて確認しましたところ、その通りでしたので・・・」
「報告をしたのは誰か?」
「じ、自分であります。自分と、このセイレーンのポニはその時アダム殿のすぐ近くに居ました。ゲルダゴスの消滅を直接確かめております」
コルルは緊張してガチガチだ。宰相を前にして発言するのがはじめての事なんだろう。声が完全に上擦り、額に浮かんだ汗も半端ない。隣にいる俺にまでバクバクいう心臓の音が聞こえて来そうだった。
「報告する時は上官の顔を見ろと教えただろう! 俺の弟ならもっとシャンとしろ。俺が恥ずかしい」
シリウスが再び発言すると、コルルは怯えたように身を小さくした。かなり厳しい兄貴なんだろうか? 子供の頃からのトラウマもあるのかも知れないが、プレッシャーに耐え切れずにカクカクと膝が震え出して止まる様子がない。
「で、お前は見たんだな? その奇跡の瞬間を!」
「そ、それは・・・」
「顔を上げろ! 俺の目を見て話せ!」
「シリウス!」
再び右の竜臥が諌めるように声を上げるが、宰相はやらせておけと小さく言った。コルルは顔を上げ兄の目を見ながら苦しそうに発言するが、その答えは「見ていない」であり、同時に兄のシリウスからは溜息混じりの舌打ちが聞こえた。
この時点で俺は我慢の限界が来つつあるのを強く感じ、続いて後ひとことでもコルルを馬鹿にするような発言があれば一発かましてやるとまで思っていた。しかし、俺よりも気の短い奴が隣にいた。
「ちょっとソコのひと! コルルのお兄さんみたいだけど、その態度はないんじゃないかな? 大きな声で威圧して、もっと普通に出来ないの?」
ポニが怒っていた。
赤い顔をして頰を風船みたいに膨らませ、プンプンと音を立てて怒っている。笑ったり怒ったり泣いたりと百面相のようにコロコロ表情を変える変態ドМ幼女だが、こんなに真剣に怒った顔を見るのは初めてだ。
ギョッと目を大きく開いたコルルが「バカ! 兄に対しなんて事を言うんだ。すぐに謝らなければ・・・」と言っている最中に、大きな体に似合わない速度で動いた竜臥の腕が、グン!とポニの首筋へと一直線に伸びて来た。捕まえる為でない事は、手刀の形と角度を見ただけで分かる。
しかし手刀は、当たる寸手でフツと目標を失い空を切った。通り過ぎる腕に俺がチョンと力を加えてやると、大きくバランスを崩したシリウスは、俺が伸ばした足に引っかかって派手に転がりながら壁にドカンと激突した。体もデカく体重も重いから凄い威力だ。壁を突き抜け隣の部屋へと転がり込んでしまった。まるで暴走トラックみたいに。
すぐに怒りの表情をしたトカゲが、壊れた壁の向こうから顔を出した。当然だがどこも怪我した様子はない。頑丈で硬い鱗の皮膚に甲冑まで着けているのだ。ダメージがゼロという事は無いだろうが、見た目で図る事は出来なかった。
「きさまぁ〜!」
ポニの髪を掴んでヒョイと背中に隠し、シリウスの攻撃を空振りさせて転倒させ壁に激突させた俺に、竜臥の容赦ない闘気が向けられる。殺気がないという事は殺すつもりはないようだが、先ほどのポニへの一撃には殺気が込められていた。
無礼討ちというヤツだろうか?
昔の日本でも武士に町民などが無礼を働いた場合、斬り捨て御免の無礼討ちというモノがあったらしい。本当かどうかは調べたことないから時代劇などのシーンでしか見たことはない。
「お前、ポニを殺そうとしただろ?」
「それがどうした? 城に侵入したセイレーンは殺してもいいことになっている。汚らわしい種族め!」
コルルの兄貴はセイレーンがことのほか嫌いらしい。尻を囓られ、落馬させられた経験でもあるのかも知れない。マジであったら笑えるが。
「侵入したわけじゃないだろう? 案内されてここに来たんだ。参謀本部と聞いて来たが、この部屋は違うな。隣もその又隣も空き部屋だ。この塔には俺たちとあんた等の気配しか感じない。おまけに魔法で空間閉鎖しているな? ここでの会話を聞かれたくないとかか?」
俺が魔法障壁の事を口にすると、シールもコルルも驚いた顔を見せた。もしかして気づいてなかったのか?
