動き出す世界【1】ゾーダの決断
【ゾーダの決断】
ここは魔族領の中心グロスキ領。
言わずと知れた大魔王ゾーダが統治するウェルイド大陸で最も進んだ文明を持つ法治国家である。大小27つの自治区領を持ち、それぞれに領主を置き、それぞれの文化に合わせた細やかな法律が定められている。その全てはゾーダが定めたものであり、多種多様な種族が無用なトラブルを起こさない為のルールが、種族の習性に干渉し過ぎない程度に配慮され設置されている。
驚くべき事に、この国の中では敵側である人間でさえルールさえ守れば生活できる仕組みが作られていた。実際に第13区領は魔族との貿易で生計を立てる人族が多く住み、目立った行動をしなければ狂暴な獣人や亜人達に襲われる事なく平和に暮らす事ができた。
もちろん犯罪がない訳ではないが、居住区が襲われ私財を奪われたり、抵抗した為に殺された事件は、現在の文化レベルからすると少ないと言えるほどで、人類が治める人間側の大型都市と比べてもパーセンテージを見れば少なくさえあった。
魔王12柱は、自身の領地以外にグロスキ領にある27の自治区領のひとつを統治できる権利が与えられており、そこから上がる収益を手にする事が出来た。つまり、税金を取る事が許可されているのである。
税率の設定や制度の指定も自由であり、それぞれの政治的手腕がそのまま経済に影響するカタチとなった。人気のある魔王と、そうでない魔王の差が街の発展や人口密度にモロに現れるのだ。荒廃してスラム化すれば、統治権は大魔王ゾーダに変換される仕組みになっている。
今まで国政などに興味がなかった魔王達も、同じ条件下で比べられるとなると勝手が違って来る。元々が負けることが大嫌いなプライドの高い者達である。競って自治区領の発展に力を入れ、大使館的役割を果たす『デジュマ』には、国の威信をかけ優秀な人材を派遣するなど、強い感心を示すようになった。
大魔王ゾーダが実施したこの制度は、闘う事にのみに生き甲斐を感じ殺戮を楽しむ傾向が強い魔族を、文化に興味を持ち、社会という概念を持つ存在へと変える事となったのである。
この事からして分かるように、魔族側の最大都市国家グロスキ領は、人類から言わせると野蛮で文明的に劣ると信じられている魔王が治める土地とは思えぬ程に整備され、多種多様な種族たちを内包しながら、見事に統制された理想的法治国家を形成していた。
グロスキ領の中心部にある小高い岡『グランドベイ』には、黒曜石で造られたバカみたいにデカい魔王城が建っている。その城の一室で、不気味なデザインの調度品に囲まれながらウンウンと唸り声をあげる骸骨がいた。
正午過ぎになっても光ひとつ当たらぬその部屋には、窓もなく入口となる扉すらなく、一見すると牢獄のような雰囲気があった。部屋の片角に刻まれた魔法陣を使わなければ出入り不可能であり、外部からは分からない魔術的処置が施してある研究室兼書室の隠し部屋であった。
ペンを握った手で頭を抱え、書類を睨みながら唸る骸骨の正体は、勿論、この城の主である大魔王ゾーダだ。彼は朝早くに持ち込まれた調査報告書に目を通し、部屋の壁一面に並ぶ書棚から数冊を取りだして空に浮かべ、複数同時にページをめくりながら、どうしたものかと盛大に悩んでいた。
悩む理由は4つあった。
ひとつは脚王ラヴェイドの事だ。ラヴェイドが独断で行ったとされるアダム拉致監禁事件。アダム因子を独占しようとしたその事件は、ヨムルの念話による報告にあった通り一応の決着が着いている。ヨムルの無限牢獄に囚われ時間凍結された状態だ。
詳しい事情を調べねばならないのだが、牢獄から精神だけを召喚するためには術者の許可が必要であり、ヨムルの帰還待ちとなっている。ラヴェイドの復帰は物理的に不可能である為、早く代役を決めねばならない。
そしてもうひとつ。
まだ推測でしか無く、確かめるには調査が必要になるが、ラヴェイドは20年前に滅ぼしたはずの消滅血統を密かに匿っていた疑いがあり、その中に巫女の素質を持つ娘がいたという報告があがって来ていた。
どの程度の関連性があるか不明だが、その巫女が消息を断つ少し前からヨムルとアダムが揃って姿を消している。魔王となる時に刻まれる絆を使った存在感知にも反応がなく、完全にロストして生死すら分からぬ状態になっていた。
