半熟
的葉は深呼吸してから、室内にいる二人と順番に目を合わせた。
「さて、それじゃあ始めようか」
的葉はまず、地図の方へと向かった。
「安田先生の言に頼ると、どうも家庭環境の不和が子供にとって大きなストレスになるそうだ。この関係において、子供の所に九条なるみを当てはめた場合、どのような事が予想できるか」
この質問には神部が答えた。
「ハイ、虫男の出現」
「もちろんそれもあります。だが、他にもあったでしょう? 騒音と、強盗未遂。騒音に関して、暴走族が摘発直前になってルートを変更したという記事がありましたね。もしも仮に、これが虫男の意図によって行われたとしたらどうでしょう」
「えーっと、それはつまり、九条なるみのストレスを増幅させようとしたって事?」
「そうです。そして、時系列に沿うと、次に起こるのが強盗未遂。しかし、この事件にも不可解な点があります。未遂で終わった点です。一体誰が、犯人を撃退したのか? 目撃情報から、やったのは虫男と推測できます」
「でも、それだと破綻するんじゃないかい? だって、相手にとっては願ったり叶ったりじゃないか。これで、住人のストレスは益々大きくなるだろう?」
「虫男も、最初はそう考えたんじゃないでしょうか。でも、恐らく許容できる限度を超えたのかもしれません。例えば、子供に乱暴を働こうとしたとか。必要以上のダメージがあれば、最悪の場合に学校へ通う事を拒むかもしれない。だから、やむなく助け舟を出したのではないかと思います」
「ふーむ、そういう事もあるか」
「そう、この時点で九条なるみは利用される為に動かされていた、とぼくは考えます」
「となると、次は公園に出た虫男についてか」
「いや、それは少し置いて、先に教員達の事情について考えましょう。まず最初に、彼らの奇妙な関係について、建前と本音で分けてみます。まず、安田先生。彼女は、建前上では湯船夏美の現状に対して否定的。しかし、本音では賛成。そして、教頭先生は建前では賛成。本音は分からない。奥さんも、建前では否定、本音は不明です」
「ふむ。何だか、ややこしい感じだね」
「そうでもないですよ。人間、よっぽどの事が無い限り、こういう形で本音と建て前が分かれるものじゃない。教頭先生も奥さんも本音と建て前が一致していると考えてみましょう。そうなると、安田先生の違和感がとても大きくなってくるんです」
「確かに。本音では賛成なのに、否定派にいるなんて。それこそ、同じ学校にいるんだから、教頭の方に加担してもいいはずなのにね」
「そうです。でも、それは安田先生が本当はどっちの側の人間なのかを考えるいいキッカケになります。こうは考えられませんか、安田先生の立ち位置は、奥さんの側にいた、自主的なスパイだったのではないか、と」
「あー、そういう事ね。つまり、体面上は奥さん派に所属しているけど、実は教頭の方に利益が行くように、取り計らっていたわけだ」
「そうです。もしも、奥さんのやろうとしている事を事前に知る事ができれば、教頭はスムーズに動く事ができますからね。その目的については……やはり本人に聞く他無いでしょうけれども」
「あれ? でも、そうなるとおかしいんじゃないか? 奥さんはもう亡くなったんだろう? だったら、もう対立関係を縮小させればいいじゃないか。君たちの話だと、安田先生は教頭に食ってかかるほどに熱心なフリをしていたんだろ?」
「そうです。そこから、新しい事が見えて来るんです。どうして、安田先生は熱心に振る舞うようになったのか。そうしなければならない理由は何だったのか。単純に考えれば、先生にとって、喜ばしくない事が起こったからでしょうね。例えば、教頭の心変わり、とか。教頭先生が、本来の役割を放棄して、奥さんの理想を実現しようとしたらどうでしょうね?」
「そうなると、まず最初に橋渡し役として、安田先生に声をかけるよね」
「そうです。しかし、安田先生にとっては面白くない事態です。どうにかして、教頭を今のポジションに残らせる方法は無いかと考えたんじゃないですかね。結果として、こんな提案をした。自分と同じように、今度は教頭にスパイになって貰う、と。どうやっても抑止力は必要です。後々になって別の人間がそこに立つよりも、最初から二人で協議した上で進めた方が、ずっとスムーズに事が運び、奥さんの理想も叶いやすくなるはずだ、みたいな事を言ったんじゃないですかね」
「なるほどねぇ。つまり、君たちが見たのは言わば、レクリエーションみたいなものだったというわけだね」
「そうです。これによって、安田先生はこの対立を完全にコントロール下に置いた事になります」
「なるほど、加賀くんが情報を組み立てると、こういう風な絵になるのか」
「できれば、教頭にも話を聞きたかったんですがね。本当に、積み上げただけの、何とも言えないものですけど」
「まあ、いいんじゃないかな。それで、ここから虫男の正体が分かるわけかい?」
「ここからは更に脆いんですけどね……。次に、虫男について考えてみます。最初に目撃されたのが、九条邸の近くにある公園、次が中井邸の近くにあるビルの上。それから、証言では、野球チームの監督を襲撃したというもの。そして、実際に被害を被ったという、神部さんを襲撃したもの」
