鬼食
すでに多勢に無勢である。ここで出し惜しみをする必要は無いと彼は判断し、右肘の内側面に左の拳を当てた。
「サンクション・ファンクション・ブレードアクター!!」
制裁機能。湯船夏美が、自身の宿敵を倒すために与え、最終的に命名した武器である。
的葉の右腕の外側面、そこに緑色のネオンのように光の筋が灯った。
「おあああああああ!」
彼は向かって来る蟻人間の一匹へ向けて走ると、掴みかかろうとする腕を右腕で払うように横薙ぎにした。それだけで相手の腕は砕け、元の土へと還っていく。両手を失った敵の腹に前蹴りを入れて転がせると、飛び上がって胸を思いっきり踏み潰した。
「まず一匹」
次に、近くに居た別の蟻人間にターゲットを変え、素早くワン・ツーを顔に当ててスタンさせると、頭の先から手刀で真っ二つに両断した。
その時、背後からチョークスリーパーで別個体が首を極めに来る。彼は咄嗟に相手の頭があるであろうおおよその場所に裏拳を放った。すると、運が良い事にしっかりと命中。締めが緩んだ隙に抜け出すと、低い体勢を保って横凪に手刀を腹部に放つ。
「二、三!」
残った二体は左右から一斉に飛びついて来る。
的葉はあえて避けずにおき、右側に来た方の鳩尾を手刀で刺し貫くと、そのまま持ち上げて左側の奴に叩きつけた。当てた時に腕を抜いた結果、二匹はもつれるように倒れこんだ。的葉はそこに飛び乗ると、二匹の頭を重ね、手刀を押しつけて、断裁機にかけるように押し切った。
「四、五……!!」
向かってきた蟻人間の全てを土に変え、的葉は立ち上がってまっすぐに鬼食へと歩き出した。丁度、相手も回復が終わったらしく、呼応するように立ち上がり、歩み寄ってくる。
距離は五メートル。
先に動いたのは、鬼食だった。近くに立っていた卒塔婆を引き抜いて投げつけて来た。そして、的葉がそれを弾き落とすのを見ると、今度は墓石を蹴り折り、それを投擲した。
最初、的葉はそれを回避しようとしたが、ある事に気づき、丁寧に受け止めた。両手が塞がった事を幸いと、鬼食は彼に近づき、顔面をソバットで蹴った。続いて、着地してガラ空きの横腹や背中に拳を数発入れた。
的葉は苦しみ、悶絶しながらも、その墓石を守るように体を張った。
「墓石なんて大事に守りやがって! バカめ!」
鬼食のその言葉に、的葉の中の何かがキレた。彼は墓石から手を離すと、振り向きざまに渾身の拳を振るう。奇しくも、それはカウンターの形となり、相手の顔面にヒットした。鬼食はきりもみしながら吹き飛び、木の幹に激突した。
「お前に、これの価値が分かってたまるものか」
その墓石は教頭の家のものであり、つまりは奥さんが眠る墓石だったのだった。
「この、心優しい人が安らかに眠る場所を荒らしやがって。お前にどんな大義名分があろうと、許されるものじゃないぞ」
「はっ! 石は石さ。そいつがお前に何をしてくれるって言うんだよ。ただの慰みだ。生きてる人間のエゴだ」
「そうだ、慰めだ。死んだ人を悼み、その悲しみから立ち直る為に必要なんだ。だから、こんな風に扱ってはいけないんだ」
「ははは! お前、変な奴だ。俺に教育でもしようって言うのかよ?」
「そうさ。お前がせめて理性的な生き物らしく、後悔して死ぬようにな」
「余計なお世話さ!」
鬼食は地面を蹴ると、墓地に向かった。しかし、すぐさま進路を的葉に阻まれ、三発ほどボディに拳を食らい、続けてローキックで足をすくわれ、一回転して地面に倒れ伏した。
「な、何で……」
「お前の考えなんてお見通しだ。墓の事を言えば、利用しようと食いつくのは分かっていたよ」
「クソ野郎!」
鬼食は地面に転がっていた土を掴んで的葉の顔へ投げつけると、向う脛を蹴って駆けだした。そして森の中へ逃げ込むと、慣れた調子でジグザグに走って行く。
的葉はそれを追うべく森へと飛び込んだ。
木々の間を縦走しながら、追いかけっこは続く。しかし、慣れの差があるのか、距離は一向に詰まらず、それどころか的葉がジリジリと離されていっていた。
それでも、彼は集中力を切らす事なく、見失わないように着実に追いかけていく。それは、的葉にも余裕が無い事を物語っていたが、結果として追跡に最も重要な冷静さと根気強さを手にする事になっていた。
離しても離しても追いかけてくる。それは予想以上に鬼食にとってストレスとなっていた。彼の思惑では、もっと圧倒的に優位に立つ予定だったのだ。しかし、的葉も特訓には山を使っており、その中でスーツを使って移動する事も行っていた。一日の長があるとは言え、互いにプロフェッショナルではないのだ。それほどに差が生まれるはずもなかった。
精神の状態が影響したのか、時間が経つほどに今度は距離が詰まっていた。
「ちっくしょ! 何だ、アイツは!」
毒づきたくもなるだろう。鬼食は自分の本能が警鐘を鳴らしている事にようやく気付く事ができていた。もはや、相手が自分を脅かす存在であると認めざるを得なかった。
彼の中に眠っていた臆病さが頭をもたげ始めると、思考は徐々に謙虚になっていった。すると、本能が生き残る為の術を、とても小さな声で囁き始める……。
ランダムに、ジグザグに逃げながらも、確かに何かに引き寄せられるように、鬼食はルートを選んでいく。追いつかれる度、互いに拳を撃ち、防御しを繰り返す。