ヨムルの実力からして死んだとは爪の先程も考えていないが、アダムを庇って何かしらの窮地に陥った可能性が無いとは言えない。
その事がゾーダを悩ませている主な要因なのだが、アダムがとんでもないトラブルをその身に抱えている事が判明した。パレードが始まる少し前、チョロスはアダムの髪の毛と口内の細胞を少し摂取した。それは慣例的に行われている召喚者の能力を測る検査の為であり、潜在的能力を調べ、教育するためのプログラムをつくる重要なデータとなる。
20年間という魔族にとっては一瞬のごとき短い期間しか存在出来ない召喚者を有効活用し、即戦力とするために教育プログラムは不可欠である。ゾーダが魔族を束ねて連合国家を設立する以前は、教育という考え方をする魔王は誰一人おらず、自分で勝手に強くなると思われていた時代もあった。だから、使える者は大切にしたが、使えない者の扱いは酷いものだった。人間サイドに逃亡しようとする者が出るのも当然だったのだ。
しかし、今は違う。
捨て駒のように扱われる事はなくなり、特別な待遇で迎えられる事もなかったが、個人の能力に合わせた相応の扱いをし、場合によっては姫城ゆかりのように城まで建て与えるという完全能力主義を採用した。
それにより、劣悪な環境下で戦闘を強いられていた魔族側の召喚者が人間側に協力したり、調略される心配はほとんどなくなった。過去にはそうした事が実際にあったが、その不名誉な記録は歴史の闇に葬られ資料も何も残されてはいない。だが、人間側にはしっかりと残されており、魔族側に召喚された者には必ず接触を試み、亡命を促す事がずっと続けられていた。
ゆえに、裏切った場合の処置を細胞レベルで行うのだが、速水卓也にはまだその儀式をしていなかった。今回のアダムはほとんど城におらず、措置する時間もないまま行方不明になかったからだ。無事救出したと連絡を受けた後、ヨムルと共に消息を絶って一日が過ぎた。仮に人類側とラヴェイドが裏で結託し何か画策していたのなら、既に人類側に連れ去られたという最悪の事態も考えられる。
アダムの安否は最大の心配事ではあるが、それにも増してアダムの肉体に起こっているとんでもない現象がどうしても理解できず、原因が何であるかを過去の文献などを調べながら頭を悩ませていたのだ。
ーーー今朝早くの事である。
チョロスが魔法陣を使って現れた。
「ノックも無しとは、お前であっても許さぬぞ」
チョロスの方を見もしないで机に向かって書き物をしていたゾーダは、何の感情も含まない口調でそう言った。チョロスには口癖のような物だと分かっているので、許さぬと言われながらも「失礼致します」と頭を下げて近付き、書類の束をドサリと目の前の机の上に置いた。
「なんだ、このバカバカしい量は? 要件は三枚以内に纏めろといつも言っているだろう?」
「アダムの報告書が膨大な量になりまして、このようになりました」
「お前にしては要領が悪な? 老害か?」
「これは手厳しい。ですが、目を通して頂ければ今日まで遅れた理由が分かります」
一番上に置かれている分厚い資料の束を手に取り、その下にも5つ6つの報告書があるのを確認しながらページを捲り出す。
「なんといってもパーフェクトリングのフルスペック召喚だからな。さぞかし凄い結果になったであろう? イヴと引き分けたあのイカれた勇者も今回は流石に余裕はあるまい。アレさえ排除できれば再び魔族の世となる」
どれどれ?と言いながら報告書を捲るゾーダの手が能力値を示すページで止まり、また数ページ戻って読み直すを二回繰り返した。
「なんだこれは?」
「アダムの現在の能力値です」
「そんな事は分かっている。ワシの言いたいのはそんな事ではない」
「おっしゃりたい事は分かります。ですが事実です」
「バカな! これでは民間レベルではないか。兵士としても使えんような数値だぞ!」
「驚くべきところはそれだけではありません。先をお読み下さい。あらゆる検査方法で存在力の限界数値を計りました」
言われたままにページを捲ったゾーダは、グラフが並ぶページで完全に動きを止めた。