「私の魔法に気付くとは、全くの無能ということではなさそうだ。しかし、相手の強さも分からんとはあの噂の方はデマという事だな」
「当たり前だ。武神猿王が、こんな戦闘力のカケラもない男を弟子にする訳がない! 地上では正式な発表があったなどと噂が流れているが、我が国に書状など届いてないからな!」
宰相ラタニオンの言葉を肯定するかたちでシリウスが吠える。竜臥ってのは口がデカいせいか声もデカい。美しい声ならまだしも、ダミ声で聞き取りにくく耳障りが悪い。竜王もそうだったが、そもそも口の構造が言葉を喋るようには出来ていないのかも知れなかった。大きな牙が唇から飛び出し、滑舌もかなり悪い。
「戦闘力のカケラもないとはご挨拶だな。言っちゃ何だが、俺はコルルの兄貴様より強いと思うぜ? そちらの竜臥さんとは今はまだ少しだけキツイかも知れないが」
俺は、右手に立つ腕組みをしていて発言する時以外は目を閉じて微動打にしない方の竜臥武人を見た。俺の視線を感じ片目を開き「ほう?」と、ひとこと小さく漏らすとニヤリと唇を歪めた。
「オレより強いだと? 馬鹿も休み休み言え! きさまみたいなチビがオレ様に敵うわけないだろうが!」
「宰相殿、この際やらせてみてはどうだろうか? この者達が言っている事が本当なのかは闘わせて見ればすぐに分かる。シリウスに勝てぬ者がゲルダゴスを倒すなど、どのような幸運が重なろうと不可能であるのだからな。全責任は我にあるという事で、宰相殿にご迷惑は掛けません」
「うむ。お前がそこまで言うなら好きにするといい。だが殺してはならんぞ。どんな疾病があろうとアダムはアダムだ」
そうして俺達は、兵士達が修練に使うための施設に場所を移し、その建物の一画にある小学校の体育館ほどの広さの道場に連れて来られた。全く発言もなく存在感すら無いが、宰相の机の横でカリカリと腕を動かし記録を取っていた眼鏡をかけた女性書記官も一緒だった。チラッとボードに乗せられた紙面が見えたが、普通に記録を取っているだけではない感じがした。コマ割りみたいな線と絵が書いてあったような気がする。
俺は道場に着いた時、その書記官に近付き紙を覗こうとした。
「なんでしょうか? 勝手に見ないでくれます?」
「いや、ちょっとね。その記録を見せてくんない?」
「駄目です。公務の内容は部外者閲覧禁止と決まってます。当たり前でしょう?」
「そんな堅いこと言わずにチラッとだけでいいんだ。興味があるんだよ。それってもしかして漫画じゃない?」
「漫画?漫画が何を指す言葉か分かりませんが、勝手に記録を見せるわけには行きません。もうアッチへ行って下さい! しつこいとチンコ蹴りますよ!」
うおっ、おっかねえ!
俺はいそいそと退散してコルル達の居る位置へと戻った。
「何してんのさ! ナンパするなら後にしてよね!」
「そうですよ! そういうのは自重して下さいと前にも言ったではありませんか! 姫が知れば悲しみます。それに、今からシリウス兄さんと闘うんですよ? 緊張感の欠片も感じない」
「コルルは堅いなあ。お前、真面目過ぎるよ。もしかして童貞?」
「そ、それと真面目がなんの関係があるんですか! や、止めて下さい。変なところ擽らないで! くすぐったいですって!」
「ポニ、よく見とけ! コルルはここが弱点みたいだぞ!」
「あ、ホントだ! 摩ると色が変わって来て熱くなって来たよ?少し大きくなって来たような?」
「そんな訳あるか! 簡単に大きくなったら苦労せんわ! どうでもイイけど、二人して擦るのはやめて下さい。敏感なんですから!」
「聞いたかポニ? やっぱり敏感らしいぞ!」
「咥えてしゃぶったら大きくなるかなぁ? ちっちゃいのも可愛いけど、やっぱり大きくて立派な方がイイもんね!」
「や、やめてくれぇ! シール隊長、助けて下さい。もう意識が朦朧として来て・・・あ、うぅぅ」
「な、何をしているんだ君たちは!?」
シールが顔を少し赤くして飛び込んで来た。
「何って、見ての通り角を触ってるんだが?」
「つ、角?」
「ひょうだじょ、角をきょうして・・・ハムハムして」
