最強が遭遇
ボスを倒すべく教室を飛び出した神崎だったが、肝心のボスの居場所がわからず学校中を酷い剣幕で右往左往していた。向かうところ敵なしの神崎であるが普段は向かうところもなく、あっちにふらふらこっちにふらふら不規則に暴力に物を言わせているが、向かうところを知っていても向かうところがどこにあるのか知れぬのではやっている事は普段と全く変わらない。
そうこうしてすれ違う者誰彼構わずの肝を抜いていると、見覚えのある扉を発見した。扉の右上にある看板には生徒会室と書かれている。
「うだぁー!! 生徒会長出て来いやあー!!」
「うわあー!! 怖いー!!」
扉を蹴破って生徒会室へ踏み入ってきた神崎の鬼気迫る面持ちに気圧されたカインは、すぐに剥がれる権威の皮を自ら脱ぎ捨てた。
「やい! ボスって奴の「待って! 助けて! 何が目的なんだ! 助けて!」
「居場所を教え「金か?! 金が目的なのか!? 何でもいいから助けて!!」
カインの激しい命乞いは悉く神崎の言葉を遮り、元から切れていた堪忍袋の尾を更に細切れにした。「うがあー!!」と叫んで容赦なくカインの首をあらぬ方向へひん曲げる神崎の姿は、さながら悪鬼羅刹のようである。
「うわあー!! 会長の首がー!! 強いー!!」
閑静な生徒会室はあっという間に阿鼻叫喚の地獄へと変貌を遂げた。
◇
「ボスの居場所?」
神崎がボスの居場所を尋ねるとカインは眉を顰めた。
あれ程に憤然と乗り込んできたので、一体どんな無茶苦茶な要求が飛び出してくるかと覚悟していたために肩透かしを食らったのだ。それにボスの居場所については既に神崎に話していた筈である。
「……それ前に教えたよね?」
「教えてない」
「そっか。教えてなかったか。ごめんね」
あくまでしらを切る神崎に対してカインは食い下がるような事はしなかった。敵に回したつもりがなくともいつのまにか敵に回っているような男だ、神崎とまともに対話を出来ているうちは下手に刺激しない方が得策である。
カインはいち早くその事に気付いたのだ。気付いてもあんまし意味はないが。
「ボスは東にある旧校舎を根城にしてるよ」
「なるほど。で、東ってのは」
「あっち」
「おう! じゃあ行ってくる!」
元気よく挨拶すると神崎はカインが指差した方へ真っ直ぐに突っ走った。生徒会室の壁に穴を開けて出て行く神崎の後ろ姿をカインは涙ぐんで見守る事しか出来なかったという。
目の前に壁があろうが何があろうが粉砕しながら突き進むその姿は、諸方で「馬鹿が壁を粉砕している」と言わしめる程であった。身も蓋もないないが的確な目撃情報は瞬く間に学園中の噂を席巻せしめた。
敢え無く貧乏くじを引いてしまったミラとバッドが噂を耳にしたのも神崎が直進進軍を始めてすぐの事であった。
ミラがボスの居場所を学校敷地内の東端に建っている旧校舎である事を覚えていた為、彼らはそこを目指して歩みを早めた。これ以上神崎が学校に迷惑を掛けるのを看過する事は、彼らの中のなけなしの良心が許さないのだ。
一秒でも早く神崎を止めるために走った二人は、敷地内の東端に建っている旧校舎の前で歩みを止めた。
神崎に追いついたのだ。
◇
旧校舎は老朽化の為に現在は使用されておらず、今にも倒壊しそうなオンボロさは幽霊や留年生の一人や二人出てきても何ら不思議に思わせないただならぬ雰囲気を醸し出していた。見窄らしさも極めれば一種の妖気へと変わるのだろう。しかし実際建物から出てくるのは、ネズミと不良生徒ぐらいのものである。
旧校舎の立て直しについては長らく計画されていたが、未だに実施されていないのはボス率いる不良集団がそこをアジトとして住み着いてしまっているからだ。ボスを下手に刺激したくない学校運営陣は、工事の延期を止む無くされていた。
ボスは腕力も然る事ながら某士としての才も持ち合わせていた。
学校運営に食い込む巧みな策謀により、生徒会四天王はもとより教師陣すらも彼に逆らおうとはしない。しかしその振る舞いは目に余るものがあり、授業に出る気もないのに学生を名乗る事など朝飯前で、勝手に気に入った生徒を裏口入学などと称して入学させてしまう事すらある。
そのついでに斡旋料をせしめて、お小遣いも稼いでしまう横暴振りには学校運営側から感心する声すら上がった程だ。更には裏口入学で入ってくる生徒の殆どがボスに同調するような悪漢外道の類であり、私服を肥やすと同時に勢力の強化すら行い学校側との戦力差に拍車をかけた。
