毒蝶無双
エルフ族の城、ローエングロック城はケンウッド平原を間に挟み、魔王城の東側に建国されていた。
このケンウッド平原で、魔王軍とエルフ軍が衝突していた。
周囲が見渡せる広い平原は、大量の魔物に埋め尽くされ、数百人のエルフ兵は苦戦を余儀なくされていた。
一人一人個別に居て、囲まれればもはや死は免れない。
しかし密集してしまうと多くの魔物を王国へ向かわせてしまう。
エルフ兵は魔法に長け、確かに強い。
対する魔物たちは知力は無く、力押しの魔物が多い。
それでも倍以上の軍勢では、勝利の見込みは無いに等しい。
エルフ軍の兵士長も、すでに生存を諦め、祖国のため、臣民のため、自らの死地はここだと、全力を出し切るつもりでいた。
しかし、である。
奮戦の最中、背後に響くあり得ない音に、思わず振り向く。
エルフ軍に伝わる撤退の合図だった。
「なぜだッ!?」
思わず叫ぶ兵士長。
しかし、撤退の合図が示された以上、戦い続ける意味は無い。
この撤退に、何らかの意味があるはずなのだ。
理解できない。意図が分からない。納得など出来るはずもない。
それでも撤退の意思が後方より伝えられたのであれば、引かなければ軍法違反で後々裁かれる事になる。
もし撤退しなければ、自分はここで死ねだろうが、残された部下は違反者として処罰されるか、後を追って死ぬだろう。ならば生存率の高い撤退はむしろ望む所でもあった。
「全軍、撤退、撤退だッ」
力の限り叫びながら、迫りくるゴブリンを斬り伏せ自らも戦線を離脱する。
魔王軍が追いついてこないよう魔法を打ち込みながら、先に兵を撤退させ、彼らに足止めを頼みながら自らも後退する。
少しずつではあるが、撤退を行っていた時だった。
彼の頭上を、影が通り過ぎた。
何事かと、手前のオークに魔法弾を打ち込みながら見上げる。
それは、見た事もない異形の生物がいた。
その姿は人型をした漆黒の蝶。跳ねを鳥のように広げて滑空し、大空を舞っていた。
黒き粉を撒き散らし、漆黒の翅を羽ばたかす魔物のような生物。
それは天の使いのようでもあり、破滅の使者にも思える神秘的な美しさを持っていた。
思わず見とれるようなそのフォルム。兵士長は逃げるのも忘れて魅入ってしまう。
バグパピヨンの出現だった。
「必殺技なんて何年ぶりかな……」
眼下に見える魔物の群れに、バグパピヨンは一人言ちる。
最後に使ったのは施設脱出の時だったろうか? それ以外はバグソルジャーの仲間たちに危険が及ぶので一度も使わなかった最悪の技だ。
空中で一度停止し、まさに蝶のようにひらひらと舞う。
意識を集中し、能力発動の為の感覚器を起動する。
両手を目一杯広げ、発動する。
「毒殺の暴風」
これまで舞い落ちるだけだった鱗粉が、突然規則正しく流れ出す。
風は吹いていない。それでも暴風に吹かれたように粉が舞う。
全ての魔物に均等に、死へと誘う毒の鱗が舞い落ちる。
魔物たちは分からない。それが何を起こす粉なのか。
だから気にせず息をする。
そして体に取り込んでいく。
死神は魔物に気付かれることなく、静かに魂を狩り取るのだ。
範囲から逃れていたエルフ軍が撤退する様を見て、バグパピヨンは安堵の息を吐く。
それなりに意識して粉を降らせる範囲はしていできるが、細かい操作まではバグパピヨンには行えない。
あくまで一定範囲に鱗粉を運ぶだけだ。そこから息をして吸い込んでしまっても、それは自己責任である。
「少々正義っぽくないけど、あたしの能力はこれなんでね。覚悟しなさい悪の怪人共ッ」
毒が蔓延し始めた頃を見計らい、バグパピヨンは魔物の群れに突っ込んだ。
彼女の力だけでも十分に渡り合える魔物たちは、麻痺毒によりすでに虫の息。手こずることなくトドメを刺していけた。
機動に重きを置いたヘルハウンドも、白兵自慢のミノタウロスも、魔法使いたちすらも、等しく毒に晒された。
ある者はそのまま死亡し、ある者は突撃してきたバグパピヨンの蹴りに貫かれ絶命する。
空を飛ぶ魔物も、毒を吸い込み全身麻痺で墜落する。
その衝撃でそのまま絶命する者も多く、もはや戦闘にすらならなかった。
バグパピヨン出現から、十分とたたず魔王軍は文字通り壊滅した。