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蛇神の聖域【10】孫悟空の闘い (その壱)


「ちょっと待ってくれ。

今の話だと、タケミカヅチってのは随分と兄想いのいい神様じゃないか! それがどうして悪神になってしまうんだよ? いくら力を求めた結果だって言っても、本質がそんなに極端に変わってしまうものなのか?」


 婆さんの前で(かたき)である相手の肩を持つつもりもないが、俺は感じたままを口にした。少し配慮に欠けるかとも思ったが、出してしまったもんは仕方がない。


「ああ、ワシも同じように思ったよ。子供の頃にこの話を聞いた時は美談に感動したし、タケミカヅチのその後の活躍に心踊らせ続きをせがんだものじゃ。しかし語り部は最後まで話してはくれなんだ。なぜだと思う?」


 俺の言葉を否定せず質問を投げ掛けて来る。なぜかなんて決まってる。その後のタケミカヅチが英雄神とは掛け離れた残虐行為に手を染め、破壊神となってしまったからだろう。そう思ったがすぐには口に出せず少し考えていると、婆さんは再び話をはじめた。


「最初に変化に気づいたのは、孫悟空と同じく二度の修行旅に同行した沙之水浄王と八陀猪王の二神だと言われておる。しかし二人は忽然と姿を消し、その後の消息は分からず終い。その彼らと入れ替わるように側近に着いたのが櫛名田(クシナダ)の家より来た二人の天才軍師、阿美羅(アビラ)把倶羅(ハグラ)の姉弟であったと聞いておる。じゃが、その二人についての詳しい情報はないのじゃ。ただ、櫛名田姫の姉の阿美羅は、その後タケミカヅチの妻となった」


「お婆ちゃんは、そのクシナダの家から来た二人がタケミカヅチの変化に関わっていると考えているんだよね? 語り部が続きを話さなかったのも、それと関係してると?」


「なかなか鋭いな。さすがはゆかりじゃ!」


 婆さんはそう言ってゆかりの頭をナデナデした。流石にそこまでの子供扱いは気分を悪くしないか?と思ったが、素直に「わーい!」と手放しで喜んでいる姿を見て「お前は子供か!」と突っ込みを入れたくなった。が、言わなかった。


 ここでツッコんで、場を和ませるゆかりの気遣いが分からぬか?などと、また言われてもかなわない。俺も学習するのだ。


櫛名田(クシナダ)家はたいへん古き家柄じゃ。分家の数も多く、どこに奴らの目が光っておるか分からぬ。語り部には、真実であれば禁忌をも口にする特権が与えられておるが、臆測めいた噂などはいっさい口に出来ぬ決まりがある。じゃから、タケミカヅチについて色々と悪い噂が飛び交いながらも、事実と確信できぬ事は話せなかったのじゃ」


 なるほど。子供には刺激が強過ぎるからと話さなかった訳じゃないのか。すぐに答えなくてよかった!


「逆にな。孫悟空の反逆は瞬く間に広がり、語り部が広めた訳でもないのにほとんどの神が知るところとなった。何者かが孫悟空を追い詰める為に広めたのであろうが、それがハヌマンの集落に軍を出してまで滅ぼす口実にもなった。領地を没取され、既に隠居同然に辺境へと移り住んだ少数神族を誰が驚異に思うのか? あれは異常としか言いようがない出来事じゃったよ」


 反逆行動とは、騙されてルオ神の神樹を破壊してしまった事に気づいた師匠が、略奪と虐殺をした兵達を痛めつけたという件だ。そのとき師匠はひとりの兵も殺してはいない。


 重大な軍規違反であったが、昔のよしみという事でタケミカヅチはそれを内々に処理した。罪を軽くしてもらった師匠は、領地を棄てハヌマンの民と共に辺境の果てにひっそりと身を隠すように暮らしていたのだ。


 それをある日、神の軍勢が押し寄せ村に火を放った。そして村人の姿も見えず死体ひとつない状況に、全ての村人は生きて捕られているとの希望を持ちながら単身立ち向かう師匠に、タケミカヅチは不敵な笑みを浮かべ「お前を殺しに来た」と言ったところで話は中断している。


