最強とは
スキンヘッドにでかでかと蛇のタトゥーを彫り、ゴツゴツとした顔に刻まれた皺は積み重ねて来た往歳を如実に表している。その風貌は有り体に言えば中年男性であり、身も蓋もない言い方をするならば学校に通っていい歳には見えない。
事実このボスという男、この学園に入学してから裏の支配者として学校中の不良生徒を牛耳る現在に至るまでに二十年ほどの歳月を費やしていた。留年を繰り返すことにより学生生活を延々と送り続けるその高度な悪行には舌を巻く教師も多いという。
身長は優に神崎の頭三つ分は高く、大木の幹のように太い手足に岩石を思わせる分厚い胸板で全身武装している。
ボスの鍛え抜かれた肉体はインバネスコートめいた衣服の上からでもはっきりとわかるほどであった。剣と魔法の世界に似つかわしくないその筋骨隆々振りには、一目で只者ではないと納得させる説得力が漂っている。
そこに神崎の拳を受け止めた事実が加味して、ボスがそんじょそこらの悪の親玉ではない事はその場の誰もが理解していた。
ボスに負けじと神崎もニタリと笑った。「お前がボスって奴だな」
ボスは神崎の問いに答える事なく、わざとらしく辺りをキョロキョロと見渡す。
「使いを出したんだけどなあ、そいつはどうしたんだ?」
「今頃は保健室で夢でも見てるぜ」
「そうかい」
素っ気なく言うと同時にボスの拳が神崎の顔面めがけて放たれた。右手を掴まれているので、神崎がそれを回避する事はままならない。
乾いた空気が破裂するような音が響いた。ボスの拳は神崎の顔面を潰す前に右手で受け止められていた。
「はん、見た目よかずっと軽いパンチだな」
「お前さんは見たまんま柔そうだ」
組み合った状態で膠着した両者は余裕のある表情を崩さないが、確かに二人の合間にはバチバチと火花が散っているのが見て取れた。
剣と魔法の異世界にあるまじき、剣と魔法を一切使わぬ男同士の壮絶なるぶん殴り合いの幕が今まさに切って落とされようとしている。
「なあなあ、どっちが勝つか賭けようぜ」
「ボスに賭けるわ」
「あっ、待て! ずるいぞ! 俺もボスに賭けようと思ってたのに!」
一方、関係ない二人の間でも風雲立ち込めていた。
予断を許さぬこの状況、普通ならばお互いにお互いの動向を伺い、押したり引いたり投げたり組んだり、組んず解れつの恋の駆け引きさながらの高度な心理戦が繰り広げられて然るべきである。
しかし、そんな勝利への定石を全て蹴散らして、真っ先に動いたのはやはり神崎だ。布石だろうが空気だろうが、なにかを壊す事において奴の右に出るものなどいない。それは大悪党のボスすら例外ではないのだ。
掴まれた手首を時計回りに捻り、ボスの手を解くと同時に神崎は更に深く懐へ飛び込む。
両者の体格の差はあまりにも甚だしく、真正面から殴り合おうなどまるっきし正気の沙汰ではない。神崎はそれをわかっていてなお踏み込んだのだ。
この無謀なインファイトは、決して死中に活を求める一か八かの戦略などではない。止むに止まれぬ神崎の意地がそうさせたのだ。
一方ボスの反応は素早く冷静だった。神崎が突っ込んで来ると見るや、地面を蹴って距離を取ったのだ。
四肢の長さで勝るボスが神崎の接近を拒否するのは合理的な判断である。間合いを取れば、まさに神崎は手も足も出せない状況に陥るのだ。あとはそれでも構わず突っ込んでくる神崎に対して、カウンターの殴る蹴るなどの暴行を加えれば戦いは容易に終わる。
まさに放たれた矢の如き神崎は、ボスの思惑など知ってか知らぬか懐に目掛けて真っしぐらだ。
的を射抜くか、弾かれ地面に落ちるか、射手の下から離れた矢の行方はそのどちらかである。しかしこのままでは、黒い矢の行方が後者になることは想像に難くない。
ボスが薙ぐように太い足を振った。直進する者には回避困難な面を撫でる攻撃は、神崎の側面へ直撃した。
