蛇神の聖域【3】規格外
どれくらいの時が過ぎたのだろう?
俺は声を聞いた。
聞き覚えがあるといえばその通りだが、少しおかしい。
ゆかりがふざけてロボットの口真似をしているような声が次第にはっきりと聞こえて来る。思考が再開されたと同時に、寝ていたところを無理やりに起こされたような強烈な不快感が俺を襲った。
ーーー俺は・・・あそこで死んだんじゃないのか?
体の感覚はない。だが、自分がまだ存在している事は何故だか解る。アリスの仮想現実世界で何度も死を体験している俺は、今の状態が復活の兆しである事を経験によって理解していた。
何度味わっても気色ち悪い、煮えた泥水の中を引きずり回されるような嫌な感覚が続く。ロボット口調のゆかりの声が、意味の解らぬ単語を早口で羅列している。理解できた幾つかの内容はこうだ。
《状態確認、素体破損率72コンマ0634%
―――きわめて危険。
プログラムによる強制蘇生を開始します。
―――プログラム、機動しません。
再起動、実行します。
―――プログラム、機動しません。
再起動、実行します。
―――プログラム、機動しません。
ルート変更、88−42から90−68に移行。
強制蘇生プログラム、モードセピアで再機動。
―――プログラム機動しました。
回復率上昇します。
コンマ07、08、09、1、11、12・・・
再生プログラム継続。フェーズ24ヘ移行。
続いて霊門開きます。
ーーーエネルギー循環率12%に固定。
続いて仙門開きます。
ーーーエネルギー循環率12%に固定。
続いて妖門開きます。
ーーーエネルギー循環率25%に設定変更。
続いて幻門開きます。
ーーーエネルギー循環率25%に設定変更。
続いて魔道門開きます。
ーーーエネルギー循環率12%に固定。
続いて神門開きます。
ーーーエラー発生。アクセスできません。
再度神門開きます。
ーーーエラー発生。アクセスできません。
循環経路変更。神門除外。
ーーー回路接続完了。システムオールクリア。
エネルギー量確保。最小モードで機動可能。
ーーープログラム機動しますか?
YES or NO 》
なんじゃこりゃ!?
何でこんなものが聞こえて来るのか全くわからないが、ゆかりがふざけてやってる訳ではない事は分かる。ゆかりは自分の事をプログラムだと言っていた。もしかしたらこれがその機動システムなのかも知れない。イエスかノーかを選択する場面から先に進まないところをみると、俺が選ばなくてはならないという事か?
なんにしてもイエスを選ぶしかない。
心のキーボードを操作し、俺はイエスを押した。
《緊急プログラム機動シークエンス開始。
カウント省略。パスワード省略。
ゆかりシステム緊急モードで機動します。
タイプ『ATENA』フルカウル。
対魔・対神特殊装備召喚完了。
推定稼働可能時間、239秒です。
その声を聞いたと同時に体の感覚が戻り、凄まじい痛みが再び全身を襲った。いきなりの事に「ぶはっ」と血を吐きながら大きく咳込みながら呻いた。
「お兄ちゃん、大丈夫!?」
俺の耳にゆかりの肉声がはっきりと聞こえた。
「ゆかり・・・なのか?」
激しい痛みに逆らいながら、声のした方向に首を捻る。歪む視界に、金色に輝く神々しいばかりの鎧を身に付けた、とんでもなく綺麗な女性が心配そうに俺を見つめていた。
女性は震える指先で俺の頬に触れると、キッと唇を噛み切りながら怒りの表情となり、振り返りざま大声で叫んだ。
「ヨムル!あなたが付いていながら、この様はどういう事なの?職務怠慢だわ!」
「まさか!? ゆかり・・・なの?」
「まさかも何も、どう見ても私でしょう!」
大蛇に自由を奪われながら、ヨムルは目を大きく見開いて驚きの表情を見せる。俺だってビックリだ。外見からゆかりだと分かるはずもない。どう見ても西洋人だし、8頭身の凄まじいばかりに完璧なスタイルは、言っては何だが、ゆかりの幼児体型とはかけ離れている。
何より、神々しいまでのこの容姿。
女神が現界したと言われても、疑う者などいないだろう。
「何者じゃ!? いきなり現れよって、邪魔をするでないわ!」
実体化した八叉大蛇が残る七つの首を大きく伸ばし、逃げ道を塞ぐように四方から襲い掛かる。同時に上空で光る黒い稲妻が急速に集まり、一本の巨大な柱となって頭上から降り注いだ。
危険を告げる間もなく、それらの攻撃が絶対的な破壊力を持ってゆかりを襲う。普通ならこの瞬間で全てが終わっていただろう。しかし、俺は見た。ゆかりが差し上げた盾の前方にドーム状の光る壁が現れ、全ての攻撃が老婆へと跳ね返るのを!