「お前達が望むから話すが、これは最悪のバットエンドで終わる。聞いた後で聞かねば良かったなどと後悔しても責任を持たぬが、本当によいのじゃな?」


 知らぬ間に拳を握り締めていた俺は、手の中に驚く程の汗をかいているのに気づいた。それほどに婆さんの表情は凍りつき恐かった。俺は正直に言って、やっぱりやめとくよと言い出しそうになっていた。師匠との付き合いがまだ浅い俺には、話を聞いた後でも普通に接し"師匠"と気安く呼ぶ自信がなかったのだ。


 しかし、ゆかりは違った。

何があったとしても変わらぬ信頼を持ち、ひとりで耐えられぬような苦しみならば分かち合うべきだと心に決めた厳しい表情を浮かべていた。


「話してよ。孫くんは私の大切な友達なんだ。何があっても、それは変わらないよ!」


 その答えに頷くと、八叉の婆様は語り出した。孫悟空の孤独な闘いの、悲しい悲しい結末の話を。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ハヌマン神孫悟空は残り神だ。

伊邪那岐命(イザナギノミコト)伊邪那美命(イザナミノミコト)という七神七世神(ナナガミナナヨノカミ)が天地開明を行い、世界を創る以前の神界で生を受けた。


 先の最高神、生類王プラジャーパティまたの名を創造神ブラフマーの許しを得て、三神世トリムルテが高次神域界へと昇華する流れから外れて現域に留まった神だ。


 神域が生まれる神界には、領界の持続限界点がある。故に定期的な破壊が必要であり、破壊があるからこそ新しき神域が生まれる。世界は創造と維持と破壊のサイクルを繰り返しているのだった。


 破壊の後に生まれた新世界には、以前とは比べ物にならぬ程の発展と進化がある。しかし、それにもいずれ限界が来る。限界は神域領界の持つ容量に対し、中で生まれた生命の存在力の総量が許容値を越えてしまう時に起こる自然現象だ。


 それを『終末限界』という。


『終末限界』が来た時、最高神が取る行動はふたつある。ひとつは最も大きな存在力を有する者、つまり最高神がその神界から去る事だ。もうひとつは、より大きな神域を維持する事ができる高次元神界へと移動する事だった。その場合の多くは、最高神が神々とそれに纏わる民くさを連れて移動するわけだが、もちろん全てを連れて移動するのではない。優秀な者だけを選別し、連れて行けない者達は消滅させてしまう。


 これを『最終審判』と呼ぶ。


『最終審判』により選別から外された生命体は、神の不在となった世界で滅びを待つしかない。ハヌマン神孫悟空は、その滅びを待つしかない民の為に単身で残り、滅びゆく世界で生命の種子を守り続けたのだった。


 しかし何故、彼はそれほどの危険を侵してまで民を守ろうとしたのか?それを説明するには、孫悟空という神の存在理由について語らねばならない。


 ハヌマン神『孫悟空』は不死である。

はじめから不死だった訳ではなく、最高神シヴァとの闘いの中で顎を砕かれて死に、復活した時に不死の力を得た。悟空が死ぬ闘いの原因となった事件が最高神への反逆心からではなく、シヴァ神の早とちりだと証明されたため、完全死で復活できる状態になかった孫悟空は特別に三人の最高神の力で再構成されるかたちで復活した。


 その復活を執り行った際、意とせず必要以上の力を与えてしまったと感じた最高神たちは、鎮守神の地位に彼を就かせ、重用する事で平和維持に貢献させることにした。


 シヴァ神と闘い死ぬ以前の孫悟空は、手のつけられぬ暴れ者であったというが、復活したとき共に与えられた叡智と慈愛の心が彼を別神と変えていた。維持の最高神ビシュヌより与えられた『弱き者を護り高みへ導け』という使命を愚直なまでに遂行し、護る為には己が強くあらねばならぬとひたすら修行に明け暮れた。そして気付けば、三人の最高神が治めるトリムルテにおいて、並ぶ武闘神が存在せぬ程の戦闘力を身に付けていたのだ。


 あの事件のあと、破壊の最高神シヴァと孫悟空が闘うような機会はなかったが、仮に闘ったとしたらどちらが強いのかと、想像を膨らませ楽しむ者が現れる程に彼の力は飛び抜けていた。


