招かれし者【8】迷子の召喚者
話題はヨムルの事へと移っていた。
「本当に会えなくすると思うか?」
「うん、間違いないと思う。ヨムルちゃんが子どもを一人だけって制限するなら、アタシは子ども達を守るために身を隠すつもりだよ」
「一度にたくさん作れるようなこと言ってたな?」
「うん、八つ子が限界って事になってる。戦争などで数が激減したり環境が変わると理由は分からないけど双子以上の出生率が激増するんだけどね。平和な時期は一人ひとり産まれて来るのが普通なんだ」
「なるほど、自然の摂理ってやつか。狙って八ツ児を産むなんてことが可能なのか?」
「わかんないよ!アタシ、ダーリンとがはじめてなんだし、やってみなくちゃ分かる訳ないじゃん!」
「だよな。ごめん、ごめん」
「でね。はじめてだから自信がないの。だから、もう1回お願いできないかなぁ?八人分までもう少しだと思うんだよね」
こんだけやってもまだ必要なのかと聞くと、念のためだよと言いながらエッチな顔をしている。5年に一度訪れる発情期なら妊娠の確立は格段に上がるらしいが、そうでない時期に確実に数を求めるなら量をこなすしかないという理屈だ。
ちなみに次の発情期は来年の春らしい。
ただし、魔族全てに発情期がある訳ではないし、来年春というのは全体ではなく夢魔族が、である。
「しょうがないヤツだな。これでラストだからな」
「わ~い!ダーリン大好き〜!」
そうして、夢空間での子作りイベントは終始彼女のペースのまま進められ、空間の耐久値の限界とともに幕を閉じた。最後にどうしても何かしらの能力を譲渡したいって駄々をこねるので、開発したけどほとんど使ってないと言っていた技のひとつを貰っておく事にした。
「こんな中途半端な技でいいの?効果時間は1秒に満たない僅かな時間だし、その割に体力消費が激しい高リスクな技だよ。確かに詠唱も術式もいらない即時発動型ではあるけど」
「ゆかりとのリンクが切れてる今は、こういう体術に近いような技がいいのさ。場所は体のどこか触れられる場所ならいいんだろ?奥歯にも仕込めるか?」
「奥歯?体の固い場所なら術式は刻めるけど、ダーリンには角がないから、爪とかのが良くない?」
「爪は伸びたら切らなきゃならないし、はがれちゃう事だってあるだろ?それに目立つじゃないか」
「ま、確かにね。じゃ奥歯に刻んでおくよ。口を開けたままじっとして動かないでね」と、歯医者さんみたいなセリフの後、メリーサはぶちゅ~とディープキスをしてきた。
舌先が奥歯に触れて何やら複雑に動き回っている。たぶん術式の転写は2分程度で終わってるはずなんだが、メリーサは興奮状態になって5分過ぎても離れようとしない。舌を絡め、術式の譲渡とは明らかに違う行為に走りはじめていた。
「うぷっ。メリーサ、ちょっとタンマだ!」
俺は絡みついてくる腕と足を払い、唇を強引に離すと強い口調で彼女を制した。このままだとまた1回戦始まってしまいそうな勢いだ。
「もう空間が限界じゃないのか?早く出ないと崩壊に巻き込まれたりしちゃうんじゃないの?」
メリーサはチッと舌打ちして離れると、残念そうな表情のまま入ってきた時のように扉を出現させた。それをくぐると俺の巨大なポスターが貼ってあるプライベートルームに再び戻ってきた。
「あ、ヤバイ!」
「何が?」
「ダーリンが行方不明になったって、一時間ほどまえに魔王全員に捜索命令が出されたみたい。アタシが拒絶空間にいたから、今になって連絡が届いたよ」
「あちゃ~、だから最後の1回が1回で終わらなかったのがまずかったんじゃないの?」
「だってしょうがないじゃん!スイッチ入っちゃったんだからさぁ。ダーリンだってノリノリだったくせに、メリーサのせいだけにしないでよネ!」
「で、今何時なん?」
「んとねぇ、午後3時過ぎだね。8時間くらい居なくなった程度で捜索かけるなんて、ちょっと過保護すぎるんじゃないかなぁ〜」
