蛇神の聖域【7】婆様のもくろみ
「大聖人の事なら孫くんに聞いて知ってるよ」
ゆかりに向き直り、どんな奴らだ?と聞いてみた。黒幕はそいつらか?
「お婆ちゃんはああ言ったけど、私は一度も会った事がないんだ。だから詳しくは知らないんだけど、かなり膨大な魔力を扱える種族みたい。住んでる土地も人数とかも正確には分からないし、魔族でもなければ人間でもないらしいけど、人類側の最大勢力である『聖教会』を裏で支配してて、自らを"神の使徒"と呼んでる連中だよ。今から行って話を着けて来る!」
ゆかりの瞳にヤバい炎がメラメラと立ち上がっていた。冗談じゃない。戦闘に入ればすぐエネルギー切れになる事を忘れてやしないか?今にも飛び出しそうなゆかりの肩を押さえながらその事を指摘するが、ゆかりの勢いは止まらない。
「そんな事分かってるよ! でも、アリスちゃんを殺せとか言うふざけた連中だよ!許せない! お兄ちゃんは腹が立たないの!?」
「立つに決まってるだろ!だけど本拠地すら分からないんじゃ、どうしようもないじゃないか? どうやって話をつけに行くんだ? もう少し冷静になれ」
「行けばなんとかなるよ! いくつか教会をぶっ壊せば、たぶん出て来るって!」
鼻息を荒くするゆかりを止めるのに俺は必死だ。掴んだ手など簡単に振り払われてしまうし、羽交い締めにしようにも子ども扱いで話にならない。アレンほどでないにしろ凄いパワーだ。
ーーー仕方ない。
振り払おうとした力を利用し、クルリと地面に転がして馬乗りになると、起き上がれぬよう肩と首の起点を押さえた。体重移動ができなければ神でも容易くは起き上がれないだろう。全く警戒していなかったゆかりは、驚きの表情で俺を見上げた。
「え?何これ? 動けない?」
「びっくりしたか?」
「うん、びっくりした。もしかして柔道?」
まあ、普通はそう思う。合気道は国内ではマイナーな武術だ。海外のほうが評価が高いくらいで、抑え込みの技といえば一般的には柔道を思い浮かべる。
だか、立ち技がメインの空手にも関節技や投げ技はあるし、柔道でも一定の段位になると突きや蹴り技も習う。もっとも、より高度な対処法を学ぶ為であって、それで闘えという訳ではないが、上に行けば行くほど総合格闘技のようになって行くのは確かだ。
流派によって違うが、それらは口伝によって伝授され表に出る事は殆どない。格闘技というものは厳密にはスポーツではないので、実のところ表のイメージよりもずっと深いところに本質がある。俺が知る道場でも、禁じ手を習えるのは三段以上の限られた資質を持つ者だけだった。禁じ手には本当に人を殺してしまえる技もあるので、ただ強いだけでなく人格も重要視されるためだ。
「合気道だよ」
「合気道?・・・あ、もしかしてサンタ叔父さんの?」
「ははは、サンタじゃなくて三多な。
懐かしい呼び方するから思わず笑っちまったよ。でも、叔父さんの道場で合気やってた事よく覚えてたな? 道場に来た事なんてあったか?」
部活では野球をしていたが、俺は小2の頃から母方の親戚である三多清五郎6段が開いた道場に通っていた。東京に引っ越して以降は修練から離れてしまったが、通勤途中の雑居ビルで、週2で教室をやってるところをたまたま見つけ、懐かしく思いながらガラス越しに練習を眺めていたのが復帰のきっかけだ。ただし、通ったのはその女子供向けの合気道教室ではなく、戸建ての歴とした道場であったが。
「あるよ? お兄ちゃんが小4の時、夏休みの合宿先にお母さんと一緒に行ったもん。和泉佐野市のお寺だったかな? その日は午前中で練習が終わって、昼から海に行って遊んだんだ。そのとき私も一緒だったの覚えてないの?」
そうだったかな?すぐには思い出せない。なんと言っても30年も昔の話だ。
「ほら、お兄ちゃんと同級生のカッちゃんが海に落ちてさ。胴着のままで行ったから着替えがなくて、乾くまでパンツ1枚でいたじゃない? そしたら大きなアブに背中食われてさ。血を流して大騒ぎしてたじゃん。あれは笑えたよね」