 その比類なき戦闘センスによりハヌマンの存在力が発揮できる限界領域を遥かに超え、一時的ではあるが超越神でしか到達不可能な戦闘力を生み出していた。ハヌマンの英雄神孫悟空は、偶然が重なり生み出された奇跡の武闘神だったのだ。 



 禍神まがつがみ)しか残らぬ見放された世界にひとり残った孫悟空は、滅びしか生まぬ災いの神々と闘った。禍々しい神々と闘う術を持たぬ弱き者達を護る為に身を削り、分身を無数に生み出して守護しながら永劫の時をひたすら闘い続けた。


 あまりにも長い永遠とも思える時をそのままに過ごした為、彼の分身達はやがて自我を持ち、彼とは違うハヌマン神となった。分身達は不死ではなかったが、オリジナルである孫悟空の心を色濃く引き継いでいた。それが伊邪那岐(イザナギ)が創りし三神界に住まう、多種多様化したハヌマン族の祖先である。


 身分けをして力を分散させた孫悟空は、分身達が戻らなかった為に本来の万分の一の力も持たぬ神となった。それでも彼は混沌と乱れた世界に新たな創造神が現れて秩序が戻り、新しき清浄な世が発展してゆくのを見届けると満足気に笑みを浮かべた。


 そして、闘いに明け暮れた永き時の中で修復不可能なほどボロボロになった体を癒すため、代謝をコントロールして原始の存在にまで戻り、卵のような姿となって永き眠りについたのだ。


 彼が目覚めた時、世界は大きく変っていた。

眠っている間にハヌマン族の姿も変わり、体毛が薄くなって人間に近い姿となった者や、退化して猿に近い姿となった者や、大きくなり山のような巨体となった者もいれば、地上の人間と混血して神力のほとんどを無くした者もいた。話す言葉も文化そのものも異なり、同族同士で争いあっている部族さえいた。


 前世の記憶が定着せず困惑した孫悟空だったが、持ち前の楽観主義で「なんとかなるさ!」と笑い飛ばし、最もハヌマンの原形を残す部族の村を見付けるとそこに落ち着くことにした。


 生まれ直した孫悟空は、一から体を鍛え直しながら時を重ねた。新しい秩序のもと、新たな神々によって発展して行く世界に生きる孫悟空。多くの神力と記憶を失なったが、彼はそれでも強かった。


 数年後、ハヌマン族に突然現れた天才格闘家の噂は、瞬く間に三神界(みつがみのよ)に広まる。大した神力も持たぬはずの猿神が、高位の武闘神達と互角以上に渡り合う姿を見て、最高神である天帝伊邪那岐命イザナギノミコトは、彼の息子である王子タケルに修行をつけさせるための旅に同行させる事を思いつく。


 天帝はこの時、孫悟空が残り神《古代神》だと知っていた訳ではない。知っていたのは、全ての神界に存在し、全てを知る神、伊邪那岐命の親神である別天神(コトアマツカミ)の中にあって更に特別な存在、造化三神(ゾウカノサンシン)のひとり神産巣日神(カムムスビノカミ)の子である思想神(オモイカネ)だけであった。



 修行旅の道中、孫悟空はタケルを鍛え武術を教えた。『弱き者を護り高みへと導く』という彼の存在理由を全うしたに過ぎなかったが、それを意識していた訳ではない。そのあたりの経緯など、余りにも古い記憶であった為に忘れてしまっていたし、生まれ直した時に記憶の保管をしていなかったので、そうした部分の記憶は曖昧で確信が持てるレベルではなかった。


 過去の記憶の一部を取り戻し、自身の生い立ちを知るきっかけになったのは、自らに課せた厳しい修行の中で何度目かに死にそうになった時だった。その怪我がなければ、記憶をたどる糸口すら見えなかったかも知れない。


 生まれ直した後の体に不死性は失われてはいたが、死の淵から復活すると強くなるという新しい不死身属性が備わっていた。故に、自分をギリギリまで追い込むような危ない修行がいつの間にか当たり前になっていた。


