悪、解き放たれる
「おじさんっ!!」
倒れた次期長老に駆け寄ったのはラナだった。
戸惑うクルナに先んじて次期長老の前にしゃがみこんだラナはまだ次期長老が生きているかのように身体を揺する。
「どうした……ラナ、何が起きたのだ……?」
寝たきりの長老が問う。
それにラナが焦燥した様子で叫ぶ。
「おじさんが、おじさんが倒れて、動かないの。口から泡が……どうしよう!?」
「なぜ、そうなった……?」
「そ、それは……クルナちゃんが持ってきたバスケットの果物を食べて……」
言い淀むように、しかし、ラナは迷いなく正直に答える。
言われたクルナはビクリと身体を震わせた。
「本当か……クルナ?」
寝転がったままの長老。しかしその声音は鋭い。
幼い少女に過ぎないクルナは、目の前で小父の死にざまを見て驚いているところに長老から声を掛けられ完全に怯えてしまっていた。
「ち、ちが、私、だって、持っていけって。だから……」
「知っていて……持ってきたのか……なぜそんなことを……」
長老はクルナの言葉で何かを感違いしたようだ。
気付いたラナだったが、訂正はしないでおいた。
「ち、違うの、私じゃないっ。私じゃ……」
助けて、とばかりにラナを見るクルナ。
さてどうしたものか。とラナは考える。
だが、彼女が何かをするより先に、長老が口を開いた。
「クルティアナ。正直に話しなさい」
その言葉を聞いた瞬間、クルナの瞳から光が消えた。
突然の現象にラナは思わず目を見張る。
今のは、クルナの真名か。とラナを通して知った首領はニヤリとほくそ笑む。
「それと……ラナリナリア。クルティアナ。互いの真名を聞いた事を忘れなさい」
長老の言葉でラナの瞳も色を失う。
そして、クルナが正直に、自分は何も知らないと答えていた。
それを聞きながら、首領は醜悪な笑みを浮かべていた。
「クルナは何も……知らんそうだ。ラナ。お前は……何か知っているか?」
「私は、今日おじいちゃんのお見舞いに一緒に付いて来ただけだから……知らないよ?」
「本当だな? ……もう一度、問うぞ?」
来る。首領は確信した。
ラナに向け、もう一度真名で確認するつもりだ。
そうなれば、確実にラナ(・・)は真実を口にするだろう。
「ラナリナリア、正直に話しなさい」
ぐっと身を起こす長老。疑心に満ちた瞳がラナを射抜く。
首領はラナの内にありながら、自身を見透かされる様な視線にほぅ。と感心したように呟く。
真名を使われたことにより、ラナから真実が洩れる。
「私は、今日おじいちゃんのお見舞いに一緒に付いて来ただけだから……知らないよ?」
先程と、同じ言葉だった。
当然だ。ラナの言語中枢は、既に彼女の支配下にないのだから。幾らラナが正直に話そうとしても、話す事が出来るのは、彼女に寄生し、操る首領である。
それを聞き、長老の瞳から疑心が消える。
クルナでも、ラナでもない。となればバスケットをクルナに渡した人物、つまりクルナの母親が今一番怪しい敵対者だ。
長老はなぜこのような事を彼女が行ったのかと疑問に思うが、それ以上行動を起こす事は無かった。
いや、起こせなかった。
「石よ、岩よ。天井部から崩壊し、中央にいる人間を押し潰せ」
「っ!?」
突然、ラナの口から信じられない様な言霊が発せられた。
驚き目を見開く長老へ、家を形作る岩や石が、これでもかと崩落して来る。
「ラナリナリアッ、今の発言を取り消せ、ラナリナリアッ、なぜ……ガッゲェェェェェ――」
岩は、容赦なく長老を圧し潰した。
最後には潰れた蛙のような断末魔を残し岩の中へと消え去った。
岩の隙間から洩れでた紅い液体を見て、ラナは醜悪な笑みを浮かべる。
「クク……フハハ。ハーッハッハッハッハッハ」
「ら、ラナちゃ……なんで……」
一部始終を見せつけられたクルナはただただ理解できないモノを見る様な目でラナを見る。
その瞳に映るラナは、今まで見知っていたラナとは別人に見えた。
禍々しい笑みで高笑いするラナに、恐怖さえ覚える。
「なぁクルナよ。言霊とは本当に便利だな。口にすればどれ程の囁きでもしっかり機能するのだからな」
バスケット内の果実に毒を入れたのは、ラナだった。
彼女はクルナと合流した直後に言霊を使ったのだ。
合流前に集めた毒に「毒たちよ、あのバスケット内の果実に忍びこめ。誰にも気付かれないように」と告げたのだ。
言霊を受けた生命ではない毒は、言われるままに果実の内部へと、誰にも気付かれること無く入り込み、有毒果実ができあがった。
後は、渡された次期長老か、寝たきりの長老が食せばいい。
その後、何らかの方法でもう一人の不意をついて殺してしまえば、誰もラナの真名を知らなくなるからだ。
その過程で、クルナとラナの真名が聞けたのは、ラナ、いや、首領にとって僥倖であると言えた。
だから、首領は、ラナの身体を口を使って最後の仕上げを行う。
「クルティアナ。私の奴隷になれ。クルティアナ、私に逆らう事を禁ずる。クルティアナ、私から逃げる事を禁ずる。クルティアナ……」
クルナの真名を次々と呼び、一つ一つ自由を奪って行く。
クルナは信じられない顔をしながら、ただただ自分の自由が奪われていくのを聞いているしか出来なかった。
「ラナ……ちゃん……じゃない。誰、あなたは……誰!? ラナちゃんに何したの!?」
「ふふ。気付くのが遅いなぁ、クルナよ。もっと早くに気付けておればあるいは防げたかもしれんが、もう遅い。お前はもう私に逆らえんのだよ。私は秘密結社インセクトワールドが首領、レウコクロリディウムである。ラナは私が……乗っ取った」
醜悪に笑むラナに、両手を口に当て目を見開くクルナ。
衝撃の事実に頭が真っ白になっていた。
「そして、クルナ。お前はこれから我が部下としてインセクトワールドで働くのだ。さぁ、W・Bと合流するぞ。もう、ラナの真名を知るものは存在しないのだからな。私は……自由だ」
ラナの悪魔の様な高笑いが木魂する。
自分の身に起こった絶望を受け入れる事が出来なくて、クルナはふっと、意識が遠のくのを悟った。
己の勝利に酔う少女のすぐ前で、哀れな少女は静かに気絶した。