「おお、そんな事もあったな。すっかり忘れてたよ。アブにやられるとしばらく血が止まらないから、潮水で洗えって海に突き落としたんだった。カッちゃんは血が止まらない理由を知らなかったみたいでさ。あの時かなり怒ってたよな? 俺は親切心でやったのに」
子供の頃の事を思い出し、二人は懐かしいさで笑いあった。俺はこの時、自分はコピーでありオリジナルではないと言っていた彼女の記憶が完全に以前のゆかりと同じものであり、本物との差など存在しないと確信した。
「叔父さんが亡くなった後、三多道場は後継者が居なくて閉館してしまったらしいんだ。俺が帰国した時にはもうやってなかった。でも東京で就職して数年してから、フとしたきっかけでまた始めたんだよ。道具も要らないし、運動不足解消には手頃だからね」
俺の言葉に耳を傾けるゆかりの表情から険しさがとれ、優しい笑顔が戻って来た。アリスの事で、あのように怒りを露にするとは思ってもなかったから正直驚いたが、考えてみればゆかりは昔からそういう子だ。自分の事より、友達や親族の事を悪く言う人に対し真剣に怒るタイプだった。
「でもさ。たぶん賢者の心臓の影響だと思うけど、合気道を再開した俺は自分でも驚くほどすぐに強くなってしまったんだ。伝説の達人塩田剛三先生の再来だとか言われてさ。必要以上に注目されるのも嫌だったから、師範を貰ったらすぐに独立しますって門派から脱退しちゃったけど、アレにはそうした効果もあったのかな?」
手を引いてゆかりを起こしてやり、俺たちは婆さんの前に座り直した。ゆかりは先程と同じポジションをとり、俺に寄り添うようにしている。
アリス抹殺命令を下した神の尖兵に、今すぐにでも一発食わしてやりたい気分は俺だって同じだ。だが現実的に不可能なばかりか、水面下で準備を整えなければならない当の本人が敵地にノコノコ顔を出せば、今までして来た事の全てが水の泡になってしまう。俺ははっきり言って、まだまだ弱い。相手の実力も知らずに乗り込もうものなら、最悪の場合、殺されてしまうかもしれない。
「タケミカヅチは武神みたいだからね。オリジナルの一部が引き継がれていたとしても不思議じゃないと思うよ。別に狙った効果ではないんだけどさ」
「落ち着いたようじゃし、そろそろ話を戻したい。良いかの?」
俺達の様子を伺いながら婆さんが口を開く。俺は「ああ」とすぐに頷いたのだが、ゆかりはまだ大聖人の事が頭から離れないのか、難しい顔をしてブツブツ独り言を言っていた。
「あ、ごめん、ごめん。
誓約に反したヨムルが、神の呪いを受ける可能性の件だよね?それは確実なの?」
普段通りの表情に戻ったゆかりが質問を返す。
「たぶんな。誓約に逆らった者など今までおらんかったじゃろうから予想でしかないが、この空間から出たら魔王として得た力と加護が失なっておる可能性もある。もしそうだったとしたら、ゆかりは困らぬか?」
「それは困るよ! せめてあとふたつ『賢者の心臓』が揃わないとリミッターの解除が出来ないんだ。だから、今のお兄ちゃんには自己防衛の手段がない。孫くんはあの場所から動けないと思うし、メリーサには少し荷が重いと思う。ヨムルの代役が務まるとしたら竜王かゾーダだけど、二人は絶対に協力してはくれないからね。今のところヨムルに頼る他ないんだ。それにさ、計画が明るみに出れば竜王は確実に敵になるし」
真剣な表情でゆかりは言う。よく引き合いに出される竜王って魔王はそんなに強いのか?式典のとき少しだけ挨拶を交わしたが、いきなり睨まれて確かに怖い雰囲気だった。値踏みするように上から下まで俺を見て、何だこのステータスは!と嫌な顔をされた事を思い出した。
「ヨムルの評価が妥当なもので安心したわい。竜王を敵にした場合、対抗できるのは猿王を除けばヨムルしかおらぬ。これは事実じゃろう。して、猿王にはアダムの存在力を代行させておるのか?」
―――ん? 存在力の代行?