「どうやらオラも、死ぬって事があるみてぇだ」


 悟空は苦痛に顔を歪ませながら呟くように言った。


「何を馬鹿な事を言ってるのです! あんな無茶は二度としないで下さい! もうすぐ父親になるんですよ!」


「そうだったなトト。すまねぇ・・・」


 全身包帯まみれの惨たらしい状態で寝かされた孫悟空は、妻のトトに向かい謝罪の言葉を口にした。決闘や軍役で命を落とすならともかく、己を鍛える修行で死にそうになるなど全く信じられぬ大馬鹿者だと凄い剣幕で叱咤するハヌマン族の女性の腹は、はち切れんばかりに大きく膨らみ、ほどなく臨月をむかえる事を告げていた。


「絶対に安静にしていて下さいよ? 2週間後の高天ヶ原に昇るときまでには治さなきゃいけないですから。目を離すとすぐトレーニングを始めたりするから心配で仕方ないの」


「でぇじょうぶだ。それまでには治す。それより、腹は大丈夫か? もう今夜か明日だろう?」


 妻の腹に手を伸ばし、優しく指先で触れてみた。


「大丈夫です。母さまや姉さま達も側にいてくれますから。男の方に出来る事は何もないんだから、せめて心配させないで下さいませ。お腹の子もびっくりしてしまいます」



 少年の姿をした孫悟空が村に現れ「オラをこの村に置いてくれ」と長老に言った時より、早いもので十年が過ぎていた。トトと呼ばれた悟空の妻は、村の指導者アパラの3番目の娘だ。悟空を初めて見た8歳のときはまだ、外界の事など全く知らなかったし興味もなかった。


 知らない世界から来た野生見あふれる少年の不思議な魅力に惹かれながら、立場上、使用人として置くことになった出生も分からぬ者と馴れ馴れしく触れ合う事も出来ず、トトは遠巻きに彼を眺めるだけの、たまに挨拶する程度の関係がしばらく続いた。


 孫悟空が格闘家としてそのたぐいまれなる才覚を見せたのは、彼が村に来て2ヶ月あまりが過ぎ、祖神生誕祭の余興として開かれる『力比べ大会』に飛び入り参加したときの事だった。


 各地に点在するハヌマン族の中でも、アパ村出身の戦士達は格段に強いことで知られている。普段は軍役で兵に出ている者達も、年に一度の生誕祭には必ず里帰りをする。各地に散っていた強者(つわもの)が一同に会せば、元々が格闘技が大好きな部族である。やる事など決まっていた。だから『力比べ大会』は、村人たちの最大の関心事であり、最も盛上るイベントだったのだ。


 その年の大会も、大方の予想通り指導者アパラの息子ベジタハが圧倒的な強さで勝ち進み、ほとんど他を寄せつけずに軽々と優勝を決めた。ベジタハの強さに会場が割れんばかりの喝采と賛美言葉を送ると、妹のトトは誇らしげに頬を染めた。


「なかなかやるじゃねぇか。おめぇとなら少しは楽しめるかもしんねぇな」


 武舞台の上で勝ち名乗りを上げる村一番の戦士に、ひとりの少年がニヤニヤしながら近づいて行く。その横暴な物言いに会場は驚き、孫悟空をはじめて見る里帰りしたばかりの戦士達は「なんだこのガキ? まさかベジタハと戦う気でいるのか?」と笑ながら眺めていた。


 しかし・・・


 ハヌマン族随一の戦士ベジタハは、この少年の内で急速に練り上がる氣の循環が、自分が戦場で遭遇したどの強敵よりも深く底知れぬモノである事にすぐ気づいた。信じられぬ事であったが、質量こそ届かないが上位神クラスの純度を持つ氣を持っていたのだ。


「オラは孫悟空ってんだ。アパラんところにやっかいになってる使用人だ。ひとつ手合わせ願いたいんだが、いいか?」


 歳の頃は13歳程度。あどけなさが残る容姿とは裏腹に、少年の眼には歴戦の戦士しか持ち得ぬ鋭く厳しい光があった。


「これは驚いた。うちにこんな使用人がいたとは知らなかったぞ・・・ お前いったい何者だ?」


 試合を申し込んだ小さき挑戦者の登場に、会場はざわめき沸き立った。はじめこそ横暴な物言いの主に腹を立てた民衆も、相手が年端も行かぬ少年だと知ると、湧き立つ祭りの雰囲気の中「やれ、やれ~。頑張れちびっこいの!」と声援を送るものと「やめとけ、やめとけ。怪我して働けなくなると使用人をクビになるぞ!」などとヤジを飛ばす者とに別れ大騒ぎとなった。