「やり直せ。こんな数値は有り得ん。計測機を点検し、サンプルを変えてイチからやり直すのだ」
「お言葉ですが、そのような事は既にしております。部下に任せてはおられぬと、わたくし自身が検査を行い何度も何度も確認致しました。その数値は間違いではありません。現在のアダムは・・・」
「姫城ゆかりを贄にしたフルスペック召喚だぞ! どうしてこうなる? なぜだ!?」
「予測は立てましたが、本人が不在なので確認のしようもありません」
「存在力、マイナス16億8900万だと? ワシを馬鹿にしているのか!」
「とんでもございません・・・」
「だいたいが、存在力がマイナスとはなんだ! 生きていられる訳があるまい。奴がアンデッドならそれもあるかも知れんが、それにしても数値が異常過ぎる! マイナス16億超え? ブラックホールか何かとでも言うつもりか!?」
ゾーダが叫ぶ気持ちはチョロスにも痛いほど分かった。同じようなセリフをチョロス自身も計測に当たった研究員にぶつけた。計測機を点検し、部品を新品に交換させて何度も計測し直した。しかし結果は同じ数値を示したのだ。
仮にこれがプラスならば、天体が持つ存在力以上の数値である。それを意思のある個体が有していたのならば、それは間違いなく神だ。実際に会った事はないので神の存在力がどれ程か知らないが、プラス16億超えならば神と呼ばれても何ら不思議はない。ゾーダですら2億に届かず、チョロスは1億に届いてない。それでも彼らはこの世界において特別な存在であり、怖れられ敬われる偉大な魔王であった。
「計測機の故障ではありません。だとすればこの数値は何なのでしょうか? ゾーダ様なら何かご存じかも知れないと期待したのですが・・・」
「分かるものか! このような現象は見たことも聞いたこともない。可能性として考えられるのは存在の逆転現象だが、それとも違うようだ。あれは元々存在力のある者が起こす失陥のようなもので、実際にマイナス値になればその時点で死ぬ」
「まだその先に不思議な事があるのです。潜在能力の項をご覧ください」
「・・・・・・・・・・・・」
「分かりますか?」
「この親和性と適合耐性の資料だな?」
「はい」
「親和性が全ての種族に対し平均300%だと? 100%なら分かるが、これはどういう意味だ?」
「速見卓也の持つアダム因子をあらゆる種の細胞核と掛け合わせたところ、その全てに反応し細胞分裂を起こしました。それだけでも異常な事ですが、細胞分裂によって発生した生命の種子たる万能細胞は、その全てが元の細胞より格段に優れたものへと進化したのです」
「進化だと?」
「はい。通常は何世代に渡り優勢伝達を繰り返す事により起こる進化が一瞬で起こります。種族によってムラはありますが、進化しない細胞はありませんでした」
「アダムとの間に子どもを作れば、その全てが進化するのか?」
「はい。その通りです」
「人間に対してもか」
「もちろんです。アダムとの子どもは、現在の人類が持つポテンシャルを平均して300%近く底上げする事になるでしょう。産まれ出る子供の全てが超人類となります。当たり前に繁殖を続ければ、魔族の肉体的優位性が消失します」
「なんと!?・・・・それがアダムの固有スキルか?」
「これをスキルと呼ぶには資料が少な過ぎますが、今回のアダムは他に何の特長もなく、スキルとしては早く走れる『速駆け』があるのみ。後は千里眼の素質と異空間掌握能力がある程度です」
「適合耐性が計測不能とは何だ?」
「そのままです。限界値が計測できません。取り出した細胞核に適量の存在力を与えた後、どれだけ負荷を掛けても細胞核が壊れる事はありませんでした。妖力耐性、呪力耐性、魔力耐性、霊力耐性、神力耐性、どれも基準値の99999倍にびくともしません」
「それほどの超耐性を持ちながら存在力はマイナスか? なんとアンバランスな肉体だ。理解できん・・・」
「全くその通りです。わたくしにも理解できません。ですが、このマイナス現象を修正し、正常なプラス状態に持っていけたとしたらどうなると思いますか?」
「ウム・・・」と少し考えゾーダは答えた。