「仕方ないだろ。俺は召喚されて4日目の赤子みたいなものなんだし、何かあったらって心配するのが普通じゃないか?」
それにしても8時間しか経ってないとは驚きだ。
体感時間では35時間は確実に過ぎている。つまり四倍を超える時間操作をした訳だ。
「ミーチャも心配してるだろうし、すぐに部屋に帰ろうと思うんだ。ここからどう帰ればいいんだ?」
来る時は夢の中から入ってきたようだが、今は実体だ。肉体を持って帰る方法を俺は知らない。
「夢魔族は神出鬼没で、どこにでも移動できるって言ってたよな?俺の部屋まで送ってくれよ」
「出来ない事はないけど、今すぐってのは無理かな?」
「なぜ?先程の説明では空間移動は得意だって言ってたじゃないか」
「アタシひとりならね。ダーリンは夢魔じゃないから違う方法でないと移動できないよ。体の構造が違うから物理的に不可能なんだ。アタシ達は半分が精神体だから出来る技なのさぁ」
「他の方法ってのは?」
「移動ゲートを使った通常の空間転移魔法だよ。でもグロスキ城の敷地内は転移魔法を阻害する超強力な防御結界があるから、部屋へ直接ってのは無理かな?」
「天歩は?天歩なら移動出来るんじゃないの?」
「天歩ぉ〜?無理!無理!
あんな高度な体術系移動術はメリーサには不可能だよ。誰かを連れてなんて離れ業は、猿王くらいにしか出来ないんじゃないかな?」
「そうなのか?師匠はコツさえ掴めば簡単に出来るような事を言ってたぞ?」
「簡単?なに言ってんの!難度SS級の超高等技術だよ!この世界に何人がその技が使えると思ってんの?魔王の中でも猿王以外として獣王と脚王、竜王のは竜脚っていう別の技だけど、体術系移動術が使えるのはそれくらいだよ」
「そんな難しかいのか?クソ師匠め、話が違うぞ!」
俺にもすぐ使えるようになるような事を言っていたから、魔王クラスなら誰もが使える技と思い込んでいた。SS級ってのがどの程度か分からないが、相等に難しいのは間違いないと思う。
「猿王は武術の神なんだから同じレベルで考えちゃダメだね」
「だな。じゃあ、どうしようか?」
「夜まで待てば『夢渡り』で部屋まで送るのは簡単なんだけど、今の時間では寝てる人なんてそうそう居ないし、深夜までここに隠れてる訳にもいかないでしょ?防御結界の外側で人目に付かない場所までゲートで送るよ。あとは自分でなんとかして。なるべく安全な地帯を選ぶけど、森の深い場所には知性のない魔獣がいるから必ず街道沿いを進むんだよ」
「わかった。じゃあ、ゲートを頼む」
「本当はアタシも一緒にいてあげたいけど、ヨムルちゃんに見付かると後が厄介だから・・・ごめんね」
「大丈夫だ。アテはあるから自分で出来る」
俺には師匠から貰った早雲がある。あれを使えばあっという間に帰れるだろう。
「じゃ、ゲートを開くね」
メリーサは移動術式を展開して床に魔法陣を出現させた。青く光る輪の中に立てば転移できるのだろう。気を付けてねと心配そうにしているメリーサの頬に手を触れて軽くキスをしてから、魔法陣の中心に立った。
「ダーリン愛してる」
メリーサの言葉に頷き、軽く手を上げそれに応えた。この時はまだ、メリーサたち夢魔族に架せられた『種の呪い』が何であるのかも知らず、知る由もなかったが、知っていたとしても防ぐ手立てはなかったと思う。俺はメリーサが浮かべた涙の意味を全く別のものと受け止め、明日もまた会えるだろうと普通に手を降って別れたのだった。
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光に包まれ一瞬の浮遊感があった後、俺は見た事もない石作りの建物の裏手に移動していた。表に廻ってみると、薄暗い木々の向こう側のすぐ先に赤い煉瓦を敷き並べた道が見える。
だが街道沿いを歩いて戻るつもりはない。さっそく早雲を呼ぼうと師匠から貰った笛を入れたズボンのポケットをまさぐった。
―――あれ?ない!?
