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湯けむり温泉郷【9】二人の約束

 アレンの瞳に映る湖畔の氷面に太陽の光が反射し、エテの祠を鮮やかに浮かび上がらせる。普段は鬱蒼と生い茂る森の木々が祠の上に影を落としているので、これほどはっきりと細部まで見る事が出来るのはこの季節のこの時間帯しかない。


 光を受けて浮かび上がった祠の最上部には、苔むして非常に解りにくいがレリーフの彫刻が刻まれていた。そこには廃墟と化した母の故郷、ローツォの神殿に刻まれているものとよく似た女神の姿が描かれ、それを祀る人々の様子を示しているようだった。


 リュオンの産まれる2年ほど前、大きな災害にみまわれ地図から姿を消した古き民族ローツォ。母は幸いにも難を逃れたと聞くが、母以外に同郷の生き残りが誰ひとり居ないという事からも、災害がいかに巨大で突然に訪れ、逃げようもなかったと想像すると恐ろしかった。


 リュオンは、もう少し大人になって自身の力で母の故郷まで行けるようになったら、その災害について詳しく調べてみたいと思っていた。今は戦時中で国境を越える事は不可能に近いが、転移魔法を身に付ければそれも可能になるだろう。


「種の限界って何だと思う?」


 アレンからの問いはリュオンにとって難しいものではなかった。なぜなら、彼は常にそれと似たような事を考えていたからだ。答えるのは簡単だが、それが兄の求める答えと違った時の事を思うと易々と口にするのは躊躇われた。


 答えは二つあった。

肉体的な限界と精神的な限界だ。


 肉体的な限界は遺伝的に考えれば答えは出る。兎種である以上、水中で長時間呼吸をせずに活動など出来ないし、毒を飲めば死に、火で焼かれれば灰になる。そうした事が死に直結しない種族が存在する事を知っているリュオンは、兎種の限界を生物学的検知からある程度把握していた。


 しかし、精神的な限界となると話は複雑で難しい。魂の力によって本来限界とされるはずのものが限界でなくなる現象が現実にある事を知っていたからだ。


 例えば父ラヴェイドがそうだ。

魔王の掲示とその祝福という理解不能な未知の現象により、彼の肉体は種の限界を遥かに越えた覚醒者となった。覚醒者になったから魔王の掲示を受けたという説もあるが、母に聞いてもそのどちらが本当なのか知らないという事だった。


 リュオンはアレンの事をまだよく知らないけれど、兄が肉体的限界についての質問をして来るとは思えなかった。故に、答えるには慎重を要すと若年11歳の少年はそう考えていた。



「種の限界って何だと思う?」


 リュオンへの質問は、自身への問いでもあった。


 種の限界とは何か?

アレンは種の限界を越え覚醒者となった父の姿を見ても、その答えを知ることが出来なかった。魔王は魔族の最高位に位置するはずなのに、その上にも上があったのだ。


 武神と言われる"猿王"

 龍神の末裔である"竜王"

 そして、最古の魔族"蛇王"


 その他にも、魔王と呼ばれる者達には一癖も二癖もある者が多く、強さも能力もまちまちで最強とは何か分からなくなる始末だ。父親が魔王となった事で魔王を知る機会を得たアレンは、限界を越えた超越者などという言葉は言葉の上の存在でしか無いのだという事に気付かされた。


 アレンが産まれた時、父はまだ魔王ではなかった。

魔王となれば限界などなくなり、無限に強くなれるのだと思っていたのに、現実に直面してますます答えが分からなくなってしまった。だが、だからこそ分かった事もある。もしかしたら、それこそが真理ではないのかと思う光があったのだ。


 アレンはない頭を絞り、ひとつの答えにたどり着いた。自身が出した答えを踏まえた上で、目の前に立つ天才少年の答えを聞いてみたかった。


 仮に自分と同じ答えを出すのであれば、アレンにとってこの少年こそが生涯の友となり、共に国を支えるパートナーになり得るとそう思った。


 少年は先程から自分の心の内を探るようにじっとこちらを見ている。視線を感じ取る訓練をしているアレンは、相手を見ずとも気配だけでリュオンの様子が手に取るように分かった。そして湖畔から視線を移し、真っ直ぐに少年の目を見た。


