勇者の帰還
瓦礫の下敷きとなったバグシャークの亡骸を見て、真由は膝をついていた。
その顔からは表情が消え、まるで人形のような生気のない眼を亡骸へと向けている。
事情を知っている王利は居た堪れない顔で彼女の後ろに佇む。
涙こそ流していないが、小さな肩が震えている。
それを見た王利は、つい視線を逸らせていた。
「兄さん、死んじゃいましたね」
押し殺した声。
掛けられた王利は気が気じゃなかった。
それでもなんとか声を絞り出す。
「そう……だな」
「……何が、ありました?」
しばらく何も答えなかった真由。
小さく、一言だけ呟いた。
ともすれば聞き逃しそうになるその言葉を、王利はなぜか鮮明に聞いてしまっていた。
「分かる……のか」
「落石程度で兄さんが死ぬはずありません。私でも死にませんから」
それはそうか。と王利は納得する。
バグシャークも元々は改造人間。
ただの物理攻撃では死ぬことは無い。
この程度の落石ならば弾き飛ばしているだろう。
だから、こんな嘘では真由が納得するはずもない。
首領が殺したと言えば簡単だ。
でも、それはつまり、彼女が提案した停戦を破りバグシャークを殺したと認めることだ。ならば……
「バグシャークが首領を殺そうとしていた。だから……俺が殺した」
王利は嘘をついた。
別に首領を庇おうとしたわけじゃない。
これが、首領が立てた策略なのだ。
心苦しいながらも王利は自分が殺したと言いきる。
「王利さん……が?」
「ああ、先に休戦を破ってたのはバグシャークだ。首領も殺されかけてたし、やるしかなかった」
真由は答えない。ただバグシャークを見つめたまま王利の告白を聞いていた。
「俺が許せないなら、殺してみるか?」
「それでは葉奈さんが哀しみます。バグソルジャーにとってもそちらの方が倍の損失ですよ」
滲んだ涙を裾で拭き、真由は立ち上がる。
「それに、私もう、一度王利さん殺しちゃいましたし、あいこですよね」
振り向いた真由は笑顔だった。
ただ、その笑顔に楽しさは微塵も無かった。
気丈に振舞おうとする空元気が嫌でも伝わってくる。
真由によって王利は心臓を貫かれた。
その時、一度王利の死は確定していた。
蘇生魔法により一命は取り留められたが、確かに殺したと言えば殺したと言える行動。
理屈では理解できても感情で理解するのは無理だ。
それでも、真由は自分の気持ちにウソをつく。
「いいのかよ? 兄さんなんだろ?」
言って、王利は後悔した。
今まで抑え込んでいた真由の感情が爆発する。
「そうですよ。でも、このままあなたをもう一度殺しても、葉奈さんが壊れるだけですから。私にとって、葉奈さんは唯一の友達なんです。バグソルジャーとしてじゃなくて、学校の友達に言えるはずもない改造人間だって秘密を共有した、何でも話せる親友なんですよ。兄さんを失って、その友達まで……失いたくないじゃないですかっ」
「わ、悪い。なんか、その、いろいろと……」
「いいですよもう。いつかきっと、この怒りを受けて貰いますから。だから、今は……兄さんと二人きりに、させてください」
最後にとびきりの笑顔で言い切り、再びバグシャークの亡骸に擦り寄る真由。
王利は何も言えず、そっと離れるしかなかった。
「――――ありがとう……」
去っていく王利の耳に、微かに聞こえた。
真由の声だったのか、それとも幻聴だったのか、王利は一度だけ真由を振り返った。
そして悟る。彼女は全てをわかっていると。
バグシャークを殺したのは王利ではなく、その上の人物。
それを知った上で、気付かなかったことにする。
それは、王利が自分が殺したと言ったからだろう。
王利にとってそれ程に首領は守るべき存在であると気付いたから。
彼女にも居たのだ。
彼女を守るために死力を尽くす男が。
例え自分が危険にさらされようと、妹の為に全てを投げ出した男が。
持月境也は妹の障害になりそうな悪の首領を、己の妹が下した停戦という結論を破ってまで排除しようとしたのだから。
首領を、そして王利を恨むのは筋違いだと、正義の味方であるがゆえに、境也の正義を汚さぬために、真由は仇を討つことを諦めた。
王利には、彼女の悲痛な思いが心に刺さる。
それでも、正義の味方に味方する気は無かった。
結局王利は悪側の人間であり、首領の部下なのである。
きっといつかは、彼女と再び戦うことになるだろう。
その時、王利は必ず首領を守る。後は倒すか倒されるかしかない。
彼女に、情を掛けてはいけないのだ。敵でしかないのだから。
「真由、どうだった?」
不意に声が掛けられた。
前方の柱の影から葉奈が顔を出す。
「兄の死の真相を知ったみたいだ。でも、首領にも俺にも攻撃したりはしないらしい。まだ休戦中だってさ」
進行方向からやってきた葉奈に答える。
葉奈は「そっか」と小さく呟き、王利の腕に絡みつく。
「あたしは、王利君の味方だから。ずっと、いつまでも味方だからね」
「いいのか、葉奈さん。それはつまり……」
「うん。ただ、できればコリントノヴァだけは潰しておきたいな。これ以上あたしみたいな被害者はでてほしくないから」
葉奈はもう、自分の感情を偽る気は無いようだった。
ただただ欲望に忠実に、王利に絡みつく。
けれど、王利はそれを嫌だとは思わなかった。
「王利君はこれからどうするの? 正真正銘の勇者になっちゃったわけだけど」
「どうするってもなぁ。とりあえず首領に付いて回るだけじゃないかな」
元の世界にも戻らなきゃな。と王利は腕輪をかざす。
この道具を手に入れたから、王利は今も生きている。
正義の味方と相対して爆殺される未来から逃れることになったのだ。
何の因果か知らないが、勇者伝説と同じように魔王を倒してしまった。
自分自身が悪を象徴する改造人間だというのにである。
それは果たして本当に予言されていたことなのか、それとも偶然言い伝え通りに王利が行動しただけなのか、彼には分る事はないだろう。
本来なら、葉奈、あるいは残りのバグソルジャーにより殺されていてもおかしくなかっただろう。
それがいつの間にか首領の側近的立場になり、自爆装置もなくなり、彼女までできてしまった。
あまりのサクセスストーリーにこれからの人生が不安になってくる。
魔王城から外に出ると、その場に集まっていた兵士たちが歓声を上げる。
予想以上に多い彼らは、エルフたちだけでなく、ドワーフ、妖精、ダークエルフと戦場に出ていたほぼ全ての兵士が揃っていた。
彼らは一様に、魔王を倒した王利を勇者と称していた。
そう、伝説通り、王利は勇者となったのだ。
王利自身にその気がなくても、彼らにとって王利は英雄なのだ。
だから、葉奈に促されるままに、王利は彼らの元へと凱旋するのだった。