表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/91

湯けむり温泉郷【1】魔王ラヴェイド

 魔王ラヴェイド、彼をウサ耳男と侮る事なかれ。

無駄な贅肉一つもない均整の取れた肉体美。見事なまでの逆三角形の背筋とくびれた腰。八個に割れた腹筋の並びすら美しく、その鍛え抜かれた全身を薄く白毛が覆い、白銀のサラサラヘアーが風に靡いている。


 誰もが羨む神の傑作のごとき造形美。

ウサギなのに本当に格好いいのだ。下半身などはモロウサギっぽいが全く違和感もなく、絶妙なバランスを保っている。顔もウサギっぽいのに、なぜか美男子に見えてしまうのが不思議だ。上から下まで非の打ち所がない美しさに誰もが見惚れ、溜め息すら洩らしてしまいそうだった。


 彼は魔族で一番ダンディーで美しい男と呼ばれていた。魔王であるにもかかわらず、人間の女性たちにも絶大な人気を誇るジャニーズ系アイドルだ。故に色恋の噂も絶えないというが、詳しい事は何も知らない。


「どこに行っていた?皆がお前を探しているぞ」


 ラヴェイドが静かに語りかけて来る。声質は少し高めだが苦になるほどでもない。はじめて会った時の印象だと無口なタイプに見えたが、実際のところはどうなのだろうか?


「ああ、すまない。こんな時間になると思わなかったんだ」


「どこに行っていた?」


 同じ質問を繰り返すラヴェイドの、鋭い視線が俺を射ぬく。


「人類と闘っていると聞いたから、敵がどんなレベルか気になって見に行ったんだよ」


「人の領地に?国境線まで行ったのか?徒歩で?」


「いや、行けなかった。散歩の最中に気まぐれで向かったもんだから、途中で腹ペコになってしまってな。引き返して来たよ」


 ちょっと苦しいな。作り話とすぐバレそうだ。俺は笑顔のまま、とにかく動揺しないように落ち着いた風を装おって会話を続けた。


「そうか、腹ペコはいかんな。腹ペコでは半分も力が出せん」


「そうなんだ。昼飯も食わずに出掛けちまったからな。もう10時間以上何も食ってなくてフラフラなんだよ」


 これは嘘ではない。メリーサのところでも何も食ってないし、別れてからも途中で湧き水をすすった程度だ。


「なにぃ!? 10時間も食事を取っていないだと!」


―――食いつき処がソコ!?


「きさま、死ぬ気か!」


「まさか。10時間程度で餓死したりしないよ」


 大袈裟だなぁと笑う俺に、脚王は真剣な目を向けた。


「我は見ていたぞ」


 見ていたと言われ、動悸が激しくなるのを感じた。いったい何を見ていたと言うのか?もし仮に、野盗に襲われた時の様子を見ていたのなら、彼はなぜ助けに来なかったのか?ラヴェイドの表情からは全く感情が読み取れない。


「我がお前の失踪に気付いたのは大王からの命令が下る二時間前、つまり正午だ。離宮に足を運んだ時、お前つきのワンダ族のメイドが騒いでおったのでな。我が領内にアダムの存在がないのを確認した後、捜索命令が出るのを待って蝕王の領内を探す事にした。なぜなら、蝕王は鈍重なうえ領民に対し統率力もない。捜索など進むべくもないと思ったからだ。予想通り、蝕王の領地はほとんど手付かず状態で捜索も進んでいなかった。我は超常の脚力を生かし、怪しげな場所をしらみ潰しに捜索したのだ」


 結構前置きが長い。何が言いたいのか解らん。

彼の意図が分かるまでは下手な事は言わない方がよさそうだ。ゆかりは、協力者の四人以外には用心しろと言っていた。


「我が協力したおかげで随分と捜索も進んだが、アダムはいっこうに見つからなかった。そろそろ日も暮れる事だし、他の領地に応援に行くべきかと迷っていると、王都からかなり離れた場所で街道を走る者の気配を感じた。そこでお前を見付けたのだ」


 なるほど。では、殴られて拘束されそうになっていた現場は見てない訳か?いや、まだ分からないぞ・・・


「お前は、コンチムを引き連れ走っていた。何をしているか分からなかったが、どうやら後ろのヤツに槍を持たせ、自らの背中をつつかせているらしい。不思議な遊びをするものだと思ったが、表情は真剣そのもの。そこで我はピンと来た。これは遊びではなくトレーニングではないかとな」


「ガタッ!!」


 俺は、このウサ耳男に対するイメージが一挙に変わる瞬間を体験した。なんだこいつ? 頭がおかしいんじゃないのか? 攻撃されて必死に逃げ回っていたのにトレーニングだと? どこをどう見たらそうなる!? 信じられんわ!!


