腕相撲で彼女ができました
放課後、すぐにでも指令どおりに集合ポイントに向かいたかったのだが、学校のことをしっかりとこなすことはインセクトワールド社から出された指令の一つでもある。
変に無断欠席などが続くと怪しまれるので、私生活は最後までやりとおしてから仕事をすることが会社にとっても最善になるらしい。ずいぶんと親切設計な悪の秘密結社だと思う。
教室には既に王利ともう一人、霧島葉奈だけになっていた。
席は離れているし、直接的な面識もない。
中学も別の学校だったし、今年初めて顔を会わせたのもこの教室。
イベント企画委員でペアにならなければまず間違いなく以降も接点はなかっただろう。
今日は玉止めで髪をくくり、頭の左右で一度ワッカを作り余った髪を腰元にまで垂らしていた。
目元はキツく近寄りがたい感じはするが、友達付き合いは王利以上にある。
しかし、王利から言わせれば男子と女子の友達のなり易さを比べれば似たり寄ったりではないだろうか? と言わせてもらいたい。
体育では結構活躍しているし、勉強もそれなりに出来る。
時期的に、未だテストはないが、先生に当てられた時はすらすらと答えているから優等生の部類に入るだろう。
加えてスタイルも良い。
別段すらっとした体形ではないし胸も申し訳程度にしか膨らんでいない。背丈もどちらかといえば低いだろう。
でも、全体を見ると均整のとれた体つきだった。
王利と比べればだいたい視線の辺りに彼女の頭が来る。
幼児体形というわけでもなく半端に女子高生らしい体形だが、しぐさは幼さをアピールしているようにも見える。
口調はまた独特だった。
親しい友人には普通に話すが、クラスメイトや他人、先生と話すときはどうしても敵意が見え隠れした刺々しい口調になる。
まるで親しい者と他の者とを線で区切っているような態度なのだ。
声質はボクっ娘が似合いそうな美少年のような声音。
目を閉じて聞いてみると少年が話してるように聞こえる。
一人称はあたし。
男友達はなく浮いた話も全くない。
金髪の女生徒とよく一緒にいるくらいの面識しかなかった。
「はぁ……これから用事があんのに……」
教壇に頬杖ついてため息を吐く葉奈はジロリと王利を見た。
再び溜め息を吐き出して、いらだたしげに片眉を吊り上げる。
「森本君、さっさと決めて帰りたいんだからこっちきなさいよ」
言われるまでもなく王利はそちらに行くつもりではあった。
そのための帰り支度をしている最中だ。
葉奈の方はその必要はないらしい。
何も入ってなさそうなぺちゃんこのカバンを机の上に置いていて、すばやく取っ手を手にして駆けられるように手提げ部分を机からはみ出させている。
入り口から一番近い机が彼女の席なので、帰るときの効率はとてもいいのだろうが、今日出た英語や数学のプリント類が入れられているかどうかは疑問だった。
「君……律儀だね。何も全部持って帰らなくてもいいんじゃない?」
「別にどれだけ持って帰っても俺の勝手だろ。霧島さんも宿題大丈夫なのか? プリント入れてるようにも思えないけど」
注視していたわけではないが、王利が見た限り、葉奈は机横のホックから手提げ式のカバンを机に置いただけで、机の中の筆記用具もプリントも、カバンに入れた形跡がなかったのだ。
「あたしには便利な頭のいいオトモダチがいるのよ」
ふふんと自慢そうに鼻を鳴らす。
ようやく用意を終えたカバンを引っ提げ教壇前へ。手短な机にカバンを置いて、教壇に置かれた資料を見る。
「これか……遠足だっけ?」
「去年は近くの公園、一昨年は近くの山をトレッキング。今年のお勧めはどこかな?」
言いながら葉奈が黒板にチョークで文字を書いていく。
委員長によって黒板消しで消されたはずの黒板だが、黒板消し自体が汚れていたのだろう、黒板は黒や緑ではなく白やら赤色の混じった薄汚れた肌色の粉を纏っていた。