 答えは間もなく返って来る。

答えを用意する時を与える為に、少年から視線を外し背を向け湖畔を眺めていたのだ。


 そして少年はアレンが求めていた以上の答えを告げた。アレンは嬉しくて飛び上がりそうになるのを必死に堪え、少年の肩にそっと手を添えこう言った。


「そうだリュオン。お前の言う通り"限界"とは自分にかけた呪いだ。それを受け入れてしまえば呪いは現実となり、自分で自分を縛る枷となる。呪いに負けぬ強い意思があれば、限界なんて存在しなくなるのさ!」


 アレンは少し熱くなり過ぎている自分を感じていたが、止める事が出来なかった。はじめて自分と同じように考えられる人物に出逢えた喜びは想像以上に心を揺さぶり、まるで運命の恋人に出逢えたかのように心臓の鼓動を昂ぶらせた。


「俺は限界という言葉で自分を縛ったりは絶対にしない。周りの連中が、限界だから諦めろと呪いを掛けて来ても、そんな呪いには絶対に負けない。


俺はお前に約束しよう。我等種族にかけられた呪いをこの俺が解いてやる。諦めて前に進む事を止めてしまった連中の背中を押してやる。遅れた者には手を引いて前に進めてやる。だからお前も、俺と共に走り続けろ。決してひとりにはしないと約束するからよぉ!」


 この時の言葉が、その後のリュオンにとってどれ程の支えになったかをアレンは知らない。学年で異端視され友人も出来ずにいた暗い少年を、アレンの言葉が救ったのだ。


 その日を境にリュオンは変わった。

どんな嫌がらせや卑屈な虐めにあっても笑顔を絶やさず、本来の彼がそうであったように、誰にでも優しく知的で公平に接した。そんな彼を、皆が自然に受け入れるようになるまでそれ程の時間は掛からなかった。


 体術実習を除く全ての教科で常にオール満点を取り、軍高等学校から最年少で軍士官学校への編入。17歳にして異例の魔法学の最高位professorの称号を取得。成人前にして魔王であるラヴェイドと同等以上の魔法を操る、誰もが認める大人物となった。


 アレンはというと、あの時リュオンに約束した通り、三年後の武術大会で初出場にして初優勝という快挙を成し遂げ、そのまま三連覇という偉業を達成したのは言うまでもない。彼の活躍は軍の士気を見違える程に大きく上げ、軍全体の戦闘力を飛躍的に拡大させる立役者となった。


 この突出して優秀な二人の活躍がなければ、今のラヴェイド軍の魔族統合軍における位置付けはなかったと言って間違いはない。


 領地こそ小さいが、戦闘力は中の上と評価され、特に守備陣形を張らせた場合の統率力は他の魔王軍の追随を許さぬ程に優れて強固だった。


 この守備の要としての位置付けがラヴェイドの守護神的イメージを魔族社会に定着させ、外見的な美しさも相俟ってラヴェイド人気に一役買ってしまったのだが、人気に実力が伴っていない事にラヴェイド本人は全く気付いていなかったばかりか、それが彼の増長の原因となり、暗黒のイヴを巡った騒動の発端となってしまったのは、全くもって運命の皮肉としか言いようがなかった。




~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ラヴェイドの目算より8分ほど遅れて、一行は屋敷が見えるはずの上空まで到着した。はずのと表現したのは、結界によって目視で確認出来ないからだ。光を屈折させる効果が多重結界の全てに施されている為に、発動したのち屋敷を目視で確認するのは設置した全ての結界を解除しないことには不可能だった。


 兄に手を引かれ、屋敷の結界までなんとか空歩のスピードを落とさずたどり着く事が出来たリュオンは、到着するなり結界の異常に気づいた。


 スタミナ切れで遅れそうになったリュオンを、あの時の約束通り手を引いてここまで飛び続けたアレンも、周囲に立ち込めた異常な濃度の殺気にハッと足を止めた。


 遅い!遅い!とブツブツ言うだけで、アレンを一度も手伝わなかったラヴェイドも、この異常事態に気付いてリュオンを見た。


「これはいったいどういう事だ!屋敷も何も見えんが殺気だけは感じるぞ。説明しろリュオン!」


「屋敷が見えないのは当然です。そう設計してあるのですから。ですが、敵は既に結界内に侵入している様で、何層かの結界が破られています。結界をひとつひとつ破壊したり解除するのではなく、部分的に穴を開けながら進んでいるようです。――――しかし、なぜだ?こんな事はあり得ないはずなのに!」


