そして異世界へ
王利は周りを見渡して感嘆していた。
今、彼は洞窟にいた。
ただの洞窟ではない。
すでにインセクトワールド社の技術で半分以上研究施設化されている。
ところどころ土くれの場所はあるが、他は青い照明に照らされる金属の壁と床になっている。
研究のしやすさと、対ヒーロー用の防犯を担っているのだ。
冷たい床はワックスでもかけてあるのかとてもツルツルとしていて自分の姿がおぼろげながら映る。
壁も同様で光を反射し、先頭を案内する戦闘員や王利が映っていた。
「フィー」
一つのドアの前で足を止めた戦闘員は、横に体をずらし軍人のように片手をコメカミに当てる。
精神コントロールのせいらしい。
彼ら戦闘員のうち、精神を強制的に操られている者は言語を失う。
なので、肯定は「フィー」否定は「フィー」……説明はし辛いがアクセントが違う。
肯定の「フィー」は最後が上に上がる感じで、否定の「フィー」は言葉の最後が下がる感じだ。
出来るだけ分かりやすく言うと軍隊式で長官に挨拶する勢いが肯定。
肩を落として溜め息吐くように言うのが否定。
今回の「フィー」はおそらくこちらにどうぞという意味。
アクセントは上にも下にも向かっておらず平坦だった。
王利は戦闘員の行動を推理しながらドアを開けて中に入る。
廊下と同じで月夜に照らされた青銀に見える部屋だった。
本当は白いのかもしれないのだが、照明の青さで青く見えているようだ。照明の数が廊下より断然多いのもそれを強調している。
目の前には数人の老人がいた。
手に手に書類の束を持ち忙しなく話し合っている。
「すまない。ドクターレポンズは居るか?」
「おお、W・Bじゃな」
老人の一人が近づいてくる。
両目にモノクルを付け白衣を着た骨と皮だけのお爺さんだった。
王利をコードネームで呼ぶと、振り返って元来た道を歩き出す。
ついてこいという意味らしい。
「ここって、何の施設なんだ?」
「なんじゃ何も聞かされとらんのか?」
「ああ。遺跡調査でしろとしか」
「インセクトワールド社で今度、歴史博物館を開くんじゃ。目玉になりそう
な独自の出土品が欲しいらしくての。この山を買い取って出て来たもんを展示するんじゃと」
「さすが首領。俺みたいな凡人には考えがわからんな」
「ふふ。じゃが首領の好みに合いそうなもんがでてきたぞ」
「護送の品か?」
「うむ、こっちじゃ」
案内されるままに向かった先には、ブレスレットのようなものがあった。
「これか?」
ブレスレットは簡素なものだった。
ブロンズのような青銅色ではあるが、長い間ここに埋まっていたと思えない綺麗さ。
新品同様に輝いている。
メモリのような装飾部の中心にはツマミがあり、なんとなく腕時計に見えなくもない。
「うむ。現代語とは違う文字なのでどういう用途があるのかわからんがな、ここにツマミがあるじゃろう。コイツを捻ることで何かが起こるらしい」
「何か……って何だよ?」
「今のところなんとも言えんが、予想では時の境界を越えるモノだ」
王利は急に胡散臭くなった気がした。
老人の言葉を出来るだけ右から左に受け流すことにする。
「時の境界っすか?」
「うむ。コレと共に見つかった石板にな、聖女伝説が書かれておるのじゃ。
これを元に調べたところ……異世界に行けるらしい」
「異世界?」
「調べんことにはわからんが、通行書のようなものかの。一応メモリが世界一つ一つを表しとるようだの。今は四に合わさっとる」
怪しい話だった。
ブレスレットを手に取り、なんとなしにツマミを捻る。
「何も起こらないけど?」
「あたりまえじゃ。それくらいすでに試したわっ! 流石に取れんようになるもんだったりするとやっかいなので装着はしとらんがな。だからこそこれを本部で調べてもらおうとじゃな」
「それで俺が呼ばれたわけな」
「うむ。ついでに言えば仕事の成果な、今の所それだけじゃ」
ブレスレットを差して答える爺さんに、へーとブレスレットをいろいろな角度から見る王利。
ついでにカッコ良さそうだったので左腕に填めてみた。
ドンッ
突然だった。
ブレスレットを填めた瞬間に施設全体が軽く揺れた。
「な、なんじゃ!?」
「え? これ俺のせい!?」
驚き戸惑う王利たち、そこへ、
「フィーッ!」
慌てた様子の戦闘員がすっ飛んできた。
研究員の一人が何かに気づいたのか壁の一部に突き出たボタンを思いっきり叩き押す。
途端にアラーム音。
青く光る施設を時々赤く変えながら、敵侵入のアラームがけたたましく鳴り響く。
「W・B、早く脱出したまえ。君には任務がある!」
「え? あ、でも……」
「ワシらはここが他の者どもに渡らんよう破壊する義務があるでの。それに君が残ったところで意味はない。相手は恐らくワシらの憎き反逆者、バグソルジャー。五対一で勝つのは無理じゃ。そこの非常用通路を使うがええ」
促されるまま開かれた通路に押し込まれる。
「心もとないがこいつも持ってけ!」
壁のボタンを押した瞬間別の壁から現れた数々の銃器の中から一つを取りだすドクターレポンズ。
サブマシンガンを王利に渡すとさっさと通路の入り口を閉めてしまった。
締め出された王利は置いてきぼりを食らったように呆然としばらくその場に留まっていたが、隠しドアの向こう側から聞こえだしたか細い、しかし絶え間なく続く銃声と戦闘員たちの断末魔の悲鳴に恐怖が鎌首をもたげた。
弾かれるように逃げ出す。
周囲は気にせず真っ直ぐに走る。
「くそっ……」
自然と口から言葉が漏れた。
未だかつてない、確実に殺されると分かる恐怖。
姿の見えない凶悪なものに追われる危機。
歯が物凄い速度で打ち合いカタカタという奇怪な音を耳に届ける。
すぐ後ろにいる気がしてくる。
唯一、手に伝わる金属質の冷たく固い感触が彼が狂乱するのを防いでくれていた。
「くそっ、くそっ、ちくしょうっ」
なぜ逃げなければならない?
