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密書と誓いの前夜

朝の光はまだ柔らかく、館の廊は冷えた空気を含んでいた。早馬の使者が駆け込み、一通の密書を差し出して去る。封は粗末な和紙で、朱印は古い家紋に似ているが、線が細く歪んでいた。知家はそれを開かずに掌で確かめ、静かに息を吐いた。


「知尚を呼べ」


呼ばれたのは四男、知尚。若さの残る顔立ちだが、目には熱が宿っている。戸が閉まり、二人きりになると、知家は巻紙を机に置き、淡々と差し出した。


「これを見よ」


知尚は震える指で封を開き、別紙を取り出した。そこには短くこうあった――「夜半、社の裏にて。使者:藤原某。符を携行」。紙の端には、使者が残したらしい小さな符の写しが添えられている。写しの紋は本物の公家紋に似ているが、線の入り方が微妙に違った。


知家は問いを重ねる。


「お前が会ったのか」


知尚は視線を落とし、言葉を絞り出した。


「会いました。京の使者は流鏑馬や武芸大会を名目に、武者を集めたいと言いました。父上の京での評判を褒め、御前にて披露すると。幼い頃、父が京で誉れを受けた話を聞いて育ちました。父の背を追いたかった。褒められた私は、つい心が動いたのです」


知家は符の写しを指でなぞり、眉をひそめた。窓の外、松の葉がかすかに揺れる。


「紋が違う。偽りの匂いがする。相手は我らを試すか、誰かが仕組んだのかもしれぬ」


知尚は俯き、声を震わせた。


「私も後で気づきました。向こうに操られていたかもしれません。家を乱すつもりはありません。真偽を確かめ、協力します」


知家は短く頷いた。決断は冷たく、しかし計算があった。


「よかろう。だが条件だ。館を離れるな。外に出るときは必ず伴をつけよ。会話の細部、使者の宿、社の周囲にいた者の顔ぶれ――すべて洗い直して記録を出せ。公にすれば婚姻交渉に傷がつく。まずは内で確かめる」


知尚は深く頭を下げた。戸が閉まると、知家は一人、封の紙質と朱印の歪みを見つめた。差出人は依然不明だ。掟を定めたばかりの八田家は、早くも内外の試練に晒されている。


その日の午後、館の座敷には再び人が集まった。大掾、宇都宮、小山、結城、八田一族――昨夜の掟起草に参加した面々が揃う。松明の光が揺れ、酒盃が回るが、空気は張り詰めていた。知家は巻紙を広げ、改めて掟条の最終案を読み上げる。


「結束条、物資条、情報条、民政条、名誉条、婚姻条、執行条。以上を以て、我らは『坂東藤原流掟条』を定む」


各条の要旨が静かに繰り返される。大掾は低く頷き、宇都宮は海路の利点を指摘し、小山は人員の負担を案じ、結城は民の不安を口にした。八田一族の顔には覚悟と不安が混じる。治彦は巻紙の端で、皆の言葉を整理しながら聞いていた。


知家は読み終えると、巻紙を高く掲げた。松明の光が墨の文字を照らす。


「掟は紙にあらず、行いにあり。明日、鎌倉の寺にて流鏑馬の奉納神事を行い、その場で掟条の完成を神前にて誓う。皆、明朝に参列せよ」


座敷に短い沈黙が落ちる。やがて小山が口を開いた。


「神前で誓うのはよい。だが、知尚の件はどうする。密書の噂は消えぬ」


知家は静かに顔を上げた。視線は知尚の席に向かう。知尚は膝を正し、顔を上げることができない。


「明日の神事で、皆の前で処遇を決める」

その言葉は重く、座敷の空気を震わせた。


大掾が低く言った。「公にするか内に留めるかは、神前での誓いと掟の完成を踏まえて決めるべきだ。掟は我らの行いを縛る。掟の下で裁くのが筋である」


宇都宮が続ける。「常陸との婚姻を控え、外聞は重要だ。だが、家の内を公に晒すことは、同盟の信頼を損なう。慎重に」


結城は民の顔を思い浮かべるように言った。「民の不安を放置すれば、掟は空文となる。神前での誓いは民にも示すべきだ」


知家は皆の言葉を聞き、ゆっくりと杯を掲げた。


「明日は神前で掟を誓い、同時に知尚の処遇を決する。評定はここにいる者全員で行う。記録は残す。掟の試行は始まったばかりだ。行いで示せ」


杯が回り、声が上がる。だがその声にはいつもの軽さはない。皆がそれぞれの覚悟を胸に、夜を迎える。


夜、知尚は一人、館の縁側に座り、父の背中を思い出していた。幼い頃、知家が京で見せた武の話を聞き、彼はいつも胸を躍らせた。父の名が京で語られるたび、知尚の胸は誇りで満ちた。だがその誇りはいつしか功名心となり、外の光に手を伸ばさせた。今、その手は家を揺るがすかもしれない。


縁側に差す月光が、知尚の肩を冷たく照らす。彼は小さく息をつき、明日の神前で何が待つかを思った。掟は紙にあらず、行いにあり――その言葉が、夜の静けさの中で何度も反響した。


明日、鎌倉の寺で流鏑馬が奉納される。矢が弦を切る音、馬の蹄の響き、神前での誓い。皆が見守るその場で、坂東藤原流掟条は完成し、同時に知尚の運命が決まる。館の者たちはそれぞれに覚悟を固め、夜を明かした。









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