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動き出す世界【8】皇太子アレウスの暴虐


 赤月奇行の最中、月が完全に重なる少し前に大地が大きく揺れた。禁忌の土地と言われる最北の、忌まわしき魔族領内の森が震源とされる大規模地震は、魔族側の都市は勿論のこと、人類側の帝都であるロードロンにおいても甚大な被害をもたらしていた。


 大地が揺れるという現象を体験することなく一生を終える事が多いこの世界において、地震への備えという概念が確立しているはずもなく、深夜に起こった天変地異に多くの者はパニックを起こした。


 この世の終わりだと嘆き、魔族が攻めてきたと喚く。崩壊した建物の下敷きになり助けを呼ぶ者。血臭の漂う闇がより一層恐怖心を煽り、泣き叫ぶ子どもの声や、女どもの甲高い悲鳴がかろうじて無事であった者たちにも抗いようのない不安と恐怖を刻み込んだ。デマと誤報が飛び交い、物資の虐脱強盗が相次ぎ、軍が事態を収めるまで混乱は3日と半日続いた。


 その『赤月の震災』より8日が過ぎた今も、被害の全貌は未だ掴めず、復興にどれくらいの費用と時間を必要とするのかの調査の段階であった。石を積み上げただけの一般住宅は見る影もなく崩落し、傾いて崩れそうな建物があちらこちらに見える。


 帝都ロードロンにある皇帝アラキラムの居城『煌翼宮』においても、表門を飾っていた鷹のモニュメントが崩れ落ち、庭園に並んでいた白い石柱はドミノ倒しのように横倒しになっていた。幸いにも、それらの下敷きになって命を落とした者はいなかったが、衛兵数十名が落下物により大ケガをした。


 城の本殿や都市外周部の丈夫な大壁は、ニ代前の皇帝が大規模な修繕工事をして堅牢な構造にした為に無事であったが、その他の場所は大なり小なりダメージを受けている。宮廷内の主だった場所だけは片付けが済んでいて、歩くのに不自由するほどの区画は既にない。


 昨夜の零時をまわって起きた二度目の地震は、規模が思った程に大きくなく、揺れていた時間も短かった為に、崩れかけていた建物の幾つかが完全崩壊した程度で済んだと報告を受けた。


 しかし、皇帝アラキラムの身の周りはいつも通り快適で、昼食時には普段と変わらぬ豪勢な料理が長いテーブルに並んでいた。


「オヤジ~、オヤジ殿はおられるか~!」


 がしゃん、がしゃんと耳障りな音を盛大に響かせ、アラキラムにとっての憂鬱の元凶が、今まさにシタビタメのスープを頂こうと匙を近づけた時を狙ったかのように現れた。


 全身鎧で体を纏った、身の丈2㍍を超える巨漢が歩く。閉じているのか開いているのが分からないほどの細い眼をして、眉は薄く、頬骨は突き出し、バランスの悪い鼻は見事なまでに上を向いていた。


 全体的にのぺっとした印象を与える顔の下部についた唇は、普通と言えば普通に見えなくもないが、そこから発せられる言葉は全くと言っていいほど普通ではない。そしてそのダミ声の主は、今日もアラキラムをイラつかせるのだ。


「なんだ、飯の途中であったか」


 言うと、料理が並べられたテーブルに近寄り、その中でひときわ大きな骨付き肉の塊を手にとってガバッと食らいついた。普通は細かく切って皿に乗せ、ソースを掛けて食べる料理を丸さら噛じる。作法など全く無視の下品な食べ方だった。


「ウム、こいつは旨いな。飛竜の肉か?」


 クチャクチャと咀嚼音を響かせ、豚を思わせる巨漢が喋りだした。


「民草どもは飢えて騒ぎ、兵どもは出払って復興作業に励んでいる状況にも関わらず、オヤジ殿のところにはいつもと変わらぬ旨い飯がある。ここは地上の楽園のようだ」


 ぐひっぐひっと下品に笑いながらメイド達を好色な目で眺め、食いさしの肉を背中ごしにポイと無造作に投げ捨てる。高価な絨毯の上にゴロリと落ちた炙り肉をあわてて片付けるメイド達を尻目に、隣に並ぶ鶏肉の料理をガシガシと食い始めた。


「嫌味を言う為にわざわざ出向いたのか? それとも飯を食いに来たのか? 例の話なら答えは変わらん。後ろの馬鹿どもを連れて早々に帰れ。食事時だぞ」


 そう言って皇太子の取り巻き6人と、いつも隣に付き従う参謀官のクロイ公爵を見て、しっしっと手で祓う仕草をしながら顔をしかめた。アラキラムは、このクロイという男が大嫌いである。残忍性はもとより、騎士道にほど遠い性格をしているからだ。


 頭脳は確かにキレれるが、この男の立案する作戦には正々堂々という理念がない。常に敵の弱味をつき、なければ無理やりに作る。人質をとって内部から裏切らせたりするのはもちろん、毒や炎を好んで使い、必要以上に人を殺すのだ。


 ひとつの砦を落とすのに、周辺の水脈全てに毒を投じた事もあり、必要もないのに村に火をかけ、領主の邸宅に逃げ込もうとする民にまぎれて攻め込み目的を果たすような作戦を良しとする。結果の為なら過程などどうでもよく、騙し討ち上等の指揮官振りにはヘドが出た。勝率が高くても支持できるモノでは到底ない。アラキラムは、そんな嫌われ者を側に置く息子の気が知れなかった。


