Episode5 虚実ト現実
「お待ち下さい」
サフィがワインに口を付ける直前、セクトが言った。
「どうしたの? セクト」
「そのグラスをテーブルの上に置いて下さい」
「わ、わかったわ」
只ならぬ様子を感じ取ったのか、言われるままにサフィはグラスを置く。カナリアが小さく舌打ちするのをセクトは見逃さなかった。
「念の為、確認させて頂きますよ」
セクトは腰のポーチから銀製のスプーンを取り出す。そして、それをサフィが飲もうとしていたワイングラスに沈めた。サフィは目を丸くして、セクトに言った。
「ちょ、何をしているのよ……え!?」
見る見る美しい白銀が黒ずんでいく。その異様な変化の意味は……。
「説明して頂けますね、カナリア様。旧友に毒を盛る意を」
鋭い目つきでセクトはカナリアを睨むが、対して当人は不気味な笑みを浮かべていた。
「簡単にバレちゃったわねぇ。私の行動がくさすぎたかしら?」
「ど、どうして……?」
サフィは驚愕の表情を浮かべる。その瞳には、友人に毒を盛られた事への悲しみと悪びれた様子もなく、今も変わらず平気で笑っている友人だった少女への怒りが宿っていた。
「どうしてって? 毒を盛る理由なんて決まってるじゃない。貴女に死んでほしかったからよ、サフィ・アストレア」
笑うのを止めてキッパリと言い放つカナリアの目に嘘はない。瞳の奥まで漆黒の闇に染まり、その様子は異常さを感じさせた。
「私が貴女に何かしたって言うの? そんな覚えないわよ!」
怒りを抑えきれなくなり感情を露にするサフィを、カナリアは嘲笑する。そうしてひとしきり笑うと、今度は真顔になった。
「笑わせないで下さる? 貴女の存在が鬱陶しいから殺すの」
絶句するサフィを、カナリアはゴミを見るかのような目見た。黙って話を聞いていたセクトがゆっくりと立ち上がる。
「お嬢をに仇をなすと言うならば、たとえ侯爵家の令嬢と言えども容赦はしませんよ。」
剣を抜いて、その剣先をカナリアに向ける。静かに言うセクトは本気だった。だが、カナリアは一切取り乱す事はなく、セクトを愛しそうに見つめ舌なめずりをした。
「威勢がいい方は好きよ。ねぇ、サフィを捨ててあたくしの所に来ない? 報酬は弾むわよ? 金なんて、そこの見た目だけ飾って、虚栄を張った文無しと違って今の私には腐るほどあるもの。」
サフィは黙って俯く……。
「ご戯れを。丁重にお断りさせて頂きます」
妖しく見つめるカナリアを、セクトは冷ややかな目で返した。
「残念。じゃあ……二人共殺してしまおうかしら、ウフフ……」
「お嬢に手出しはさせませんよ。それに、毒殺に失敗した今の貴女に私達を殺す術はない筈です」
しかし、カナリアの余裕の表情は全く崩れない。不気味に思いサフィも立ち上がり、二人はカナリアから距離をとるが、当人は座ったままでサフィ達を見つめている。すると……突然それは起こった。
「これは一体……?」
カナリアの周りを、黒い、霧のようなものが包み込む。それは、人が本能的に拒絶する不快感を与え、身の毛もよだつような、背中を這いずる底知れぬものを感じさせた。
「この姿を見せずに済ませなかったんだけど、ウフフ……」
霧に消えたカナリアの姿が徐々に露になる。だが、先程までの、紫のドレスに身を包んだ高貴な彼女の姿はそこにはない。そこにいたのは……紛れもない異形の化け物だった。