繰り出した攻撃の全てを自身に返された首は、揉んどりうってハチ切れながら四方へと飛び散った。黒雷は180度曲にがり、老婆が立っていた座布団を直撃する。その衝撃によりヨムルをぐるぐる巻きにして捕えていた首が吹き飛び、大地を勢いよく転がって行く。
黒焦げの消し炭となった大蛇の躰が、座布団があった位置へと倒れ込んだ。ズズ――ンと大きな地響きを立てて横たわった八叉大蛇は完全に事切れたようでピクリとも動かない。それでも千切れた首の何本かがしばらく動いていたが、長くは続かず全てが沈黙した。
「その盾、まさかイージスか!?」
嗄れた声が上空から聞こる。見上げた先に、驚きのあまり目を倍ほども見開いた老婆の姿が浮かんでいた。ダメージを受けた様子はない。ちゃんちゃんこも焦げてない。跳ね返された黒雷を吸収したか、全て避けたようだ。
「見て分からない? ボケちゃったのお婆ちゃん!」
神をも畏れぬとはまさにこの事だ。ゆかりは浮かぶ老婆を見上げたまま、怒りの表情で吐き捨てるようにそう言ってから、ちらりとこちらを見て表情を曇らせる。
「約束が違うよ! なんでこんな酷い事を・・・お兄ちゃんが何をしたっていうの? 理由次第によってはいくらお婆ちゃんでも許してあげないからね!」
「約束? きさまと約束した覚えなどないわ!お前は誰だ!その盾、その容姿、まさか本物のアテナか!?」
「そんな訳ないでしょ!ほんとにボケちゃったの?あれから2年も経ってないのに私の事も完全に忘れちゃうなんて普通じゃないよ。どうしよう?お婆ちゃん壊れちゃった・・・」
「なっ!?・・・きさまワシを・・許せん!!」
ボケただの壊れただの言われて、老婆の顔色がかわる。それもそうだろう。世の老人達にとってボケたと言われる程恐ろしい事は無く、地上最悪のバッドワードだ。蛇神の生き残りにして、この世界において最強の存在であろうこの老婆にしても例外ではない。ボケたと言われた瞬間から、怒りの矛先がゆかりへと代わった。
空間を埋め尽くすほどの無数の大蛇が、黒い炎と雷を纏い、圧倒的質量をもってゆかりへと襲いかかる。「跳ね返せるものなら跳ね返してみよ!」と叫ぶ老婆の声を聞いたような気もしたが、押し寄せる大群の音に消されて耳に届かなかった。
「ゆかりぃ――っ!」
これは流石に無理だ。どうにもならない。跳ね返すスペースなどどこにも見つからないのだ。空間の全てを埋め尽くした殺意の塊が、俺とゆかりを押し潰そうと目前に迫っている。
が、結果としてその攻撃は届かなかった。どう表現して良いか分からないが、潰されると思われた瞬間、目の前から忽然と消えてしまったのだ。
「ダメダメだよ、お婆ちゃん。
これがイージス盾だって分かっててそんな攻撃したら、そうなる事なんて解りきっているのに」
白く何もない空間に浮かぶ老婆は、俺がはじめて見た時のように無表情に俺とゆかりを見下ろしていた。
「アテナではないと言いつつ、イージスをそれほどに使いこなすとは、お前・・・」
全てを言い終わらぬうちに、老婆はパンと弾けて消滅してしまった。存在を保てなくなった理由は想像するしかない。
「大婆様!」
簀巻き状態から脱したヨムルがふらつきながら立ち上がり、凄い形相をしてゆかりに詰め寄り胸ぐらを掴もうとした。が、寸出のところで足が縺れ地に膝を着いてしまった。
「大婆様はどうなったの・・・まさか、死んでしまったなんて事は」
「ある訳ないでしょう!ヨムルまでボケちゃったとか無しにしてよね。冗談にも成らないから。そんな事より、早くあなたの手足をお兄ちゃんにあげなさい。質量不足で再生魔法が使えないの。この意味、説明しなくても分かるよね?」
「そ、そうね。早くしないと、タクヤが死んでしまう」
「タクヤ?随分と馴れ馴れしく名を呼んでくれるじゃない!まさかあなた達、そういう関係になったとか言わないわよね?」
「え!?」
「え?じゃないわ! 子孫を残す為にお兄ちゃんの血液が必要だって言うから、その事に関しては許可を出したけど、それ以上の事を許した覚えはないわよ。あのとき約束したよね?」