「うん。月にいる連中には、お兄ちゃんの存在力は今とは違う形で見えているはずだよ。噂という形で伝わったりして疑われる可能性はあるけど、実際に接触されなきゃ簡単にはバレないと思う」
何だって? 師匠は俺の代わりをしてるのか?それは初耳だった。普段何をしてるのか聞いた時は修業だとしか言ってなかったが、いつも修業していて不思議はないという勝手なイメージから深く追求しなかった。確かに「オラはここに居なくちゃナンねぇ訳があるから、おめぇの方からここに来るんだぞ」とは言っていたが・・・
師匠は今も世界一高い山の頂上で座り、俺の存在力がアダムとして相応しいものと映るよう、神の監視網に対しカモフラージュしてくれているらしい。
―――教えてくれなきゃ分からないよ・・・あんた、ずっと俺を守り続けてくれていたのか!?
まだ一度しか会ってないが、俺は猿王に対し不思議な親近感を抱いていた。パッと見た感じはヤクザのような強面の容姿からは想像も着かぬ深い暖かみがある。彼にどれほどに助けられ、自分が今こうして存在していられるのかを知らされると、それはもう感謝しかなかった。今は何の恩返しも出来ないが、協力し期待してくれてるその想いに応えるためにも俺は頑張らねばならない。
あらためて気を引き締めていると、婆さんが声のトーンを変えて少し軽い口調で言った。
「その事もあってゆかりに相談、というよりワシの中では既に決定しておる事なのじゃが、ヨムルとの婚儀を薦める訳なんじゃよ」と、身を乗り出し気味にして婆さんはニヤリと笑った。
「だから、何でそこに繋がるのよ!?」
「そう目くじらを立てず、ワシの話を聞け。ヨムルにはな、魔王としての加護と力を無くしてもゆかりのお兄ちゃんを守り通せる取っておきの手段がある。じゃが、それをするには深い絆が必要なんじゃ。深い絆と言っても『血の契約』をせよと言っておる訳ではない。じゃが、それ同等の絆が必要となる」
「取っておきの手段って?」
興味を持ったゆかりの様子に満足気に頷き、婆さんは続けた。
「それはな、ワシの神格の授与じゃ。
ヨムルには正式な婚儀のすえ、子を成して貰い、ワシはその腹の子に転生する。神格を備えた子を宿せば、母体も同じく神格を得る。魔王の祝福など比べ物にならぬ程に、ヨムルの能力は向上するじゃろう」
―――おお、そんな方法があったのか!?
「ワシは、神としての存在力を星の核に縛られておる。じゃが、『賢者の心臓』を造ればその存在力のほとんどが無くなり、ワシの神格は自然消滅するじゃろう。そうなる前に転生の儀を行い、神格を移動させるのじゃ。要するに、魂と存在力とを分離させ、存在力を『賢者の心臓』へ、魂を子となる前の卵子へと移すんじゃ。ふたつに分ける事で、呪縛の呪いから脱出するという寸法よ」
「そんな事が本当に可能なのですか!?」
話を横で聞いていたヨムルも、驚きの声をあげて質問して来た。一度死んで転生すれば復活できるならタケミカヅチから受けた呪いなどたいしたものではない。簡単には出来ないから、今まで復讐心を燃やしながら生きながらえて来たのだ。
「魂と存在力を切り離せば、転生後に神格を持つなど有り得んことじゃ。じゃが、ゆかりのお兄ちゃんは特別製じゃ。その特別な存在力を利用するというと聞こえが悪いが、ヨムルのポテンシャルを最大限に引上げれば普通は不可能なことが可能になるのよ」
俺はもちろん、ゆかりも驚いて言葉を失なっている。婆さんは満足した様子で頷いたあと話を続けた。
「孫の幸せを願う気持ちに偽りはない。
じゃが、このまま朽ち果てるまで星に縛られ、あやつに蹂躙されたまま只生きながらえておるのは、それこそ死ぬに死にきれぬ思いなのじゃ。転生し何らかの形で一矢酬いたいと思うのがそれほど罪な事じゃろうか?」
―――俺とヨムルで婆さんを産み直す?
そう思い、あらためて目の前の老婆を見ると、正直なところ遠慮したい気分になってしまう。オギャアと生まれた赤ん坊に「ワシは今日からお主の子どもになったから宜しくな。大切に育てるのじゃぞ!」と言われるシーンがリアルに浮かび、ぶるると寒気がしてしまった。
―――ヨムルはそれでいいのか?
そう思いながらヨムルの様子を見ると、何やら興奮気味で「私が大婆様を転生させるなんて・・・なんと名誉な!」と言っているのが聞こえて来た。頬はほんのりと上気し、ヤル気満々といった感じだ。
「気になる事があるんだが、質問していいか?」
「なんじゃ?」
「転生した子どもに、婆さんの記憶や能力はそのまま受け継がれるのか? 神格がどうとか俺にはピンと来ないからどうでもいいんだが、その点がどうにも気になってな」
「カッカッカ、神格がどうでもよいか?