確かにポケットにしまったはずなのに!
俺はその時になって自分がパジャマ姿なのに気が付いた。いや、パジャマなのはメリーサの部屋で肉体を召喚させた時にも気付いたはずだが、子づくりイベントの衝撃が強烈すぎて忘れていたのだ。
―――ヤバいんじゃないかコレ。城まで歩いて戻るのか?
「メリーサ~」
「師匠~」
俺は普通より小さい声で二人の名を呼んでみた。
大きな声を出すと、何か別の危険な生き物が森から現れそうで怖かったのだ。当然の事ながらふたりが来てくれる様子はないし、メリーサにはひとりでなんとか出来ると言って別れたばかりだ。
事情を話して何か乗り物を貸して貰おうと建物の中に入ってみたが、そこは廃屋らしく、荒れ果てた屋内に人の住んでいる気配はなかった。
―――こりゃ困ったな。歩くしかないのか・・・
とりあえず街道に出てみる。ぐるりと見渡すと遠くに黒い城のシルエットを確認する事が出来た。しかし、かなり距離がありそうだ。あれほど巨大な城が豆粒くらいの大きさにしか見えない。
日が暮れるまでに戻れるだろうか?午後3時過ぎって言ってたから、あと数時間したら日が暮れてしまうだろう。こうして立ち止まっていたところで仕方がないなと思い、とりあえず城に向かって歩きはじめる。
それにしても、この街道には人の通りがない。
もうかれこれ一時間以上は歩いているが、全く誰ともすれ違う事なく、孤独なひとり歩きは続いていた。
高台から平坦な道に入った辺りからは、視界を森の木々に塞がれて城の方角を確認できなくなった。途中で何ヵ所か道が分かれていたが、煉瓦の傷み具合や苔の生え具合などを見て、普段使われている様子がある方の道を選んで進んだ。
荷馬車でも通れば便乗させて貰おうと思っていたが、日はどんどんと落ちはじめ、周りは急速に薄暗くなって来た。この様子だとあと一時間もしないうちに夜になってしまうに違いない。
「あ~あ、誰か通らないかなあ」
「そんなに誰かに会いたかったのか?」
「!?、だ、誰だ!?」
俺は突然背後から聞こえた声に驚き振り向こうとしたが、髪を掴まれて振り回され、更に後ろ向きにされて突き飛ばされた。その俺を背後からチャッチした何者かは、そのまま両肩をガシリと固定し物凄い握力で締め付けて来る。
「よう、人間のお嬢ちゃん。こんなところでお散歩してると悪い獣人のおじさん達に犯されちゃうぞ〜」
目の前には猪のような姿をした大きな獣人がふたりと、トカゲ、蛙、亀のような爬虫類系の亜人、それに巨大な昆虫のような生き物と、数にして7体の魔族がいかにもという出で立ちで武器を手に凄んでいた。背後から俺を拘束しているヤツの姿は確認出来ないが、ばかデカイ手からしてもかなりの巨漢であると思われる。
「離せこの野郎!俺に触るな!」
特に背後のヤツからは物凄い悪臭がしてきて、まともに息も出来ない。腐敗臭と獣臭が入り交じった凄まじい臭気で気を張っていないと意識が飛びそうになる。
「威勢がいいお嬢ちゃんだな?」
「待て、こいつ男だ!」
「何だって!?それにしちゃあ綺麗な顔してるじゃねぇか。髪も長いし、肌も真っ白で女みてぇだ」
トカゲ男が俺の髪を触り、こね回し出した。
「あれだろ?男色趣味の貴族とかが集めてる性奴隷じゃねぇか?おおかた逃げ出してここに迷い混んだってところだろ」
「だろうな、人類軍の兵士には見えねぇ。パジャマ着てるし」
「こいつどうする?男じゃ売れねぇぜ?」
「構うもんか!こいつ程の容姿なら買い手も見つからぁ。俺たち魔族は人間さまと違って男色趣味の変わり者は少ねぇが、貴重な奴隷なら高く売れるかも知れねぇ」
リーダー格らしい猪男が俺のすぐ前に立ち、ぐひぐひと下品に笑いながら値踏みをするような目で舐め回すように見て来た。
――――くそ、こいつら武装しちゃいるが軍の兵士じゃないな。野盗の類いか?厄介な連中に捕まっちまったみたいだ・・・俺は考えてから賭けに出た。
「俺は召喚者だ。魔王軍に引き渡せば相当な額の褒美が貰えるぞ」
召喚者と知って素直に魔王の元に連れていくか保証はないが、このままだと確実に奴隷商に売りとばされる。その間に何をされるか分かったものじゃないし、運が悪ければカマを掘られる程度では済まない可能性だって・・・
「なにぃ、召喚者だって?