山中での戦闘はどんどんと奥へと向かい、たどり着いたのは吊り橋だった。鬼食は鋭い爪で橋を切り裂くと、的葉もろとも川へと落ちた。そして着水後、川に入ったまま上流へ向けて走り出す。奇妙な事に、鬼食は陸地で走るよりも速度を上げていた。
彼の中に、これが正解だという理由の無い確信が湧きだした。
一方、それを見てとった的葉はすぐに水から揚がると、川辺を走って後を追う。
彼らの追いかけっこは、それほど長くは続かなかった。川の上流には貯水池があり、その堰によって行き先を阻まれたからである。
巨大な壁から放出されてできた滝壺に半身まで浸かりながら、鬼食は佇んだ。彼が信じた自身の本能が何の回答も示さなかったのだ。これで何とかなる。そう思ってやってきた鬼食にとっては、それは絶望的だった。
「追いついたぞ、鬼食。ここで終わりだ」
「チクショウ……。お前なんかに……お前らなんかに……!!」
もはやヤケクソだったのであろう、鬼食はただガムシャラに腕を振り回しながら向かって行った。対して、的葉はごく冷静にゆっくりと構えると、衝突する瞬間に右の手刀を居合いのように振るった。その一撃は鬼食の腕を一本切り落とし、鎖骨に裂傷を負わせた。相手は体勢を崩すと、的葉の脇をすり抜けて、地面に倒れ伏した。
「うがあああああああ!」
苦悶の表情を浮かべながら転がる敵を、的葉は静かに見つめていた。そして彼は、右腕を振って血を払うと、トドメを刺すべく、ゆっくりと近づいて行った。
その姿を見た鬼食はパニックに陥り、恐怖で身動きできずにブルブルと震えていた。しかし、その恐怖を糧に彼の中で変化が起きていた。生存を欲する意志が肥大し、腹の奥から湧き上がる怒りが点火の役割を果たし、爆発した。
「おおおおおおおおおおああああああああああああああ!!」
突然、鬼食の体が蠕動し始め、どんどんと膨張していった。人間に近かった外見は消え、昆虫に近くなっていく。しかし、それは完全な虫ではなく、どこか妖怪じみた雰囲気を纏った姿だった。新たに再生した腕と新しい二本を加えて、六本の足に凶悪そうな顎。体は縮み、尾にあたる部分が大きく肥大した。変化が収まりかけた時には、すでに体長は三メートルをゆうに超えていた。
的葉は頭の隅で前に春日言っていた事を思い出していた。琥珀の中に居たのは、巨大な虫であったと。そして、彼らは雌を守る時に凶暴化する。
「……正確には、種を危機から守る為の本能によって、か」
すでに化け物となった鬼食は飛び上がると、自ら滝壺に飛び込んだ。本来、昆虫にとっては最大の弱点であるはずにである。
しかし、理由はすぐに判明する事となった。その体に触れた水は沸騰し、じゅうじゅうと音を立てて蒸発していく。そして、徐々に冷却された表皮が収縮し、堪えきれずに破れる。バリバリと音を立てながら中身が飛び出し、地面に着地した。
現れたその姿は、新鮮なトマトのように艶やかな赤色をしていた。
「これはヤバいか……」
的葉は何が来てもいいように身構えていたが、その程度の準備では無防備であるのと変わらなかった。振られた前足の軌道すら見えず、気づいた時には凄まじい衝撃と共に、横薙ぎにされていたのだ。
今度は自分が空中を飛びながら、堰の壁に叩きつけられた。
「…………っ!」
的葉は経験した事のないほどの衝撃に意識を飛ばしそうになるが、すぐに追撃が来る事が分かっていたので、無理やりにでも自分を奮い立たせ、上方へと飛んだ。案の定、相手は体ごと体当たりして来ており、先ほどまで彼が居た場所に頭から突っ込んでいた。
逆襲の好機と見た的葉は、このまま落下して背中に攻撃せんと右腕を構えた。しかし、高さがあり過ぎたせいか、着地までの間に敵が動き、迎撃の体勢を取られてしまった。
「こんの……ッ!!」
どうするべきか。逡巡しながら、とにかく回避に専念するべきと判断した。空中での身動きは不可能。それであれば、敵の攻撃に反撃して逸らすしかない。
的葉の予想では、相手はまた同じように前足で殴りつけてくるだろうと考えていた。だが、それは彼の思考が凝り固まり、集中力を欠いている証拠だろう。実際には、相手の攻撃パターンなどあって無きが如しである。
鬼食は落下してきた的葉をギリギリまで引きつけると、両前足を構えた。そして、早くて軽い打撃をいくつも打ってきたのだった。
こうなっては、的葉もうまく攻撃を捉えきれず、防御に回るしかない。
鬼食の連打は少しも緩む事なく、その速度は徐々に早くなっていく。そして、的葉を壁に押し付けるようにしながら、少しずつそれを追って壁に足を突き刺して登って行く。
壁に直線の打撃痕を付けて登りきると、鬼食は的葉を堰の頂上に置き、全力を振り絞った拳を放った。その威力は凄まじく、的葉の周辺をもろとも破壊してしまった。
叩き飛ばされた的葉は、半ば意識を失いながら貯水池の水面を跳ねて対岸の木に衝突し、それからピクリとも動かなくなった。
一方、鬼食いは自身の攻撃によって破損した堰の割れ目から溢れる水に押され、地面に落ちた。それから、怒り狂ったままに、周囲の木を破壊し始めたのだった。どうやら、もうほとんど理性は残っていないらしく、的葉を倒しても破壊衝動に振り回されてしまっていた。




