マシン
二人の言い合いを聞きつけ、廊下からひょっこりと先ほどの男性が現れた。
「ちょっとちょっと、二人とも何してるの。もっと他に話すべき事があるでしょう」
「よっさんが私のタオルを無断で使わせたりしなければ、もっと建設的な話ができていたのよ」
「え、そうだったの。それはゴメン。ま、まあホラ。じゃあ俺が今度埋め合わせするからさ。ここは流して、自己紹介から……ね?」
「チッ。じゃあ、そういう事で……。随分と遅れたけど、自己紹介しましょうか。私の名前は、湯船春日。で、こっちはいとこで助手の、弓削国吉」
「よろしくね」
弓削はそう言ってニッコリ笑うと、軽く手を振った。どことなく、オカマっぽい仕草だな、と的葉は思ったが、そこには言及しない事にした。
「ああ、はい。こちらこそ。……アレ? 春日? 君、夏美じゃないのか? ぼくはてっきり……」
「アンタが言ってるのは妹の方。私は双子の姉、春日よ」
「何だ、そうだったのか。うん? そうなると、何だかよく分からない事になってくるぞ。あのデバイスとTシャツを送ってきたのは、妹さんの方なのに、どうして姉である君が?」
「それは、私が夏美の名前を使って、アナタに送っただけの事よ」
「ああ、そういう事か。しかし、なんでまた……」
「……ワケは、順を追って話すわ。とにかく結論だけ言えば、アナタに夏美を助ける手伝いをして欲しいって事なのよ」
*
二人は一旦、仕切り直す為にソファに座って落ち着く事にした。ちなみに、弓削はキッチンに行ってコーヒーを淹れている為、今は的葉と春日だけである。
「今から話す事は、あまりにも荒唐無稽で信じられないかもしれないけど、全て事実であると、先に言っておくわ」
「大丈夫だよ。そもそも、さっきまで非常識な目に遭っていたんだから。そうそう疑ったりなんてしないよ」
「そうだったわね。じゃあ、事の発端から説明するわ。今から数年前、ある研究所で古代の生命体を復活させる研究が行われていたの。ソイツは、巨大な昆虫のような姿だったから、研究チームは当初、他の虫の遺伝子で補う事で復活させようと考えた。でも、ある偶然によって、足りない部分を人間のもので補える事が判ったのよ」
「……そんなバカな。昆虫と人間って全然違うじゃないか」
「詳しい事は分からないけれども、相当に規格外な生き物だったみたいね。そもそも、地球の生命体なのかどうかすら怪しいわ」
「宇宙生物の化石かよ……」
「正確には巨大な琥珀ね。まあ、結果として、実験体一号と二号は完成した。雌雄で作られたソイツらは、雄を鬼食、雌を常世と名付けられたわ。マニアでも居たのかしらね。何とも気合いの入ったネーミングよ」
「鬼食と、常世……」
「研究所は、最初に二匹を育てる事に決めていたようだけれども、そうするには彼らはあまりにも凶暴過ぎた。二体が成人くらいの大きさに育つと、何の前触れもなく狂ったように人を襲って、施設を破壊して脱走した。どうも、彼らには雌を守る為、何かしらの条件が整うと好戦的になる習性があるようね。それから、二人きりの逃避行へ。でも、雌は体があまり丈夫ではないらしく、ほどなくして死んでしまった」
「もしかしてさっき襲って来たのが、その鬼食ってやつの子供か?」
「残念、不正解。常世は子孫を残す前に死んだの。アンタが戦ったのは、鬼食が作った泥人形。彼らの特殊能力の一つで、自身の力を込めた種を土に埋める事で、忠実な人形を作れるのね」
「それはまた……本当に宇宙人じみてきたもんだな……。という事は、雌にも何かそういうものがあるんじゃないのか? しかも、雄が本能的に守ろうとするほどの、貴重な能力とかが……」
「正解。なかなか鋭いわね。雌には、なんと予知能力があったのよ。恐らく、少数の雌が古代の巫女みたいに尊重されていて、それを屈強な雄が守る、という社会構造だったのかもしれないわね。そして、当然ながら常世もその能力を持っていたわけで、彼女はいまわの際に鬼食に未来予知を話した」