「悟空はどうしてこんな事を!? やめさせてお父さま。彼に兄さまの相手なんて出来るはずがない。死んでしまうわ!」


 村長アパラの横で試合観戦をしていたトトは突然の事に驚き、試合をやめさせて欲しいと父に願った。しかし返ってきた答えは、いつもの優しい父親の言葉とは思えぬ非情な内容だった。


「自から進んで武舞台に上がったのだ。試合を望むなら止める理由はない」


 そう言ったアパラの表情に緊張が走り、頬に汗が浮かんでいた事にトトは気付かない。歳はとっても曾て村一番と讃えられた戦士だ。経験豊富なアパラは、息子ベジタハに余裕のない切迫した気配を感じ、対峙している者にしか分からぬ高レベルの氣のやり取りが行われている事に気づいた。使用人としての孫悟空とは何度か話をした事はあったが、このように凄まじき力を隠していたとは全く気付かなかった。


 そして、アパラによって試合が承諾され、飛び入り参加の孫悟空と大会優勝者ベジタハのエキジビションマッチが行われる事になった。


 結果は言うまでもない。

孫悟空の圧勝であり、その余りにもかけ離れた実力差に会場は鎮まりかえり言葉を失なった。だが、祭りを取り仕切る司祭でもある最長老パライのひとことで、会場は再び興奮の坩堝へと化す。ハヌマンの伝承にある伝説の超神、ヤマル・マ・ハヌマーン《真祖斉天大聖猿王尊》の転生者が降臨したと告げたからだ。


 悟空はハヌマン伝承について何も知らない。

信仰が起こったのは永き眠りについている間の事で、村に来てからもその手の話をした事がなかった。


 今しがたとてつもない戦闘力を見せた少年は、伝承に出てくる超神の転生者などではなく本人なのだが、生まれ直し以前の記憶がほとんどない孫悟空は「ヘェ、オラってそうなのか?」と素直にお告げを受け入れた。


 やがて成神(せいじん)した孫悟空は、最長老となったアパラの三女トトと結婚した。義理の兄ベジタハがアパラに代わり指導者となり、村は益々の発展を遂げていた。


 そんなある日、真祖神の生まれ変わりと呼ばれ、その名に恥じぬ強さを身に付けた孫悟空に天帝からの勅命が下る。王子タケルの護衛に就き、諸国を巡る修行の旅に同行せよというのだ。しかも身辺警護の一兵卒としてではなく、親衛隊のひとりとしてと言うのだから大抜擢である。


 獣神が親衛隊となるのは異例の事だ。村は当然のように盛上り、夜は連日のように宴会がもようされた。女達は衣装作りに大慌てであり、男達は装備品や献上品の手配に大忙しである。村中が浮かれる中、孫悟空はいつも通り修行のために山に入った。


 最近の修行は、偶然見つけた己の不死身性を利用した"追い込み修行"だ。得意な分身術を使い、それらに自分を攻撃させて自らをギリギリ限界まで傷付け追い込む。そうする事で肉体的な耐久値が爆発的に上がることに気づいてからは、まるで何かに取り付かれたかのようにその危険な修行法に没頭した。


 ここ数年で、かなり強くなったという実感がある。しかし彼ほどの者であっても、王子の護衛役を賜るという事がいつもの平常心を鈍らせたのだろう。その日は少しばかり無理をしてしまい、回復術を使う前に気絶してしまった。


 傷を受けてすぐ治療するのと、時間をあけて治療するのとでは回復に掛かる時間が全く違う。すぐに治せばケロリと治るはずの怪我も、二時間三時間後に治療すると、完治するのに何倍もの時間が掛かってしまう。


 怪我という現象が定着する前に改善するか、定着してしまってから改善するかの違いが大きく影響するからだ。もちろん肉体の持つ自然治癒力は時間が経てば経つほどに肉体を治癒して行くが、回復術の効果は真逆だ。術での治療は、治すというよりは現象の変換を目的としているからだ。だから定着前に変換するのが重要だった。