そのような事をサラリと口にするのは、おそらくおヌシくらいなものじゃぞ? 本当に愉快な奴じゃ」
別に馬鹿にするでもなく、婆さんは本当に楽し気にそう言って笑った。俺には神格を得る事の意味はよく理解できないし、それがどれほど重大な事なのか本当に分かっていなかったのだ。
「心配せずとも記憶は白紙の状態じゃよ。断片的に前世の記憶が蘇る事もあろうが、転生しても記憶は残らん。特別な儀式で記憶を保留させ、それを受け取るかたちで生前と同じ知識を得る事は可能じゃが、その場合でも転生前と全く同じという訳には行かぬ。 ワシも何度か転生した者を見て来ておるが、似てはいてもやはり違うからな。男女の性別さえ違う場合もある。転生とはそうしたものじゃ」
その事を聞いて、俺は少し安心した。婆さんの顔をした赤ん坊がオギャオギャと泣くイメージが頭にこびりついて離れないのを、なんとか振り払う事に成功する。
「アリスちゃんや私が巫女神の転生体だとしても、前の巫女神とは違う個体だって事だよね? 私には前世の記憶とか全くないし、それを感じた事すらないもん。アリスちゃんはどうか知らないけど、私は私で他の何者でもないよ・・・たぶん」
最後に取って付けたように「たぶん」と言ったゆかりは、婆さんが喋ってる間もずっと考え事をしている様子だった。あれほど婚儀に対し猛反対していたのに、途中で口を挟む事なくおとなしく聞いていたほどに。
「ゆかりよ。重ねて言うが、ヨムルとの婚儀を承諾してくれぬか? 転生したワシは、存在力を切り離したゆえ大した力を発揮出来ぬかも知れん。じゃが、神は神じゃ。おヌシらのこれからの闘いに必ず役に立つ。それに、このままではヨムルは殺されるかも知れぬのじゃ。魔王の加護が消えれば、妖力だけでは竜王に到底敵わぬし、ハイエルフどもの一人や二人ならまだしも、複数で襲撃されたら個体として圧倒的に強い我が一族でも正直なところ辛い」
しばらくの間、目を閉じ考えていたゆかりだったが、意を決した様子ではっきりと言った。
「分かったよ。既に契約で子どもをつくる事には協力するって承諾してるし、お婆ちゃんを結果的に殺してしまう私の願いには正直かなり気が引けてたんだ。お婆ちゃんはこのまま朽ちるのを待つだけなら死んだほうがマシだって何度も言ってたけど、それでも方法があるなら何とかしたいって思ってた」
「ならば!」
「承諾はするよ。でも条件がある」
ゆかりは婆さんとヨムルを交互に見てから、少し間を置いて口を開いた。
「お兄ちゃんが『賢者の心臓』を4つ集めた時、というか4つ集めたら孫くんの持ってるのを渡して貰える事になってるから5つになるんだけど、その時に結婚関係は白紙に戻して貰うよ。5つ集まる頃には、お兄ちゃんはヨムルの助けがなくても充分に自分を守れる力を身につけているはずだから。私の計算、というかREYの算出したリミッター解放時のお兄ちゃんの戦闘力は3憶ちょい。竜王を基準にするなら、約2.5倍。孫くん以外、地上では誰にも負けない戦闘力だよ。それに私のシステムアシストが加われば、中級神の二人や三人を同時に相手にしても負けないと思う」
「ほう?ふたつ枷を外しただけでそこまで行くか?」
「計算上はね。でもお兄ちゃんなら予測値を軽く超えちゃうんじゃないかと思う。私が予想していなかった能力を既に身に付けてるし、時間操作と異空間創造系、それに妖力に対する適応能力値が異常に高い。体内にヨムルの使い魔を住まわせて何の拒否反応もないのも想定外の事だよ」
―――メリーサが言っていたギフト効果か?