ばかを言うのも大概ってもんだ。俺の連れで昨日のパレードを見た奴が言ってたが、今回の召喚者さまは史上最強だって話だ。その召喚者さまが、俺達みてぇなのにとっ捕まって手も足も出ねぇようなチビのガキんちょな訳がねぇ」
―――うっ、ぐうの音も出ないな・・・
「ああ、近隣の国から来た使者どもは化け物だって、真っ青な顔して自国に逃げ戻ったって噂もあるみてぇだからな。きっと獣王さまみてぇにデカくて強い大男に違いねぇ」
「その獣王に聞けば分かる。本当なんだ!」
俺は必死に訴えた。
ここで信じて貰えなければもう打つ手がない。
「ばか野郎がぁ!!」
俺はいきなり拳で殴られ、頬骨が砕けて鼻血を噴き出した。ただの野盗の一撃でこれでは、史上最強の召喚者だなんて誰も信じる訳がない。
「獣王さまを呼び捨てにするたぁとんでもねぇガキだな!」
「おい、売り物になんて事するんだ!せっかくの綺麗な顔がこれじゃあ台無しだ!」
「いや、すまん。カッとなってつい・・・」
蛙顔の爬虫類系亜人が近寄って来て俺の傷を診た。こいつがこのパーティーのヒール役か?
「こりゃ骨が砕けてるケロね。綺麗に治るか分からんケロよ?」
―――お決まりの語尾を付けやがってこの蛙野郎!
おまけにそれが治療か?ベロベロと、気持ち悪い長い舌で俺の顔を舐めるんじゃねぇ!
心の中で叫びながら、俺は口の中に溜まった血を吐き出した。歯が何本か折れていたようで血に混ざって地面に転げ落ちる。
ハッと気付き、即座に奥歯を舌で探ってみた。
――――あった!!
殴られたのはメリーサから貰った術式が刻まれた歯と反対側だったので、奥歯は幸い無事だった。ホッとしたのもつかの間、状況は最悪のまま何も変わらない。どうやってこの状況から逃げ出すかを必死に考えたが、考えれば考えるほど自分の無力さを痛感させられただけで、いっこうに打開策は浮かんでこなかった。
俺はボトボトと鼻と口から血を流し、ぐったりとしたまま動かない。
「デブロ離してやれ。てめえの臭いが染み込んだら売れるもんも売れなくなる。キズモノになっちまったが、とりあえず売場まで運んでみる。値が付かなかったら皆でマワした後殺せばいい」
俺はデブロとやらが拘束を解いた後も、地面に伏したままじっと動かなかった。動けないふりをしてスキを窺うつもりだった。野盗どもは、気絶でもしたのかと思ったのか警戒を解いている。あとは先程から俺の顔をベロベロしている蛙さえなんとかすれば逃げ出せる可能性が出てきた事に希望を繋いだ。
何やら話しながら離れて行く野盗と、俺との距離が徐々に開いていく。目を閉じたままなので正確な距離はつかめないが、耳を地面に付けているので足音で距離感くらいは分かる。
「あ、大事な事を忘れていたぜ。あいつの体を調べておかなくちゃな。持ち主の刻印がしてあったらたいへんだ。お前達は馬車をここまで持って来てくれ」
リーダー格の猪男の声がして足音が近づいて来た。
―――クソ!戻って来るぞ!