 夕刻になっても戻らぬ孫悟空を心配したアパラの家の者が彼を探しに行くと、山中深くに倒れ気絶している孫悟空を発見した。後少し発見が遅れたら、悟空はその時に死んでいたかも知れない。それ程の重傷だった。


「トトよ、オラ不思議な夢を見たぞ。ずっとずっと昔に、顔も知らねぇ神様と闘ってる夢だ。そこでオラは顎から下を吹き飛ばされておっ死んじまうんだ。でも、偉い神様たちに生き返らせて貰って、何か重要な役目を仰せつかるんだ。その内容がどうしても思い出せねぇ」


「何それ、夢の話でしょ?」


 何を真剣な顔して悩んでるのよ?と優しく笑いながら、トトは独特の臭いがする煎じ薬を悟空に飲ませた。


「くわぁ〜、クソ苦げぇなぁ。オラこの薬大嫌れぇだ」


「嫌いだから飲まないとか言わないで下さいよ。怪我には一番良い薬なのです。しっかり飲んで早く治して下さいね」


 思えば、この時から数年の間が彼の一番幸せな時だったのかも知れない。修行と闘いの日々が苦痛と感じた事はなかったが、はじめて家族を持ち、トトの笑顔を見て過ごす時間がこれほど心に安らぎを与えるとは思ってなかった。


 孫悟空はその充実した日々に満足し、ときおり蘇るようになった禍神との闘いの記憶や、自分が転生者でなく本人ではないかという疑問を深く考えたりするのを止めていた。



 悟空に初の子が生まれた。

ハヌマンは多産系種族で、一度の出産で3人から5人産むのが普通である。だが、多産系だからと言って毎年産めるわけではない。個人差があるが、産んだ子の数だけ年を置かなければ、次を作れない事が多かった。だから、作れる時期に必ず産んだとしても1年にひとり増えて行く計算になる。


 産まれた子は息子ひとりと娘二人だった。


 その日より数日後、出立の前に子供たちを抱けた喜びを胸に、ハヌマンの大英雄神孫悟空は王子護衛の任に着く為に高天原に昇る。宮中に上ると、待ち構えていたかのように案内の者が現れ、表口からではなく、人気のない裏口の通路を使い天帝の前まで通された。


 天帝様は不思議な感じのする大聖神だった。

威厳ある髭をしたためた初老の男性をイメージしていたのだが、非常に若々しく透き通るような真っ白な肌をし、それでいて底知れぬ大きな神気を纏っていた。だがそれは決して威圧的ではなく、清らかで、包まれると暖かくさえ感じた。その不思議な神圧の前に立つと、悟空は身を奮わせてまこと自然に膝をつき頭を下げていた。


―――すげぇ。これが天帝様か!?

神気のスケールがデカすぎてまともに姿を見る事すら出来ねぇ。超神ってのはこんなに凄いものなのか? それとも、天帝様が特別なんだろうか?


 孫悟空をしばらく無言のまま見つめていた伊邪那岐命イザナギノミコトは、ウムと頷くと破顔して言った。


「そなたが孫悟空なる猿神か。実にすばらしい。素晴らしい素質を持っているな」


 声を掛けられ、頭を上げて良いものかと迷っていると、なんと天帝は自ら進み出て悟空の前にしゃがみこんだ。


「頭を上げよ」と声がして見上げた先に天帝の顔があり、うわっと声を上げて慌てる悟空。彼には天帝の動きも気配も全く感じられず、目の前でしゃがんだ事すら分からなかったのだ。


 仰け反って慌てるその姿を見て、楽しそうに声を上げて天帝は笑うとこう言った。


「孫悟空、息子を宜しく頼むぞ。

あれには、陽であれ陰であれ全てを惹き付ける不思議な力がある。ゆえに誘惑も多く、子守は大変に苦労するであろう。もしあれが道を外しそうになった時は、そなたが止めるのだ。その時まで朕が、この世界におるとは限らんのでな」


