Episode6 屠リ喰ラウ者
「あ、あ……」
恐怖でサフィは凍りついた。それは、自分の父母を殺めた黒獣と、カナリアと思われる化け物が酷似していた為である。その大きさは以前のカナリアの二倍以上までになっており、下半身はまるで蜘蛛のような、巨大な六本の足が生えている。その一本一本がブレード状になっていて、簡単に人など引き裂けそうだった。上半身の骨格は人と似てはいるものの、下半身同様、漆黒の毛が全体を覆い尽くしており、この世のものとは思えぬ異常さを感じさせた。腹部には、両端まで裂けた口があり、鋭い牙がズラリと並んでいた。
「貴女は……カナリア様なのですか……!?」
驚愕の表情を浮かべるセクトにカナリアは言った。
「そうよぉ? 醜いわよねぇ……、これが今のあたくしの姿。」
その声は先程までの高い声ではなくとても低い。カナリアの体が異常な変化を遂げた事を物語っていた。
「じゃ、じゃあ……この街に誰も人がいないのって……?」
震えた声で言うサフィにカナリアはニヤリと笑う。
「えぇ…みんなあたくしが屠り喰らって差し上げたわ。一人残らず……ね」
思い出すかのようにカナリアは舌なめずりをした。その様子は、途轍もない狂気をサフィ達に与えるには十分だった。だが、サフィにさっきまでのような震えはない。身構えて、今にも斬りかかりそうなセクトの前に、サフィは自分の手の平を出す。サフィの覚悟を感じ取ったセクトは一歩下がった。そして……落ち着いた声色でサフィはカナリアに語りかけた。
「カナリア……どうして貴女はそんな姿になってしまったの?私に教えてほしい……お願いよ」
暫くカナリアは黙り込む。……すると突然、サフィを切り裂こうと前脚を振り上げてきた。
「危ない!」
セクトがサフィを抱きかかえて危機一髪、カナリアの攻撃を回避する。先程までサフィがいた場所には小さなクレーターができていた。計り知れない破壊力に二人は戦慄を覚えた。
「そういうね。私達友達だったじゃない、みたいなのって腹が立つのよねぇ。公爵家の令嬢で、しかも兄弟も姉妹もいないから、何の努力もなしで跡継ぎになれる。最高の人生を約束されていた人に、優秀な姉のいたあたくしの気持ちが分かると思っているの? 笑わせないで」
カナリアの怒りの感情が爆発する。サフィはセクトに礼を言って、その様子を見据え立ち上がった。
「ふざけた事を言わないでよ。私だって死ぬほど努力したわ…貴女の想像を絶するくらいにね。でも、私の家は潰された、貴女と同じようにね。それなのに何の逆恨みよ、いい加減目を覚ましてよ! 昔のような優しい貴女に戻ってよ……」
静かにではあるが、はっきりと言うサフィの瞳はただ友達を救いたいという気持ちで溢れていた。しかし……。
「公爵家令嬢である貴女と仲良くしておけば、アストレア公爵との仲も良好になるから。だからお父様から、貴女と歳の近いあたくしに頼まれたのよ。本当は幼稚な貴女と戯れるのは嫌だったのにねぇ。面倒だったけれど、仕方なく貴女と遊んであげたのよねぇ。私の方が階級は格下だもの」
カナリアはそんなサフィの気持ちを踏み躙るように冷たく言い放つ。その言葉に嘘はなく紛れもない本心だった。あまりの衝撃にサフィは膝を地面についた。
「そ、そんな……嘘よ……」
サフィの隙を好機と見たカナリアは、その身を切り裂かんばかりに飛び掛かった。宙より襲い来るブレード状のカナリアの脚を、セクトが剣で受け止める。
「お嬢には指一本触れさせませんよ」
「あら、じゃあ貴方は?」
そんなセクトを喰らおうとカナリアは大口を開けてかぶりつこうとした。その牙が顔に触れる紙一重で、セクトは体を捻ってかわす。あと数秒反応が遅れればセクトの上半身はカナリアの腹の中だっただろう。放心状態のサフィを腕に抱えてセクトは、もう一度カナリアから距離をとった。
「腕も立つのね、益々殺したくなるわぁ。サフィの目の前で引き裂いてあげる。そしたらこの子、精神崩壊でも起こすでしょうからねぇ……アハハハ!!!」
「い、嫌……そんな……」
自分の信じていた過去のカナリアですら嘘だった事にサフィは絶望していた。そんなサフィに更に言葉と暴力で追い討ちをかけるカナリアを前に、セクトは背を向ける。
「お嬢……ここは引きますよ! あそこまで強大な相手に勝ち目はありません!」
カナリアが次の攻撃を仕掛ける前にセクトは走り出す。カナリアは狂気を思わせる笑みを浮かべた。
「さっきと立場が逆ねぇ。でも……逃がさないわよ」
人外の速さでカナリアは走り出す。不気味に蠢く六本の足がサフィを抱えた状態のセクトを捕らえるのは時間の問題だった。
「ぐぅ……!」
追いつくと、カナリアの足の一つがセクトの体をゆっくりと持ち上げる。腹を締め付けられ、セクトは苦痛に顔を歪めていた。サフィはそのまま地面に投げ出されてしまう。
「ほら、サフィ? 貴女の騎士様のこと、殺してしまうわよ。ウフフ……」
「お願い! カナリア、もうやめて!」
泣き叫ぶサフィを前にカナリアは勝ち誇るように笑う。
「お嬢、お逃げ下さい。私に構う必要などありません」
「馬鹿言わないで!」
セクトを助けようと、考えなしにサフィはカナリアに突っ込む。セクトは目を丸くした。
「お、お嬢! 何を……!?」
「馬鹿ねぇ……死ぬ順番が変わるだけよ」
カナリアはセクトを掴んでいない方の前脚で、無慈悲にサフィを切り裂く。サフィがゆっくりと倒れていく。鮮血が宙に舞い、セクトの顔を深紅に汚す。
「フフフ……アハハハハハハハハ!!!!!!!!」
狂ったようにカナリアは笑う。倒れたサフィの周りの地面に血が滝の様に流れていく。全てが紅に染まっていく……それは、地獄絵図としか言い様のない光景だった。
「お嬢……お嬢おおおぉぉぉぉぉ!!!!!!」
主人に対するセクトの必死の叫びが辺りに木霊する。だがその返事が返ってくる事はなかった……。