 リュオンは疲れた体に鞭を打ち、全神経と残された力の全てを脳に集めてこの異常事態の原因を探る。今回用意した結界は、一個師団以上の軍勢が押し寄せたとしても充分に持ち堪えるだけの強固なものだったはずだ。


 それにどのような感知能力の持ち主が侵入を先導しているのか分からないが、真っ直ぐに迷う事なく中心地に向かって穴を開けながら進んでいる。方向感覚に微妙な誤差を与え、知らず知らずに中心部から外れてしまうよう細工がしてあるのに、その仕掛けが機能している様子が全く無いのだ。


「あり得ないとはどういう事か、説明せねば分からぬではないか! 侵入者は何人だ?どこの国の者か!」


「父上、声を荒げないで下さい。今、全力でそれを探っている最中ではありませんか!それよりも父上、この異常な殺気に見覚えはありませんか?もし大魔王ゾーダ本人が出て来たのなら闘うだけ無駄です。まずは敵が誰かを見定めねば動くに動けない」


 アレンは冷静だった。こうした状況をどう対処するか既に頭の中でシュミレーションを開始している。彼はリュオンの能力に絶対の信頼を置いていたので、無駄な事に時間を掛けたり心配したりは一切しない。自分は自分の役割を果たす為に何ができ、どう動けば最大のパフォーマンスを発揮できるのか。屋敷に配備した兵の数と各小隊の隊長として今回の作戦に参加した兄弟達の顔を思い出し、的確に指示が出せるよう心構えを整えた。


――――リュオンを連れてきて正解だったぜ。

こうした不測の事態が発生した場合、父上や俺では何ともしようがないからな。


 だが、なぜだ?

なぜ父上は今さらにリュオンを遠ざけようとする?城を出る時もそうだ。リュオンに待機していろなどと言い出した理由が分からない。プランDの発動を決めてからリュオンに対する態度がおかしい。リュオンを信用していない訳ではないと思うが、何かを隠しているのだろうか?


 父は明らかにリュオンを警戒している。

俺とアダムとの事は既に承諾しているというのに?



 アレンはラヴェイドの態度に微細な違和感を感じていた。先日の最終打ち合わせの時には感じなかった事だ。妹の蘭々が裏で何やら動いている事は自身の隠密部隊から報告を受けて知っている。内容までは解らないが、かなりヤバイ物に手を出しているということは予想できたから知っていた。


―――父上、裏で何をしているか知りませんが、もう昔とは違うんですよ。時代は刻々と変化しているんだ。戦乱期と同じように考えていると取り返しの着かない事になる場合もあるという事に、もういい加減気に付いてくれよ・・・


「父上、解りました。侵入者は二人です。おそらくひとりは夢魔王(ナイトメアロードに間違いないでしょう」


「あの羊娘め!やはり来おったか!」


「あと一人の正体は解りません。ただこれだけは確実に言えますが、かなりヤバい相手です。結界に穴を開けているのはもう一人の方。信じられない事に、破壊するのではなく侵食し中和している」


 侵食といえば蝕王だ。

奴が来ているとすれば、聖属性の結界以外は何の効果もないのは頷ける。しかし、夢魔王が一緒なら、蝕王である可能性は100%ない。メリーサは蝕王の事を超絶嫌っていて、共闘するなど絶対にないと断言できるからだ。ならば、他に侵食系といえば思い当たるのは一人しかいない。


「もう一人は異常な数の使い魔を従えています。――――数億?いや、数千億は下らないでしょう。それら使い魔を使い潰し、結界を食わせながら進んでいる。奴の通った後には、結界を体内に取り込んで死んだ無数の使い魔の死骸で道が出来ています」


 不可視の結界内で起こっている事を、どのような方法で感知しているのか全く不明であったが、リュオンの説明を聞いたラヴェイドは今回の相手に確信を得た。


 間違いない。蛇王(スネークロード ヨムルだ。

ラヴェイドよりも遥か昔から魔王として君臨し、その強大無比の妖力は全く底が知れない。使い魔の蛇の数は無量大数、つまり無限だと聞く。常闇の底から次々に生まれ出ル黒き蛇は、敵対する者の皮膚を食い破り体内に侵入し、その内側から内臓の全てを食い尽くすという。