しばらくチョークの削れるカッカッという音が響く。
「ふむ」
納得のいった様子の葉奈。黒板には白いチョークで【イベント企画1 春の遠足】と書かれていた。
「企画書の詳細はよろしく、あたし書記するから」
「普通はこういうの協力してやらね?」
王利の言葉に葉奈はチョークを持ったまま両手を広げ、まるで一昔前流行った外国人がおどけて見せるように「ハァ~」と肩を上げてため息を付いてみせる。
「分かってないわね、こういうのは分担作業が効率いいのよ」
「要するに面倒くさいことも責任も俺に押し付けたいと」
「…………」
「…………」
「君……もしかして意外に察しいい?」
「おそらく霧島さんが考えてるよりは」
「はぁ~。しゃぁない。分担するわよ、分担」
仕方なくといった顔で資料をパラパラ捲っていく。
「どこ行くかは皆に決取った方がいいだろな。それより持ち物とか金額設定決めといた方がいいだろ。企画書の提出は明日だし。つーか高校にもなって遠足はないよなぁ」
「へぇ、予想以上に頭いいのね」
馬鹿にしたような葉奈の意見にちょっとムッとくる王利。自然と口がでていた。
「霧島さんよりは意見出せるかもな」
「……言うじゃない」
ちょっとだけギスギスした空気。二人とも顔が強張り一言でも口を開けば悪口の横行で一家離散の新婚夫婦みたいな一瞬触発状態だった。
「おやつは300円ッ」
突然、葉奈が罵声を吐くように声を出していた。反射的に王利も答えながら互いの言葉を黒板に書いていく。
「水筒持参ッ」
「ゴミは持ち帰りッ」
「帽子必須ッ」
「じゃあ、カメラおっけーッ」
「ええと……靴は運動靴ッ!」
「うぐっ……」
「ついでに雨具持参ッ」
「くぅっ……」
王利はしてやったりとにやりとほくそ笑む。
「体操着持参ッ」
「うぅ……って、よく考えたら帽子なんて必要ないでしょっ」
「おいおい、春だからって日射病はあるんだぜ」
どうやらネタが尽きたようで、他人のアラ探しを始める葉奈。しかし王利は手早く答えを返していた。
「そ、それに靴も体操服も当たり前じゃん!」
「でも忘れる奴がいるかもしれないなら一応書いとくべきだろ。それ言うな
ら霧島さんだってカメラはないだろ」
「屁理屈だわ」
「どこが? 正統主張だろ?」
ぐっと下唇を噛み悔しそうに顔を歪ませる葉奈。手にしたチョークにも力が入っているらしくプルプルと震えていた。
「上等だわ! 勝負なさいよっ! あたしが勝ったらあんたこれ全部やんなさいよね」
どういう思考回路をしていればこのような発想に繋がるのだろうか? 王利は痛くなった頭を抱えながら横目で葉奈を見る。
「な、何よ?」
「わかってんのか? 勝負するってことは霧島さんが負けるときもあるってことだぜ? そしたらどうすんだ? 俺にとってメリットないならやる気はねーぞ」
「メリットって……負けたらあたしが全部やるわよこの仕事」
「えー」
王利が不満そうな顔をすると、葉奈はムッとした顔になる。
「な、何よ!? 不満なの!?」
「だってなー、男と女の勝負っていやぁアレだろー」
一瞬なんのことかと考え、葉奈は耳まで真っ赤になっていた。
「な、何バカなことを……」
「つーワケでバカなことやってねーでさっさと終わらそうぜ」
葉奈の言葉を遮って王利は提出用資料に必要事項を書き込んでいく。母親の教育のおかげか、字の綺麗さだけは折り紙付きだった。
「バカなことって――」
王利が初めから勝負に乗る気などなくからかわれたことに気づき、今度は羞恥と怒りで顔が真っ赤に染まる葉奈。
未だ書いている途中の書類が乗った教壇を平手で叩く。
「いいわっ! そこまでコケにされたらあたしだって覚悟したわよ!」
「は? いや、あの……?」
