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黒薔薇の史記  作者: Silly
7/7

Episode7 二重ノ戦慄

 頭の螺旋が外れたようにカナリアは笑い声を上げる。その様子はヒステリーでも起こしたかのようだった。


「お嬢の仇、必ず討たせてもらいますよ……」


 動かなくなったサフィをじっと見つめていたセクトがおもむろに呟く。カナリアは笑うのを止めて前脚での拘束からセクトを解放した。立ち上がって剣を構えるセクトにカナリアは余裕の笑みを浮かべている。


「せっかくだから遊んであげるわ、騎士様。その代わり、あたくしを楽しませてね?」


 悪魔の如く凶悪な笑みを浮かべるカナリアをセクトは憎しみの篭った碧眼で鋭く睨み付けた。刹那、神速のような突きを繰り出すセクト。カナリアは鋼のように頑丈な脚でそれを素早く弾いた。だが怒りの炎を燃やしながらも冷静なセクトの攻撃は修羅のようで、カナリアは圧倒され反撃できない。


「見事な剣技ねぇ……。これは予想以上に楽しめそうだわ」


「少し黙っていただけませんか」


 セクトは無表情でそう告げると一気に飛び上がる。下半身の防御に気を取られていたカナリアの無防備な口に狙いを定めるとセクトは剣で縦に切り裂いた。血飛沫が飛び散りカナリアは悲鳴を上げる。巨大なカナリアの体を蹴り飛ばしてセクトは後ろに宙返りをして距離をとった。


少しは効いたか? カナリアは悲鳴を上げた直後、全く動かずに地面にぐったりとしている。安心してセクトは剣を地に突き刺し溜め息をついた。


「アハハハハハハ!!!」


 突如、不快な笑い声が辺りに響く。やはり一筋縄ではいきませんね……。セクトは再び剣を構えてカナリアを睨んだ。


「騎士様ぁ、貴方本当に強いのねぇ? そこまでの業をなせる人なんてほとんどいないわ、褒めてあげる」


「カナリア様に褒められても嬉しくありません」


 ヒステリックなカナリアにセクトは冷たく即答する。化け物と化した少女はもう一度高笑いした。余裕を見せ付けるかのように。


「冷たいわねぇ。サフィに褒められた方が嬉しいのかしら? でも……貴方が相手にしてるのは人間なんかじゃない、怪物。残念ながら勝ち目はないわ」


 カナリアの口を縦に切り裂いた深い傷が見る見るうちに再生していく。あまりの自然治癒能力にセクトは驚きを隠せないでいた。


「やはり、化け物ですね。傷が浅かったか……」


 セクトに向かってカナリアは突進する。人外の速度で襲い来るそれは人が直撃すれば全身骨折で即死するほどの威力がある。下半身に隙間がある。そこから切り上げられそうですね。セクトは動きを冷静に分析。そして、素早く屈んで低い体勢になりカナリアの脚の間をすり抜けて剣を上に翳しながら滑り込んだ。下半身の蜘蛛のような部分の肉を切り裂きながらセクトは進む。裂かれた所から滝のように大量の鮮血が溢れ出てセクトの全身を紅に濡らした。


「アハハ……容赦ないのねぇ。じゃあ……そろそろ遊びも終わりにしましょうか」


 綺麗に切り裂かれた自身の下半身を一瞥するとカナリアは後ろに上手く回り込んだセクトの方に向き直り大口をゆっくりと開ける。涎が垂れ落ちるその口から白い糸のようなものが突如飛び出す。大量の血を浴びてしまい視界が悪くなっていたことと、予想外の攻撃に反応の遅れたセクトに得体の知れない白い糸が降りかかった。


「こ、これは!?」


 粘着性の強い糸はセクトを捕らえて離さない。必死に暴れて脱出を試みるセクトを見てカナリアは残忍な微笑みを浮かべた。爛々とする蒼眼はまるで罠にかかった獲物を嘲笑うかの様だ。


「蜘蛛は糸で獲物を捕らえるでしょう? 騎士様は蜘蛛の巣にかかった蝶。これから私に屠られ食べられてしまうのよ」


 ゆっくりとカナリアは歩き出す。だんだんセクトとの距離が縮まっていく。それはセクトの命の尽きるカウントダウンのようであった。死神の処刑鎌のような前脚を上げて狂喜の笑みを浮かべる。容易く人など切り裂く鋭い先端がセクトに狙いを定められて勢いよく振り下ろされた。


 私もここで死ぬのか。お嬢、仇を取れず、誠に申し訳ありません……。死を覚悟しセクトは目を瞑る。直後。肉が抉られ貫かれた時の不快な音が響く。鮮血がドッと溢れ出していく。ペンキをぶち撒けるように全てを赤く染め上げていく。


 ……だが、貫かれたのはセクトではなくカナリアの方だった。セクトに突き刺さる筈だった足は軌道がずれてセクトの真横の地面に刺さっている。あり得ないといった表情でカナリアは引きつった笑いを浮かべた。


「ど、どういう事……かしら……?」


 息を荒くして口から血をだらだら流すカナリアの胸部を尋常ではない太さのイバラが捻じ込むように貫いている。その根を辿ると、なんとうつ伏せに倒れているサフィの背中から伸びてきていた。いつの間にか、彼女の背中からは無数のイバラが生えており、そのどれもが不気味に蠢いていて禍々しい。サフィはゆっくりと立ち上がった。斜めに切り裂かれた深い傷は跡形もなく消えてしまっている。


 一体これは……。憎悪を具現化したようなその姿はまるで黒獣のよう。セクトは戦慄を覚えた。カナリアを貫いていた一本が収縮していき背中の他のイバラに紛れていく。


「お嬢……なのですか?」


 本当にサフィなのか半信半疑の様子でセクトが尋ねた。その声には恐怖が入り混じっている。


「大丈夫よ、セクト。カナリアは私がなんとかするから、貴方はそこで見ていて?」


 セクトに顔を向けてサフィは柔らかく微笑む。それは紛れもなく“サフィ”だった。

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