勇者の伝説
魔王、いや、ゴーレムの最後の一撃は、王利を潰すに至らなかった。
硬いクチクラは魔王の下顎と掌に押し潰されつつも、全くダメージを受けていなかったのである。
そして、その挟まれた状態が、王利にとっての幸運を呼んでいた。
自爆装置の威力は彼の予想を超える威力であり、もしも普通に喰らっていれば、魔王のゴーレム同様、上半身といわず、全身粉みじんになっていた可能性さえあったのだ。
しかし、魔王の攻撃により、爆風から身を守ることに成功していた。
魔王の肌と手により爆発のダメージが軽減されたのだ。
結果、多少のダメージは受けたが五体満足でいられた。
もっとも、しばらくは衝撃で気絶していた訳だが。
気が付くと、丁度バグリベルレが魔王の障壁によって大ダメージを負った所だった。
なんとか身体を起こし、自分にダメージがあるか確認を終えると、王利は首領の元へと歩み寄る。
首領から直々に命令されたのだ。
魔王を倒せと。
ならば、その期待に応えるのが、悪の怪人というものだろう。
首領よりも前に歩み出て、魔王を睨む。
なるほど。物理攻撃無効に魔法障壁付きのチート状態か。
だが、エルティアの言うように、接近戦で魔法を使えばダメージを与えられるようだ。
なら、王利が行うべきは只一つ。
魔王の目前へと進むだけだ。
「エルティア。やるべきことは理解してるか?」
「……え?」
「俺には攻撃手段はない。でも、エルティアの力を借りれば戦える。だから、俺は魔王の元へ向うだけだ。後は、頼む。お前が最後の鍵だ」
言われたことが理解できずにエルティアは戸惑う。
しかし、少し冷静になってくると、言われた言葉の意味が理解できた。
「ま、任せてください、勇者様ッ!」
王利はエルティアの言葉を聞いて、満足げに頷く。
エルティアが立ち上がったのを確認して、走りだした。
魔王へと向けてただ真っ直ぐに。
魔王は怪訝に眉を顰めた。
もはや無敵とも言える自分へと立ち向かう存在が現れたのだ。
それも、伝承に伝わる勇者らしい。
万に一つも負ける要素などないのだが、慢心するには少々嫌な予感もしている。
仕方なく、王利を迎撃する事にした魔王。
さっさと潰してしまおうと、魔法を唱える。
「貴様を消して貴様らの希望を消してやろう。地獄の業火≪ヘル・ファイア≫!!」
呪文を唱え、力ある言葉として解き放つ。
近づいて来ていた王利目掛け、片手を向けると、途端、王利の真下から炎が噴き上がる。
「クク、クァーッハッハッハ。我が8000000℃の灼熱で骨も残さず焼け死ねムシケラめッ」
ありえない熱量を浴び、人影が揺らめく。
一瞬にして影が人の形を崩した。
余りの熱量に遠くに居たエルティアや首領に汗が浮き出る。
炎が収まると、そこに王利の姿はなかった。
ただ、カサカサに干からびた樽のような物体が転がっているだけである。
魔王は高笑いでそれを見る。
どうやら全身を消失する事は出来なかったようだが、所詮勇者といえどもこの高温には耐えられなかったらしい。
これで世界は自分のものだ。
魔王は既に勝ちを拾えたものと首領とエルティアを見る。
絶望が色濃く出た表情をしている。……ものと思った魔王だったが、エルティアは何やら詠唱を行っており、首領に関しては偉そうに仁王立ちして魔王を見つめている。
何かおかしい。
魔王は首を捻る。
敵は既に消えたはずだ。
だが、なんだ? この言い知れない悪寒は?
「精霊の水流!」
エルティアの魔法により生みだされた水が、王利に襲い掛かる。
その光景に、魔王は意味が分からずも、危機感が生まれるのを感じ取っていた。
水を得たクマムシ男が、乾眠≪クリプトビオシス≫より目覚める。
樽の様な乾物が、ありえない速度で元の化け物へと戻る姿に、魔王は全身が震えるのを感じた。
なんだ、アレは?
アレは、本当に生物か?