「それは一体、どんな内容なんだ?」
「…………曰く、自分の死後に、とある装置が開発される。それを使う事で、繁殖が可能となる。そして、それを作る人間の名前は、湯船夏美」
「湯船、夏美……」
「ええ。実際に妹は二年前、素晴らしい可能性を秘めた装置の開発に成功した」
「そうなのか……」
「予言は、さらにこう続く。夏美は自身の装置が凶悪な生物に狙われている事を知り、対抗策として強化スーツの開発をする。そして、その性能を最も引き出す危険なユーザーは夏美の小学校時代の同級生の誰かである、と」
「それって……」
「ご想像通り、アンタの事よ」
「どうして、ぼくだと?」
「夏美の指名だからよ。結局、自然な成り行きでアンタに渡ったんだから、不正解では無いと思うわ。実際、あのスーツをとても良く使いこなしてくれたしね」
「…………。でも、そこまで分かっているのなら、同級生を全員亡き者にしようとするんじゃ……」
「勿論、その提案はされたみたいよ? ところが、それをすると、夏美は全く別の装置を開発する事になってしまうみたいなのよねー」
「なるほど……そういう事情か」
「で、鬼食が取った方法は、人間に擬態して集団から夏美を孤立させるよう手引きする事。それによって、少なくとも常世が言う脅威となりうるユーザーの手には渡らないと考えたのね」
「…………何だか、こんがらがってきたぞ。でも、結局ぼくの手元にはコレがあるわけだし……。どういう事だ?」
的葉が頭を抱えてウンウンと唸り始めたが、春日は気にせず話を進める。
「何となく理解してればいいわ。結論を言えば、鬼食の目論見は失敗に終わったのよ。こちら側が常世の予言を偶然にも手に入れられた事で、対策を立てられたの。結果、ユーザーとなる人間は誰なのかを調べられ、そしてスーツを届ける事に成功したというわけ」
「まあ、つまり敵が計画を順調に進めているように見せかけ、その裏では一発逆転を狙っていたって事か?」
「正解! この私とアンタが邂逅し、事情を説明できたという今の状況で、前哨戦には勝利したのよ!」
春日は天井に向かってガッツポーズをして、心底嬉しそうに「イエッス!」と叫んだ。その喜びようからは、彼女がこの計画に結構な時間と労力をかけて来たであろう事が容易に想像できた。
「……でも、それなら妹さんが辛い目に遭っているのを止められたんじゃないのか。それができていれば……」
「そうできれば良かったとは思うわ。でも、そうすれば何が起こるか分からなかった。少なくとも、敵のペースに合わせていれば、人が死ぬ事は無かったのよ」
「……それが、最善だったっていうのか」
「最善だったわ」
春日は迷う事なく、そう答えた。彼女の真剣な眼差しを受けて、的葉はそれ以上何も言う事ができなかった。
「アンタの意思確認がしたい。今の話を聞いた上で、私達と一緒に戦ってくれる?」
「もちろん」
今度は、的葉が即答する。
「……いいの? これから先は、本当にどうなるか分からないのよ? 命の危険だってもちろんあるし。それに、今なら引き返せる」
「……ぼくが一番、適任なんだろう? 君らが今まで耐えてきた苦痛の元凶、それを潰せなかったなんて言うのはあまりにも酷すぎる。だから、全てを最高の布陣にしてあげたい。それがぼくだって言うなら、断る理由なんて無いじゃないか」
「……感謝するわ。流石は夏美の選んだ男なだけあるわね」
「というかね、ここで断る人間なんて居ないってば」
「そう。それじゃあ、具体的な話をするとしましょうか。よっさーん! コーヒーはラボに持って来て! 場所を変えるわよ。こっちへ来て」