おおよそ人体と人体が接触したようには思われない鈍い音が響く。まるで乗用車に人が跳ね飛ばされたかのようだ。
蹴りの直撃を実感したボスの顔からは笑みが消えていた。険しくもあり、またきょとんと呆けているようにも見える。
次の瞬間、ボスの視界の天地が逆転した。
◇
ボスの放った蹴りは確かに神崎に直撃していた。しかし神崎は足を脇で挟んで受け止めていたのだ。
もちろんそれは意図した展開ではない。反射的に掴んでしまっただけだ。それでも神崎はその好機を見逃さなかった。
振り向きつつ足首を掴んで、そのまま勢いでボスの巨体を地面に叩きつけた。見下ろす程に背丈に差があった神崎に投げ飛ばされるとは考えもしなかったのか、受け身を取ることすらままならずボスは砂埃を起こして地面に正面から激突した。
「どうだ!!」
神崎が歓呼して観戦していたミラ達を振り返った。
「おぉ……すごい、すごい」
神崎の歓然としたリアクションとは打って変わって、ミラがあくび混じりに渋々口を開ける。バッドに至ってはその隣でぐーすかと眠っていた。
「もおう、お前ら興味ないなら帰っていいんだよ?」
飽き飽きといった二人を見て、つい歓声まで上げてしまった自分が急に恥ずかしくなってしまい神崎がしょげた声を出す。
いつもの無駄に攻撃的な態度と違ってしおらしくなった神崎を見て、相当の恥じらいがある事を感じ取ったミラは隣で恥の上に恥を上塗りする不毛な作業に没頭しているバッドを揺すった。「おい、起きろ」
どうやら相当深くまで寝入ってしまったようで、声を掛けながら揺すってもうんともすんとも言わずにグーとかスカーとか寝息を立てるばかりだ。
捨てる程の恥を持ち合わせてはいない神崎が奇跡的に恥じらっているが、それが長く続くはずがない。今に恥じらいがぐるりと一周まわって怒りに変貌を遂げる事だろう。癇癪玉の破裂の割りを食うのは御免被りたいミラは何とかバッドを睡魔から引き剥がそうと強く揺すった。
「起きろって。カンザキ勝ったぞ。賭けはお前の勝ちだ」
「ヨッシャアアアアヒャッハアアアアア!!!」
「寝起きにテンションすごいなこいつ」
ポロッと口端から零れ落ちた言葉に反応して、奇声と共にバッドが深い眠りから目覚めた。神崎が感心しながら呆れ声を出してしまうほどに猛烈なテンションである。
首をゴキゴキ鳴らしながら、バッドは身体を解す為に伸びをした。
「しかし、思ったより早かったな」
決着は長引くものと見込んで寝入る事に決めたバッドは、投げ飛ばされたボスに目線をやりながら言った。「あっ」
バッドが頓狂な声を上げた時には神崎の頬を砲弾のような拳が打っていた。
勢いのまま地面を跳ねて吹き飛んでいく様は、さながら石切りのようである。転々と砂埃を起こして神崎はそのまま地面に転がった。
「ふぅー。さっきのは効いたぜ」
強烈な一撃を食らってもなお立ち上がるボスの頑強さには目を見張るものがある。しかし、それ以上に二人の目を奪ったのは、ボスの出で立ちであった。
「なんでこの人上半身裸なんだ」
二人は同時にそう思った。何故かボスは着ていたコートの上半身だけを脱いでいたのだ。
鍛え抜かれた鋼の肉体は天下に晒しても恥ずかしいものではないが、脈略もなく衣服を脱ぎ捨てられたら誰だって度肝を抜かれる。世が世なら通報される。
それがついさっきまでおふざけなしに殴り合いに興じていた人物とあれば、この脱衣には何らかの儀式的な意味合いが存在するのではないか、と要らぬ想像力を駆り立てられるものだ。
勿論何故服を脱ぐ必要があったのかボス本人に問う事など出来るはずもなく、ミラとバッドは固唾を飲んで戦いの行方を見守る事しか出来なかった。
「やりやがったなチクショウが!」
