〔菫の弟〕
「…だれ。」
病室に入ってくる気配を感じ、私は殺意を振り撒きながら言った。
「…!…………。
菫のおとーと、です。」
菫の弟という男は、私の顔を見て酷く驚いた顔をしてから言った。
驚かれる理由ならいくらでも思い付く。
「…随分遅いんじゃない。」
菫の親族と知って、私は余計に殺意が湧いた。
親族であれば誰より先に連絡が行っているはずだ。
母はすぐに来たというのに、弟も、父も来ていない。
「アイツ…菫の母が帰るのを待ってた。」
「貴方の母でもあるでしょう。」
確かに、菫の母はさっき帰ったばかりだ。
それまではずっと付きっきりだった。
それを知っている私もそうなのだけれど。
「っ…!
………離婚してるし。」
「そうなの…。」
心底心外そうな顔をして息を詰まらせたが、それを私にはぶつけずに冷静に言った。
本当に嫌なんだと理解した。
「変なやつに追いかけられたんだって…?」
菫の弟は部屋の前で立ったまま言った。
「え、ええ…。」
変なやつ。
強ち間違いではないが、それは不審者や変質者といった類いではない。
それは悪魔だ。
といっても一番低い下の下の悪魔。
本来なら目を瞑ってでも倒せるような相手だが、一般人である菫の前だからと躊躇ってしまった。
菫の病気のことを知っていれば、躊躇なんてしなかった…!!!!
「…周りに、誰も居なかったのか。
なんで、二人だけで歩いてたんだ。
すぐに叫んで助けを求めれば良かっただろう…!」
案の定、菫の弟に責め立てられた。
やはり私のことを知っているのだろう。
マキリやリクホと一緒にいれば、どうとでもなったものを…と。
「近くに、知り合いの家があるから
大丈夫だと思ったの。
菫が病弱だったなんて…」
そう、もう少し走れば、アリア先輩の家だった。
だから、大丈夫だと思ってしまった…。
「それだけじゃないだろ!
お前は…!」
「え?私?」
菫のことを怒られているのだとばかり思っていた私は目を見張った。
「…何でもない。
菫が倒れるのは、いつもなんだ。
むしろ、近くにお前が居てくれて良かった。」
「だけど、もし、もし…。」
突然庇われたことに、私は余計に情けなさを感じた。
能力を持ちながら、異端という高貴な立場にありながら私は悪魔という絶対悪に背を向け、一般人に、菫を危険に曝し、今病室で伏せさせているのだ。
「死んだりしない。
死なせたりしない。
菫は世界が狭くないから。」
菫の弟は、菫に近よりはせず慈しむように見つめながらいった。
「………変な人ね。
どういう意味?」
世界が狭くない、という意味が分からなくて私は聞いた。
世界は誰にとっても同じものでしょう?
「菫、も俺も変わってるんだ。
小さい頃から、ずっと。」
「変わってる?」
どういう意味かと眉を潜めた。
「菫は話したがらないよ。
話したところで誰も理解できない。
理解しない。」
「そんなこと!」
誰に理解できなくとも私は理解して見せるわ。
私だって普通とは言えない。
それに、他でもない菫だから。
「人には、誰しも知られたくないことがある。
例え家族にも、信頼のおける友達にも。」
「…。」
それは、両親にも知らせていないということなのか…。
それとも、この姉弟ですら互いに知らないということなのか。
「そろそろ帰るよ。
菫も、お前も、自分を大事にしろよな。」
「………なにそれ。」
菫はまだしも、私にまでそんな言葉を投げ掛ける菫の弟に私は眉を潜めた。
菫の弟は自分の姉にすら指一本も触れずに帰って行った。
あんなにも慈しむように見つめていたのに。