Episode1 荒野ノ勝負師
所々に草薮が見えるものの生命の息吹を感じさせない寂しげな枯れ野を、サフィとセクトは歩いていた。
セクトは肩に掛かる程度に伸びたブロンド髪に美しい碧眼を持っている整った顔立ち。歳は二十代前半で二メートル近い長身の美青年だ。腰のベルトには彼の刃渡りが彼の二の腕ほどの長さの鉄剣を差していて、皮製の軽鎧を着ている。あたかも世界各地を廻る旅人のような印象を受ける。
その隣を歩くサフィはセクトとは正反対の外見だった。腰まで伸びた綺麗な栗色の長髪で子供のように小さな体。荒原には似つかわしくない派手な装飾のされた美しい深紅のドレスを着ていて旅人からは遠くかけ離れている。だが、見事にそれを着こなす辺りは品格があって、さすが公爵家の令嬢である。眩しいのか、手で日射しを遮るようにしながらセクトの方を向きサフィが話し掛けた。
「あとどれくらいで着きそう?」
セクトは顔だけをサフィの方に向けて柔らかな微笑みで答える。
「あともう少しですよ、お嬢」
お嬢と呼ばれ、サフィはため息をついて、不機嫌そうな表情で文句を言った。
「いい加減、お嬢と呼ぶのはやめなさい。私にはちゃんとしたサフィって名前があるんだから。それに幼い頃は遊んでいた仲じゃないの」
しかし、それは了解できないとセクトは首を横に振る。
「昔の話ですよ、お嬢。今の私は貴女様に仕える騎士です。気安く名前呼びなどの無礼はできません」
毎回同じように返ってくるセクトの答えにサフィは再び大きなため息をつく。ルビーをくり貫いたかのような美しい深い緋色の瞳には深い悲しみが映っていた。
「貴方の仕える家が滅びた今、主従も何もないわよ……」
俯いて小さな拳を握り締めるサフィを見てセクトも黙り込んでしまった。傷付けるつもりは毛頭なかったが、サフィに悪いことを言ってしまったとセクトは心の中で反省する。
気まずい雰囲気の中、黙々と歩く二人の間に暫くの沈黙が流れた。その沈黙を破ったのは硬い金属がぶつかり合う響き渡る音だった。サフィの細い首筋に目掛けて飛んできた刃渡り三十センチメートルほどのトマホークが、セクトの素早い剣撃により弾き返され銀色の刃が荒野に深々と突き刺さる。もし、セクトがいなければ、今頃、サフィの頭は鮮血を撒き散らしながら地面に転がっていただろう。
「お怪我はありませんか、お嬢」
剣を構えてセクトは横目でサフィを見る。少々驚いてトマホークを凝視していたサフィは険しい顔で頷くと、辺りを見渡しながら少女とは思えぬ威厳のある声で言った。
「出てきなさい」
すると、サフィの右斜め前にある茂みが蠢き、その中から無精髭を生やした柄の悪い男が出てきた。目つきが悪くその軽装からして男はおそらく盗賊。セクトは鋭い目で睨みつけて剣の切っ先を男の顔に向けた。
「俺の不意打ちを見切るとはやるじゃねえか。あんちゃんよ」
黄色い歯を剥き出しにして男は下品に笑う。
「A級犯罪者、ジルゴ。不意打ちを得意としており、単騎で一つの隊を全滅させた逸話もある」
淡々とセクトが言った。薄汚れていて品がいいとは御世辞にも言えない男。その正体をセクトが咄嗟に見抜けたのは彼の知識の豊富さと勤勉さ故だった。ジルゴは機嫌が良さそうににんまりと笑った。
「よく知ってんな、お前」
「出没地域がこの辺りが多いと、手配書に書かれていたのでね」
表情を変えずセクトは冷たく言葉を返す。
「今、引くと言うのなら、私達は貴方を憲兵に突き出したり、貴方の命を奪うこともしないわ。逃げるのが得策よ」
腕を組んでサフィは言い放つ。威圧感のあるサフィの言葉に普通の盗賊なら引くだろう。だが、ジルゴは違った。
「怖い嬢ちゃんだな……。確かにあんたらは一筋縄で勝てる相手じゃなさそうだ。だが俺だっておめおめと引き下がるわけにはいかねえな。狙った獲物は逃がさないっていう盗賊の意地があるんでね」
不敵にジルゴは笑うと服の裾から三本の短剣を取り出した。先程までの下品さは今の彼からは微塵も感じられない。盗賊ではなく、一人の勝負師としてジルゴは刃を交えるようだった。
「説得は無駄なようね。セクト、彼は手強いわよ」
残念そうにサフィは首を横に振る。
「ええ、そのようです……。お嬢は離れていて下さい」
犯罪者の危険度にはより危険の高いものから、A級、B級、C級とあり、それ以上のものは不明と表記される。しかし、A級を越えるほどの実力者は殆どいない。実質A級が最強といわれているのだった。A級にリストアップされるのは一握りの実力者のみ。
“トリッキージルゴ”