「そ、それは分かってる。あなたのお兄さんとはまだ何もしてない。キスはしたけど、あんなの挨拶みたいなものでしょ?呼び方にしても、これから共に闘うチームメイトをファーストネームで呼びあう事に何の不思議もないわ。仲間意識の現れよ」
さすがにヨムルは口が達者だ。
ボロを出すようなヘマはしない。正論をぶつけ、ゆかりの嫉妬心を潰しにかかっている。まだ何もしてないと言う「まだ」の部分には気づかないまま、ゆかりはヨムルのペースにはまりつつあった。
「じゃあ本当に何も無いのね? 誓える?」
「誓えるわ。私とタクヤは清い関係よ。そしてあなたとの約束通り、私は必ずタクヤを守る。契約の儀式まで交した私を信用できないの?」
「ヨムルの事は信用している。約束を破ってお兄ちゃんを見放すなんて事はこれっポチも疑っていないよ」
「なら、それでいいじゃない。私はこれからもタクヤをタクヤと呼ぶけれど、問題ないわね?」
「う、うん。まあ、問題はない・・・かな?」
「それよりも、せっかく受肉した状態なんだし、したい事があるんじゃないの? 後ろ向いててあげるから、ここでその想いをとげるといいわ。耳も塞いでてあげるし、声を出しても大丈夫よ」
「な、な、なぁぁ〜!?」
「どうしたの?耳まで真っ赤にして。ずっとその事ばかり考えてたんでしょ? 私に言ってたじゃない。お兄さんと結婚して、いっぱい愛し合って、いっぱい子供を作るんだぁって盛り上ってたわよね?」
「ちょっとやめてよヨムル! お兄ちゃんが聞いてるのに!」
「タクヤだって、あなたの気持ちなんてもう解ってるわ。どこの世界に好きでもない男の為にここまでする女がいるの?あなたの愛の深さは凄い。私も全力で応援したいの!」
「ヨムル・・・あなた、そこまで私の事を?」
駄目だ。完全にヨムルの手のひらの上で転がされている。ゆかりは感動して涙を流し、大切な事も目に入らない様子だ。タイムリミットが迫っている。こんな近くにいて気づかないとは真剣にヤバい状態だ。
俺は我慢の限界が来て大声を張り上げた。更にダメージを負う事になるだろうが、このまま黙っていたら手遅れになる!
「いい加減にしてくれ! マジで俺、死にそうなんだけど!」
やっちゃえ、やっちゃえ。と言うヨムルと、イヤン、イヤンを繰り返していたゆかりは、俺の声に驚いたのち大慌てで治療をはじめた。手足をあげなさいと言われたヨムルがいったいどうするのかと思っていたが、言葉のまんまだった。
自らの腕をひきちぎり、俺の傷口に押し付けたのだ。すると、ウネウネと極小の蛇達が現れてヨムルの手足から発生した蛇達と絡まり、あっという間に適合してくっついてしまった。その作業は、終始坦々と続けられたのだった。
腕はまだしも、脚はちょっと恥ずかしいものがある。ヨムルの美しい美脚が俺の下半身にくっついているのは何だが微妙にエロチックだ。
四肢の全てを俺に与えたヨムルは、一時的に蛇の形に変化した。手足がなくては不便だろうと言うと、この程度ならすぐ再生するから問題ないのだそうだ。
一応くっついたが、神経まで繋がっ訳ではないので、今はまだ動かす事が出来ない。人形のように横たわったまま何も出来ず見守もるしかない。作業を終えたヨムルは、大事に使ってねと言って頬に軽く口づけした後、少し下がって距離を取った。
ゆかりが再生魔法を詠唱すると、ポンと音を立てて手足は元の俺のモノと寸分違わぬ形で完全復活し、ついでに服までもと通りになっていた。まるで魔法のようだ!と感心したのだが、本当に魔法だった。
ゆかりの使う魔法は、他者が使うそれとは少し違う。なんと表現したらよいか分からないが、なんとなくコミカルなのだ。ポンと音が出たり、ポワンと煙が立ち登ったりする。いかにも魔法使いが使う魔法って感じがして、見ていて不思議に感心してしまう。魔法を使う時にわざわざ魔法使いの格好にコスプレするのも、ゆかりの拘りなのだろうか?