「実験用の試験管の中でなく、本人に対してどの程度の存在力を与えればその超耐性が発揮されるのか正確には掴めんが、仮に姫城ゆかりと同等の存在力を有したなら、アダムは完全なる無敵状態になるであろうな。ほんの小さな試験細胞でさえ基準値の99999倍の負荷にびくともしないのだ。理論上、この世界にアダムを傷付ける事が出来る者など存在しない事になる。まさに神の肉体だ」
「わたくしもそう思います。ですがマイナス16億超えの天文学的数値をプラスに変える方法など想像も出来ませんし、実際には不可能です」
「ならば種馬として使うしかあるまい。現状でも進化させる能力は発揮するのだろう?」
「アダムに種の調整力があるのは当然ですが、今回の数値は常識を大きく超えています。過去のデータから推測される上昇値は16%弱。何が起きるか想像もつかぬため、実際に交配させる前に試験体を人工子宮で培養してもよろしいでしょうか? 繁殖は望めませんが、一代限りの個体を16倍の速度で生成可能です」
「実験はどの種族で行うつもりだ?」
答えなど分かっていたが聞いてみた。試験体は既に培養液に浮かんでいるだろう。アダムの進化能力を確めるのに適した種族にして、秘密裏に複数回の実験が可能な魔族など限定されて来る。そしてチョロスは、ゾーダが予想した通りの回答をした。
「はい。我が子の一族が最適かと思います。優秀な卵細胞も容易に揃いますゆえ」
「お前の事だ。既に施行済みではないのか?」
「まさか。準備は調えてありますが、施行はまだです」
「・・・まあよい。くれぐれも内密に行え。
特に人類側に知られるのはマズい。アダムが既に拉致されていたとしたら奪還不可能になるぞ」
「分かっております。このチョロスに名案がありますが、お耳を拝借してよろしいでしょうか?」
その内容にゾーダは頷き「その件はお前に任せた。上手くやれ」と言うと、自身は存在力をプラスに変える方法を見つける為に地下迷宮の奥にある禁書庫に潜り、主だった書籍を手当たり次第に隠し部屋の書棚へと転送したのだった。
禁書庫は古代図書館とも呼ばれ、城が建てられるずっと以前からグランドベイの地下迷宮の底で眠っていた。見つけたのは偶然であり、それを隠すために拠点をこの地に置き、上に黒曜城を建てて外界から隔離したのだ。
他国にも点在する古代図書館の書物は、そのほとんどが古代エルフ文字で書かれている。この図書館が創られた時代はそれよりも古く、使われている文字は神代文明のモノだった。それによれば、今は少くとも三度目以降の文明という事になる。
先代文明がなぜ滅んだかを記した書物はないが、そのどれもに赤い月が関係している事は間違いない。そして、異世界召喚がその時代にも続けられていた証拠や記述もあった。
それほど古くから行われていたなら、一度くらいは同じ現象があったとしてもおかしくはない。そうでなくとも手がかりくらいは見付かるだろうと思い、ゾーダは久方ぶりに古代図書館の最深部へと足を運んだ。
七階層ある禁書庫の一番奥には、召喚に関する書物が並ぶ部屋がある。扉に触れただけで古代の恐ろしい呪いが発動して普通なら死んでしまうのだが、既にアンデッドであるゾーダには関係がなく、ペラペラと中身を見て関連がありそうなモノを自分の部屋の書棚に片っ端から転送した。
そうして集めた文献をしらみ潰しに読みあさり、同様の症状を起こした異世界人の事例を調べてはみたが、半日掛けても何の手がかりも見つからず途方に暮れる事となった。ウンウンと唸っていたのはその為である。
「これだけ調べても足掛かりも無しとは・・・ 姫城ゆかりは何をしたのだ? 本当に『賢者の心臓』を使ったのか? しかし、肝心なコアはどのようにして手に入れた? この世に存在しない物をどうやって・・・」
ひとり呟やいた骸骨は、姫城ゆかりが言った言葉を思い出した。協力の申し出を拒否し、協力しないが妨害もしない事を約束した時のことだ。
約束したが契約ほどに拘束力は無いので、あの連中が出て来た場合は長いものに巻かれざるを得ないと思っている。あまり関わりたくないのが本音であり、姫城ゆかりの目的を知る事はリスクの程にメリットにならないと判断したため、詳しく計画を聞く事もしなかった。知って隠せる相手でない事は、身を持って良く分かっていたからだ。
