少しずつ
七時四十五分。
まだ生徒の少ない廊下を歩く。上履きを履いた足の足音がよく響く。
誰よりもはやく鍵を開け、誰よりもはやく先生に会いに行く。
階段を一、二、、、十八、十九、二十。
一歩ずつ近づいていく。
今朝の先生は何を食べているだろうか、いつもみたく眠そうにテスト問題を作っているのだろうか。
あと一歩。ドアを開けて中に入るだけ。
毎日のことなのに、どうしてか度々緊張する。
「……おはようございます。」
カラカラと控えめにドアを開き、部屋を覗く。
あ。
今日は私の今までの人生の中で一番良い日かもしれない。
こんなに無防備な先生初めて見た……。
階段の時みたく一歩ずつ一歩ずつ歩いて近くへ行く。
急に胸がきゅっとなって、心拍数が一気に上がる。
(触れたい……。)
思ってもなかった言葉が頭に浮かぶ。
だめ。だめ。……触れたい。
少しなら。
手を伸ばす。
先生の髪に手が触れた時、私の心拍数はもっと上がった。
息が苦しい。
触れたことのない先生の身体、それと感じたこともない愛おしさ。もっと触れていたい。先生の目が覚めるまで、ううん。あと二分だけ。
ぐったりと伸ばされている腕をなぞって、大きな手に私の手を合わせた。触れているだけでこんなにドキドキする。
きゅっ……。
思考が止まった。胸を締め付ける苦しみも止まった。けれど、ただたださっきとは違うことに心拍数が上がる。
「ふふっ。何してんの?先生を寝込み襲うなんてやらしいな。」
ああ、いつもの先生の余裕そうな声がする。起こしてしまった……。
けれど、今はそれよりもら恥ずかしさで顔が熱い。
「せ、ん……せぇ。」
「どうした?」
ぎゅっ。
握られた手を、さっきよりも強く握られる。
「先生。手……。」
消えそうな声でやっと言えたのは、文になっていない単語だけ。だめだ、頭が回らない。
「はぁ。悪い悪い。ちょっといじめすぎたかな。って、おい!泣くなよ!?」
ぱっとはなされた手に、ホッとしながらも、少し寂しいと思った。
「どうした?体調悪いか?」
「いえ。……も」
言いかけた。伝えてしまったら今までの信頼が壊れそうな気がした。
予鈴が鳴る。教室に戻らなきゃ。でも、でも。
「なあ。何で俺の手なんか触ってたんだ。」
「!!何でもないんです!あっあの!教室戻ります。」
ドアまで急ぎ足で歩く。恥ずかしくて、早くここから出たかった。
「結城。また来いよ。」
先生の言葉に胸がきゅっとなった。
先生が好きだ。どうしようもないくらい好きだ。
また、明日もここに来よう。
しばらく私の顔は熱いままかもしれません。