悪戯
加賀的葉が目を覚ましたのは倒れてから一日後、月曜日の夜だった。
「…………」
室内を見渡し、そこが湯船家の別荘である事はすぐに分かった。
起き上がろうと力を込めるが、体がまるで言う事を聞かず、震える程度にしか動けなかった。
しばらく試行錯誤していると、扉を開けて夏美が入って来た。
「起きたのね。良かった……」
彼女は近寄ると、的葉の顔を優しく撫でて少しはにかんだ。
「信用のおけるお医者様に見せたわ。体が過剰に疲労しているのと、打撲痕が数か所あるけれど、他は問題無いそうよ。命の危険も無いわ」
「ありがたい……」
「どうする? しばらくここで安静にする? それとも、帰ってゆっくりする?」
「しばらくここに居るよ……。実はまだ、やり残した事があるんだ……」
「そうなの?」
「ああ……。大事な事だ……。でも、体が動かないんだよな……」
「大丈夫よ。安静にしていればすぐに良くなるわ。そうだ、ちょっと待ってて」
彼女は部屋を出ると、何やら人工的な黄色をした飲み物をお盆に乗せて戻ってきた。
「これ、飲んで。疲労回復に効きそうなものが大量に入ってるから」
「ああ、ありがとう……」
彼女はぎこちない手つきで的葉の上半身を起こすと、口元にストローを寄せてやる。その動きに合わせて、彼は先端を咥えると、弱弱しくジュースをすすった。
「おいしい……甘いね……」
「糖分とかクエン酸とかがたくさん入ってるわ。でも、酸っぱく感じないって事は、やっぱり相当疲れてるのね」
ジュースを飲み干すと、的葉は再び横になった。
「……しばらくは、君に介護されるわけか」
「そうなるわね。でも、そう長い事じゃないわ。お腹は空いてない?」
「今は、あんまり欲しく無いな……」
「そう、じゃあ目を覚ました時に、何か食べれるよう、精のつくものを用意しておいてあげるわ」
「ありがたい……」
「アンタ、生臭いのとか大丈夫? スッポンの生き血がすごい効くらしいんだけど」
「遠慮する……」
それから、的葉が目を閉じたのを見届けてから、彼女は部屋を出て行った。そして、玄関の所に置いてあった一通の手紙を手に取ると、近くのポストへ行って投函した。
その手紙の宛名は湯船夏美。数年後に、知り合いに血糊を仕込んで的葉を尾行するよう等の、指示を書き記したものである。
夏美の献身的な介護の賜物か、的葉は二日後には一人で日常生活が送れるレベルまで回復していた。
そして、彼は自身の体が復調しつつある時に、ある計画を話すべく、神部を呼び出した。土曜日の夜以来、初めての三人集合である。
「やあ、加賀くん。調子は良さそうだね」
「ええ、お陰様で。ご心配おかけしました」
「いやいや、俺は何もしてないよ。本当によく頑張ったのは、湯船さんだよ」
「ええ、感謝しています」
夏美はニヤニヤと笑いながら、親指を立てていた。
「それで、相談っていうのは?」
「まあ、あと少し回復してからになるんですけどね、実はちょっとお仕置きしておかないといけない人達が居たなーと思いましてね」
「ほほう」
表情に好奇心を漲らせながら顔を寄せて来る神部に、的葉は悪戯っ子の顔で計画を全て話してやった。
次の日の深夜――――。
とあるクラスの生徒と教師が目を覚ますと、そこは自分たちが通っている学校だった。彼女らはいずれも、つい先ほどまで自分の家に居たはずだと首をかしげた。
九条なるみと、安田先生。二人には、ここに呼ばれるべき理由があったのだ。
「先生、どうして学校にいるの?」
「分からないわ……」
とにかく、考えていても仕方ない。まずは家に帰らなければならないという結論に達し、廊下に出た時、ソイツを見つけた。
白い甲殻に、長い金色の触角。顔の半分を、ゼリーのようなもので埋められていた。体は得体の知れない粘液でベトベトしていた。噂のものとは少し違うが、虫男と言われればそう信じられるような、異形の姿である。
