首領 VS バグシャーク・後篇
首領は自らの死を覚悟していた。
しかし、最後の瞬間聞こえた声に、思わず目を見開く。
そこに、好機は生まれていた。
不可視のシールドにより阻まれた鮫の歯は、あらぬ方向へと飛び散り、首領の身体を傷つける刃は一つも存在していなかった。
突然の出来事に首領は眼を見開く。
「邪魔が入ったか、クソエルフ」
すでに動けない首領から、背後に身体を向けるバグシャーク。
そこにいたのは、彼を睨みつける一人の少女。
彼女は片手をバグシャークに向けていた。
エルフ王女、エルティアだった。
「何の真似だ?」
「ソレはこちらのセリフです。お仲間ではなかったのですか?」
「誰と誰がだよ? 俺はバグソルジャーの一員、コイツはただの悪だ」
倒れ伏した首領を覗き見て、バグシャークはほくそ笑む。
すでに首領に逃げる手立てはない。
つまり、現れたエルティアを潰せば、バグシャークにとっての脅威は去り、その後ゆっくりと首領を殺せるのだ。
「救国の主である勇者様のお仲間を傷つけるというならば、私があなたを倒します」
「生身の人間風情が勝てると思うのか? コイツに手を貸すならテメェも悪だ。断罪すべき存在って奴だ。わかってるのか? 死ぬぞ」
「光の聖剣!」
右手に光の刃を出現させ、エルティアは構えをとった。
その様は剣術を嗜むことのない素人の構え。
振える膝が、彼女が決死の思いで立ち向かっていることを告げていた。
「おいおい、腰が引けてンぞ?」
相手に脅威がないことに気付き、バグシャークは思わず鼻で笑った。
結局、彼の勝利になんら揺るぎは無かったのだ。
そう思っていたし、状況もバグシャークの独り勝ちを示していた。
改造人間たるバグシャークの足に生身のエルフが反応できるはずもないのだ。
案の定、背後に回ったバグシャークに反応できず、エルティアは突然目の前から消えたバグシャークを探す。
その一瞬で、バグシャークはエルティアを五、六回は殺す事が出来た。
しかし、バグシャークは無防備なエルティアを殺す事はなかった。いや、殺す気にすらならなかった。
「遅ェな」
首根っこを掴みあげると、そのまま首領に向けて投げ飛ばす。
「あぅッ」
首領の横に打ち付けられたエルティアは、それだけでもう、立てなくなっていた。
「そのザマで俺と戦うとか、よくも言えたな」
エルティアは悔しさに唇を噛む。
余りにも違いすぎる力の差を見せつけられ、助っ人すらできない自分に腹が立った。
魔法というアドヴァンテージがあろうとも、改造人間と戦うための地力が足りなさすぎた。
動きが目で追えないのでは話にもならない。
折角、バグシャークの異変を察知して止めに来たのに。これでは只の犬死にだ。
床を掻くように握りしめた手を震わせ、泣きそうな目でバグシャークを睨みつける。
「残念だったな。テメェは間横でそいつがひき肉になる様でも見て……」
笑いながら首領を見たバグシャーク。ふと違和感を覚えた。
自然、笑みが強張る。
エルティアも首領も動けそうにないことは変わりない。
悔しさに震えるエルティア自身に違和感は無い。
あるのは首領。先程までとは違い、もう死んでしまったかのように動かない。
おかしいモノはない。そうだ。人間の女が死んでいるだけで問題は……
いや、そうではない。
ないのだ。あの、気味の悪い芋虫のような目が、空洞になっている。
「どういう……」
「敵を相手に余所見とは、愚かよな。エラが無防備だったぞ」
不意に、声が聞こえた。
バグシャークの身体から、バグシャークではない声が。
身体が凍る。
バグシャークの全身から血の気が失せていた。
その声は、すでに彼の内側から聞こえたものだった。
「なん……」
「倒すべき相手を弄ったまま放置するからだ間抜け。トドメを刺してからエルティアを相手にしておればよかったのになぁ?」
ゾクリと、全身が総毛立つ。
バグシャークは味わったことのない恐怖に身体を震わせた。
身体の中を何かが這う。
口内から、脳へ向け、邪悪な虫が這い進む。
「ま、待てよ、嘘だろ?」
「今さら命乞いか、貴様正義の味方より我らの側が似合っているなぁ」
「冗談、そう、冗談だ。早く魔王退治に戻ろうぜ、なぁ?」
「自分の命が危なくなったら命乞いか、良い身分だな。ククッ……ああ、そうだ。どういう気分かな? 見下した虫に、乗っ取られるという気分は?」
「い……や、嫌だ、止めろ、止めろぉぉぉ――――お、おぉ、ぎぃぃがぁぁァッ!?」
エルティアの目の前で、鮫男が痙攣を始める。
巨大な口から泡を吹き出し、白眼を向いて咆哮する。
それは、まさにおぞましき光景だった。
見知った者が壊れる瞬間。
エルティアは、思わず目を伏せる。
どれほどの時間が立ったのだろうか?
断末魔の叫びはいつの間にか止んでいた。
恐る恐る目を開くエルティア。
バグシャークは未だその場に立ち尽くしたまま微動だにしていなかった。
否、エルティアはその恐怖を一生忘れはしないだろう。
バグシャークの眼から飛び出る芋虫がぎょろりと睨む。
「乗っ取り、完了だ」
「しゅ、首領……さん?」
「回復は任せるぞエルティア。我の身体の方もなぁ。くく、くははははっ」
エルティアは、少し後悔した。
本当にこの人を救ってしまって良かったのか、相手を乗っ取る様な生物を、生かしておいていいのだろうか、と。
それでも、今は魔王を倒す仲間なのだ。
何度も何度も、彼女は仲間だと自身に言い聞かせ。
エルティアは言われるままに自分と、首領の身体だった少女の亡骸を修復する。
そこへ、ようやく王利がやってきた。
遅すぎた到着。
すでに出された結末は、もう覆りようがない。
首領とバグシャークを見比べ唖然とする彼は、そこで行われた惨劇を知った。