〔葵とモモナ〕
びびっったぁ…っ。
まさか……アイツが…神氷 懸憐が居るとは…。
ハッ……皮肉か?
まさか、アイツが菫と仲良くなるなんて…な。
アイツがああなったのは、あの子の死のせいで、あの子を殺したのは俺で。
そんでアイツを再び救ったのは、あの子を殺した奴の姉。
………いや、菫は俺の姉でもなんでもない。
だから…菫は絶対に、なにも関係ない。
絶対に………。
「葵くん!
あーおーいーくんっ」
大音量で聞こえてきた自分の名前に、俺はバッと立ち上がり枕になっていたはずの教科書を手に取る。
「あ…、あれ?」
黒板の前には先生どころか、生徒も誰一人としておらず、教室は橙色の光に染まっていた。
「んもうっ
授業はとっくに終わっちゃったよ!」
声に横を見ると、見慣れた子が頬を膨らませていた。
「まじか…!」
いくら新しいゲームを買ってもらったからと調子に乗りすぎた。
オールして授業中…どころか、全員が帰ったあともぐっすりと眠っていたとは…。
誰の気配もしない校舎のなか、この子は、なぜか一人だけ残っている。
「つか、なんでお前ここに居んの?」
俺の目の前に居て、俺の名前を耳元で叫びやがった張本人であろうこの子は
雷乃 ももな。
俺の幼馴染みで、唯一心を許せる相手だ。
まあ、家族みたいな。
「なんで…?!
今日一緒に帰るって約束したじゃない…!」
泣き出してしまいそうな、ももなの顔に、俺は血の気が引くのを感じた。
そうだった…!
しかも珍しく、ももなから言ってきたんだった…!
「ごめん!すまん!
寝惚けてた!
すぐ用意するから!」
俺は寝相のせいか、グシャグシャになった教科書を伸ばすこともせずに、慌ててカバンへ詰め込んだ。
ももなに泣かれるのは本っ当に敵わん。
「はい終わった!」
いつもの何倍もの早さで用意を終わらせた。
俺ってこんな早く動けたんだな…。
ごめんよ、カバンのなかの教科書たち…。
「…帰れる………?」
「もちろん」
俺の言葉に、ももなは目に溜まった涙をそのまま笑顔を見せた。
夕日に重なって、いつも大きい瞳がより一層輝いて見えた。
学校で話すようなことはないけど、家に帰るのは結構一緒だった。
互いの家に行くようなことはないけど、それなりの付き合いは家族同士にもあった。
互いの交遊関係を知っているわけではないけど、それなりに互いのことは気にかけていた。
そのくらいの、ちょうどいい俺たちだった。
それが崩れたのは…全部、俺が弱かったせいだ。
両親が離婚して、姉の菫とは離れ離れになった。
俺を引き取った父さんからは、母さんは浮気していたのだと聞かされた。
その真相は分からないが、たぶん父さんの誤解なのだろう。
けれど、二人の間から愛が消えたのは、紛れもない事実だった。
そして、その当時の俺に深い傷をつけてしまったのも。
「え…?」
鳥たちに聞いた話では、母さんは男と会っていたという。
だが、鳥の言うことをそのまま真に受けてしまう、俺がバカだったのだ。
鳥は当然のことながら、俺たちとは違う。
視覚も聴覚も感覚も。
昔はそれがよく分かっていなかった。
…今なら、あそこまで荒れたりはしなかったと思う。
仮に母さんが本当に浮気をしていたとして、冷たい父さん相手なら仕方ない。
そう、言えていたかもしれない。
でも…当時の幼い俺は、それが受け入れられなかった。
俺は、ももなを突き放してしまった。
本当にただの八つ当たりだった。
ももながイジメによって、追い詰められていたことも知りながら―
「カレンさんはね、悪くないの。
凄く好い人で、優しい。」
「じゃあ…」
「知らないの。
知らせたくない。
きっと、傷付いて自分を責めちゃう。」
「そんなの…お前が傷つくより、ずっと良いだろ…?!」
「ううん。
私が傷ついた方が、気が楽なんだ。」
「…………わかんねぇよ。」
「分かってよ。
そういう性分なんだよ。」
「…………わかった。」
「ありがと!」
それが最後に見た、ももなの笑顔だった。
俺は父さんに引き取られたことで元いた家からは離れた。
だからもう、雷乃の家に関わることもない。
ももなの居ない家に関わる意味も、もうないんだが…。
ももながイジメられる要因となったカレン。
カレン自身はその事は知らず、イジメは陰湿に、悪質に、行われていた。
ももなは、カレンだけには知られたくないと常々、カレンの事を大切に思っていた。
だから、せめて、
俺がもう…家族にも、誰にも、関わることがなくなっても、俺はカレンが笑顔になれる、その日まで見守ると決めた。
必要になれば、守るとも決めた。
ももなの代わりに。
なのに…カレンは、菫のそばに居た。
もう、関われるはずもないと思っていた、姉の…家族の…………。
皮肉だな。