彼の卓越された手腕にうかうか感心してられないのが現状である。
ボスとその権威に笠を着た不良生徒達が、学校運営にとって目の上のたんこぶである事は誰の目にも明らかだ。しかし摘出しようにも仕返しが怖く、長らく手も出せずにボスの横暴に目を瞑らざるを得ない時間が続いていた。
そこで生徒会長であるカインは、このやんごときなき状況を打破すべく一計を案じる事にした。
その一計とはボスが私腹と戦力を肥す為に行なっていた裏口入学を利用するというものである。裏口入学者に秘密裏にコンタクトを取り、先に丸め込んでやろうとしたのだ。
その対象となったのが神崎である。
しかし神崎は生徒会四天王の想像を遥かに超える暴れ馬振りを見せつけ、在ろう事かカインの首と共に計画を挫きにかかった。
あえなく策謀は頓挫するに思われたが、カインはそこで機転を利かせて直接神崎をボスへぶつける事にした。
当初の目論見では丸め込んだ生徒をスパイとしてボス陣営に送り込むつもりだったが、生徒会四天王を一人でコテンパンに出来るほどの驚くべき膂力を持ち合わせた神崎ならば、まどろっこしい事などやらせずともボスを倒せるのではないのかと考えたのだ。
問題は締める手綱もなく怒り散らす暴れ馬をどうやって乗りこなすであるかだが、神崎の攻撃的で単純な性格も懐柔する事は難しくとも、暴走先を制限してやることぐらいは出来るだろうとカインは踏んでいた。しかしカインの言葉巧みな挑発とは関係のない所で、神崎はボスを殴り倒す意を固めたのである。
生徒会長のカインがボスに対して神崎をぶつけようとしたのは、神崎がボスにも対抗し得る力を持っていると同時に、神崎がボス側にも学校側にも属していない無頼漢であったからだ。もし仮に神崎がボスを退ける事に成功したならばそれに乗じて不良生徒たちを学校内から排除し、権威を学校側に取り戻すことができる。神崎が敗北した場合は、彼とは全く関係がないとしらを切る事が可能である。神崎の性格上、ボスに同調するような事も起きない。神崎の制御が出来ない事以外は完璧な作戦である。
奇しくも自らの手で入学させた者の手により、ボスは追い詰められようとしていたのだ。
◇
ボスが根城にしている旧校舎を前にして、神崎は値踏みをするように古びた建物を睨みつけている。ミラとバッドは悟られないように物陰に身を潜めてその動向を伺った。
「ボスって奴はあっこにいんのか?」
バッドが旧校舎を指差しながら言った。旧校舎の正面入り口の前には五人ほどの不良生徒が見張り役として暇そうに屯している。
「会長さんの言うにはね。あいつの性格からして今にでも正面切って飛び込むぞ」
ミラがそう応えた端から、神崎は旧校舎に向かって歩き出した。それに釣られるように不良生徒達も神崎へ歩み出す。
神崎を止める為にやってきた二人は本来ならば接触したら喧嘩必至のこの状況を静観することは許されない。しかし、喧嘩相手も不良ならば話は別である。悪い奴同士の喧嘩は誰かに得があっても、善良な市民に損になるような事は少ない。
何より喧嘩は彼らにとって中々に面白い見せ物であった。
「おい、トサカ頭。何の用だ?」
挑発じみた言葉が始まりを告げるピストルの音代わりになるかと思われたが、神崎は意外にもこれを無視して彼らの合間を通り抜けようとした。言うまでもないが見張りの彼らがそれを黙って見逃す筈がない。
「待てよ。おい」
言葉と共に肩に置かれた手が神崎の動きを止めたのは数秒の事だった。
神崎は不良生徒の手を掴むとそのまま払いのける。たったそれだけに見えたが、不良生徒の方はひん曲がった手を抱きかかえるように蹲っていた。
「痛い痛い」と頻りに呻く不良生徒を心配して周囲の他の生徒が声をかけた。「ショウ君、大丈夫か?!」「しっかりしろって」
これもまた言うまでもないが、短気よりも気の短い神崎はとっくに怒っているのだ。手の施しようのないブチギレである。
「こえぇ、無言で手をへし折りやがった」
「ところであいつなんでキレてたんだったっけ?」
「そこがわからないのが一番こえぇ」
どう見ても尋常ではない神崎のキレ振りは、見てる人間を慄然とさせる程だ。なのにどう思い返してもこの激情に似合う程の根因などは思い当たらない。せいぜい都合が悪くなって、全責任をボスなる人物に転嫁しようと癇癪玉を投げつけた程度だ。