「ありがとう」と口を開きかけたところで、ゆかりが俺に警戒を促した。同時にマジシャンスタイルから再び女神の姿に変化する。
ロボット口調のゆかりの声が頭の中に響いた。
《スリープモード解除
タイプ『ATENA』再起動
召喚装備再生、オールクリア
推定稼働可能時間 112秒です。
報告。稼働時間終了と同時に本機はメンテナンスモードに移行します。所要推定時間およそ259200秒。ログイン出来なくなりますのでご注意下さい 》
メンテナンスモード?
って誰がメンテナンスするんだ? メンテ中はどうせまたリンクも出来なくなるんだよな? それに、112秒って2分もないぞ!
「来るわ。ヨムル、今度は活躍しなさいよ」
「善処します」
「なにそれ? ふざけてるの!?」
「ふざけてないわよ!ゆかりと同じにしないで。あなたは規格外なんだから、あなたと同じように闘えるのなんて猿王しかいないんだからね! 付き合ったら死んじゃうわよ!」
「さっき応援するって言ってたじゃない!」
「さっきはさっき、今は今!」
ーーーおい、おい、おい、仲間割れしてどうすんだよ。もう目の前に婆さん立ってるぜ? 時間は大丈夫なのか?
何もない白い空間に座布団が現れ、最初見た時と同じように老婆が腕をうしろに組んでこちらを見て立たっている。先程のダメージが残ってるとか残ってないとかは全く分からない。ただ違う部分がふたつあった。
後ろに組んだ手に、平たい箱のような物が握られている。縦横50㌢程の正方形の箱で、暑さは5㌢くらいの紙の箱だ。見覚えのあるその箱に懐かしさを感じ、警戒心を一気に削いだ。そしてもうひとつ。
「全くその通り、お主はホンに規格外じゃよ」
老婆の嗄れた声には先程のような怒気は感じられなったのだ。
「いきなり現れたと思えば図々しく居すわり、ずっと一緒に遊んでくれると言うたのに突然消えてしまった。お主が来ぬようになってから、ワシがどれ程に寂しい想いをしたのかお前には分かるかの?」
「お婆ちゃん! 私を思い出したのね!」
「思い出したも何も、はじめからお前の事を忘れた事などないわい。いきなり攻撃したりして悪かったな」
「大婆様?」
ヨムルには全く状況が掴めない。
ゆかりと大婆様は以前からの知り合いであった感じだが、いつどうやってこの場所に来たのだろうか?ここは特別な場所だ。一族の者であっても、大婆様の寝所に立ち入る事はかなり難しい。ヨムルでさえ通過できない結界が幾重にも張られ、それは神力で制御されている為に神以外には解除できない。
蛇脈を使った特殊な方法で道を開き、様々な術式を介してはじめて到達できる神域だ。蛇気を持たないゆかりには、どうやっても不可能と思うのだが、ヨムルは途中で考えるのをやめた。
ゆかりが今までしてきた数々の奇跡や破天荒な振る舞いを思い出してみれば、それくらいの反則技など別に驚くに値しないように思えて来たからだ。
――――ゆかりなんだから、仕方ない。
ヨムルだけに限らず、彼女と深く関わった事のある魔王ならば一度はそう思って考えることを諦めた経験をしていた。
「ねェねェお婆ちゃん、後ろに何を隠してるのかな?」
ゆかりの態度が急に変わる。容姿は女神のままだが、鎧と装備が消えてラフな格好になった。それは老婆も同じだ。姿も服装も変化ないが態度は全くと言っていい程に違っている。
「ん?何の事じゃ? ワシはな〜んも隠したりしておらんよ」
「あれれ? 神様が嘘ついていいのかな? 罰が当たるよ」
「誰がワシに罰を当てるのじゃ? 神はワシじゃぞ?」
「そ、れ、わぁ、ゆかりちゃんで~す」
「おお!そりゃ、怖いのぉ〜!怖いのぉ〜!
流石の神もゆかりには敵わんよ! して、して、どんな罰を与えるつもりかのぉ?」
「じゃじゃぁん! これは何でしょう?」
「ん?何を出したのじゃ?それは何かの?」
「こ、れ、わぁ、墨と筆で~す!」
「それで何をするつもりじゃ? どこに墨を書く?紙などないぞ?」
「あるよホラ!紙様ぁ! な〜んちゃって」
そのくだらないやり取りの後、ふたりは腹を抱えて笑い転げていた。なんだこりゃ? 先程までの緊張感と、あの命懸けの攻防はどこへ行った?
