毒蝶女の隠された秘密
「では、やるぞ皆の者!」
太陽が真上にやってきた頃だった。
ようやく目覚めた首領の一声で、ローエングロック城の庭に集まった兵士たちが鬨の声を上げた。
大音声の歓声に戦きながら王利はバルコニーから周囲を見回した。
今、エルフの国王陛下と首領がバルコニーより顔を出し、眼下に集まる兵士たちにお声を掛けている最中。
ようやく魔王軍と対抗出来うる力ができたのである。エルフたちの士気は今までにない程高ぶっていた。
そして、その瞳はバルコニーに佇む王と、その横で腕を組み仁王立ちしている奇怪な眼を持つ少女に注がれていた。
皆、羨望……いや、盲信とでもいえる表情だ。
さすがに一秘密結社を率いていただけはあり、首領はカリスマ性を持っていた。
ともすればエルフ王すらモブとして映ってしまいそうなほどに威厳のある態度。
そこにいるだけでこう、気持ちが高ぶる感覚が湧いてくる。
自分の生存最優先の王利ですらそうなのだから、ただのエルフたちが正常でいられるはずがなかった。
「なんかさ……王利君とこの首領って、テンプテーションが常時アビリティとして発動してたりすんの? 異常過ぎるわよ」
「俺も会ったのは昨日だし、わからないって。怪人名はレウコなんとかだから誘惑属性は付かないはずだけど」
「ってことは天性か。戦力次第ではまさに最強かしら」
「で? 葉奈さんはどうすんだ?」
王利の言葉に、葉奈はなんのことかと王利を見た。
「首領も俺も悪側の人間だ。葉奈さんにとっちゃ敵なんだ」
「そ、それは……ほら、こっちにいる間はあたしだけだし、向こうに帰ってから考えてもさ……」
「バグシャークとバグリベルレがこっちに来てる」
葉奈の言葉が止まった。
何か言おうと口は開くが声だけが出てこない。
「昨日首領が言ってたけど、俺の不手際で本拠地をバグソルジャーに奇襲された。なんとか首領はこちらに連れてこられたけど、ついでにあの二人まで連れて来ちまった。まず間違いなく奴らは俺たちを狙ってくる。その時、葉奈さんがどうでるか、今のうちに聞いておきたい」
「あたしは……」
悪に屈する気は無い。そう言いたかった。
でも、その言葉は喉元で引っかかる。
もし、宣言してしまえば、バグソルジャーの二人が襲って来た時、王利と戦わなければならないのだ。
そうなれば、首領を守る王利は死ぬ気で反抗するだろう。
つまり、もう二度と、王利とは会えなくなるのだ。
しかも、仲間の手前、手を抜くわけにはいかない。
つまり、どちらかが確実に……消える。
迷う。いや、もう答えは出ていた。
でも、その答えは己の信念からは逸脱したもので、到底肯定できるものではなかった。
自分がそんなことを思うなんてあり得ない。
でも、正義の味方を止める決意さえしてしまえば……
王利と、一緒に居れる。
ごくり、と喉が鳴った。
葉奈の心を占めている一番のものはすでにバグソルジャーの仲間たちではなく、正義を成すことでもなく、まして自分を改造したコリントノヴァへの復讐すらどうでもよかった。
王利と共に生きること。それこそが今、葉奈の思考の全てを握っていると言っても過言ではなかった。
通常の恋愛としてもあり得ない感情だ。
まるでロミオとジュリエットのように、越えられない壁を前に焦がれる恋。妄執とすら思えるその思いに、自分のことながら恐ろしく思う。
これは、果たして本当に恋なのか?
ただ彼の為だけに。それは恋は盲目と表現するには余りにも一途すぎる感情だ。
「葉奈さん?」
気が付くと、葉奈は己の身体を抱きしめながら震えていた。
これは違う。
恋ではない。
こんなものが恋であるはずがなかったのだ。
まるで呪いのように王利しか考えられなくなっている。
その他の事などどうでもいい。
魔王? コリントノヴァ? バグソルジャー? そんなものにもはや価値など見当たらない。王利が至高。それ以外は無価値だ。
これではもはや崇拝だ。
こんな思いが、恋であるわけがなかった。
「気分が悪いなら部屋で……」
「だ、大丈夫。気にすることじゃないから。でもちょっとソファ借りとく」
気丈に振るまいバルコニーから下がると、広間のソファに腰掛ける。
「ちょっと、これはさすがにまずいわよね……」
額に手を当て独り語ちる。
思わず、仲間たちのことなどどうでもいいと結論を出しかけてしまった。
そんな自分が恥ずかしくて、鬱になる。
国王の演説を聞く王利を見ていると、やはり彼無しでこの先生きていく希望が持てそうにない。
王利がもしも死ぬとなれば、自分は喜んで、いや絶望して後を追うだろう。それだけは確実だ。
その想いは今も少しずつ膨らんでいる。
時がたてば立つほどに、王利だけの女になりたくて、王利専用になりたくて……
「なんで、こんなに……」
「まるで奴隷志願よな」
不意に聞こえた声に、葉奈は慌てて飛び起きた。
すると、いつの間に近づいていたのか、首領が真横に立っていた。
「な、何よッ!」
さすがに警戒するが、攻撃態勢までは行わない。一応、ここに居る間は敵対しないと言われているのだ。
「コリントノヴァから送られてきた資料に面白いことが書かれていたのを思い出してな」
「それ、あたしの詳細ってヤツ? 呆れたわね。個人情報ダダ漏れじゃない。で、何?」
「貴様は怪人ではないそうだ」
どんなことが来るかと身構えていた葉奈は、予想の斜め上を突き進んだその言葉に、つい口を開けたまま停止した。
「……は? え?」
「本来コリントノヴァの怪人はオスのみで構成されている。女性型は全て怪人共の愛玩用として造られるらしい」
「あ、愛玩……はい?」
「ようするに貴様は慰安部隊として作られたわけだ。だから一度惚れた相手にはとことん惚れ込むよう設定されておる。何か惚れるキーワードでもあったか、単純に惚れただけかは分からんな。彼女になると貴様自身が認めたのだろう。貴様の感情は見ているだけで丸分かりだぞ」
意地の悪い笑みを浮かべくっくと笑う悪の首領。
葉奈の王利に対する執着の答えが、敵対者から簡単にもたらされた。
あまりにあっけない解答に、思考は完全にストップ。
葉奈は真っ白な頭でなんとか首領の言葉の意味を考える。
「つ、つまり、あたしが王利君の彼女になりたいと思ったから、愛玩用怪人としての思考が始まったと……」
「そのようだな。本来は製造後の洗脳で割り振られる男性体がいたのだろうが、そこに辿りつく前にコリントノヴァより脱出したせいだろう。もはや本来の貴様の気持ちか改造によるものか、区別などできまい。コリントノヴァの技術もなかなかにマッドだな」
首領の笑い声を聞きながら、葉奈は思わずうなだれる。
これほどまでに思い悩んでいたことが、実は改造された愛情だったのかもしれないのだという。
それは、王利のことを本当はそこまで好きじゃなかったかもしれないと考えても、それすら否定してしまうほどに強い強制。
「ちょっと、外歩いてくる」
「大いに悩むがいい。貴様がどちらに付くか見ものよな。クックック」
芋虫のような目玉が愉快気に動く。
その気色の悪い物体にすら気持ちは向かず、白色に塗られた思考のまま、葉奈は外へ向かい歩き出す。
ふらふらと力なく歩くその姿は、まるで歩く死者のようだった。