「その考えはどうやら当たっていたようだ。

お前は後ろをぐんぐん突き放しスピードを上げていった。発見した時はたいしたスピードではなかったのに、短時間でこれ程の効果を上げるトレーニング法があったとは正直驚きだった。後ろのコンチムも必死に食らいつこうとするが、お前は更にスピードを上げ、遂には空間に歪みを及ぼしはじめた。コンチムをはるか後方に置き去りにしても加速は続き、物理的に走るには限界だと思われた瞬間、お前は歪ませた空間に飛び込んで見事に空間ジャンプを成功させた」


 なるほど。客観的に見ると、あの不思議な現象はそう見えた訳か?


「我は感動した。今まで四脚歩行の者しか到達出来ないと信じらていた領域にはじめて二本足の者が到達した快挙に立ち合えたのだ。この我の気持ちがお前には分かるか?」


 突然に話を振られて慌てたが、分かると答えたらどういう気持ちかを説明しなくてはならなくなると思ったので、ここは正直に分からないと答えた。


「そうだろう。お前のような天才に我の気持ちなど分かるはずもない。一昨日目覚め、再構成した体を手にしたばかりのお前が、僅か10時間足らずで『神脚』に到達するに至った。これが天才の技でなくて何と説明するのか!嘘をつかずとも我には分かる。お前は猿王と共に祝宴の会場から姿を消した後、何らかのレクチャーを受けた。早朝に戻って食事をとり、僅か数刻仮眠をとった後、伝授されたばかりの訓練方法で神脚の修得に挑んでいたのだろ?それも人目のつかぬ場所を選び、修行内容を悟られぬよう流れ者のコンチムを使ってな!」


 全て分かっているぞ!と言わんばかりのドヤ顔で俺の方を見る脚王。どうしたものかと考えたが、この勘違いウサギの勘違いストーリーを利用するのも悪くない。いやベストかも知れないと思った俺は、次のセリフを精一杯の虚勢を張って言い放った。


「バレてしまったか!俺の才能を見抜ける者がいるとすれば猿王か脚王しかおらぬと思っていたが、こんな早く見つかってしまうとは驚きだ。皆を脅かそうと隠れて修行していたのにガッカリだよ。やはり見るべき者が見れば分かってしまうんだよなぁ」


「そうだろう、そうだろう」


 独り納得して腕組みの状態で頷いているウサ耳男を、結構扱い易そうな奴だと思ったのだが、それが大きな間違いであった事に気付くのにそれほどの時間は掛からなかった。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 俺には心に決めた目標がある。

それを達成するまでは、卑怯と言われようが何だろうが、どんな手を使ってでも生き延びねばならない。


 ラヴェイドは思ったより扱い易そうなヤツだ。

なんとか取り入り、味方につければ生存確率は確実に上がる。ゆかりは魔王達が敵にまわる可能性を心配していたが、特に注意が必要だと言っていた中に脚王の名はなかったと思う。リンクが切れていて確認は出来ないが、味方は多いに越したことはない。とにかくここは慎重に振る舞い、ラヴェイドの信用を得る事が先決だ。


「猿王との事だが、皆には秘密にしておいてくれないか?ゆかりとの約束もあるし、彼に迷惑を掛けるような事は極力避けたい」


 俺は神脚とやらの事は師匠から何も聞いていない。猿王の指導によるものだという話が広まれば、俺と猿王の関係も公の事になり、ともすれば破門される可能性もある。


 猿王はこの世界において神級に強いらしいし、彼の協力は絶対必要条件の筆頭にあたる。師匠と弟子という関係は偶然に手にしたものだが、今の俺にとって命綱と言っていい重要な絆だった。


「なぜだ?猿王とゆかり殿が特別な仲であった事は魔王ならば知っている者も多い。その兄であるお前が、猿王から特別扱いされたとしても誰も驚かないと思うが?」


「ゆかりと猿王との事を知っていただって?」


「そうだ。知っている魔王は我の他に6人はいるぞ」


 おかしいな。数が合わない。

 ゆかりは秘密理に動いていたはずだ。


 計画を詳しく知っているのは師匠とメリーサ、ヨムルの3名。それに大魔王ゾーダは知っていても中立の立場だ。そういえば、後ひとり協力者がいると言っていたな?もしやこの脚王の事なのか?