春日は立ち上がると、的葉の手を引いて廊下の奥へと向かった。彼女は突き当たりまで行くと足を止め、そこにある物置の扉を開けた。中には、掃除用具や消耗品、工具箱などが置かれている。
彼女は工具箱の裏に手を伸ばすと、何かをいじり始めた。その音から、スイッチのようなものを複数、入れたり切ったりしている事が推測できた。
「オッケイ。ちょっと下がって」
彼女が物置の扉を閉めると、中から何か重い物が動くような音がしてきた。そして、再び扉を開けた時、そこには地下へと続く階段が現れていた。
「メイド・イン・私! の、隠し通路よ! ちなみに、物置は普通にエレベーターで上に行っただけだから。ロックは昔ながらのスイッチ方式。ハイテクセキュリティよりも、案外とこういうやつの方が効果あるのよねー。一番のお気に入りは、扉を閉めるまでは作動しなくなっているポカよけ! もちろん、稼働中に扉を開けた場合は緊急停止もするっていうね!」
どうやら、彼女にとってはコレがなかなかに傑作であるらしい。
「確かにすごいよね。なかなかできるもんじゃないよ」
「でしょー? これねぇ、十歳の時に作ったのよ!」
「……うおおお。それはすごい。君って天才だったのか」
「妹に比べれば、私のコレなんて日曜大工レベルよ。まあ、私はガチガチのハイテクよりもこういうちょっとジャンクな感じのが好きなのよねー」
「十分すごいと思うけどなぁ」
「まあ、下のを見たらそういう気持ちも吹っ飛ぶわよ」
的葉を先導しながら、春日は階段を下りていく。薄暗い階段を二階分ほど行くと、横開き式らしい白いドアがあった。
彼女は慣れた風にそこへ入っていき、的葉もそれに続いて扉をくぐる。中は真っ暗だったが、ほどなくして春日が照明のスイッチを入れると、その全貌が明らかになった。
「これは…………!!」
そこは、まさに研究所と呼ぶのにふさわしい所だった。そこかしこに、用途不明の機械と、大量の部品やスクラップ。オフィスらしき場所にあるパソコンは画面が九つである。
「すごいでしょう。ぶちぬきで四部屋分はあるわよ。といっても、ここには頻度の高いものとかしかないし、本当の研究施設は別にあるからねー。言わば、ここは持ち帰った宿題をするだけの場所なのよ」
「こんなに広いのに……」
「まあ、今は別の目的で使ってるんだけどもね。さあ、こっちに来て」
春日は手招きすると、的葉をある設備の前に来させた。
そこにあるのは、直径三メートルほどの白い球体型のカプセルだった。それからは多種類のケーブルがのびており、周囲の大小様々な機械へと繋がっている。
「これは……」
「湯船夏美博士作、一方向限定タイムマシン」
「タイムマシン!? あの、アニメとかに出てくるアレ? そんなバカな」
「まだ信じられないものがあったみたいね! でもまあ、これが本当なのよ。実際、この機械を使えば鬼食は過去へ行って再び雌を連れてこられるわけだしねぇ。ちなみに、説明しておくと、これは未来には行けないからね。こっちから送ったものも向こうで定着させる事はできないわよ」
「ああ、だから一方向限定なのか。しかし、定着できないっていうのはどういう事なんだ?」
「これが出来てからマウスによる実験をしてみたんだけれどもね、どうも一か月を経過すると強制的に戻って来るみたいなのよ。恐らく、基本の時間に命綱みたいなのが付いてるんだと思うわ。ただ、過去から現在に何かを持って来るのは可能みたいよ。ただし、本当に歴史が変わるような事はまだ試してないから、何をしても大丈夫とは言えないわね」
「なるほど。しかし、時間旅行が可能になったなんてなぁ……」
「アンタにはこれから、これを使って過去へと行って貰う事になるわ。そして、そこで鬼食を見つけ出し、始末して欲しい」
「……なるほど。でも、よく分からないな。別に今の時代で倒せばいいだけじゃないのか? わざわざ過去に行く理由っていうのは?」
