誠司の夕食
築三十年のアパートのドアは、蝶番を軋ませて開いた。
午後六時。ようやく狭い我が家に帰ってきた誠司は、金色に染められた頭をガシガシと掻いた。とりあえず手を洗おうと、久しぶりに着た学ランを脱ぎ、脇に抱えていた箱をちゃぶ台に乗せる。
台所に立つなんて、まだ人生で“二回”しかねえんだな。ステンレスの鈍い光を眺めて誠司はそんなことを考えた。
そうして流し台の前で袖をまくっていると、ふと小さなメモ書きが目に入った。何日も前から、そのままになっている白い紙。
そこには完結な一言。
『今日は肉じゃが』
「おいおい、また肉じゃがかよ」
誠司はメモを書いた母親に愚痴る。
「たまには違うもん食わせろよ」
「食べたくないなら、あんたが自分で作ればいいでしょ」
誠司の母親――篤子は、まだ固いジャガ芋に菜箸を突き刺しながら言った。
その態度に腹が立ち、誠司は台所に立つ母のもとへと向かう。
「上等だ、作ってやるからどけよ」
誠司は篤子を台所から追い出し、煮詰めている肉じゃがを端にどかして、代わりにコンロの上にフライパンを乗せた。
料理をした経験など、ろくにありはしない。だが、篤子が作る下手な肉じゃがを食うよりはましだろう。とりあえず、麻婆豆腐なら前に先輩が作っているのを見た事がある。あれなら作れるはずだ。誠司はそう思い、適当に調味料をフライパンに入れ、残っていた豆腐と豚肉を一緒に炒めた。
そうして完成したものは、奇跡的にも『麻婆豆腐』になっていた。
「あんた、才能あるわ」
麻婆豆腐を食べた篤子は、誠司が“初めて”作った料理をそう評した。
「喧嘩ばっかしてないで、料理人になりなさいよ」
「ババア正気か? なるかそんなもん」
誠司は母親の助言を一蹴した。
だが篤子はそれ以来「料理人になりなさい」と繰り返すようになった。
いつの間にか、誠司の目の前には肉じゃがが出来上がっていた。
思い出に浸っている間に作り上げてしまったらしい。誠司は小さく溜息をついて、鍋の中で程よく煮詰まった肉じゃがを器へと移し、ちゃぶ台へと運ぶ。
湯気を立てる“人生で二回目の料理”に、誠司は箸を伸ばした。
「クソッ、美味え……」
口にした肉じゃがは、篤子が作ったものより数段美味しい。
なんだよ、俺は味が染みてない肉じゃがを食いたかったのに。
誠司の瞳から零れた涙が、篤子が入った骨壺を濡らした。
【完】
サクッと楽しめる作品を目指して書きました。
原稿用紙三枚程度で、出来るだけ感動できる作品を作ろうと頑張りましたが……難しいですね(苦笑)
もし楽しんで頂けましたら、意見や感想を頂けると嬉しいです。
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