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最強の怒り

 自己紹介が終わった後、今後の予定や方針についての話があったが、エドが話し始めてから三秒程で眠ってしまった神崎含め話を聞いている生徒など殆どいなかった。当然放課中に今後の授業を話題にあげる生徒らしい生徒などいるはずもなく、自己紹介から今に至るまでずっと眠り続けているヴォルベルドが話題の中心になっていた。当の本人はそんな事いざ知らず、いびきを立てながら露骨な鼻ちょうちんまで作って、まさに熟眠の極致にいるといった具合である。


「こいついっつも寝てるよな」


 バッドが怪訝そうに言った。「よく入試に受かったな」


「こいつもしかして裏口入学でもしたんじゃね?」

「ああ!? 証拠あんのかよ!! 証拠!!」

「何キレてんだ、こっわ」


 バッドが冗談めいて言うのに、突如神崎が沸然として怒鳴る。誰も神崎が裏口入学をした云々の話をしていないので、急にキレだした事に恐れを抱くのも仕方がない事であった。しかし、誰もがヴォルベルド以上に神崎が入学できた事を疑問視していたのも事実である。


「てか、裏口入学なんてシステムあんのかよ、この学校に」


 すぐ近くに裏口入学を果たし、この学校に未曾有の災厄を無自覚に齎さんとする男がいることなどつゆ知らず、ゼンが裏口入学の存在事態に疑問を呈した。

 ボンゼが得意げになって笑った。「どうやらそれがあるらしいんだ。その手のことを斡旋する輩がいるだってさ」


「まじかよ、トンチキ」

「トンチキって誰だよ」


 神崎が盛大に名前を間違えた事に悪意を感じたボンゼは、子供をあやすような声色を出した。


「あのね、カンザキ君、ついさっき自己紹介したじゃん。聞いてなかったの?」


 以前に毒殺せんとした事を根に持って、名前をわざと間違えるという陰湿な反撃に出たのではないかとボンゼは疑ったのだ。しかし、本当に名前をトンチキと思ってる可能性も捨てきれない。神崎にはそう思わせる程の凄味、言い換えると何が起きたって不思議に思わせない有無言わせぬお馬鹿さがある。


「だからトンチキって」

「聞いてなかったんだな。よし」


 意地でも自分の事をトンチキと呼ぼうとする神崎を制して、先程行った自己紹介をリピートする。


「僕の名前はボンゼ。改めてよろしく」

「ぐー」

「なんでこいつ寝てんの?」


 短い自己紹介が終わらぬうちに神崎は昏睡した。これは生徒会室でも見せた神崎の得意技の一つ、狸寝入りである。

 この技の恐ろしいところは、鼻ちょうちんを膨らませぐーすか暢気にいびきを立てる、真に迫った寝姿だけではない。恐ろしいのは「もしかして本当に寝ちゃった?」などと思わせる神崎の人柄にあり、また、神崎本人寝てるフリをしてうっかり本当に眠ってしまう事もある。その状態でも近づこうものならば、獣じみた反応で首根っこを掴まれ、首がおもしろおかしい方向へひん曲がる事になるだろう。

 この隙だらけなのに奇跡的に隙が生じない完璧な技を破る方法は今のところ発見されていない。「近づかなければ首をひん曲げられる事もあるまい」と至極当然の事を思う方もいるだろう。だがそれを実地に試したところで、神崎の方から近づいてきて首をへし折ってくるのでどうしようもない。どうしようもないので逃げようものなら、わざわざ追いかけて首をへし折ってくるので手の施しようがない。そもそもそこまで来たら狸寝入りでも何でもないが、そこを指摘しようものなら首をへし折りに掛かるので会話にもならない。神崎に狙われたならば素直に諦めるのが賢明である。


「ヴォルベルドにつられて寝ちまったんだろ」

「カンザキもヴォルベルトもよく眠れるよな、こんなところで」


 バッドが苦笑しながら言うのに、ゼンが同意して頷く。


「てかヴォルベルト君って寝ながら動けますよね。スゴイですね」


 ノーニアが呑気な事を言って、周りも「確かに」と和気藹々と談笑に花を咲かせ始めた。未だ納得のいかないボンゼだけその中で顔を歪めている。ミラがその様子を見兼ねてボンゼを宥めた。


「まあ、気にすんなってトンチキ」

「なんで寝てる奴の名前知ってて、僕の名前知らないの?」


 ボンゼが至極真っ当な事を言うのに、ミラ達はお互いの顔を見あってきょとんと呆然とした。「なんでって、ヴォルベルトはちゃんと自己紹介してたじゃん」「うん。してたな」「してたしてた」と頻りに確認するように声を出し合う。これに良からぬ意思を感じたボンゼは、頑なになって自分が自己紹介を行ったとする姿勢を突き通した。「だったら僕もしたよ。そこの寝てる奴よりちゃあーんとね」


「ああ、してたね。ちゃんと」

「覚えてるぜ」


 ミラとバッドはお互い顔を見合わせて、自己紹介の場面を思い浮かべた。お互いに共通して思い浮かべた自己紹介の場面でボンゼは溌剌に「トンチキ! よろしくね!!」と叫んでいる。