コルルの小さな角を口に咥えペロペロしていたポニが、訳の分からない言葉をシールに返す。それを見たシールの表情はボンと音を立てて真っ赤になると、脚を磨り合わせて腰をモジモジさせはじめた。何だがとっても色っぽい。その理由はすぐに分かった。
「りゅ、竜人の角は第二の性感帯でもあるのだ。そのような事をしたら経験のないコルルは・・・」
コルルは果てていた。よく見ると股間が大きく盛りあがりズボンの股の部分にシミが出来ている。プンと匂いまでして来た。ただならぬ気配を感じ背後を見ると、先ほどの書記官がハアハアと息を荒くして目を血走らせながら必死にペンを走らせている。
振り返った俺と目が合うと、親指を立て「グッジョブ!」と言ってウインクして来た。コイツは間違いなく腐女子という世界で最も恥ずかしい種族だ。俺とコルルの絡みを見て想像を膨らまし、興奮しながらよだれをダラダラと垂らしている。
ポニは「うびゃぁぁ!」と声を上げ、ペッペッと唾を吐き飛ばしている。何してんだかと言いたい。普通は角を口に咥えたりせんだろう? コイツもかなりの変態である事を改めて再確認した。コルルは今のところ真面目な童貞くんだが、将来どうなるかは分らない。この海でずっと過ごすつもりもないから、俺が去った後の事まで責任持てないし、はじめから持つつもりもない。
俺もえらいモン触っちまったと手を洗う場所を探したが、ここが海の中である事を思い出して周りに漂っている海水で手を擦り合わせた。知らぬ事とは言え、コルル君には少し申し訳ない事をした感じもする。ウサミミ好きなら知り合いの女を紹介してやってもいいんだが、それは本人に聞いてからにしよう。ラヴェイドは死んじゃったし、未亡人がいっぱいいるから、ひとりくらいはコルル君の相手をしてくれるかも知れない。俺が頼めば筆おろしくらいはしてくれるだろう。たぶん。
「何やらあちらさんは盛り上がってるなぁ。コルルのやつ、寝転がって何してんだ?」
「緊張感の欠片も感じんな。私の書記官も何をしているのやら・・・」
ラタニオンには状況が分かっているらしく、呆れ顔だ。
「気をつけろシリウス。油断するなよ」
「気をつけろって言われてもですねぇ。団長、見て下さい。完全にこちらを無視してますよ。筆頭軍騎白竜師団の我々がナメられてます。全くもって信じられない」
「お前も隊を預かる身、無様な闘い方をしたら許さん。たとえ天と地との差があろうと相手を侮るな。先ほどの動きは中々のモノだった」
「うっ、確かにあの時は油断していました。しかし、偶然は二度も起きません。一瞬で終わらせてやります」
「だといいがな・・・あの動きはまるで」
「白竜師団長ダグロスともあろう者が、そのように慎重になるとは珍しい。私には武術の心得がないから分からぬが、アダムの動きはそれ程のモノか? ただ偶然に足が引っ掛かっただけのように見えたが?」
ラタニオンが言うとダグロスは目を細めた。
「すぐに分かりますよ。すぐに・・・」
その言葉通り、アダムの力がどれ程のモノかはすぐに証明された。果ててズボンに染みを付け気絶していたコルルが目覚めた時、すでに闘いの決着は着いており、疲れて全身から湯気を上げながら道場の壁にもたれて座る次男シリウスの姿に驚き、コルルは兄の元へと駆け寄った。
「兄上、大丈夫ですか!?」
「コルル、アイツは何者だ?・・・触れる事すら出来ねぇし、何もさせて貰えなかった。まるで子供扱いだ。・・・信じられん」
舞台の中央には、白竜師団団長ダグロスとアダムが向き合い今まさに試合が始まろうとしているところだった。これほどに消耗した兄の姿をはじめて見たコルルは、ブルっと身が震えるのを感じた。やはりアダムは只者ではなかったのだ。
アダムに武術の心得がある事は分かっていたが、全貌はまだ見ていない。ゲルダゴスと闘う姿を少し見たが、あれは武術と言うより妖術に近いモノだった。全身に海流を纏い、バチバチと超高圧の電気が流れていたように思う。だが今は純粋な武術のみの闘いだ。コルルも興味が隠せず、興奮が全身を走っていた。
「ダグロス様がなぜ?」