 待て、待て。ここは慎重にいくべきだ。

ゆかりの計画の全貌はリンクが切れている俺にはまだ分からない部分が多すぎる。迂闊な行動は命取りになるかも知れん。


「ああ、我が気付いたのは2年程前からだが、それよりも前に関係があった事は間違いない。気づかれぬように分身を残し、チョコチョコふたり隠れるようにして消えるのを我の目は見逃さなかった」


 ん? なんか意味合いが違う気がするが・・・


「実の兄の前で己れの恥を曝すのもなんだが、我はゆかり殿に求愛していたのだ。この美しき魔王ラヴェイドの申し入れを断るとは信じられぬ事であったが、そのとき既に相手が決まっており、それがあの猿王であったとは驚きだった」


 ラヴェイドはここで一旦話を切り、周りを警戒するような仕草を見せた。師匠を話題にした辺りから少し様子が変わった気がする。


「猿王殿は女には興味がないとばかり思っていたからな。まさか、この我が出し抜かれるとは全く信じられん事であったよ。諦めきれぬ我は、ゆかり殿を賭けて猿王に闘いを望んだ。結果はまるで子供扱い。闘いにすらならなかった。正直、あれ程までに力の差があるとは思いもしなかったから、ショックで体調を崩し、立ち直るのに半年もかかってしまったぞ」


 額に手をあて、ハハハッと格好をつけて笑うギザ兎。


 こいつの本性が徐々に分かって来た。

勘違い野郎な上に、タカビーないけ好かないヤツだ。



 それに、ゆかりに対して邪な感情を抱き、師匠に対しても下品な想像でふたりの関係を汚す忌むべき男だ。俺はコイツを仲間に引き入れる事を少しでも考えた自分を恥じた。俺はコイツが嫌いだ。生理的に受け付けない。


 だが、利用価値はある。

脚王と呼ばれるからには、足技の達人に違いない。俺の能力が脚力を基点とするものならば、コイツの技を盗む事も可能かも知れないじゃないか。


 ゆかりは、俺の事を昔のままに純心で優しいお兄ちゃんだと思っている。しかし俺はゆかりが信じているような立派な男ではない。悪いと思いつつもメリーサの体に溺れ、求めらるままに体を重ねたような男だ。


 俺ははじめから裏切り者だ。

ゆかりの気持ちを知りつつ遠ざけ、その死を聞かされても平然と生きた汚れた大人だ。今さら汚れようが、なんと罵られようが知った事ではない。


 俺には目標がある。いや、使命がある。

その為には血ヘドを吐いてでも生き残り、なんとしても賢者の心臓を七つ全て集めてやる。


 俺がお前にしてやれる事はひとつしかない。

 待っていろ、ゆかり!

 俺が必ず蘇らせてやるからな!



「ん?どうした?難しい顔をして急に黙りこくって?」


「いや、なんでもないよ。少し疲れたんだ」


「それはそうだろうな。絶食をして精神を高めていたのだろう?それも猿王の指導か?」


「いや、これは俺のオリジナルだよ。猿王はただ自分を追い込めば追い込む程に効果があると言っただけだ。このトレーニング法も猿王から教えられたものじゃない。自分なりに追い込む方法を考えたんだ」


「なに、そうだったか!流石はあの天才の兄という事か?まこと羨ましい限りだな。天才の家系はやはり天才を産む」


 俺はこのいけ好かないウサギ野郎に営業スマイルをお見舞いして、心の内を決して悟らぬよう細心の注意を払った。つけ入るスキがあればヤツの心を掴み、利用してやるのだ。


「それにしても凄い姿だな。衣服はボロボロ、顔にも酷い傷がある。それに、この腐った死肉のような臭いはたまったモノではないぞ。いったいどんなトレーニングをしたのだ?」


「ああ、何度も失敗して転んだからな。街道を外れて崖下に転落もしたし、本当に命がけだったよ。落ちたところに偶然デカイ動物の死体があってクッション代わりになって助かったんだが、腐っていたもんだからこんな事になってしまった」


 口からスラスラとでまかせが飛び出る事に我ながら驚きながら、たいへんだったとジェスチャーを使って演出し、もっともらしく説明をした。感心して聞いていた脚王は俺の事を気に入ったらしく、その汚ないなりで城に戻るのはいささかマズかろうと、自分の屋敷に寄って身嗜みを整えろと言った。