自分は改造人間、人より強いはずなのだ。
普通ではない力を手に入れたはずだ。
でも、同じような奴が五人。
しかも戦闘が初めてではなく彼らは何度も死線を潜っている。
だからこそ有名になるし何体の怪人がいるか知れないこの隠れ場所にもやってくる。
腕に自信があるからだ。
自分を信じているからだ。
王利は彼らのようにはいかない。
勝てないと思うものには争いをしかける気はないし、正義または何かの為に命を賭ける程お人よしでもない。
届かないモノがあることを知っている。失った後の惨劇を知っている。
第一そういうヤツだったなら改造手術を受ける以前に潔い死を選んでいただろう。
だから逃げる。
失態を見せようが何をしようが必死に逃げる。
彼はまだ戦闘など一度もしたことのない一般人なのだ。
悲鳴はどんどん近づいている気がする。
だが隠し扉までは来ていない筈だった。
そこを過ぎてしまえば追いつかれるのはすぐだ。
王利は改造人間だが足が速い生物を元にはされていない。
一般人をちょいと早くした程度。
オリンピックに出てメダルを取れるかどうかといった速度までが限界だ。
確かに特殊な生物を元にしてあるが、どのような状況からでも生還することだけをコンセプトに改造を受けている。
それでも、こんなところでヒーロー達に出会えば一対一でも助かる見込みはない。
ただし、出会えば命を賭けなければ逃げ切れない。
戦うときは絶対に戦う。
だから懸命に、息が苦しくなるほど全力で走った。
走った。
走ったのに……
出口が見えた。
通路の終わった先に土くれが見え、その先には黄昏色の夕日が注がれている。
見えた救いに自然と笑みが顔に広がる。
生還を叫びたいほどの衝動に襲われる。
ただ、急に差した影に全てが凍りついた。
赤い光がバックグラウンドで見づらいが、影が教える人型。
鎌首をもたげた死神が笑っている気がした。
「…………」
相手からも王利は確認できていただろう。
でも相手はそこに立ち尽くすだけで動こうとしない。
先に動いたのは王利だった。
手にしたサブマシンガンを震える手で構える。
「あ…………」
漏れた言葉に王利は聞き覚えがあった。
先ほどまで、ついさっきまで一緒に居た女性の声に似ていた。
「誰……だ?」
カラカラに干上がった喉で声を絞り出す。
敵に話しかけるなど熟練の猛者からすれば愚か者の行動だったが、それでも確かめたかった。
彼女ではありえないと。
例え指し示すものが多くとも、彼女がこの場に居るはずがないと……
「やっぱり……敵同士だったね」
影だった人物がゆっくりと近づいてくる。
全身の力が抜けた気がした。
サブマシンガンが手から零れ落ちる。
「また……会ったね。王利君」
予感はあった。予想も出来た。だけど……
やはり葉奈だった。王利は後退さらずにはいられなかった。
「ここに居るってことは、言わなくても分かるよね」
知り合いを屠ることに辛さを感じているのか、日差しを浴びる葉奈の顔は暗い。
王利は戦って逃げるという選択肢を捨てた。
出口は目の前の一つだけだが、それでも翅の生えた敵を相手に逃げ切る自信はない。そもそも横を素直に通してくれるはずがなかった。
ゴクリと固唾を飲み込み決意する。
「今度は……腕相撲じゃ勝負は付かないか」
「残念ながら、ね」
答えながら葉奈は視線を王利に向ける。
「バグパピヨン。あたしの鱗粉は死を誘うわ。だから……お願い王利君。大人しく降参して。よかったら一緒に……」
「正義のヒーローごっこかよ?」
「そうじゃないけど」
「どの道無理さ、俺の体にはお決まりの爆弾入ってっからさ」
「……そっか」
少し、寂しげに笑った。まるで何かを断ち切るように。
次の瞬間、葉奈の体が変化を見せる。
「……wechsel」
葉奈の体が光を放つ。
変化していく。
目の開けられない状態で、王利は気づいた。
彼女は本気だ。
本気で自分を殺そうとしている。
恐怖が重くのしかかっていた。
逃げたかったが足は鉛のように重く、その場から離れそうにない。自然、最後の神頼みに手が伸びていた。
「鱗粉で死ぬ前に、せめてあたしの手で……」
王利が彼女の体を認識する前に、葉奈は王利に迫った。彼は葉奈の怪人形体を一度も見ることなく……
カチリ
葉奈の手刀が王利に迫る。
王利の左手が一瞬早く右手のブレスレットに伸びていた。
彼を取り巻く全てのものが、ブレスレットから溢れた光に包まれた。