そもそも『賢者の心臓』を七つ集めるなど不可能である。猿王が協力しているのは知っていたが、なぜその気になったのか理解できない。偏屈で、何事にも干渉せずを決め込んでいた要注意人物が姫城ゆかりに全面協力し、共に行動していると知った時の驚きは正に衝撃的であった。
未知の力を持つ魔王、孫悟空。
現存する最も古い文献にもその名は刻まれており、遥か太古より存在し続ける不死の石猿だ。人も獣も寄り付けぬ特殊な環境に単独で住み、強大な力を持ちながら人類との戦争に一切加担した記録はない。何もしないから対立する事もないが、権力に何の興味もなく、それでも魔王に席を置いてくれているのはゾーダとしては有り難かった。
人類側も猿王にだけは手を出さない。
分かっているのだ。彼がどれ程に特別で、絶対に敵対してはいけない対象である事を。『ビーディオスの石板』には、記録した映像を映す古代の技術が今も機能する保存状態の良いモノが希少存在する。そのほとんどは人類側が所有しており、魔族が目にする機会は滅多にないが、そのひとつに史上最強と云われる伝説の勇者と孫悟空との闘いを記録した映画がある。
今は消滅してしまった大陸『アタ・ラティオ』で行われた一騎討ちの記録映像だ。第七界力という神に匹敵する賢能を持つ伝説の勇者に対し、孫悟空は単身素手で挑んだ。楽しんで余裕すら見せる猿王は、今と変わらぬ姿で、光速の拳を自在に操る黄金の聖衣を纏った勇者と闘っていた。
2000年以上も前の映像だが、当時の勇者は存在制限がはじめから外されていたようで、その戦闘力は今とは比較できぬほどに凄まじいものだった。
その一騎討ちは大陸ひとつを地上から消し去り、決着が着かぬまま存在力の全てを使い果たした勇者が光の粒となって消えるシーンで幕を閉じる。望まぬ結末に悲し気な表情を浮かべた孫悟空が、夕日を背に戦士の一礼をする姿がとても印象的な映像だ。一回再生しただけで壊れてしまう粗悪品が大量に出回った事もあり、この闘いを知る者は意外に多く、今でも人気の高い映像である。未再生の石板はプレミアがつき、マニアの間でとてつもない値段で取り引きされているという話も聞く。
「奴に会って直接尋ねるしかあるまい・・・ 全て姫城ゆかりの仕込みなら何か知っているはずだ」
ゾーダはそう言ってペンを置き、机の引出しの奥に報告書をしまった。
「どうしてこんなにも上手くいかんのだ? まだ7日しか経っておらぬというのに、次から次へと問題ばかり起きる・・・」
ゾーダを悩ます4つ目の問題。
それは、明け方から現在にかけて第13区で起こっている人間達の暴動だ。寄せられた大量の苦情と事情説明を求める声に、ゾーダは早急なる対応を迫られていた。
『デジュマ』に押し掛けた人間の数は時を追う事に増えており、今まさに暴挙に発展しかねない状況にあった。その原因はまたもやアダムだ。メリーサが恋の病に掛かり、その病状はかなり深刻な状態らしい。
第13区領を統治する夢魔一族は、王の病が完治するまで人間との夜の営みを禁止し、夢世界での接触を絶つとパートナー達に告げた。
夜の恋人達に一方的に別れを告げらた人間達は、訳が分からないと説明を求め『デジュマ』に押し掛けたのだった。しかし、夢魔族の大使は不在のようで、決定されたことは変更できないの一点張りであり、その後の対応も無しの様子。当然の事ながら、総括統治権を持つ大魔王ゾーダに不満の矛先が向く事になった。
第13区は、全自治区の中で最も収益性が高い優良地区だ。人間達は魔族に比べ勤勉で良く働き、さしたる問題も起こさず社会的貢献度は究めて高い。街並みも綺麗で清潔感があり、統一された外観は芸術的でさえある。集団生活と協調性いう点を見れば、やはり人間以上に優れた種族は他にない。
夢魔族が人間好きである事は誰もが知っている事で、もちろん食料の確保が第一目的なのだが、夢魔達は第13区の人間を他の魔族の脅威から保護すると同時に、夜のパートナーとして決まった相手と夢の中で交わっていた。
現実世界では家族を持ち、人間同士で結婚して家庭を作ってはいるが、この地区で産まれ育った人間のほぼ全員が初体験を夢魔と交わしている。彼らは夢世界と現実を器用に使い分けて生活しているのだ。