「キャアア――――ッ!!」
それがどちらの悲鳴だったのか。二人はパニックに陥りながら、おぼつかない足取りで逃げていく。白い虫男は、その手に持っていたものを、二人に向かって放り投げた。それは、彼女らの近くに落ちると、コロコロと廊下を転がって行く。
「ヒィィ! め、目玉! イヤアァァァァ――――ッ!!」
二人は涙を流しながら、必死に逃げ出した。しかし、九条なるみは腰が抜けてしまったらしく、そこから動けなかった。
「先生、先生!」
必死に助けを求めるが、安田先生は卑屈な笑みを浮かべながら、彼女を見捨てて逃げ出した。後に残された九条は絶望の表情を浮かべながら、泣きわめきながら助けを求め続けた。
「待って! 先生! 待ってよ!」
安田は振り返る事なく、階段を降りると、昇降口に走った。鍵を開けて扉を開けようとしたが、どれだけ押しても一向に開かない。それもそのはずである。扉には外からつっかえ棒がしてあったのだ。
安田は苛立たしげに、頭を掻きむしると、近くにある運動場へと繋がる扉へ走った。そして、ノブに手をかけた時、それに気づいた。
自身のすぐ近く、物置のように雑多に備品が置かれている階段下に、あってはならないものがあるのを見つけてしまった。それは、血まみれになった女の腕である。それに気づいた時、ドアノブを握った自分の手も、真っ赤に濡れている事に初めて気づいた。
「あああああああああ――――!!」
そして、気づいた時には音も無く、ソイツは近づいていた。振り返れば、闇の中に噂とよく酷似した、緑色の虫男が居たのだ。よく見れば、目玉を弄ぶように握っており、それをアッサリと捨てると、彼女目がけて喜ばしげに近寄って来た。
「やめて! 来ないで! やめてええええええ!!」
彼女が最後の抵抗にと声を上げた時、足を掴まれる感覚を感じた。震えながら下を見ると、眼窩のくぼんだ女が、這いよって来ていたのだ。
そこで彼女の許容量はオーバーしてしまい、気を失ってしまった。
彼女が完全に沈黙した時、上階から同じく失神してしまった九条なるみを担いだ白い虫男が降りてきた。
恐怖の体験を味わった二人が再び目を覚ますと、そこは自分の部屋だった。
「はあ……はあ……」
離れているにも関わらず、二人が最初に口走った事はまったく同じだった。
「なんだ、夢か……」
安心し、胸を撫で下ろす。しかし、そんな彼女たちは、これまた同じタイミングで気づいてしまった。自分たちの手にある違和感をである。
恐る恐る見てみると、それはベットリと着いた、正体不明の粘液だった。
「―――――!!」
声にならない叫びを上げながら、二人は涙を流してごめんなさいと叫び続けた。彼女らは、それぞれに後悔を胸に抱きながら、狂いそうなほどの恐怖に耐えきれなくなりつつあった。
その頃、彼女らに一生のトラウマを植え付けた小学校は、談笑の声で溢れていた。
「いやあ、楽しかった。スッキリしたー! 玩具でも意外と何とかなるもんだね」
「本当にねー」
綺麗にスーツを洗ってから変身解除した的葉と、神部である。その手には、玩具の目玉が握られている。
「これで、反省してくれるといいんですけどね」
そして、新しい虫男スーツを傍らに置いた教頭が溜息をついた。
「どうだ、これでちょっとは気が晴れたか?」
唐突に水を向けられた、目の無い女のマスクを弄んでいた夏美は、こう答えた。
「んんんんんっ――――もうっ、サイッコォォォォ――――ッ!!」
しかも、大きなガッツポーズをしながら、高らかに笑うオマケつきである。
あの時の九条なるみは傑作だったとか、安田は本当に根性が腐っている、などとこの夜の事で談笑し、本格的な後片付けをすると、すでに校庭に朝焼けが差し込んでいた。
「さてと、それじゃあ解散としましょうか」
「そうだね」
そこで、的葉と夏美の二人は顔を見合わせると、神部に告げた。