「うん? そこまで細かに分ける必要があるのか?」
「ええ。彼が行った事について、これらの事を見てみたんですけど、どうも場当たり的というか、どうもしっくり来ないんです。証言や、目撃情報は残しても構わないのに、写真はダメっていうのはどうなんですかね?」
「確実な証拠があると困るとか?」
「証拠なんて関係無いですよ。実際に数件の目撃情報がありますし、擬態していなければ通行人に紛れて逃げる事もできないくらい目立つんですから」
「となると、どういう理由で?」
「その前に、この四つ……いやまあ、強盗犯を殴ったのを合わせて五つですか。これらについて、目的が明確なものと、そうでないものがありますよね」
「明確なのは、強盗犯撃退と、カメラを奪った事?」
「ええ。それでは、あとの三つはどのような意図で行われたんでしょうか。九条邸のもの、中井邸のもの、監督の襲撃。これらをして、誰が得をするのか」
「得をする人間?」
「というより、得をする人々ですか。これらの全ては、小学校の生徒の為に行われたんじゃないかと思うんですよ」
「あー、つまり……悪い事をしていると虫男が来るぞーって奴? 監督については、子供からの不評が大きかったから、だろうかね」
「そうです。最初の、九条邸でやったのは、そうでない可能性もありますけど。それでも、しっかりと姿を見せて、それを印象付けるような事をするのは、知名度を上げたいという目的に繋がると思うんです」
「ちょっと待って、それはおかしい。だって、虫男の狙いって湯船夏美ちゃんへの嫌がらせを続行させる事なんだろう? そんな事をしたら、むしろ嫌がらせは無くなるんじゃないの?」
「その通りです。おかしな話なんですけど、そういう目的での行動だと思います」
「食い違ってるじゃないか」
「ええ、だから……虫男は二人いるんじゃないかと」
「二人? つまり、違う目的を持った虫男が居て、それぞれが動いてるって事?」
「目的が別なのか、それとも片方が目的を勘違いしているのか……。いずれにしろ、宣伝のように現れ、ヒーローとしての像を作りたい虫男Aと、あくまで影に隠れ続けて、アクシデントの時にしか現れない虫男Bがいると思います」
「ふぅむ、なるほどね……。となると、本物は当然、Bになるのかな」
「そうですね。何らかの理由で、BはAの行動に協力せざるを得なくなったのかもしれません。正直、どうしてそうなったのかがサッパリ分かりませんけど」
「並の人間に脅されるような奴じゃないしねぇ……」
神部は先ほど自分にあった出来事を思い出して、身震いした。
そこで会話は一旦途切れ、再び部屋に沈黙が落ちる。そこで、今までの意見を聞いていた春日が発言した。
「八割がた、絵はできてるんじゃないの? さあ、想像力をフルに使いなさいよ」
その言葉に的葉は驚いた。
「君はもう、全体像が見えたのか?」
「見えてないわね。でも、アンタは今、色々な材料を貯め込みまくってるせいで、パンパンになってるんじゃないかと思ってね。こういう行き詰った時って大体、少し下がって考え直すのが丁度いいんだと思うわ」
「少し戻って……」
枝分かれして分岐した先ではなく、その一歩前に戻る。
「あ」
的葉が上げた声に、二人は反応して、視線を向けた。
「……何か、こんな事でいいのかなって感じだけど。安田先生の管理システムで抑圧された欲求を、ヒーローになって暗に達成させようとした、とか?」
的葉は、自分の頭の中で何かがハマったような気がした。
「安田先生は、事態の解決を約束したけど、イマイチ進みが悪い。その事に不安を感じている時、あるキッカケでヒーローになる方法を思いつく。そう、多分だけど九条家での強盗犯撃退を目撃したとか。その出来事だけを見たのであれば、虫男が子供たちを守るヒーローに見えなくも無い」
「「つまり?」」
「教頭が虫男A。そう考えると、辻褄が合うような……」
「的葉、そういう時は最初から当てはめていくのよ」
「ああ、分かった……。まず、教頭は諸々の事情で、安田先生の管理下にいた。そして、虫男と出会い、目的をまったく勘違いしたまま協力を進言する。本物の虫男としては、入れ替わって安田先生を好きにさせれば、自然と目的は達成できるようになる」
「そこでお互いの利益が一致するわね。でも、いざやってみると、教頭はまったく別の目的に邁進し始めた、と」
「当然、本物にとっては困るだろうね。となると、当然の帰結として、教頭先生は口封じされるわけだけど……。ずっとピンピンしてるしなぁ」
「彼が殺されない事で、利益があった?」
「もしくは、今後利益になると踏んだ?」
「へえ、例えば?」
「ヒーロー像が定着すれば、本物が模倣犯になって動けるんじゃないかな。そうすれば、多少の無茶も許容される。万が一にも面倒な事になっても、教頭を切り捨てれば、すぐに解決する。ああ、もしかしたら写真を残させないのはその為かもしれない。きっと、教頭の変装は二人を見比べればすぐに別物だとバレるくらいの完成度なんじゃないかな」