「・・・限らない? 天帝様は不滅と聞きましたが?」


 やっとの事で絞り出すようにそれだけ言うと、次の瞬間、すっと呪縛が解けるように肩が軽くなるのを感じ、悟空は不思議に思った。


「朕ほどに成るとな、いろいろな事情があるのだよ。このような話をしたと他の者には言うなよ。要らぬ心配を掛けたくないのでな」


「安心してくれ天帝様! オラ、口は堅いほうだ!」


 孫悟空と天帝が直接会って話をしたなど、宮中の実力者たちは誰も知らない。知っていたのは、代々帝の側に仕え、お世話をする名誉を与えられし優秀なる一族であり、悟空を案内した櫛名田家の者だけである。


 悟空は、この若々しく気さくな頂上の神様に親しみを感じ、生い立ちから今日に至るまでの話を求められるままに語って聞かせた。天帝は終始笑顔を浮かべ、そうか、そうかと、まるで父親が息子の話を聞く時のように楽しげに耳を傾け、頷きながら聞いてくれた。それがどれほど異例な事であり、ひとりの神にこれほど時間を割くなど本来あり得ぬ事だと悟空は知らない。


「それでよう天帝様! オラに子どもが生まれたんだ。もう本当に可愛くってさ。こんな小さな手でオラの毛を掴んできゃっきゃと笑うんだよ! 目の中に入れても痛くないって言うけど、旅から帰ったら目ん中に入れて、本当に痛くないのか試してみてぇと思うんだぁ」


「そうか、そうか。子どもが生まれたとは実にめでたいな。朕からも祝福を贈ろう。だが、目の中に入れるのはよした方がいい。失明するぞ?」


「そうなのか? やっぱりそうだよなぁ。

ちっちゃなゴミが入っても痛てぇのに、目の中に入れるにはデカ過ぎるもんなぁ。てぇと、あれは嘘なのか?」


「嘘ではない。嘘ではないが、比喩だ。それほどに我が子はいとおしいという親の心を表した言葉だ」


「なるほど、比喩か! オラ本当に痛くないのかと思ってドキドキしちまったぞぉ」


 ハハハと笑う悟空。

その様子に優しい眼差しを向ける天帝の中に、少し哀しそうな光を見つけた悟空は訪ねた。


「そういえば、天帝様はもう子どもは作んねぇのか? そんなに若々しいんだからまだまだいっぱい作れるんじゃないかと思うんだが、最近の高天ヶ原に新しい神様が産まれたって話は聞かねぇ。天帝様みたいな凄い神様の子どもなら、禍神みたいな悪い神を立ちどころに退治しちまうだろうから、いっぱい作ればいいのにさ」


 悟空が発した無邪気な言葉に、天帝は酷く表情を曇らせた。それに慌てた悟空は、自分が何かとんでもない失敗をしでかしたのかと動揺し、あたふたとするばかりだった。


「すまねぇ、天帝様! オラ、また変なこと言っちまったか? 謝るから、そんな哀しそうな顔しないでくれ。お願いだよ!」


 土下座してペコペコする悟空を見て、天帝に笑顔が戻る。そしてこの無邪気で裏表のない男に引かれた訳を、なぜこうして時間を割いてまで話をしようと思ったかの理由を、このとき完全に理解した。


「この話をするのは、そちがはじめてだが聞いてくれるか?」


 人払いをしてあるので、ここには悟空と天帝のふたりしか居ない。そして、天帝が話したのは不滅の存在であるはずの妻、伊邪那美イザナミが死んだ時の話だった。それまで天帝は妻が死んだ事をひとりを除き誰にも話しておらず、ずっと胸の内にしまい込んで苦しんでいたのだ。


 不滅であるはずの存在が死んだと世に知れれば、その畏れは神々の間に闇を産み、闇はやがて禍神となるだろう。


 息子の月詠ツクヨミが闇の感情を制御し、畏れが禍神となるのを防いでくれている内は大丈夫だろうが、それにもやはり限界がある。只でさえ月詠にはその身以上の負担を掛けているのだ。アマテラスもタケルも母の死を知らない。母の亡骸は月にあり、強固な結界で誰にも気付かれる事なく管理されている。下半身を消し炭にされた、死んだときの姿のままで。しかし、その御魂は月には無かった。