不意打ちを顔面に受けて吹き飛ばされた神崎が砂煙の向こうから吼える。明らかな怒気と共にボスの前に再び立った神崎の上半身はあろう事か裸であった。
「なんでこいつも脱いでんだ」
半裸の男が睨み合う戦場はまさに混沌を極めており、ミラの言葉など一切意味をなさない。畳み掛けられる超展開にバッドが怯えたように口を開く。「くっ、この調子でいったら次上半身裸になるのは俺か……!」
「なに? あんたは皮でも剥がれんの?」
その時バッドのバンダナが弾けた。
◇
再び対峙する両雄。しかし、その表情は対照的だった。
かたやボスは余裕の笑みを浮かべ、かたや神崎は怒りに眉を釣り上げている。そんな神崎の仏頂面を見て、更にボスは口角を上げた。「どうした。そんなに怒っちまって」
「てめえが怒らせたんだろうが」
ボスの言動の悉くが神崎の気を逆撫でるのだろう、怒鳴る最中も神崎の内をめらめらと燃やす怒りの炎は膨れ上がる。
「わかってないな、若いの。怒ったってどうしようもないのさ。怒るだけ無駄だぜ」
からかうようなボスの口調に堪忍袋を放り投げた神崎が飛びかかった。黒い学ランをはためかせ、先程と同じく真っ直ぐに突っ込む。
ボスはニカッと歯を見せて笑うだけで構えようともしなかった。それが更に神崎の怒りに油を注ぐ。
走る勢いと怒りに任せて神崎が拳を放った。ボスはそれを何の苦もなくひらりと躱す。
満腔の力を込めて放った拳は虚しく空気をしばき倒し、勢い余った神崎はバランスを崩しながらも態勢を立て直そうと踏ん張った。その隙を見逃さずボスは再び顔面へ拳を伸ばす。
顔を殴られるのはもう懲りた神崎は拳を防ぐために腕を顔の横まで持ち上げた。しかしそれこそがボスの狙いであった。
顔を再び狙ったのはガードを上げさせる為であり、本当に拳を打ち込みたかった箇所はガラ空きになった腹部である。
腹部を打擲された事により神崎は反射的に身体を屈めた。これは生物的な反射であり、幾ら史上最強であっても訓練を積み重ねない限りは到底抗える類いのものではない。
身を屈めると同時に顔をしっかり守っていた腕も自然と下がった。それをしまったと感じる前にボスの剛腕は神崎の顔を殴り抜けていた。
再び神崎は吹き飛ばされてごろごろと地面に転がった。
「なあ、神崎の奴」
凄まじいボスの猛攻を目にして、バッドが唖然と口を開く。神崎の実力の真髄をまだ目にしてはいないとは言え、横暴さと腕力から滲み出る貫禄は十分に神崎が強者であると断ずるに値するものであった筈だ。その神崎を殴って打って叩いて好き勝手暴力を振るうボスの姿は、得体の知れない凶悪な存在にすら見えた。
「ああ。このままじゃマズイかもな」
絶望的な気分に見舞われたミラが、歯がゆそうに応えた。しかし、どうやらバッドの興味は喧嘩の行方などではなかったようだ。
「いや、そうじゃなくってあいついつの間に服着たんだ?」
「お前さあ! カンザキが真面目にやってんだから、少しは真面目になれよ!」
バッドの疑問も尤もだが、タイミングを逸した発言は甚くミラの神経を逆撫でた。
今まで万事にあまり関心がなく、クールな立ち振る舞いに徹してきたミラが声を荒らげる。「流石にカンザキがかわいそうだろ!」
長い付き合いではないとはいえ、まさかミラの口からそんな殊勝な台詞が飛び出してくるとは思ってもみなかった為にバッドは唖然としてしまった。
だがその直ぐに何か勘付いたらしく、ニタニタと嫌らしい笑みを湛えて「え? なになに? そんな必死になっちゃって。あっー! まさかお前、あいつの事好きなのー?」とわざとらしい口調でバッドは言った。ミラは何処からともなく取り出した刃物でバッドの腹を突き刺した。
「おっと、これガチでキレてるやつだぞ」
怒りの発露の果てが暴力に至る事は往々にある事だ。とはいえげんこつに物を言わすならばまだしも、凶器の使用も辞さないとなるとその憤慨たるや生半なものではない。