全く肩透かしもいいところだ。
俺の隣ではヨムルがポカンと口を開けたまま硬直していた。目が完全に点になっている。かなり間抜けなツラだが、俺も同じような間抜け面になっていたに違いない。ヨムルに気づかれぬ内に顔のシマリを直し、キリッとした表情を無理やりに作って会話に割り込む。
ただし、これはかなり勇気のいる行動だ。
完全にふたりの世界に入り込み、こちらの事など全く頭から消えている様子なのだから。「勝手に割り込むな!」などと怒りを買えば、たぶん一瞬で消滅する。
「おい、ゆかり。お前時間が・・・?」
時間がないのではないのか?と聞こうとしてはじめて気付いた。いつの間にか俺の脳裡に表示されていた内容が切り替わっていたのだ。
反転モード タイプ『ATENA』リバース
召喚装備代謝変換
時間延長 86400秒
となっている。
はっきり言って呆れた。もう何でもアリかよ?
「なに、なに?お兄ちゃん! あ、大切な事を忘れてたよ!お婆ちゃんに紹介しなくちゃね!」
するとゆかりは「この人が私のお兄ちゃんで~す!」と言って簡単に俺を紹介すると、婆さんが「おお、そうか、そうか、そりゃあようおいでなさったの。何も無い処じゃが、ゆっくりして行きなされ」とニコやかに笑い返して来た。
――――えええっ!!それだけ!?
なんか違う!なんか違うぞ!
この展開はちょっとおかしくないか?
もしかしてコレが『ゆかりワールド』なのか!
説明なしでこのまま進んでしまうなんて事はないよな?婆さんが後ろに持ってるのってオセロのゲーム盤だろ?このあとオセロして遊んでオシマイってオチじゃないだろうなぁ〜!
いかん、いかんゾゆかり!
社会人の俺としては、物事はきちんきちんと段階を踏んで皆が納得する形で進めないとイカンという事をお前に教えないかん義務がある。身内としては特にだ!
「まあ、そういきり立つな。殺伐とした空気を和ませようとするゆかりなりの気遣いが分からんのか?」
俺の心を読んだのか、婆さんは俺を見ながらそう静かに言った。
「ゆかりはな、ヌシの話をそれはもう何十、何百回とワシに語って聞かせた。ヌシの事は紹介されずともヌシ以上によぉく知っておるよ」
「俺以上に?」
「そうじゃ。ヌシは自分がどのようにこの世界に生まれたのか全く知るまい。ヌシのその体は薄々は気付いているだろうが特別な中でも特別なモノだ。特別過ぎてワシの蛇眼を持ってしてもすぐにソレと解らなんだ。痛い思いをさせて悪かったの。償いはする。ゆかりとの約束は、のしを付けて返してやろう」
「お婆ちゃん!?」
「いいのじゃ、ゆかり。お前はワシの大切な友達じゃ。友の願いを果たす手伝いが出来るのはワシにとっても歓ばしい事なのじゃよ」
「教えて下さい。俺には知らない事が多すぎてどう行動していいのかも分からないんです」老婆の神々とした雰囲気に、自然と言葉使いが丁寧になっている自分に気付いた。
「ああ、ワシの分かる事なら何でも話そう。じゃがその前にゆかりに聞いておかねばならん事がある」
「うん。私もお婆ちゃんに聞きたい事があるよ」
「ゆかりよ。ヌシはこの者の依代に何を使った?どうやって手に入れたのじゃ?」
「使ったのは短剣。孫くんから貰った剣をお兄ちゃんの依代に使ったんだ。どういうモノかは知らないけど、孫くんが若い頃にお仕えした上位神から貰ったものらしい。使い込まれてボロボロの不格好な剣だったけど、神の遺留品である事は間違いなさそうだったからね」
「猿王か? なるほどな・・・後生大事に持っていたとは、ついぞ思わなんだ」
「お婆ちゃんは知ってるの?あの短剣がなんなのか」
「話だけはな。実物を見たことはない。よいじゃろう。少し長くなるが話してやろうか」
その後に"これが最後になるであろうからな"と付け加えた意味が気になったが、聞き返す間を与えず老婆は語りはじめた。
知られざる『孫悟空』の話を・・・