「天帝様と同じ、超神である伊邪那美さまが死ぬなんて事があるのか!?」


「驚くのも無理はない。しかし事実なのだ・・・」


「なぜだ!? 超神様ってのは不滅じゃなかったのか? オラはそう聞いてたし、天帝様を見て思った。これほど超絶なスケールを持つ存在を、いってぇどこの誰が殺せるのか? この世界に天帝様ほどの御方を殺せる者なんていねぇよ! それは間違いねぇことだ!」


「朕もそう思っていたし、事実そうだった。しかし例外があったのだ」


「例外?」


「妻の伊邪那美が死ぬ原因となったのは業火大神ヒノカグツチを産んだ事にある。朕も妻も、火の神を産むのは初めての事だった。火があれほど御し難く危険なモノとは知らず、大きな力を与え過ぎてしまったのだ。ヒノカグツチは産まれると同時に妻の半身を焼き、二度と子の産めぬ体にしてしまった。その事にショックを受け、生きる意志を無くした妻はみるみる力を衰えさせて行き、陳の看病虚しく本当に死んでしまったのだ」


「まさか・・・そんな事が・・・」


「そして知った。たとえ超神であっても、その子どもに対しては不滅の例外なのだという事を」


 悟空は衝撃的な事実に体を震わせながら、それでも懸命に頭を回らせ天帝の意図を知ろうとした。しかし、結局何も分からなかった。


「天帝様は、オラにそんな重大な秘密を明かしてどうしようってんだ? オラは土地神の獣神だ。てぇして力にもなれねぇ! 力になれるなら何でもしてぇと思うが、オラはただ武道が得意なだけの田舎神なんだ」


「そうかな? 朕にはそうは見えんが?」


「―――?」


「朕には思想神(オモイカネ)のように全てを知り、全てを見通す力はないが、それでも自信が持てるモノがある。それは本質を見定める力だ。その者が何であり、どのように成長して行き、どんな可能性を持つのか? 朕は、そちにとてつもない可能性を見た。そして賭けてみたくなったのだ」


「全く話が見えねぇよ。オラにも分かるように言ってくれ。オラは田舎者で学がないから、子供にでも分かるように言ってくんねぇと解らないんだ。申し訳ねぇんだけんど」


「ははは、悪かったな。別に難しい事を言っているのではない。息子タケルの護衛を頼む為にそちを呼んだ。旅の中、息子がそちから学ぶ事はたくさんあるだろう。天帝としてではなく、ひとりの親として頼みたい。タケルと仲良くしてやってくれ。朕の子で運命が定まっておらぬのはタケルだけなのだ。道を違わぬよう、ずっと近くで見てやってくれると嬉しい」


 キョトンとした表情で天帝を見る悟空であったが、ニカッと笑うと元気な声で胸を張りながら言った。


「なんだ、そういう事なら任してくれ! オラ友達を作るのは結構得意だ! タケルと友達になってやるから安心してくれ。オラどんな事があろうと、絶対に友達だけは裏切らねぇからよ!」


 その言葉を聞くと、天帝は笑顔を浮かべ頷いた。


「最後に言っておくが、妻の事はタケルにも内緒だ。時が来れば朕から話す。くれぐれも息子を頼むぞ、孫悟空」


「おう、任してくれ!」


 そうして孫悟空は、王子タケルの親衛兵としてお側につく事になったのだが、初対面でいきなり「今日からオメェはオラの友達だ!」と言って手を伸ばし、面食らう王子と強引に握手したために「変な奴!」と、しばらく口も聞いて貰えず避けらる状況になった事は言うまでもない。


「おっかしいなぁ? 何であいつはオラを避けるんだろうか?」と、しばらく悩む日が続いたが、禍神との闘いで見せた悟空の卓越した戦闘技術に、タケルは目を輝かせ態度を変えた。悟空の闘い方は独特であり、王子が知るどんな武神よりも輝いて見えたのだ。


「オラの闘い方を全て教えてやるよ。そうすりゃすぐに強くなれる。なんてったてオメェはあの天帝様の子なんだからよ!」


 悟空はそう言ってニヤリと笑った。

ふたりはその日を境に毎日のように共に行動し、マンツーマンで武道の指導を受けた王子タケルは凄いスピードで強くなって行った。それは主従の関係を越え、この友情が永遠に続くのだと誰もが思った瞬間だった。






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