 竜王、猿王と並び絶対に敵対してはならない魔王のひとりにあげらる蛇王ヨムル。その残虐性は他に類を見ない程に悪質で冷酷だと噂されていた。


「蛇王だ。奴も闇のアダムにご執心だったからな。

やはり、つがいとなる男を奪い返しに来たか!」


 そう声を絞り出すように洩らしたラヴェイドは、本能的に逃げ出したくなるのを必死に堪え、体中の短い体毛が全て逆立ち薄く全身に汗をかきながらも、息子達にその怯えを悟られまいと気丈に降るまった。


「リュオン。結界は後どれくらい持ちこたえる?奴らがアダムまで到達するまでに掛かる時間が正確に分かるか?」


「今のペースだと20分というところです」


「転魂の術は最短でどれくらいで完了する?留魂丸の効果はすぐに出せるか?」


「スペル圧縮をすれば発動までの時間を2分短縮できます。母上達がアダムの意思を首尾良く混濁させる事に成功させていれば、全て完了するのに10分も必要ないでしょう」


「俺の方は問題ありません。留魂丸は体に馴染んでます。いつでもやれます」


 アレンはリュオンに視線を送り、笑みを浮かべて見せた。その目が「あとの事はお前に任せた」と語っている事はリュオンにも充分に通じている。


「よし、なんとか間に合いそうだな。麗々達と合流したら直ちに術を発動する。アレンはアダムの姿を手に入れた後、蛇王に対峙したらそのまま奴に従え。お前の脱け殻となった体は、奴らに気付かれる前に処分するが悪く思うな。問題がなければ今すぐ作戦にかかる」


「麗々さま達と合流した時、アダムの意思が健在だった場合どうしますか?作戦は中止しますか?」


 リュオンは訊ねた。アダムの意思が健在のまま転魂の術を行えば、兄の魂が逆にアダムに飲まれ消滅する可能性がある。転魂の術を発動する際は、アダムの意思を必ず奪っていなければ危険過ぎるのだ。


 アダムを眠らせたり気絶させたとしても効果はない。双方が起きて覚醒している状態になければ条件が満たされず、術は発動しない。ただし例外はある。対象の魂が死に体から抜ける瞬間なら、その魂と入れ替わるかたちで肉体に入り込む事は可能性だ。しかし、そんな事をしても相手の生命活動が止したら終わりだし、わざわざ自分の肉体を捨ててまで入れ替わる価値はない。対象の肉体を傷つけず、魂のみを殺すような方法があれば別だが。


「それは心配しなくてもいい。あの麗々がヘマをするような事は万が一にもあるまい。仮に不測の事態があってアダムの意思が健在だったとしても奥の手を用意してある」


 奥の手がある?


リュオンははじめて耳にする言葉に少々眉をしかめたが、時間が差し迫っているこの時にこれ以上不確定な事にさく時間が惜しく、作戦を実行するのを了承した。



そして間もなく、結界最上部の侵入口をくぐり抜け、岩風呂のある屋敷中央の中庭にスタッと音もなく降り立った。


そこで彼らは信じられない光景を目にし、言葉を失った。そこには襦袢を這おった50名近い女性達がひとりの男をとり囲み、和気あいあいとお湯を楽しんでいる姿があった。皆とても楽しげで笑顔に溢れ、打ち解けた雰囲気は何かしら見る者をほっとさせるような幸せな家族団欒のひとときを彷彿させる。


 ラヴェイドはもちろんの事、アレンとリュオンの異母兄弟も全く状況が把握出来ない様子で、口をポカーンとあけたまま棒立ちになってその風景を眺めていた。


「よう!ラヴェイド。お前もこっち来て湯に浸かれよ。気持ちいいぞ」ラヴェイドの愛する女性達に囲まれ、湯に浸かりながら爽やかな笑顔を浮かべた人間の男が片手を挙げ声をかけて来る。


「なんだ?なんだ?呆けたツラしやがって。ここはお前の温泉なんだから遠慮しなくてもいいんだぞ?ほらほら、後ろの二人も一緒に入ろうぜ。皆、家族なんだろ?」


 ニヤリと笑う人間の男の肩にそっとまとわり着くように、ラヴェイド最愛の妻である第1妃麗々がその優雅な肢体をピタリと寄せる。ほんのりと紅色に染まる頬は湯によるものか、はたまた情事によるものか?


 ラヴェイドにも見せたことがないような情熱的な視線を男に向けたまま、麗々は夫の帰還に見向きもせず男の肩に頬を寄せる。そのあまりにも妖艷なしぐさに、息子であるアレンもドキリとして目を見開いたまま硬直していた・・・




~~~~~~~~~~~~~~~~~


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