「いや、誘いはありがたいが、これ以上心配をかける訳にはいかない。魔王達はまだ俺を探しているんだろ?」


「お前の事は既に、発見と同時に知らせてある。それに脚王と一緒なのだ。誰も心配する訳があるまい」


 でもなあ〜と渋る俺に脚王は餌をぶら下げた。


「我の屋敷には天然温泉が引いてある。湯質は、この国一番の魔素量を含む良質なパルトリウム泉だ。怪我などたちどころに治るし、体力も回復できる。それに、今はちょうど名産のアホロ茸が収穫の時季だ。アホロ鍋は最高に旨い絶品だぞ!」


 温泉に鍋と聞いて俺の心は強烈に引かれた。

日本人ならば、この2つのアイテムに心引かれない者などいようはずもない。俺も例外ではなかった。


「まあ、それほど言われて断るのも失礼か・・・なら、ちょっとだけお呼ばれしちゃおうかな?」


「ヨシ決まりだ!連絡するからしばし待て」


 脚王は額に中指と人指し指の2本をあて、念話を飛ばし屋敷の者と連絡をとっている様子だった。ヨシ!と俺の方に向き直ると、いきなり手を握る。


「飛ぶぞ。しっかり握っておけ」


「飛ぶ?」


 質問に答える間もなく、脚王は地を蹴って上空高く跳び上がった。俺の手を引いた状態で、脚力だけでこれ程の高さにジャンプできるとは並外れた筋力だ。50階建てのビルをゆうに越える高さに達しているのではないだろうか?


 そのまま最高点に到達し上昇が止ると、再び宙を蹴った。すると、今度は前方に向かってジャンプをはじめた。シャカシャカと早く足を動かすのではなく、ポーン、ポーンと長いストロークで跳んで空を移動している。


「ラヴェイド、これは?」


「見るのは初めてか?これは空歩。文字どおり空を駆ける技だ」


「技という事は魔法ではない訳だな?」


「その通り、これは体術と妖術の合わせ技だ。残念ながら妖気を持たぬ異世界人には不可能な技だが、遠距離を移動するには非常に便利だ」


「天歩で行けばもっと早いんじゃないか?脚王はその使い手だと聞いたが?」


「あれは個人用だ。誰かを連れて移動する技ではない」


「だが、猿王は・・」

「猿王は特別だ!あれと同じことが出来る者などこの世におらん。悔しいが手合わせして分かった。次元そのものが違いすぎる。奴が魔族ではなく神族だという噂もまんざら嘘ではないかも知れん・・・」


 脚王は俺の話をさえぎるようにそれだけ言うと、完全に押し黙ってしまった。ショックを受けて半年間再起できなかったと言っていたが、猿王との一戦はトラウマになって今も脚王を苦しめているのかも知れない。


 今後猿王の事はこちらからは言わないように注意すべきだと思っていると、前方の山の中腹に町の光が見え始めた。光の戸数からすると3万人規模の町のようだが、脚王は町の光よりも高い位置にある一際大きな屋敷が目立つ一画に向かっている。


「ついたぞ。ここは別荘のようなモノだから、我の家族と数十名の使いがおるだけだ。いろいろと行き届かぬところもあろうが、許して欲しい」


 プライベート別荘だと言うその建物は、木造平屋造りの日本建築に似た構造であった。黒と白を基調にした落ち着いた佇まいで、所々に配置された自然石が色合いをかもし出し、雰囲気的にも侘び寂を追及した風がある。


 敷地内にもふんだんに自然が取り入れられ、調和をモチーフにした芸術的センスを強く感じる。それに中に入ると分かるのだが、この屋敷はとてつもなく広い。


 建物から建物の間に渡り廊下があり、それぞれに嗜好を凝らした中庭が訪れた者の目を楽しませ飽きさせない。大きく四つの建物に分かれており、其々にテーマを与えられているようだ。おそらくは春夏秋冬。春から始まり、夏を向かえ、今は秋の建物の中を通る。紅葉が美しく庭は色とりどりの色彩であふれていた。


「これは凄いな。見事な造りだ」


 俺は思わず声をもらした。


「分かるか?」


 少し前を進む脚王は足をとめて俺を振り返る。声がとても嬉しそうだった。


「ああ、俺の住んでいた国の京都にも似たような建築はあるが、これは重要文化財クラスだ。凄すぎて震えが来るよ」


 おべんちゃらなどではなく、俺は心に感じたそのままを伝えた。その答えに満足したのか、ラヴェイドはニヤリと笑みを浮かべ大きく頷いた。


「やはりな。ゆかり殿も同じ反応をしたよ。懐かしさで涙が出るとも言っていた。実はこの屋敷は我の完全な趣味で造らせた物で、自国の文化とは無縁なのだ。我の趣味が分かる者は魔族には少ない。人類種の中でも東の辺境にある一部の民族には似たような文化があるらしいが」