「全然覚えてないじゃん」


 もちろんそれは彼らの頭の中での出来事であり、事実とは大きく逸脱していた。やはり神崎以外も意図して自らの名前を間違えて呼んでいることに憤慨したボンゼは、四面楚歌の状況下であるにも関わらず自らの境遇は不当なものであると主張した。


「これはアレだな、イジメってやつだな! 知ってるぞ! 僕が何したって言うんだよ!」

「俺を毒殺しようとしただろ」

「未遂だからセーフ!!」

「余裕でアウトだよ」


 未遂であれば大丈夫であるとのボンゼの理論は、ものの数秒でミラにより反駁される。細かい事を説明しなくとも他人を手に掛けようとした者を看過できる筈がない。


「でも、でも、そんなこと言ったらカンザキ君だって僕を殺そうと磔にしただろ!」


 ならばと、言わんばかりにボンゼもそう反撃に出た。


「未遂だからセーフ!!」

「いや、お前もアウトだよ」


 神崎も全く同じ主張をしたが、やはりこれも看過はされてはいなかった。


「ああ?! じゃあ全員かかって来いや!! イジメ返してやる!!」

「ほら、こんなに力強い奴、誰がイジメられるって言うんだよ」


 だからといって誰も神崎を咎める事も出来ないので、いじめの対象は陰湿にもボンゼになったのである。これにはボンゼも反論の余地を見出せなかった。


「だから諦めろってトンチキ」「今日からお前はトンチキだ」「トンチキって名前に早く慣れろよ」「トンチキよろしくねー」「トンチキ! トンチキ!」「うー! トンチキ!」


 余程トンチキという名を気に入ったのか、クラスメイト達は嬉々として連呼する。もはやボンゼをイジメたいのか、ただトンチキと言いたいだけなのかわからない有様になってきた。


「トンチキじゃねぇ、つってんだろ」


 しかしそんな馬鹿げた様子であるが本人とっては心底辛かったらしく、貯め涙を湛えて小さな声で呟いた。そのあまりにも惨めな震え声に、お祭り騒ぎでトンチキトンチキ連呼していた彼らも居たたまれなくなり一斉に謝り出した。


「ごめんな、俺たち調子に乗りすぎたよ」

「ごめんね。ほら、泣かないで」

「泣いてねえよ……」

「これで涙拭きなって」

「泣いてねぇつってんだろ」


 手のひらを返されて謝られたところでボンゼの傷心がすぐにでも癒される訳がない。それは当然の事であり傷つけた本人達がとやかく言える立場ではないのだが、神崎にはそんな事は関係なかった。ムカつく時には怒るし、悲しくなっても怒るのが神崎流である。「ああ!! どう見たって泣いてんだろてめえ!!」


「うわあーん!!」


 胸ぐらを掴んで怒鳴り散らす神崎に圧倒され、ボンゼはついに声涙を堪えることができなくなった。みっともなく号泣するボンゼよりもみっともないのは、そんな相手にブチキレる神崎である事は言うまでもない。


「おーい! やめろカンザキ!!」

「お前には優しさってものが存在しないのか!」

「この鬼!! 悪魔!! 犬畜生以下!! 外道の極み!!」


 周りも神崎の蛮行を止めようとしたが、一度暴走を開始した神崎を制止させるのには骨を折った。





 神崎を止める為に近づいたバッドの首がおもしろおかしい方向へ曲げられかけるアクシデントなどがありつつも、何とか暴走を止めることに成功したFクラスの面々は再びボンゼに謝罪を試みた。その頃にはボンゼも自らの醜態を恥じていて、お互いに落とし所を探り合う妙な空気で教室は充ちていた。


「ごめんな。こいつアホだから手加減を知らなくって」


 ミラが今までの事は恰も遊びであったかのようないじめっ子特有の発言をした。しかし、共に居たたまれない気持ちになっていた両者にとってこれはファインプレーである。このまま全責任を神崎に押し付けて、悪の権化はこの愚か者であるとすればお互いの過ちも水に流せて、残るのは処理のしようがない大悪党一人になる。


「ほら! お前も謝れって!」


 バッドが神崎に謝罪を急かした。もちろん神崎が素直に謝る訳がない。


「ごみん☆」

「しっかり謝れよ! 怒るぞ!!」


 照れ隠しなのか単純にふざけているだけなのか、さもなければそのどちらもなのか、真意については諸説あるが頭が悪い事だけは確かである。怒るぞと言いながら怒るゼンにもそれはわかっていた。漫才じみたやり取りにより、お茶を濁そうという腹づもりなのだ。