8000000℃だぞ? 8000000℃。
我自体ですら耐えきれない灼熱なのだぞ。と、魔王は戦慄する。
自分が見てしまった光景が余りに予想外で理解が追い付かない。
そうか、奴は寸前で避けたのだ。
だから無事なのだ。そうだ、そうに違いない。
焦り始めた自身を諌め、魔王は新たな魔法を紡ぎだす。
王利は完全に復活を遂げると、さらに魔王へ向けて走り出す。
しかし、魔王に辿り着くより先に魔王の魔法が完成した。
「絶対零度≪アブソリュート・ゼロ≫!!」
絶対零度の氷結魔法。
しかし、現実世界で絶対零度を再現しようとしても、発動と同時に周囲の空気に暖められ、完全な凍結世界にはなりえない。
さらにはつい先ほど8000000℃の熱量で周囲の空気が暖められている。
すぐには絶対零度まで下がらない。どころか威力を軽減させることになっていた。
だから、王利は完全凍結することなく、移動に支障をきたさない。
彼の活動限界は1k≪ケルビン≫。
さらに絶対零度であっても乾眠状態ならやり過ごせる。
凍りついた世界を霜を滴らせ走る王利に、魔王はさらに危機感を募らせていた。
大丈夫だ。奴にこの無敵の防壁は破れない。破れるはずがない。
そう思いながらも、王利を自分の元へ辿りつかせてはいけない。そんな予感が魔王にはあった。
「致死の光線≪ラディエイト・バスター≫」
魔王はさらに魔法を唱える。
それは放射能という名の肉体破壊魔法である。
10000レントゲンの強力な放射線攻撃で、相手を被爆させ殺してしまうという光線。
人間の致死放射線は500レントゲンなので即死級の攻撃だった。
しかし、王利は止まらない。
その体は200000レントゲンまで耐えうるクマムシ男。
たかが10000程度に立ち止まる必要などなかった。
必殺の魔法すら効果を発揮せず、魔王は焦燥を抱いていた。
何が起きているのか分からない。
自分の絶大な魔力による魔法攻撃がことごとく失敗に終わっている。
この世界に存在する様々な国を滅ぼす威力を持つ魔法を使って、勇者一人葬ることが叶わない。
焦ったまま、新たな魔法を紡ぐ。
「真空圧縮≪エンプティ・コンプレッション≫」
王利を取り巻く空間を真空圧縮する対軍団大規模殲滅級の魔法である。
これ一つで一国の軍隊を纏めて圧縮し葬り去る無慈悲の魔法である。
今度こそ、消えろ勇者。
魔王は万感の思いで魔法を放つ。
王利を中心に空間が歪み収縮を開始する。
生身の人間ならば確実に体中の血液を放出して肉塊になっているはずだった。
だが、王利は構わず走り続ける。
まるで、魔法に掛かっていないように。
真空状態から75000気圧まで耐えうる王利の身体は、魔法の影響を受けようが関係なく活動できるのだ。
魔王は愕然とした。
自分にとって最強とも言える魔法を使ったのに、王利には全く通用しないのである。
焦りと無力感と恐怖が同時に襲い掛かってくる。
自分の力が効かない敵に、知らず足が震えていた。
だからだろうか?
魔王は自身の最強の魔法を唱えていた。
一定空間を一時的に宇宙空間に変える最悪級の魔法である。
当然、無酸素状態に無重力。
身動きすら取れない中で酸素を求めながら無様に死んでいくのだ。
「くたばれゆうしゃあああぁぁぁぁぁッ!!」
全力を持って魔法を放つ。
王利の全身を包み込むように暗黒空間が展開される。
さすがの王利も身体が浮き始めた事で驚きを浮かべた。
やった。
魔王は思わず安堵の息を吐いた。
しかし、王利の足が地面に一度着いた瞬間、魔王の顔は一瞬で絶望に変わっていた。
クマムシの歩脚の先端には、粘着性の吸盤組織が存在している。
地面に一度でも着いたならば、その力によって歩行が可能だった。
吸盤で床にくっつきながら足をだし接着。さらに歩きながら交互に足を床に付け、少しづつ前進する。
無酸素状態である宇宙空間で、無重力の絶対領域で、クマムシ男は悠然と魔王へ向けて歩を進める。
ありえない。
魔王の思考はもはやこの一言だけだった。
思考の全てがありえないという単語で満たされる。
自分が何を相手にしているのか、魔王は生まれて初めて恐怖を、いや、それは恐怖などでは及びもつかない恐れ。もはや畏怖だった。
「や、やめろ……来るな……」
知らず、口から洩れていた。
今までの優位性など欠片もない。
近づいてくる王利が、黒い死神にすら見えた。
身体が全身で拒絶する。
ソレが近づくことを拒んでいる。
しかし、ソレは構わずやってくる。
足が後ろに下がった。
すぐに気付いて元の位置に戻そうとする魔王だったが、足が動かない。
自分の自信のある攻撃が全く通用しない相手がこれほどまでに恐ろしいモノだとは、魔王は全く思いもよらなかったのだ。
それは、魔王に対しエルティアが持ったモノと同じ感情だったのかもしれない。
そして、王利は魔王の元へと辿りつく。
だが、だがだ。
魔王は自分に問いかける。
果たしてこの化け物は自分を倒しうる術を持っているのだろうか?
それは否だ。
この鉄壁を敗れる術があるわけがない。
そうだ。安心していいのだ。恐れる必要はないのだ。
辿りついた事を誉め、魔法で殺せばそれでいい。
……魔法で殺す?
究極魔法すら効かなかった化け物に、何の魔法を使えというのか?
魔王は自問自答する。
これを倒すには、一体何をすればいい?
「く、来るな……」
ついに、王利は魔王の真正面へと対峙する。
間近で見た黒き改造人間の顔は、凶悪だった。
絶対に自分は傷付かない。自分に言い聞かせる魔王の前で、王利がゆっくりと右手を上げた。
「光の聖剣!」
その瞬間、エルティアの声が高らかに響いた。
魔王の目の前で、強烈な光の刃が形成される。
魔王は何も出来なかった。
ただ、ありえないという思考で輝く光を見つめる。
「世界に邪悪が蔓延る時、天より黒き御使いと共に導かれし勇者が第四世界より舞い降りる。地獄の業火、厳寒の冷気すら撥ね退け、勇者は光の魔法で邪悪を滅するだろう」
なぜだろう?
魔王はその時、勇者伝承を思い出していた。
あれは、フィルメリオンやトリルトトス、そしてゴーレムのことを指していたのではなかったのだ。
今、自分が行った行動が走馬灯として駆け巡る。
地獄の業火、絶対零度。
そして勇者は、光の魔法で……
魔王の視界の中でゆっくりと、掲げられた光の刃が、振り下ろされた――