これじゃ逃げ出した途端に捕まっちまう。万事休すか!!
その時、俺の顔をベロベロしていた蛙が急に呻き出した。
「ぐあああ、咽が焼けるケロ!!」
咽を押さえてのたうち回る蛙。
そのただならぬ様子に、駆け寄った野盗たちは蛙を囲んだ。
「どうした!しっかりしろ!」
リーダーの猪男が蛙を抱き起こした。蛙はひたすら苦しみまわり、咽が焼けるケロを繰り返す。その頃には野盗の全員が蛙の周りに集まって来ていて、それぞれがしっかりしろと声を掛けていた。こんな奴らでも仲間のことが大切らしい。
「ケロケロケロケロケロケロケロケロ〜」
白目をむき出しケロケロを繰り返す蛙に、野盗どもは何が起こっているのか全く理解できずに呆然と立ち竦んでいた。ヒール役がこれでは他の者達には何も出来ないだろう。
と、「ケロ~!!!!」とひときわ大きな絶叫を上げた蛙の体がぶくぶくと脹れ上がり、風船のようにまんまるになった。
「ぐ・ル・じ・い・・・たす・げて・・ケロ」
最後まで語尾にケロを付けることを忘れなかったのには称賛を送りたいが、それを最後に蛙は粉微塵に吹き飛び、その体液が周りにいた野盗どもの顔面を直撃して視界を奪った。
「うっ、目が!!」
――――今だ!!
薄目を開けて様子を窺っていた俺は、このチャンスを逃すものかと立ち上がると一騎に駆け出した!
足にだけは子供の頃から自信があった。
再構成させたこの体がどれくらいその性能を発揮するのか未知数だったが、走り出してすぐその心配はなくなった。元の体よりも格段に速い。こいつには俺もビックリだった。
「コイツはイケるぜ!」
オリンピックに出れば確実に金メダルだ。100㍍を6秒いや5秒台で走り抜けれるだろう。足は素足だが別に痛くもない。それにまだ全力ではなく余力をたっぷり残していた。
「ひゃっは~!」
俺は知らず知らずのうちに奇声を上げ、街道を駆け抜けた。このまましばらく走れば、奴らはもう追っては来れまい。見たところ足が早そうだったのはトカゲ男だが、完全に目を塞がれて地面を転がっていたのは確認済みだ。他の奴らは大した事なさそうだった。
「調子に乗るなよ!こぞう!」
ブウウンという羽音とともに背後から迫る声がした。後ろを見ると、あの野盗の中にいた昆虫系の魔族が飛びながら迫って来る!
――――クソ!コイツ飛べるのか!?
片方の目を返り血で赤く染めたまま、手にした槍で俺の背中を攻撃して来る。右に左と蛇行して槍をかわすが後ろからの攻撃を全てかわせるはずもなく、背中は傷付き血を噴き出した。
――――もっと速く、もっと速くだ!俺の足よ!もっと速く動け!!
足の親指に全神経を集中させ、俺はただひたすら大地を強く蹴り出した。
―――もっとだ!もっと速く!
ただそれだけを念じ、意識はただ走る事それだけに埋め尽くされた。次第に体の感覚が消えて行き、背中の傷みも感じなくなった。
そのとき異変が起きた。
視界がキラキラと輝きはじめ、やがて周りの風景が光に飲まれて掻き消えたのだ。気が付くと、目の前には巨大な黒い城があり、俺は城に一直線に続く街道を流すような速度で走っていた。
「それがお前の能力か?」
またもやの背後からの声に、俺は反射的に飛び退きながら構えをとった。師匠に習った猿王拳ではなく、社会人になってから気まぐれで再開した合気道だ。子供の頃、三田の爺さんから教わった古武術系合気の静動無形の構えだった。
「脚王か?」
振り向いた先にウサ耳を靡かせた男が立っている。
初めてこの男を見たのは、生誕儀式の前に魔王全員と面通しをした時だが、その時の衝撃は今でもハッキリと覚えている。ウサギなのにかっこいいのだ。顔などはモロに兎なのにダンディっぽく、仕草ひとつを取っても妙にキマる美系マッチョの紳士であった。