「そう。タクヤの体は不思議がいっぱい。アレンとの闘いの後、傷を治療していた時に気づいて驚いたのだけど、私の使い魔達は行動を抑制されないばかりか、私の中にいる時よりも活発に行動し、既に派生進化を始めている。このままのスピードで進化を続ければ、半年も経たぬうちに元の使い魔とは全く別物になってる可能性すらある。今こうしている間にも、タクヤの存在値がゆっくりと底上げされて行くのを感じるわ」
「それはワシも感じるわい。妖気の中でも、蛇気は龍気と同様に特殊かつ特別なものじゃ。異種族が簡単に馴染めるようなものではない。異世界人である事が関係しているのか分からぬが、蛇気との相性がこれ以上ない程に良い事は間違いあるまい」
婆さんが相性が良いと言うと、ヨムルはポッと頬を赤らめた。なんか今までのヨムルと感じが違う。ゆかりが婚儀を了承した事も関係しているのだろうが、彼女の中で俺への想いが変化してきているのは確実なようだ。なんだか分からないがキラキラして見える。俺に向ける視線と潤んだ瞳が妙に色っぽく、それでいて今までとは違う純粋さを感じた。
「ちょっとヨムル! 先走らないでよね。婚儀は了承したけど今すぐって訳じゃないから!」
「いや。婚儀はすぐに行う」
ゆかりの言葉が終わるか終らないかで婆さんが言った。
「お婆ちゃん! 私はすぐなんて言った覚えは!」
「ゆかりよ。この際、私情は捨てよ。婚儀は必要じゃ。神格をなるべく早くヨムルへと移さねば、もしやの時はどう対処する?いつもの冷静さはどうした? 承諾をしておいて渋るなど、ワシの知るお前らしくもないぞ」
「そんなこと言われてもさ・・・ 目の前でヨムルとお兄ちゃんが結婚するなんて、辛くて見ていられないよ・・・あんまりだよ・・・」
目に見えてしょんぼりするゆかり。
それはそうだろう。自分が最も望んでいる事を、他の誰かが先にしてしまうのだ。それも目の前で。
「ならば、ゆかりも一緒に式を挙げれば良いのじゃ。それなら辛くなる事もあるまい。ヨムルはどうじゃ? 異論はあるか?」
―――なんだって? そんな無茶苦茶な!?
俺は驚きで目が丸くなった。
「あるはずが有りません。本来、ゆかりと同じ立ち位置など今の私には早すぎると承知しています。指摘され、私に欠けているものがどれほど大きいかを知りました。私は真実の愛を知りません。ゆかりと一緒にスタートするなら、私としても心強い限りです」
先程まで、奪うのなんのって宣戦布告した当人とは思えないセリフにびっくり仰天だ。それに、合同結婚式だって? 新郎ひとりに新婦が二人って、極めて罰当たり的なことを推奨しているのが八穣叉の豊穣の神なら罰が当たる心配は無さそうだが、問題はそこではない。先程からずっと気になっていたのだが、新郎の気持ちを誰も気にしてないのはどういう事なんだろうか?
俺に拒否権などはじめから用意されてないらしい。
重婚当たり前の世界とは言え、少し滅茶苦茶な気がする。本当にいいのか? こんな調子で、次々に嫁さんが増えたらどうなっちゃうんだ? などと心配しながら、もしここにアリスが居たら何て言うかを考えてみた。
「別にいいんじゃない? してあげれば?」
とか言いそうで怖い。
いや、たぶん言うだろう。アリスには俺との未来が見えている。仮想現実世界で過ごしている時、食事中の会話の中で俺にはかなり大勢の家族がいるような事をチラリと口にしていた。
だが、そう言った後に「お嫁さんの中で一番は誰?」とか質問して来るのは目に見えている。答えなど分かってるのに悪戯っぽく笑い、俺の様子を見て楽しむのだ。まるで疑わず当然と自信たっぷりに。
「そう言う事じゃ。ゆかりもそれで良いな?」
言われたゆかりは目をシロクロさせていた。ひどい慌て振りだが、俺の予想の範疇である。
「まあ、そういう事なら・・・
あれ? ちょっ、ちょっと待ってよ!
今から私とお兄ちゃんが結婚するの?
ど、どうしよう? 仲人をお願いしなくちゃいけないし、心の準備がぁ〜!」
などと言いながらドタバタ走り回り、顔色も赤くなったり青くなったり叫んだりと忙しい限りだ。
本当にこいつ大丈夫か?と心配になるほどの取り乱しように、さすがの婆さんも助け船を出そうか迷っていると、ヨムルがゆかりの肩に手を置いてそっと何やら耳打ちした。内容までは聞き取れなかったが、その後ゆかりは驚くほどに落ち着き、婆様に頭を下げてお願いしたのだった。




