黒き毒蝶の恋愛事情1
王利と分かれた葉奈は一人壁に寄り添い戸惑っていた。
熱が引かない。
どきどきが止まらない。
頭の中にはなぜか王利の顔がぐるぐる回っていた。
初めて感じる自分の状態に、何が起こったのかわからず戸惑っていた。
彼に勝負を挑み自分と同等の力を持っているという事実に驚いた。
その結果、自分の宣言どおり彼の下僕。
一生彼女にされることになってしまった。
いや、むしろそれよりも手酷く……全て自分の失態が招いたものだ。
でも……だけど……
さらに激しく脈打つ鼓動に、無意識に自分の胸元を掴む。
彼の彼女になるという事実に、彼女自身嫌悪を抱いていなかった。
むしろ自分があの力を使って勝利しなかったことに安心感を覚えている。
そして、そんな卑怯な自分をしてすら打ち勝ってくれた王利の力強さ、いきなり辱めようとしてこなかった純情さ。全てが自分に理想に思えた。
ヤバいと思った。
相手は……敵だ。
力が同等だと分かった時点で気づいた。
向こうも気づいたはずなのに攻撃をしてこないばかりか紳士的……とはいかないまでも優しさを見せてくれた。
だからだろうか?
「これ……本気で惚れたかな?」
名前を呼んだとき、恥ずかしかった。
でも、名前を呼ばれた時は逆だった。
嬉しかったのだ。
生まれて初めて、人でなくなってしまった自分の名を呼んでくれた。
それからはもう……ダメだった。
頭の中が、自分の名を呼ぶ彼の顔で埋め尽くされてしまい、王利が見えなくなったこの場所から動けなくなってしまっていた。
非常にマズい。
これから襲撃しなければならないのに……もし、もしも鉢合わせしてしまったら。
自分には絶対に戦えない。
むしろ仲間の邪魔をしかねない。
これがあの男の能力だとしたら厄介だ。
でも、天然だというのならさらに厄介だ。
「何やってんですか霧島さん?」
突然掛かった声にハッとした。
慌てて取り繕うように姿勢を正し相手を見ると、葉奈より少し背の高い女の子が立っていた。
金髪の頭にはヘッドホンがついていて、白のブレザーのポケットにコードが繋がって入っている。
大音量で「博愛戦隊ラブレンジャー!」とヘッドホンから音漏れしている。
普通の音楽なら良かったが、戦隊ヒーローのテーマソングは近くに居る葉奈の方が恥ずかしさを覚えてしまう。
可愛らしいストライプのスカートを揺らし、後ろに両手を組み、覗き込むように上半身を葉奈に向けた。
「おはよです霧島さん」
「今は朝じゃないわよ真由」
そりゃそうですけどね……と持月真由は青い瞳を細めてくすくす笑う。
ロシアから来た彼女の顔はどこか大人びて見える。
やはり外人だからだろうかと葉奈は時々思ってしまうのだが、真由の精神年齢が高いだけかも知れない。
「業界用語って奴ですよ。ほら、ヒーローってそういう専門職じゃないですか?」
くるりと回り後ろ向きになると、後ろを覗くように葉奈を見て右手の人差し指を口元に当てた。
「霧島さんが発情したのは黙っときますね」
「んなっ!? 誰が発情よっ! せめて恋とか言えぇっ!!」
「あははははっ」
顔を真っ赤にして追いかけてきた葉奈に捕まらないよう、笑いながら駆けだす真由。
二人の差は真由が調節して走っているので縮まらない。
足の速さは彼女の方が早いからだ。
しばらく続いた逃走劇。
突然止まった真由の言葉で即座に終わりを告げていた。
「元気でました? さっさと秘密基地行きますよ、バグパピヨン」
真由に追いついた葉奈は表情を引き締める。
「分かってるわリベルレ」
「ま、といっても目の前なんですけどね」
何の変哲もない一軒家を視線で指して、真由はクスリと笑うのだった。