「……どういうわけか、鬼食の足取りが全くもって掴めないのよ。奴が必ず居たと分かるのは、夏美の小学校時代まで。それ以降に姿を現した事は一度も無いわ」
「でも、奴はこの装置が目的なんだろう? だったら、遅かれ早かれここにやって来るんじゃないかなぁ」
「確かにそうかもしれない。でも、敵の戦力が未知数なのよ? ここ数年でさらに成長している可能性が高いというのに、あえて現在で、しかも後手で戦うメリットが無いわ」
「なるほどなぁ」
「まあ、とりあえず難しい事は考えなくていい。できるだけ、歴史に変更が無いように秘密裏に動いて頂戴。ある程度の帳尻合わせは何とかするわ」
「了解。まあ、難しい事はそっちに任せるよ。ぼくはとにかく、ターゲットを見つけて屠ればいいんだろう?」
「そういう事。さあ、善は急げよ。早速、今から転送しましょうか」
「え。随分といきなりだなぁ。まだコーヒーも飲んでないのに」
「帰って来る頃には出来てるわよ。そもそも、インスタントで十分なのに、こだわりまくってお湯をチョコチョコと注ぎながら作るんだから、死ぬほど時間かかるのよ、よっさんのコーヒーは!」
「ああ、何かあったなぁ。そういうの」
「ホラ、とっとと入って頂戴」
「あー、はいはい。了解―」
春日は球体についている扉を開けると、押し込むように的葉を中へ入れて、やや乱暴に閉めた。
的葉は人類初のタイムマシンの中をじっくりと観察した。天井はあまり高くなく、油断すれば頭をぶつけてしまいそうだが、中はそれほど大きな機材も無く、寝ころべるくらいの広さがあった。
と、そこで端の方に小さいロッカーがある事に気づいた。
「何が入ってるんだろう。もしかして、非常食かな」
中を開けてみると、的葉の通う高校の男性用制服と運動靴が入っていた。試しに広げて検分してみたが、何か特殊な仕掛けがあるようにも見えない。着替えなら、もう少し動きやすいものにして欲しかったなぁと溢しそうになった時、ポケットの中で何かが振動した。
取り出してみると、変身用のデバイスに着信の文字が表示されていた。的葉は画面をタップして、耳に当てた。
「もしもし」
『はいよー。このデバイスが通信手段になってるから、間違っても無くさないでよー。それから、中にある制服にちゃんと着替えてね。予備のTシャツもあるから。一応、その制服には色々と付けてあるから、向こうで便利に使って頂戴』
「ただの着替えじゃなかったのか」
『当然。例えば、それはライフジャケットと同じような働きをするから、それを着ている限り、デバイスが破損してもこっちで位置が分かるから、一か月も待たずに緊急脱出できるわ』
「なるほどなぁ」
『それじゃあ、そろそろ起動するとしますかー。しばらくこっちは忙しいから、勝手に出発して貰うわね。じゃあ』
一方的に通話を切られ、的葉は茫然とした。このまま、どうなるか分からないまま待ち続けるのは非常に不安だったのだ。それよりも、一番気になっている事は、
「これ、人間で実験した事あるのかな……」
という事。マウスで実験はしたというが、人間ではどうなるか完全に未知数なのだ。もちろん、他の人間にその役目をさせてから乗りたいと今さら言うわけにもいかない。ちょっと複雑な心境だった。
(どうか、何の問題も起きませんように……)
ほどなくして、いやに軽快な電子音が聞こえ、続けて微細な振動を感じた。それは、明らかに何かが作動しつつある証拠だった。起動の時は近い、と彼は確信していた。
その時、的葉は唐突に抗えないほど強い睡魔に襲われ、そのまま床に倒れ伏してしまった。それから、激しい船酔いのようなムカムカがお腹の奥から湧き上がり、頭痛も激しくなってきた。
「う、うう……」
彼はその不快感を頭の隅に残しながら、気を失った。