思っても見なかった反応に呆然とする王利、先ほどの振動でシャープペンシルの先が思いっきり脱線して教壇まで続く線を書き出していることに気づくことすらなかった。
「腕相撲で勝負よ! 今日から負けた方が勝った方の下僕! 煮るなり焼くなり好きになさい!」
呆気に取られたままの王利を無視して右手の袖を捲くり教壇に肘を乗せる。
「さぁっ! 来なさいよ!」
王利の態度が彼女の自尊心を傷つけたらしい。
指をコキコキとさせながら王利の参加を待つ。
書類が彼女の肘下なので勝負しなければ書き終えることも出来ない。
逆に言えば彼女のわがままに付き合えば全て解決。
そのままほっといて帰る方法もあるが、その場合は結局先延ばしになるだけだろう。
しかし……と王利は思う。
勝ったら葉奈を好きにでき、負ければ一生葉奈に顎で使われる。
人生16の春にしてはすばらしい未来の選択だ。
しばらく迷ったが、葉奈は一向に諦める気配はなく、むしろ怒りとやる気ばかりが時間が経つごとに加速度的に上がっていた。
ため息を吐いて教壇を挟んだ場所に向かい右手をだす。
都合のいい彼女ができるのは賛成だが、こんなことで操を差し出しても構わないという葉奈の単純さと、血の気の多さには正直頭が痛かった。
「これ終わったらさっさと書き込んで帰ろうぜ。ったく……っ!?」
しょうがないなと肘をつけ、握り合い、相手の目を見た瞬間、ゾクリと背
中を何かが這った。
自信に満ち満ちた顔。
まるで男相手だろうが何が相手であろうが絶対勝てると信じ込んだ、自分の勝利の確信に満ちた顔がそこにあった。
そして、自分の中の何かが告げる。
手を抜いて勝てる相手ではないと、人としての限界を出しても勝てない相手だと王利に何かが告げていた。
「へぇ……やる気になったらいい顔するじゃない」
「そりゃどうも」
「掛け声は?」
「任せるよ。いつでもどうぞ」
「じゃ、レディ……ゴォッ」
瞬間、王利は一気に全力を出していた。人としての全力ではなく、葉奈の腕を折ったとしても構わないと、改造人間としての全力で。
全力を出して、真ん中でぴたりと止まる。力が拮抗している証拠だった。
「な……」
が、それも一瞬、驚いた顔の葉奈から力が抜けてしまい、即座に葉奈の右手は教壇と王利の右手に挟まれた。
「痛~っ」
教壇に着く直前に思わず力を弱めはした王利だったが、結局思い切り机に葉奈の手を打ち付けていた。
「わ、悪い。大丈夫か?」
「大丈夫よ。ちょっと、驚いただけだから……」
葉奈の表情に悔しさはなかった。
驚きと手を打ち付けた痛みだけだ。
少しするとそれも引っ込み、今度は怒りと羞恥心が顔に出てくる。
「い、今のは無効よ無効!」
「は?」
「だってそうでしょ!?」
「なんで?」
「いや、だってそんな腕力強いとか思わなかったしっ」
それはこっちだって驚いている。
王利はどうにか言おうとして、でも止めた。
インセクトワールド社で彼女を見かけたことは一度もない。
つまり別の組織の奴。
改造人間相手に拮抗できる人間などいないのだから。
相手もうすうす分かっただろうが言ってしまえば何かが変わってしまう気がした。
「でも、それって普通分かるわけないだろ? だから力比べ勝負したわけだし」
「う……でも……」
さて、どうしようと王利は考えた。このままでは彼女は再戦を言い出してくるだろう。
それで勝負がつくかといえば王利が負けて彼女が納得するまで続けられそうな予感がするばかりか、むしろ勝負がつくかどうかすら疑問だ。
かといって目の前にちらつかされた下僕という餌は手放すにはあまりに惜しい。
「と、とにかく無効よ無効!」
王利は命令をシュミレートする。
手をつないで一緒に帰ってみたり屋上で手作り弁当を食べてみたり、ついでに伝説の、伝説のキスというものをしてみたり!?
ああ、それだと高校生で子供ができてしまう!