理想の姿で夢に現れ、望むままにしてくれる夢魔との交わりは、日常生活のストレスを解消する為には必然であり、最大の楽しみのひとつであった。リアルとバーチャルで二人の異性と結婚できるこの地区の噂を聞き、わざわざ人類側の都市から引っ越してくる好き者もいる程だ。
男女とも同じで、暗黙の了解として夜のパートナーの事は口外しない。だが、朝になってスッキリした表情を見れば、夢世界でかなり充実した体験をしている事は分かってしまう。だからと言って経済面で信頼しているリアルのパートナーを失うような無益な詮索はしないし、この地区の離婚率が3%に満たない事から分かるように、夢魔の存在と夜の行為はこの地区の人間達にとって正に死活問題だった。
それとは別に、不定期に行われるイベントもある。夢魔王メリーサをセンターに置くアイドルグループ『夢坂フォーティワン』による歌とダンスと光のコラボレーションだ。
夢世界で開催されるドリームコンサートには、第13区で生活する全ての人間が招待され、夢の世界でしか味わえない特別な演出が夜の営みとは別の楽しみを人間達に与えていた。ゆえにメリーサは、第13区の人々とって永遠不滅の神様的アイドルであり、絶対的好意を寄せる憧れの対象であった。
そのアイドルの突然の引退と電撃結婚の話に続き、妊娠を告げる報道があったすぐ後に病気になったとの知らせがあった。 なんでもアダムは、メリーサを妊娠させておきながら蛇王ヨムルとも関係を持ち、血の契約の約束までしたという噂が飛びかっていた。その一連の出来事を祝賀パーティの席で目撃したという情報が、ファンクラブ通信によって知れ渡っていたのだ。
「アダム、絶対許すまじ!」
崇拝するメリーサを汚され、子を孕ませておいて他の女(魔王)にまで手を出すアダムに対する怒りは、病の発覚と"病状が改善するまでの接触禁止令"により大爆発した。『デジュマ』に押し掛けた人間達は「アダムを出せ!責任を取れ!」とプラカードを手にして抗議デモを行ったのだ。
軍を出せば鎮圧は容易い。
だが、武力で従わせても、衰退と荒廃と魔族に対する怒りが不信感を招くだけで何の解決にもならない。不満は心の奥深くに潜み、内側から国を滅ぼす火種とも成りかねない危険性をゾーダはよく知っていた。夢魔族が作った人間との信頼関係を壊せば、二度と同じ関係は作れないのだ。
人間という生物を侮ってはならない。魔族に比べ、肉体的パワーも耐久力も大きく劣るが、実際に闘ってみるとそう簡単には倒せない。彼らは集団戦闘でこそ力を発揮し、献身的な自己犠牲が戦況を大きく左右する程の脅威となるのだ。そして彼らは、平均的に知能が高く、常に知略を持って戦場にあたり脆弱な肉体を補うが如く策を労し裏をかく。ナメては掛かれない宿敵なのだ。
メリーサの親である夢魔の族長と会う手配を済ましたゾーダは、病状を調べてから薬を用意させ、それが完成するまでの間に一番差し迫った問題であるアダムの事情を知るべく、猿王孫悟空の元へと向かう事にした。
その頃。ゾーダに報告を済ませ研究室に戻ったチョロスは、優秀な身内だけで構成した研究員達を集め、重大な発表をしていた。
「聞け皆のモノ。予定通り進化実験を行う事になった」
「許可が頂けまチュたか!おめでとうございまチュ!」
良かった良かったと素直に喜び、ピョンピョンと跳ねる子ども達を見ながらチョロスは続けた。
「試験体は50体造る。適合可能な卵細胞を更に集めよ。人工子宮は10基しかないから、その他は授精させた後でそれぞれの腹に戻す。少しでも異常が認められたら実験は中止だ。大事なき場合は再度調整してからまた行う。くれぐれも無理はするな。優秀な母胎には限りがあるからな」
「分かっておりまチュよ。既に76体も死んでしまいました。劣化した個体では進化速度に胎盤が耐えられないと立証済みでチュから」
「ウム」と頷くと、手渡された直系の娘達のリストを眺めチョロスはニヤリと細く笑った。誰よりも先んじてアダム因子を宿した子を大量生産する機会を得た事が嬉しくて仕方なかったのだ。
同じ事を考えていた脚王ラヴェイドは失敗している。あの奥の衆を使うとは思ってもみなかったが、結果は惨敗。三時間掛けて誰も妊娠に至らなかったばかりが、交わった女どもの膣内には一滴の精子も検出されなかった。