「ここで、解散だ……」
それで全てを察した神部は、自身が持っていたデバイスを取り出すと、それを夏美に手渡した。
「本当に寂しいよ。君らと過ごしたのは短い間だったけど、すごく楽しかった。なあ、連絡先くらい教えてくれないのか?」
「残念ですが、それはできないんです。でも、またきっと会えますよ。何年か後にでも」
「随分と先だなー。長期休みとか利用して顔を見せに来てくれればいいのに」
「まあ、ぼくらもこれから色々とありますから」
「そうか、まあ仕方ない。じゃあ次に会う時は、俺は立派なカメラマンになってる頃って事だな!」
「ええ、そうだと思います。神部さんはきっと、最高のカメラマンになってますよ」
「ありがとう」
素直な褒め言葉に赤面しながら、神部は二人と丁寧に握手すると、名残惜しそうな顔で、教頭と一緒に校門を出て行った。
「さてと、それじゃあ別荘に帰りますか」
「ええ、そうね。まだ一仕事残っているもの」
的葉は再び変身すると、彼女を抱いて別荘へと向かった。
一時間ほどで最後の掃除と荷物のまとめを終えると、二人は大きな荷物を抱えながら、自分たちが飛んだ時間よりも少し前に戻った。
降り立った場所は、河川敷の草むらである。
「さて、それじゃあ、頑張ってもらいましょうか」
的葉は荷物のチャックを少し開けて草むらから放り出した。
中に居た生き物はもぞもぞと動くと、中から姿を現した。ソイツは、鬼食の種で動く蟻人間だった。
虫男が最初に情報を集めるのに、特別な力を込めて作られた擬態が可能な蟻人間が二匹いたのだ。それは、効率的に動くため、九条なるみのすぐ側でサポートをしていた、佐藤と加納だったのである。
ちなみに、本物の佐藤と加納はというと、教頭の家にある物置の奥で繭のようなものに包まれて眠っていたのを発見された。
「よっしゃ、うまい具合に巻き込まれてる。それじゃあ次のを放ちに行くぞ」
未だ事情の知らない頃の的葉を丁度良く挟み撃ちにするべく、二体目を放った。すると、蟻人間は面白いように勘違いし、逃げてくる的葉めがけて向かって行った。
的葉と夏美は草むらでガッツポーズをすると、今度こそ元の時間へと戻って行った。
帰り着くと、二人はようやく気が休まる心地がして、その場に座り込んでしまった。
「いやあ、大変な数日間だったね。もう、本当に心の底からクタクタだよ」
「本当にね。よく考えたら、私達ってそろそろ眠る時間なんじゃないの? だって、向こうを出たのって明け方よね?」
「本当だ……。あー、体がダルい。体内時計が合ってなくて気持ち悪いー」
二人がとろけそうなアイスのようにだれていると、上から夏美の親戚である弓削さんがコーヒーを持って現れた。
「やあ、コーヒーが入ったよー。今日のはかなり自信作だね。どう? 作戦会議は順調かなー?」
その言葉に、二人はポカンとしてしまった。
「ああ、そうだ! コーヒーだ! そうだそうだ、思い出した!」
「ええ!? すっかり忘れられてたの?」
「いやあ、だって……もう何日前かって話ですし」
「何日!? 確かにちょっと時間はかかったけど、そんなにはかかってないよ!」
「あー。いや、何て言うか……。まあ、いいか」
的葉は投げやりに思考を断ち切ると、コーヒーを受け取って、一つを夏美に渡してやった。
「はいよ」
「ありがと」
その仕草は、共同生活を経た事であまりにも慣れたものだったので、二人は気づかなかったが、診ていた弓削はそのあまりのスムーズさに、首をかしげていた。
どうやら、助手のようなものと言われているが、本当に重要な部分は説明されていないようだった。
「あー、このコーヒー美味しいー」
的葉はゆっくりとコーヒーを飲みきると、立ち上がって、帰宅する旨を伝えて地下室を出て行った。それに対して、夏美はだらしなく適当に見送り、弓削は意味が分からずオロオロとしていた。