「悪かったって。謝ります。ごめんなさい。ふざけ過ぎました」
容赦なく刃物を突き立ててくるミラを制しながらバッドは謝罪の言葉を並べたが、その態度は些か熱意に欠けていた。バッドが悪びれもなく言葉を繋げる。「でもよ、正直この喧嘩の勝ち負けなんてどうでもいいだろ」
「どっちが勝とうが負けようが、死のうが生きようが、大して俺には関係ない」
バッド達が今こうして喧嘩の観戦に興じているのは、神崎の短気が関係のない善良な一般生徒や建物に飛び火しないかを監視する為だ。善良ではない生徒との喧嘩の行く末がどうなろうとも、それに砕心してやる義理など彼には微塵にもなかった。
「カンザキが負けりゃそんだけの奴って事だし、ボスが負けりゃそん時もそん時だ」
「あんたって案外冷たい奴だったんだな」
ミラが拗ねたように言った。バッドは苦笑を湛える。
「お前は案外いい奴だったんだな」
「あたしは、そんなんじゃない。ただね」
ボスの一撃をくらい吹き飛んだ神崎が、顔についた砂を払いながら立ち上がった。ミラはその姿を視界に収めると、目を瞑って俯き呟いた。「あいつが負けると考えると気分が良くないんだ」
「ああいう無茶苦茶な馬鹿には勝ち続けてもらわないと、見てるこっちがなんだかスカッとしない」
自分で言っておいてばつが悪くなったのか、ミラが大声で言うのにバッドは呵々と笑って「そうか? 俺は鼻っ柱の強い奴がコテンパンにされるところを見るのは気分がいいがね」と返した。
「でも確かに、このまま順当に負けるってのも面白かないな。あいつにはもうひと暴れしてもらわなきゃな」
◇
何故ボスに勝てないのか。神崎の頭の中はその疑問で一杯だった。
自分は誰にも負けない程に強いはずである。こうしてボコスカと殴られまくる意味がわからない。何が足りないというのか。
神崎は頭の中で色々考えるが一向に答えは出なかった。これについては悪いのは頭だけではない。
答えがないまま半ばやけくそでボスに向かって突っ込んでは、殴られ吹き飛ばされる。そして再び考えては、答えが出ずにイライラして真正面から突っ込んでは殴られた。
そうこう不毛な玉砕を続けながら「どうして奴に勝てない。どうすりゃ奴に勝てる」と考えているとボスが口を開いた。
「もう立つな。お前さんの負けだよ」
それは神崎の頭を脳天からカチ割るような衝撃的な言葉だった。何故なら神崎はボスに勝てていなくとも負けている気など微塵にもなかったのだから。
事実殴られる事による精神的な苦痛はあるにしろ、肉体的にはまだまだ余裕があった。それでもボスの言葉を聞いた時、もしかしたらそうかもしれないと神崎は僅かにでも思ってしまった。
それが許せず、神崎は確かめるように「まだだ。まだ俺は負けてねえ」と口にする。
「やめときな、これ以上やったって勝ち目はねえ。それはお前さん自身もわかってんだろ?」
笑みを崩さず唾でも吐き捨てるようにボスは言った。
「俺は、負けねえ……絶対に……」
聞く耳を持たずに立ち上がる神崎に「だったら聞くが、お前さんはどうすりゃ負けるんだ?」とボスは問いかけた。「死んだらか? だったら」
「勝つまでだ」
言葉の続きを遮り神崎がはっきりと答えると、ボスは開きかけていた口を閉じた。
「俺は勝つまで負けねえ。つまり、誰にも負けねえのさ」
そう言う神崎の顔には満面の笑みが張り付いていた。
様々な思考が渦巻きあれだこれだとらしくなく考えてはみたが、結局何一つとして取るに足りる答えなどは導き出せなかった。挙げ句の果て神崎が得た天啓とは「とにかく自分は誰にも負けない」という根拠のない意地である。それが最も重要な事であるのに彼は気づいたのだ。
神崎の完璧な理論にボスは豆鉄砲でも食らったかのように目を丸くした。