アダムが自らコントロールしたのかは分からないが、精子を奪うつもりが大量の生体エネルギーを逆に奪われた形跡があるのだ。みだりに交われば、最悪死に至る危険性がある事を奥の衆は教えてくれた。
ーーーアダム、あいつは危険だっチュ
ゾーダ様はブラックホールという言葉をお使いになったが、あながち外れていないのかも知れないチュね・・・
どちらにせよ、自分の一族ではサイズ的にアダムと交わるのには無理がある。人工授精しかないとは思っていたが、孕んだ者が存在力を奪われて死んでしまっては元も粉もない。チョロスの一族は、知能が高い代わりに肉体的には魔王の中で一番脆弱なのだ。
試験第一号は、人工子宮の中で今のところ順調に育っている。しかし、授精卵を腹に戻した者達は全て死んでしまった。チョロスから何世代も離れた劣化体を使ったのが原因であるようだが、優秀な個体であっても必ず成功するとは限らない。進化の過程で大量に存在力を消費するらしく、元々の保有量が大きく影響して、それが少ない個体では補填する前に枯渇して母胎共々死んでしまうのだ。
そして存在力の急速補填は非常に難しい技術であり、高価な聖魔石を湯水のように使わねばならない。聖魔石のストックに限界がある事からしても、少々の危険を犯してでも優秀な個体を使うしかないのだ。
実験第一号に使用した卵細胞はチョロスが期待する愛娘のモノであり、一族の中で最も優秀な雌に産ませた最高傑作のひとりであった。この卵子で成功しなければ、他のものでは格段に成功率が落ちる。人工子宮には良質な聖魔石から取り出した存在力を供給し続けており、進化のスピードに合わせ供給過多にならないようコントロールしていた。
「まずは一体、必ず成功させてデータを取るのだ」
実験の経過を少しのあいだ見守っていたチョロスは、研究室を離れると情報工作部隊である灰色緒鼠達を呼んだ。諜報活動をする彼らの姿は、比較的小柄で普通の鼠に見える。だが、知能が非常に高く、お互いが思念波で繋がっていてるので連携を必要とする作戦には定評があった。
野性の鼠に混ざり行動し、一体が目にした情報を部隊の全てが共有できた。あらゆる国の、主たる施設内には必ずこの部隊が潜入しており、タイムラグ無しでチョロスに報告が上がって来るシステムになっている。
もちろん、拉致事件を起こしたラヴェイドの処にも潜入部隊は存在していた。だが、排他的領域の特殊な結界内で行われた事柄の全てを把握する事は不可能で、鼠反しの術式を掻い潜るほどの能力はシルバーテイルには無かった。事後調査に当たった魔学調査部隊ホワイトテイルが集めた情報で知り得たことは報告書に纏めゾーダに提出したが、まだまだ調査は続行中であり、肝心な巫女の消息は未だ掴めていない。
専属の隠密部隊ともいえるシルバーテイル達を使い、アダムに関する情報を操作する事を進言し許可を得たチョロスは、魔族領内だけでなく、人類側もその情報に踊らされ大きく揺らぐ事になるのを想像してニヤニヤと笑みを浮かべた。
噂には足枷がない。流れ出せば、元情報の出所がどこで誰によるモノかを知る術はないく、複数のそれらしい情報を混ぜて攪乱するなどはチョロスにとってお手の物だ。この手の情報操作は、子の一族の最も得意とする分野なのだ。
命令を受け散開したシルバーテイル達を眺めながら、長い顎髭に手櫛を入れて調えたチョロスは、もうひとつの目的を果たすために魔法陣を発動させ移動をした。そこは普段立ち入り禁止の施設であり、管理を一任された子の一族の長だけが入る事が出来る特別な場所だった。
ここは、異世界召喚を行う為の古代遺跡である天台の地下に眠る大きな洞窟内にある一室である。チョロスは転移魔法の術式に特殊なコードを加えてその一室に入ると、辺り一面に散らばる人骨の中から真新しい頭蓋骨を拾い上げ不気味に呟いた。
「お前の秘密は絶対に暴いてやる。犠牲になった娘達の為にもな」
チョロスが手にした頭蓋の右側頭部には古い骨折の跡があり、人間の成人男性の平均的なサイズだった。そう、これは異世界から召喚されたばかりの闇のアダム『速水卓也』の頭骨骨だ。しかし、なぜここに彼の頭蓋骨が無造作に転がっていたのか?