「嫌味とは心外だ。俺は感心しておるのだよ。この非常時に民草など気にされぬ豪胆さを。皇帝ともなれば国の政以外にも心配事が山ほどあろう。しかし、どうだ? オヤジ殿は、震災の後も変わらぬ様子で旨い飯に興じている。これを喜ばしく思わずしてなんとしよう」


 なぜか、ブヒブヒという音にしか聴こえないダミ声で皇太子は続けた。


「オヤジ殿も知っておろう? 奴らはアダムの召喚に失敗したそうだ。今が好機なのだ!」


 今回召喚された“闇のアダム”は未だ能力の片鱗すら見せておらず、魔王たち幹部の間ですら落胆した様子をみせている者もいるという。アラキラムはもっと詳しい情報をタタラ本人から聞いて知っていたが、諜報部からの正式な報告書はつい二時間ほど前に出されたばかりだ。


「奴らも期待が大きかったぶん、かなりの痛手であろうよ。あの規格外の代わりが使い物にならん無能者だそうだ」


 皇太子アレウスはゲヒゲヒと下品に笑いながら、二つ目の炙り肉を食い出した。よほど飛竜の肉が気に入ったのか、とてつもなく空腹だったのか分からないが、ヨダレを垂らしながら肉にかぶり付くその姿に品格の欠片もなく、まさに豚の喰い方だった。


「儀式からまだいくばくもたっておらん。報告にしても、確認のとれていない推測や噂が多すぎる。無能と決めて掛かるにはまだ早い」


 アラキラムは、ここは慎重にすすめるべき時だから自重せよと言葉を続けたが、アレウスは全く聞く耳を持たない。仕舞いにはいつものように顔を赤らめ怒鳴り出す始末だ。


「オヤジを立てて、わざわざ出向いて来てやった事も分からねぇようだな! 別にオヤジの軍を動かせと言ってるんじゃねぇんだ。俺がヤるから勇者を貸せって言ってんだよ!」


 結局はまたこのセリフだ。

昨夜も同じ事を言って口論になり、無礼を働いたうえ衛兵の一人に大怪我を負わせたあげく、捨て台詞を残して去っていった。


「駄目なものは駄目だ。今はまだ動かせん。貴様も分かっておるはずだぞ。月が完全に消えてから、最低でも七日間は勇者を使ってはならんのだ」


 最終兵器などと呼ばれてはいるが、もちろん機械などではなく感情を持つひとりの人間だ。勇者にも感情的に不安定になる時期があり、それは赤月奇行の前後で特に酷かった。


 この間の勇者は終始不機嫌で怒りやすく、一度キレたら手がつけられない状態になる。月の影響であることは間違いないのだが、なぜ感情が不安定になり、力の制御が出来なくなるのか勇者本人ですら分からなかった。ようするに、月の存在力に引っ張られてしまうのである。




 30年前のあの日、若きアラキラムは勇者を伴って魔族領との国境線に位置するキフ領の砦を目指していた。


 当時の戦況がどうだったかと言うと、新しい勇者が召喚されて以降は連戦連勝だった。『ドロイの悲劇』以降、魔族側に蹂躙され従属された領土を取り戻したのは勿論、不落の要塞都市サザリアを陥落させ、その勢いで更なる進軍を続けていた。


 進行途中で“赤月奇行”に突入してしまったため、勇者を一度聖地へと戻したが、月も完全に姿を消したので再び前線に戻そうと部隊を迎えに向かわせていた。早ければ明日でにも前線復帰可能だとの報告を受けていた矢先、予想だにしなかった事が起こった。


 勇者が暴走したのだ。

キレた勇者を止めに入った部隊が滞在中の街ごと消滅したのは痛い記憶だ。それ以降、赤月奇行の前後20日間は危険だからという理由で外には出さず、ほとんどを寝て過ごしてもらっている。暴走を防ぐ手段がない訳ではないが、その為には国家予算半年分に相当する金額が必要になる。震災復興を最優先にしなければならないこの時期では考えられない事だった。


「あと10日と少しがなぜ待てん? 絶対に勇者は出させんぞ。諦めろ」


「頑固オヤジめ・・なら仕方ないな」


 アレウスは隣のクロイに向け顎で合図を送ると、嫌われ者の参謀官はニヤニヤしながら懐からヨミ族が使う水晶と似た大きな水晶球を取り出して呪文を唱えた。臼ぼんやりとした像がやがてはっきりとある者の姿を映し出す。


「――――――!? アレウス、お前という奴はどこまで愚かなのだ!」


 見るなり椅子をガタンと突き飛ばし立ち上がったアラキラムの瞳は、驚きと怒りを露にして拳を握りうち震えていた。水晶球に浮かび上がったのは、猿轡をされた状態でロープで拘束された年若き金髪の女性が、痛々しく石の床に打ち捨てられた姿だった。


「そこまで墜ちたか、アレウス!」


「オヤジが悪いのだよ。俺を怒らせたオヤジのせいだ。」


 勝ち誇ったような笑みを浮かベ、豚顔の巨漢は右手をズイとつきだした。


「さあ、『聖宮』の鍵をよこせ。勇者を起こす」


 昼下がりの煌翼宮に高らかと笑う醜男の声が響いた。


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