持て余した怒りを解放しただけでこの有様である。神崎の癇癪玉のデカさと堪忍袋の狭さは全くもって計り知れない。
今しがた人一人の手を握りつぶしたというのに素知らぬ顔で神崎は旧校舎へと歩いて行く。
「おいてめえ!」
そんな神崎を止める為に声を上げた不良生徒の度胸たるや、生半可な気持ちで不良行為に耽る不健全な不良とは一線を画する。
「話しかけるんじゃねぇ」
神崎は振り返る事すらなく、明らかに不機嫌な口調で言った。「俺は手加減出来るほど頭良くねえぞ?」
自ら頭の良くないことを認める発言に、バッドはどこかホッとしたように「自覚あったんだな」と呟いた。その舌も引かぬ間にバッドの額めがけて石が目にも留まらぬ勢いで飛んできた。
「マジで手加減できないんだな」
衝撃故に砂となって空気中に飛散した石ころと、白目を向いて地面に倒れ込むバッドの姿を目にしたミラが冷静に言った。
倒れたバッドの額からはこんこんと血が溢れて辺りを赤く染めていく。どう見たってこの大げさな出血は致死量である。
一切の手心を感じさせない強烈な一撃に自らの命の危機を感じたミラは、両手を上げて神崎の前へと姿を現わした。「はーい、カンザキ。あたし達の負け。だからそれ以上石投げないで」
ミラとバッドが物陰でこそこそ影口を呟いていたのは初めから知っていたので、神崎は彼女の登場には驚かなかった。
「さっきからお前たちぐちぐちうるせーんだよ」
手の中で石を弄びながら神崎が言う。
「悪い、悪い。聞こえてないと思ってたんだよ」ミラはどこか言い訳めいた口調ではぐらかした。
「石っころ一つで人を殺すなんて……む、無理だ……こんな奴に勝てる訳ねぇ……」
手をへし折られただけでも萎縮に萎縮して、臆病風に吹かれて今にも吹き飛びそうになっていた度胸を意地を張って押さえつけていた彼らも、飛礫一つで人を殺める恐るべき腕力を前にはついぞ意地も度胸も放り出した。
神崎が会話をしているうちに逃げ出してしまおうと、不良生徒達は出来る限りの抜き足かつ早足でその場から逃げ始めた。
「ところでなんでお前達がいんだよ」
不良生徒達がせっせと逃げ出す中、二人がこそこそ様子を伺っていた理由に神崎の興味は向いていた。
「てめぇが人様に迷惑かけないか心配で追いかけてきたんだよ」
前額部から尋常ではない量の流血を伴いながらも、いつもと変わらない憎ったらしい口調でバッドが言う。その姿を見てミラが思わず「あ、生き返った」と口にしてしまうのも無理からぬ話だ。一人分が流したとは思えぬ血の海から立ち上がるバッドの姿は、黒魔術か何かで復活した死者のようですらある。
「誰が迷惑なんかかけっかよ」と神崎が平然と言う。
今までの暴挙の数々で他人が被ってきた被害は甚大であるが、神崎に掛かればそんな一々も覚えておくような出来事ではないのだ。
末恐ろしい横暴さを遺憾なく発揮する神崎だが、流石に今しがた壁を粉砕して一直線に突き進んでいたことは覚えていたようで、「でも壁に穴開けてたじゃん」とミラが指摘するとどこか照れたように鼻を擦った。「へへ、壁ってのはぶち破る為にあんだよ」
「ねえよ。イカれてんのか」
言い訳ついでの持論が否定された現状、神崎に残された最後の手は逆ギレして全てをうやむやにする事だけであった。
この人間関係に軋轢を生じかねない危険な切り札を神崎は惜しげもなくばら撒いて、人間関係を盛大に拗らせてきた過去を持つ。四方八方に敵を作り続ける馬鹿らしくも漢らしい生き様に感化された者も少なくはないらしい。史上最強になった現在では、その悪癖に磨きがかかっていた。
磨きがかかった切り札を今まさに両者に叩きつけてやろうと拳を握りしめた時であった。「待っていたぜ。カンザキ・ユウジロウ」と後方から声をかけられたのは。
「うっせ!こっちは立て込んでんだ!」
掲げた拳を引っ込める事を知らない神崎は、やけに低い声に振り向くと同時に拳を突き出した。
二人分の切り札を理不尽に受ける羽目になった気の毒な人物は、腹部に鉄拳を受けて百メートル後ろに吹き飛ぶ。筈だった。
神崎の拳は腹部に届く前に分厚い手により止められていた。それに一番驚いたのは拳を放った本人である。
神崎が顔を上げると、随分と大柄の男が歯を見せて笑っていた。
「血の気が多い事は結構なこった」
その大柄の男こそ、ボスと呼ばれる不良生徒達の親玉である。