暗闇に目が慣れて見渡せば分かる事であったが、この岩盤をくり貫いて造られた約333㎡(100畳)ほどの部屋には、数百体の人骨が重なるように打ち捨てられており、無惨にその屍を曝していた。
この部屋の事はゾーダに報告していない。
召喚の仕組みを調べる為に天台の内部を探索していた時に偶然コードを発見し、試行錯誤してやっと見つけたばかりの部屋である。赤い月が消えれば侵入は不可能となり、別の時空に移動してしまう。つまり、残り3日でこの部屋には入れなくなり、次の機会が訪れるのは10年後の異世界召喚が行われる時となる。
どのようにしても骨を持ち出す事が出来なかった為、この部屋の内部で調べるしかなく、機材も持ち込めないので術による調査しか実行できない。しかし、チョロスの鑑定眼は現時点で魔族最高レベルであり、彼に分析不可能であれば他の誰にも出来ない事になる。
「残り3日・・・お前が普通でない理由が何処かにきっとあるはずだ。出来た子の全てを劇的に進化させる? そんなふざけたマネはさせん! 進化は緩やかでなければならんのだ」
アダムの細胞核に今までに見た事がない進化を促す遺伝子が含まれている事に気づいたチョロスは、すぐに実験用マウスで進化の度合いを確めた。オリジナルの3倍を示すその数値にチョロスは奮え、そしてすぐに気づいた。この能力の可能性と危険性に。
オリジナルの3倍の能力を持つ第2世代に更にアダムの進化細胞を加えてみた。実験は失敗したが、それは進化の兆しを見せ細胞分裂を起こした。つまり、オリジナルの9倍の進化を起こそうとしたのだ。9倍の次は27倍、その次は81倍、その次は243倍、その次は729倍、その次は2187倍、その次は6561倍、その次は19683倍、その次は59049倍。
第10世代目には、オリジナルのおよそ6万倍となる。
魔族の一般的な下級兵士クラスの戦闘力600を基準にするならば、戦闘力は35429400となり将軍クラスだ。その3倍となれば、もはやチョロスの戦闘力をも超える超戦士となる。
それだけではない。全ての能力が底上げされるのだから、いったいどれ程の超絶的な力を発揮するのか想像もつかない。
進化の仕組みを解明し、錠剤やアンプルのような形で服用し、一時的に何世代か先の戦闘力を体現できるようになればどうなるのか? もはや『勇者』など敵ではあるまい。この地上を支配するなど実に容易く、進化状態を定着させる事が可能なら神にすらなれる。 薬を使わずとも着実に代を重ね時間をかければ、その一族は神となれるのだ。アダムの超進化因子は、神を産み出す力だった。
『神産みの力』それこそが、今回パーフェクトリングで召喚した闇のアダムの能力だとチョロスは確信していた。そして、そのとてつもない能力の代償として、あのように不可思議なマイナス存在力を有する最弱の存在となっているのだと予測したのだった。
そのアダムを保護し、超進化細胞を提供し続けさせたならば、チョロスの一族は神の一族となる。ラヴェイドの狙いがそれであったのかは確かめようもないが、最大の優良雌である『奥の衆』をはじめから投入したとなると、何も考えていなかった訳でもあるまい。
ラヴェイドの息子のひとりに、とんでもなく優秀な頭脳を持つリュオンという知将がいる。表舞台には決して顔を見せない謎の男だ。ラヴェイドの軍が急成長し、守備の要として重用される事になったのも、その謎の男が大きく関わっている事は周知の事実だった。
ラヴェイドが独断で行われたとされるアダム拉致事件も、裏で指揮していたのはリュオンかも知れない。その証拠に、アダム失踪直後から彼の姿を見た者は誰もいないという報告が上がって来ている。
それともう一つ気になるのは、あの『閃光の凛々』がリュオンと共に姿を消している事だ。行方を探ろうにも『紅兎』どもが巧みに工作していて足取りを掴ませぬよう邪魔をしている。確たる証拠がつかめれば反逆罪が適応できるのだが、簡単にソレをさせて貰えない。
「アダムとの単独契約は子の一族が頂くっチュ」
チョロスは部屋の奥に不釣り合いに置かれた古びた事務机と椅子に腰掛けると、拾い上げた頭骨に術を掛けて鑑定眼をフル稼働させ分析をはじめた。怪しく光る鼠の双眼が、頭骨の成分と分子配列を正確に解析して行く。その行為は、要件を済ましゾーダが城に戻るまでの間に入念に続けられたのだ。