……なんていう知識はさすがに幼稚レベルか。
知識は普通の高校生並にあるが、恋愛経験は小学生レベルの王利。急になんでもしていい相手が現れてもなにをどうしていいのか戸惑うのが現状だ。
「だから無効……むこ……」
じっと見つめたまま(本人は妄想中)の王利に、葉奈は決まり悪そうに口数が少なくなっていく。
「ああっ、もう! 分かったわよ! さっさとしたいようにすりゃいいじゃないっ! あんただけのモノになってやればいいんでしょッ」
などと勝手に激昂して目を瞑る。
声で我に返った王利。
観念したように無防備に立ってる葉奈を見て、溜め息交じりに頬を掻く。
良く観察すると分かるが、キュッと結ばれた唇は力を入れすぎて白く変色しているし、体は小刻みに震えているし、顔は青い。
強がっているのは明らかだった。
「お前さ……勝手に自爆するタイプだろ」
「んなっ!?」
「あ~わかったわかった。じゃあ親しそうに名前呼べ、俺もそれで呼ぶから」
「……へ?」
「なんだよ?」
「そんだけ?」
「奴隷はともかく、彼女になるなら初めはそっからだろ?」
ちょっとテレ気味に答えて資料に目を落とす王利。さっさと書き終え、ついでにコースを近所の山登りに勝手に決めておいた。
「え? あ、うん……」
拍子抜けしたような安心したような表情で息を吐く葉奈に、書類を整理しながら王利は声をかける。
「次から軽々しく自分賭けたりすんなよな全く」
「わ、わかってるわよ」
カバンを手にして王利は再び葉奈に振り向く。
「さっさとコレ提出しちまおうぜ」
「え、あ、そ、そうね」
奇妙な空気を払拭するように王利たちは急ぐように教室を後にした。
「結局、今まで彼氏いなかったのってなんで?」
職員室から下足場までの間、王利は葉奈に話しかけていた。
別に深い意味があるわけではなかった。
下校時間をすでに一時間過ぎてしまい閑散とした廊下を歩くのに、二人きりで無言ということに間が持たなかったというのが一番の理由だと思う。
何せ顔がそれなりに可愛い少女と一緒なのだ。
女性と話す機会の少なかった王利にとってはこの場に存在できているというだけで思った以上に精神力を消耗している。
何か話していないと間が持たなかった。
外では部活中の生徒達の声が聞こえてバックグラウンドは賑やかだ。
ただ、それが逆に自分達のまわりの静けさを強調させていた。
だからだろうか? 葉奈の方も無視することなく質問に答えていた。
「ま、あたしに見合う男がいなかったから……ってとこですかね」
「言ってろ言ってろ」
「どうせ性格ブスよあたしは……」
「何があったのか知らんが一人で勝手に落ち込むなよな」
「ねぇ、やっぱあたし付き合わないといけないのよね? その王利……」
名前を呼んで一瞬にして顔を火照らせていた。
「うあっ無理っ絶対無理! 他人の前で呼んだら恥ずかしすぎて舌噛み切って死にそう。ってか死のうっ」
あんまりな言いようだった。
「ま、身から出た錆ってやつだ、諦めろ葉奈……」
王利も名前を呼んで一気に顔が羞恥心に染まるのが分かった。葉奈まで再び真っ赤になっている。
「やべぇ。これは確かに死ぬかもしれん。つか他人に見られたら樹海で死のう」
「な、何よそれっ! あたしの名前呼ぶのがなんでそんな恥ずかしいわけ!」
「その台詞そっくしお前に返すしっ」
「あんたが決めたんだからちゃんと言いなさいよね!」
「お前こそ言いなりになるんだろが、ちゃんと言えよな」
下足場で上履きを脱いでシューズロッカーへ。下足を取り出し同時に履き替えた。
「い、いい? いっせーので行くわよ?」
「あ、ああ……」
玄関をでた途端、互いに向き合う二人。緊張しているのか顔から血の気が失せ表情は地蔵様よりも固かった。
「お、王利……」
「は、葉奈……」
会話が続かなくなった。
二人して顔が真っ赤に染まり、それを隠すように同時に俯く。
きっかけは特殊ではあったが、なんとも初々しい二人だった。
周囲に人がいればついつい暖かい眼差しで舌打ちしていたことだろう。
「あ、あのさ……」
「なんだよ?」
「せめて慣れるまで君付けとか」
「さん付けでもいいなら許可する」
意見一致。再び二人して見つめ合う。
「葉奈……さん」
「王利……君」
再び沈黙。ツッコミ所がいない二人は、小一時間程その場で佇んでいた。
「あ、じゃ、じゃああたしこっちだから、じゃあねお、王利君」
「あ、ああ。じゃあな、は、葉奈さん……」
慌てたように二人どちらからともなく別々の方向に分かれる。それでもなぜか相手の姿が見えなくなるまで何度も振り返る二人だった。