「取り敢えず機嫌直せって、えーと、えっと」


 その隙を空かさず縫ったミラが、落とし所を見極め最期の詰めに入ろうとした。だが、そこでしくじった。


「ボ、ボン……ボン……」


 ボンゼの名前が出てこないのだ。あんだけトンチキと騒いでいればうっかり忘れてしまうのもわからないでもないが、これは致命的である。


「ボンクラ」


 神崎がボソッと言った。


「ごめん、ボンクラ。もう名前間違えないから」

「トンチキでいいよもう!」

「ひゅー! トンチキ!」


 斯くしてボンゼ改め、トンチキが誕生した。





 ヴォルベルドの寝付きの良さに端を発した名前間違え事件は、ボンゼの改名で終結を見た。その後、話題は件のやり取りで上がった裏口入学についてにシフトしようとしていた。


「そんでよ、裏口入学の話の続きなんだけどよ」

「え? なに? 死にたいって?」

「耳腐ってんのか、こいつ」


 ヴォルベルドが裏口入学でもしたのではないかと訝しんだ際も神崎は自分の事のように怒鳴り散らした。そんな露骨な態度を続けていれば、ただでさえ何もしなくとも怪しまれているのに疑念は更に真実味を持ってくる。


「なんでお前そんなに裏口入学に反応すんだよ」


 バッドがついに皆が思っていながらも痛い目に合うのを嫌って言わなかった事を口にした。「怪しいな……カンザキお前、もしかして……裏口入学なのか?」


「ギクギクギク!!」

「めっちゃ口でギクギク言っとる」


 やはり神崎は露骨な反応を示した。


「馬鹿野郎、俺が裏口入学なんてしたわけ」


 手遅れの気が強いが神崎が反論しようと口を開いた際、教室の扉が開き男が一人教室に入ってきた。やってきたのは神崎に裏口入学の斡旋を行った男である。


「カンザキ・ユウジロウ君います? 裏口にゅ」

「必殺! 流星飛び膝蹴り!」

「がばしゃ!!」


 流星飛び膝蹴りとは有り体に言えばなんの工夫もない飛び膝である。しかしその破壊力は必殺の名に恥じず、当たりどころが悪ければ絶命、良くても気絶は免れない。

 言い終わる前に神崎の必殺技が炸裂し、男の意識を奪った。運良く当たりどころが良かったようだ。だがあまりの必死さに周囲もいよいよ我慢ならず騒めき始めた。


「おい、カンザキ。そいつ、裏口入学がどうとか」


 ミラが動揺しながら言った。


「違う!! こいつは敵だ!! 許せん!」


 一体誰の敵なのか、具体的にどう許せないのか、詳細は全くわからないがとにかく神崎は怒っている。

 迷惑千万な怒りを振りかざし、いよいよ男の命すらも奪わんと意気込む神崎の様子を差し置いてトンチキがいらん事を口に出した。「いや、確かそいつだよ。『ボス』って奴の手下で裏口入学の斡旋をしてるんだ」


「つまりカンザキ、君は」

「必殺! 流星飛び膝蹴り!」

「べばじゃ!!」


 言い終わる前に神崎の必殺技が炸裂し、トンチキの意識を奪った。またも運良く当たりどころは良かったようだ。

 意識を失い膝から崩れ落ちるトンチキを神崎が抱えた。

 暫しそのまま硬直していたかと思うと、僅かに神崎の身体がプルプルと震え始める。何事かと不審に思うや否や、滾滾と沸き立つ怒りが肉体を突き破り周囲に充満し始めた。神崎の癇癪玉のデカさを表現するかのような逆立った髪もまさに怒髪天を衝くといった有様で、その異常なほどの怒りに更に総立つ。


「ゆ、許せねえ……」


 ぎちぎちと音を立てるほどに噛み締めた歯の間から這い出てきた言葉は、激しい怒りにより震えていた。

 何が気に食わないのか常時怒りっぱなしの神崎であるが、周囲を黙らせるほどの怒気を放ったのは今回が初である。その理不尽な怒りの矛先がどこに向かうのか気が気でないクラスメイトの面々は、固唾を飲んで神崎の癇癪玉の動向を伺った。


「俺のクラスメイトをこんな風にしやがって……ぜってえに許さねえぞ!! ボス!!」


 怒りの矛先は全てボスと呼ばれる人物に向けられた。とばっちりを受けずに済んだ周囲の面子はそっと胸を撫で下ろした。

 「俺がぶっ殺してやる!!」と叫びながら神崎は物凄い勢いで教室から飛び出した。そのあまりの勢いには、この後に行われる授業の事など毛頭考慮に入っていない事が見て取れる。

 疾風怒濤の勢いで怒り散らす神崎の理不尽さには、一様に怯える事しか出来なかった。ボスと言う人物が誰であるかはわからないが、あの調子では他人に迷惑をかける事は必至である。それをむざむざ見逃してしまった事に責任を感じたFクラスのメンバーは、柄でもなく尻拭いをしなければならないと思い立った。


「おい、止めなくていいのかあれ?」

「そう言うならお前が止めて来いよ」

「これは全員の責任だろう」

「く、くじで決めましょ、誰が止めに行くか」

「絶対ズルすんなよ! ズルしたら死刑な!」


 しかし誰一人として、率先してその役回りを請け負うとする者は現れなかった。

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