そう手配書に称されるジルゴは、不意打ちや予想外の攻撃を仕掛けることを得手としていた。サフィはセクトに言われた通りにその場をゆっくりと離れる。
「そろそろ行かせてもらうぜ、あんちゃん」
右斜め方向にジルゴは短剣を一本投げた。ブーメランのようにカーブを描きながら迫り来るそれと、ジルゴは対になる左斜めの方向からセクトに向かって駆け出す。まるで、疾風の如くすぐにセクトとの間合いを詰めると、ジルゴは両手に持ちかえた短剣の、右手に持った方をを喉元に向けて突き立てた。
「ッ!」
ジルゴとセクトの間の距離は殆どない。反対方向の短剣に気を取られ、突然の攻撃に少しだけ反応の遅れたセクトは地面を蹴って後ろに跳躍するが、完全にはかわしきれず切りつけられて、真っ白な左頬を血で紅く汚した。
「後ろ!」
サフィの言葉を聞いてセクトはハッとして宙返りをする。その真下を、先程ジルゴが投げた短剣が通り過ぎた。さすがトリッキージルゴ呼ばれる男。侮れない。内心、セクトは肝を冷やしていた。背中を切り付けられれば動きが鈍って、目の前のジルゴに追撃の隙を与えることになり、死は免れない。ジルゴは自身に飛んできた短剣の柄を掴んでニヤリと笑う。
「嬢ちゃんの助けがあったがよく今のを避けられたな。俺の攻撃を避けたのといいその身のこなし…、あんちゃん、元軍人か?」
頬から垂れる血を拭って、セクトは苦笑した。
「避けきれてはいませんよ…。それに、お嬢の助けがなければ危ないところでした。私は軍人ではなくただの旅人です」
フッとジルゴは意味深げに笑う。嘘をついていると言わんばかりに。
「そうかい」
セクトとジルゴはお互いの目を見据えて身構えた。二人に隙はなく相当戦いに慣れていることが見て取れる。……最初に動いたのはセクトだ。今度は地面を蹴るようにして前方に飛び上がりジルゴの心臓を貫かんと剣先を向けて突進した。
「はえぇが単純だな」
短剣で軌道をずらしてジルゴはセクトの攻撃をかわす。少しでも間違えれば剣が己の肉体を貫くのにも拘わらず、落ち着いて攻撃をいなすジルゴの動きはまさに神業と言えた。
「さすがですね……ならば」
敵に接近したまま宙でバランスを崩したセクトは、反撃される前に体をひねって追撃を仕掛ける。それは常人には到底できない体術。予想外の方向から放たれた剣撃に反応しきれず、ジルゴは右肩の肉を深くまで抉られた。痛みに顔が引きつり鮮血が溢れ出たが、ジルゴは怯むことなく素早くセクトと距離をとった。
「まさかそんな攻撃をしてくるとは…やるじゃねえか」
頭に巻いていたバンダナを傷口に巻きジルゴは応急措置すると再び構える。だが筋肉まで切り裂かれて、上手く動かせてはおらず、短剣を握る右手は震えていた。
「ここで倒れるわけにはいきませんので。降参して頂ければ貴方の命を奪わずに済むのですが……」
セクトの言葉にジルゴは首を横に振る。最後まで戦うつもりのようだった。
「言っただろ? まだ勝負は決まってねえ。降参するなんて、腰抜けがすることが出来るわけないだろうが。甘ぇぞ、あんちゃん」
もう勝負は決しました。悟ったような表情でセクトは宙に鉄剣を放り投げる。
「どういう魂胆かは知らねえが……丸腰じゃ俺には勝てねえぞ」
右手の短剣をジルゴはセクトの眉間に投げつけるが彼はいとも簡単に避ける。
「ジルゴ、貴方は強い。奇を衒う攻撃はとても避けきれません。さすが、A級に指定される実力者だ……」
ジルゴが接近戦に持ち込み攻撃を仕掛けるがセクトに当たることはない。まるで見切っているかのように。
「けれど、ただの接近戦になれば普通の兵士と実力は大して変わらない。いや……だからこそ相手の虚を突くのが上手いのですね」
ジルゴの顔が怒りに歪む。
「喋ってねえで攻撃してこい!」
すると、セクトは空中に飛び上がって落ちてきた鉄剣を掴んだ。刹那、容赦なくセクトは鉄剣をジルゴに振り下ろす。冷静さを欠いたジルゴは反応すらできずズタズタに引き裂かれた。一刀両断され地面に横たわっている元々ジルゴだった肉塊から鮮血が滝のように溢れ出す。セクトは黙ってそれを見つめていた。
「決着はすでに決まっていたんです。肩を負傷してからの貴方の動きは、冷静さを欠いた単調なもの。そして動き自体も怪我のせいで鈍い。先程のトリッキーな攻撃は見る影もない。貴方は自分で気付かぬ内に戦いを諦めていたんです。無理矢理に体を動かして勝てるわけがないでしょう」
今まで黙って戦いを見ていたサフィがゆっくりと近付いてきた。
「終わったみたいね」
セクトは深く頷いた。サフィは肉塊を一瞥してセクトに向き直る。
「行きましょう。血の匂いで魔物が来るわ」
「御意」
二人は再び歩き出した。