「これを脚王が設計して造らせたのか?驚いたよ。闘いよりもこちらの方が向いてるんじゃないか?」


 ハッと気付き、今のセリフに気を悪くしたのではと思ったが、ラヴェイドは全く気にした様子もなく「我もそう思う」と頷いた。


 冬をテーマにした建物を抜けると、開けた空間が表れて、その先には巨大な池があった。渡り廊下はその池の桟橋まで続いており、桟橋の袂には一隻の舟がつけられている。


 池の中に建てられた神殿造りの建物は、水に浮かぶ巨大モニュメントのように圧倒的存在感を有している。渡し舟で建物に移動すると、そこには左右1列に並び、着物のような衣服を着たウサ耳女性が俺と脚王を出迎えてくれた。


 どの女性も非常に美しい。

オスと雌では違うのか、顔は人間とほとんど変わりない。耳はウサギだが、その容姿はあまりにも整いすぎて怖いくらいの美しさだった。彼女たちはお辞儀をしたあと、愛嬌たっぷりにキュートな笑顔を俺に送ってきた。


 ウサ耳女性ってだけでも可愛く見えちゃうのに、この美しさは犯罪だ!コイツの一族ってのは皆が皆こんなに綺麗なのだろうか?それとも、一族の中の綺麗どころを集めてるのか?俺はメリーサの事を思い出し、自分が既婚者である事を確認することで、妙な気を起こさぬよう自分自身に釘を刺した。


「なあ、脚王。自分のみっともない姿が恥ずかしいんだが、なんとかならないか?」


「心配するな。温泉も興味があるだろうが、まずは腹ごしらえが先だ。軽く湯編みをした後に食事にするから、その二人について行ってくれ」


 脚王がそう言うと、ふたりの女性がスクと立ち上がり俺の手をとると「失礼します」とお辞儀をして湯殿まで案内してくれた。

ボロボロの衣服を脱ごうとすると「私たちの仕事をとらないでおくんなまし」となぜか京訛りな口調で言われ、されるに任せる事にした。


 浴室に入ると驚いた事に檜風呂になっている。

檜の香りが心地よく俺を癒してくれた。かけ湯をかけてもらって湯に浸かると、女たちは浴室から出ていった。と、2分もしないうちに「失礼します」と声がして、衣服を脱いだふたりが手ぬぐいで申しわけ程度に前を隠しながら入ってくる。


 この展開はもしや?と思っていた事が現実になると、俺は喜んでいいのか悲しんでいいのか複雑な気持ちになった。とにかく、妻帯者にとって目の毒である事は間違いのない。間違いがこれ以上起きぬよう自制するのは、かなりの精神力が必要になるだろう。


 俺はものすごい精神パワーを消費して、なんとかふたりの猛攻を振り切った。体を洗いますと湯から上げらると、ふたりは自らの体を石鹸まみれの泡まみれにし、俺を後ろと前からサンドイッチにして洗い出したのだ。


 おい、おい!これって石鹸の国の技でないの?

俺はスキあらばと狙ってくる攻撃をかわすのに必死で、お湯を楽しむなんて全くできなかっだが、彼女達の仕事のおかげで臭いもとれて、肌もピカピカに磨き上げられスッキリした。


 不満顔のふたりに手を引かれ食事の間に通されると、僅かな時間でよくこれだけの品が用意できたものだと感心する程に手の込んだ繊細な料理が列べられていた。


 驚いた事に生きづくりの船盛まである。

あの祝宴に出されたグロテスクな料理とは全く異なる、完全なまでの日本料理だ。無形世界遺産に指定されるような技術を、この世界の誰がいつ体得したのだろうか?これをつくった料理人は絶対に日本の事を知っている。もしかしたら、俺の他にも日本からこの世界に来た人物がいるのではないだろうか?