呆気にとられるボスを尻目に神崎が力強く一歩を踏み出す。
「ぶちかませ、カンザキ」とミラが囃し立てる。
「骨は拾ってその辺に捨ててやるから安心してやられてこい!」と続けてバッドは笑った。
「そんときゃ化けて出てやるよ!」
拳を固めいて幾度もなく続けてきた無謀な突撃を再び神崎が決行する。呆然としていたボスもすぐに我に帰り、見飽きた無謀を迎え撃つ為に渾身の力を右手に込めた。「はん。性懲りもなく馬鹿みたいに真正面からかい」
「いいぜ。だったら俺も真正面から全力でぶっ潰す」
脇目も振らずにただ真っ直ぐに、ボスの懐に拳を叩き込む為だけに走る神崎の頭の中には、策など勿論の事ながら先程までぐるぐる回っていた疑問も頭の中にはありはしなかった。
「これで終いだ、坊主」
それはボスの拳が頬を打っても変わらなかった。容量の少ない神崎の頭に入っているのは、たった一つの信念だけである。
どうして勝てないとか、どうすれば勝てるとか、そんな疑問は瑣末な事でしかない。今考えるべき眼目とは、本当に強い者はそういうまどろっこしいことの向こう側にいるという事実である。
強いから勝つのか、勝つから強いのか。そんな不毛な議論を問答無用でねじ伏せて勝ち続けるから強者は強者たり得る。
それを体現する為にはどうすればいいのか、この事だけが今の神崎の頭の中を独占していた。そしてそれを達成するには、難しい過程など必要ではない事に気付いていた。
顔を殴打された衝撃で神崎の上半身は後方に押しやられ、踏み込むべき左足が地面から離れた。
ボスは吸い込まれるように綺麗に決まったストレートに悦楽すら感じていた。この一撃で勝利を確信していたのだ。
だが、その状況で神崎は踏み込んだ。地面を力強く踏みしめる左足は砂埃を立てる。
「このガキ……!」
全身に力を漲らせ、在ろう事かボスの拳を顔面に受けながら無理やり押し切ろうとしたのである。
あまりの力技に肝を抜かれたボスは判断を下すのが遅れた。小さな身体に自らの拳が押されていく様子をただ呆然と見守り、引く事を選ばなかった。
神崎は雄叫びと共に右足を踏み込んだ。
「俺の! 勝ちだあ!!」
全身全霊一切合切を乗せた拳は、ボスの強固な腹筋に深く食い込む。呻き声一つ立てないがボスの面様は雄弁に苦痛を物語っていた。
ボスの口からは掠れた呼吸音だけが這い出ている。しばらくぷるぷると震えていたボスの膝が、ついに耐えきれずに地面についた。特徴的だった不敵な笑みも今はその鳴りを潜め、苦しそうに冷や汗で顔を濡らしている。
「どうしたボス。そんな怖い顔してよ」
神崎は破顔して言った。「笑えよ。喧嘩は笑いながらするのが作法だぜ」
立場がまるっきし逆になりボスは様々な事を悟ったが、その一切を飲み込んで胃の腑に落とした。代わりに強がるように「へへへ」と笑った。
「全く生意気なガキだ。待ってろ、今立ち上がって……」
なんとか呼吸を整えるとボスは立ち上がる為に足に力を入れた。だが膝はプルプルと止めどなく笑うばかりで一向に立ち上がる気配を見せない。
根性のない膝に痺れを切らしたボスは、膝を鷲掴みにすると力を込める。するとプルプル笑いが止まらなかった膝も気を引き締めて、ようやくボスの強靭な身体を支える仕事を再開した。
立ち上がったボスの顔には再びあの不遜な笑みが浮かんでいた。ボスが拳を固める。
「お前の顔をまたぶん殴ってやる」
言うと同時にボスは一歩を踏み出した。神崎は穴が開かんばかりにボスの顔を睨みつけているが、決して構えようとはしなかった。
ボスの拳は神崎の顔面へとは向かわなかった。
次の足が踏み込まれる事はなく、ボスは地面にうつ伏せに倒れこんだ。もう立ち上がる事はないだろう。
大きく息を吐き「せっかくだからもう一度言わせてもらうぜ」と神崎は大声を出した。
「俺の勝ちだ」