「オレが余りにも不甲斐ないからと、団長がアダムに勝負を挑んだんだ。クソ!全く情けねぇ! もっと修行しとくんだった!」
筆頭軍騎白竜師団団長ダグロス
又の名を白竜将軍ダグロス。彼は竜王軍最強の武人であり、地上で行われる天下一武術大会で過去八回も優勝した事のある最多記録保持者である。竜臥の力は海中でこそその力を発揮し、地上では七割程度しか力が出せない。それでも八回優勝すると言う事がどれ程凄い事なのかは言わずとも分かるだろう。
魔王を除き世界最強の魔族は誰かと言えば、誰もが彼の名を口にする。最も魔王の戦闘力に近い男ダグロス。肉弾戦だけなら魔王以上と云われる生ける伝説の武人だった。
その男が自ら試合を申し込んだ『闇のアダム』速水卓也。もうこの段階でアダムの戦闘力がゼロであり、失敗作だなどという噂がデタラメである事は証明されていた。後はもうひとつの噂、武術の神と言われる猿王が初めて正式に弟子とした男の実力がどれ程であるか?それが興味の焦点となっていた。
海中においてダグロスは無敵だ。
もちろん竜王バハムルトを除いてではあるが、肉弾戦だけなら竜王ともある程度まで闘える実力があると言われている。彼が全力を出すところは団員であれ見た事がない。余りにも強すぎて、一対一で闘うところなど普段の訓練では見る事も出来ない。常に複数の者が同時にダグロスと対峙し、それでも練習相手としては役不足だった。
ダグロスの申し出を受けたアダムは、少し時間が欲しいと言って瞑想状態に入った。その呼吸法はシリウスも初めて見るモノで、グングンと上がる闘気にこの頑丈な修練所の壁がビリビリと震えて軽い地響きがおきた。その振動でコルルも気絶から目覚めたほどだ。見守る者も誰も口を開かない。物凄い闘気に当てられ、呼吸するのも忘れて試合が開始される瞬間を待っていた。
「ふ、二人ともバケモノだ・・・オレじゃ手も足も出ない訳だぜ・・・」
試合開始の合図はない。
しかし二人が動いたのは同時だった。
武術に心得のない者には絶対に目で追えない速度での攻防が交わされる。凄まじい闘気がぶつかり合い、海流が激流となって修練所の建物を揺らした。ポニは海流操作を使いシールとなぜだかこちら側にいる書記官をその有効範囲に包んで試合を観戦した。
コルルの元にはラタニオンが立ち、消耗して身を支えるのがやっとのシリウスをその防御魔法で守りながら試合を見守る。
「ハハハ、凄いぞ召喚者! とても人間のモノとは思えん闘気だ! こんな闘いが海中で出来るとは思いもしなかった! 最高の気分だ!」
「そうかい? そりゃ良かったな。
ここで喋る余裕があるとは、全く恐れ入るぜ。こっちはかなり一杯一杯だ。気を抜いたら一撃で殺されそうだ」
「嘘をつくな! きさま、更なる力を隠しているな? このダグロスを相手に随分と余裕じゃないか?」
試合は続く、時々アダムの姿がブレて焦点を結ばなくなると、次の瞬間、ダグロスの体が大きく宙を舞って受け身不可能な角度で頑丈な石の床に叩き付けられる。頭から、首から、又は脇腹を晒された状態での強烈な投げが容赦なくダグロスを翻弄した。
当然、ダグロスも応戦する。
鋭い爪と牙が容赦なくアダムを襲う。当たれば一撃必殺の攻撃が何の手加減もなくアダムの体に打ち込まれる。しかし、二人の攻撃が一瞬たりとも止まる気配はない。お互いに必殺のダメージを限界まで殺しているのは明らかで、致命傷をギリギリのところで躱して必ずカウンターを繰り出した。
レベルが高すぎてコルルには理解できないが、兄のシリウスには見えているのだろう。爪を噛みながら「クソ!」と「スゲェ!」を繰り返していた。自分では到底届かない位置にいる兄と、それよりも遥か高みにいる我が国最強の生きる伝説ダグロス将軍、その武人と互角以上に闘う人間の姿をした自分より一回り以上小さい男。試合を見ても理解すら出来ない自分に恥じ、コルルは強く拳を握り込んだ。
竜臥としての恵まれた躰がなくてもあれほどに闘える事に驚きながら、いつか自分もあの高みヘ近付きたいと強く心に誓うコルルだった。