「味を確めたら、その疑問を絶対に聞いてやろう!」俺はそう意気込んで料理に箸をつけた。


「旨〜い!!」


 俺は思わず声を出した。どれもがあまりにも日本食に酷似した味つけだった。しかし、こんな事が有り得るのか?料理は前菜からはじまり、椀物、焼き魚、煮付けへと続く。


 これは懐石料理だ。繊細な包丁の入れ方から細工物、器に至るまで、俺が知る限りでは非の打ち所がなかった。そして女性達の作法までが、高級料亭の中居に引け劣らない洗練されたものだったから驚きだ。


 以前、接待でモノホンの高級懐石を食べた事がある。なかなか行けるようなところではないので詳しい訳ではないが、あの雰囲気と味は忘れる事が出来ない。


 ここまで来ればもう疑う余地は無かった。

この屋敷には日本懐石の料理人、もしくはその弟子がいるはずだ。もう一人いるという魔族側の召喚者はドイツ軍の将校だと聞いている。趣味で再現出来るようなレベルでない以上、この料理はそのドイツ人が作ったものではないだろう。


 いくつかを平らげ、七品目に名物のアホロ茸を使った茸鍋が出された。鍋はえもいわれぬ香しい匂いを漂わせている。固形燃料のような物質が鍋の下で青く燃え、鍋はぐつぐつと音を立てた。


「ラヴェイド、教えてくれ!これは誰が作ったんだ?

俺の他に日本人がいるのか?」


「いや、居ない」


「じゃあ、料理長に会わせてくれ。話がしたい」


「料理長?そんな者もここには居ない。家族と従者数名がいるだけだと言っただろう?」


「では、誰がこの料理をつくった?俺の国の事を知らない者に再現出来るようなものではないぞ」


 俺の言葉を聞くと、脚王ラヴェイドは笑い出した。

ひとしきり笑い終えてから真顔になり、声のトーンを落として俺に言う。


「まあ、そう慌てるな。これには秘密があるのだ。我の一族だけが知る重大な秘密がな」


 秘密?この建築様式や日本料理には秘密があるという訳か?

俺は今すぐにでもその秘密とやらを知りたいと思ったが、ラヴェイドは勿体ぶってなかなか話そうとしない。


「まずは鍋を食え。話はそれからだ。固形燃料が燃え尽きてしまったではないか。冷めてしまってはせっかくのアホロ鍋が台無しだぞ?」


 俺は中居の女性に椀に移してもらって、鍋に手をつけた。


 な、なんだこれは!!


「旨いだろう?これがこの世界で最も珍重される重要希少食材アホロ茸だ。一度でも味わえば忘れる事かなわぬ至高の極み。傷みやすいゆえ、新鮮なまま食せるのは我が国ならではと言えるだろう」


 まさにその通りだった。今まで出されたどの料理の味も素晴らしかったが、それすら色褪せる程に別の次元のごとき至高の味を俺は味わった。箸が止まらない。まるで何日も食事をとっていなかったかのように、むさぼるように箸が進む。食べるごとに沸き上がるえもいわれぬ幸福感。味の万国博来館や~とか陳腐な表現などでは間に合わぬ、全く別次元のとてつもない旨さだった。こんな量ひとりで喰えるか!と思っていたのに、気付けば鍋の底には何も残っていない。


「さあ、食べたあとはお待ちかねの温泉が待っているぞ」


 俺はラヴェイドのおもてなし攻撃に抵抗するすべを持たなかった。彼のペースに乗せれつつあると知りながら、その幸福感に身を委ねてしまったのだ。




************************************************

挿絵(By みてみん)


人物紹介:脚王ラヴェイド(兎王)


年齢:51歳(兎族の暦による)

身長:216cm

体重:110kg


魔王12柱の中では一番の新参者。

戦闘兎種ウォーリアラビット族はもともと領土が小さく、国は貧しい。そのためか、彼は人一倍野心が強く、休戦状態にある今の状況をあまり良く思ってない。建国の祖である祖父が娘に特殊な呪法を用いた結果産まれた突然変異体との噂もあり、戦闘種の中では最弱であるはずの戦闘兎種ウォーリアラビットとしては生まれながら異常な戦闘力を持つ。


戦闘スタイルは、幻惑系瞳術と体術を併用した特殊な格闘技を使う。他にも多彩な妖術を使い、スピードにはかなりの自信がある。猿王と同じく『天歩』が使えるが、何やら因縁があるらしく、悟空の事を心良く思っていない。プライドが非常に高いが、それに見合うだけの才能がある。


一夫多妻制が当たり前のこの世界にあっても、他国と比べ格段に多い妻子を持ち、大奥を形成し大家族の中で生活している。現在自分の子が何人いるのか把握していないとの噂もあるほどいたるところで子種をばら撒いているので、夜は毎日がとても忙しい男だ。


趣味は意外にも料理だったりする。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