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沈黙の花  作者: ななせいな
二章 想いの花
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〈2−4〉 水鏡の幽霊 後編

 二日連続で、セレネは宮廷の貯水池にやって来ていた。

 昨晩はよく寝たであろう青年も、今日は来ている。


 昼間で視界が鮮明になると、この辺りの荒れ具合がより分かりやすい。

 柳の枝が、そこらかしこに伸び放題だ。


 柳は薬にもなるし、籠を編むこともできる。とても便利な植物なのに、勿体ない。


 ついでに景観も良くなるから、一石二鳥である。


 貧乏性のセレネは、どう役に立たせるか考えてしまう癖がある。

 世の中にある大抵のものは、実用性があると、セレネは思っている。


(さて)


 先程から背後に視線を感じるので、そろそろ幽霊騒ぎの話に移ろう。


 セレネは小さく息をついてから、口を開く。


「まず、人影は光によってできた偶然です。ここ最近、カーテンを開けて、徹夜で作業をされる方でもいられるのでしょう」


 場所的には、北棟の二、三階あたりだろうか。まぁ、どこでも良い。

 調べたければ調べるだろう。そこはセレネの専門ではない。


 一つ目簡単に済ませ、次は足元がツルリと滑る件である。

 セレネは細い橋を少し進んだところでしゃがみ込む。ノクスとアルカスもそれを覗き込む。


「⋯⋯(こけ)、かな?」

「はい、苔です」


 そこに生えているのは、誰もが知っている苔だ。


 これを踏んで滑ったのではないかと、セレネは考えている。

 昨晩セレネが滑った場所も、大体この位置であっている。


「湿っていれば、相応に滑りやすいかと」

「けれど、湿っているようには見えないよ?」


 ノクスの指摘通り、今はそこまで湿っていない。

 踏みつけることはあっても、滑ることはないだろう。


 そこが、夜だけに転落者が現れる理由だ。そして、最近増え始めたのも。


「夜露です」


 昼夜の気温差が激しく、特に夜が冷え込むこの時期は、夜露が発生しやすい。


 湿った苔ほど危険なものはない。

 ぬるぬるして、まるで氷の上を歩いているような感覚になるのだ。


 セレネも庭に水場を作って育てているが、何度命の危険を感じたことか。

 日陰や湿った場所では、知らず知らずのうちに大量繁殖しているので、とても危ない。


 骨が折れたり、頭部を強く打つこともある。重症者がいなかったのは、運が良い。


 深い緑色をしている苔は、さぞ夜の闇に溶け込みやすかっただろう。

 視界に入らないのも当然だ。


「じゃあ、『腕が掴まれた』っていうのは?」


 ノクスの問いに、セレネは無言で立ち上がり、柳の枝を傷つけないように優しく掴む。

 そして、ゆっさゆっさと上下に揺らした。


「これです」

「⋯⋯それが、腕に絡まったの?」


 理解が早くて助かる。


 この長さの枝がこれだけあれば、落ちた拍子に一瞬だが腕に絡まるだろう。


 当然だが、振り向いても誰もいない。

 犯人は柳の枝だからだ。人でも幽霊でも、何でもない。


 光と苔と柳。

 人ではない三つが合わさって、見事に居もしない〈水鏡の幽霊〉が生まれた。すごい偶然だ。


 こうして考えてみると、人の想像力ほど恐ろしいものはないと思う。


「苔は危ないので、すぐに取り除くのが良いかと。庭師に頼めば、対応してくれると思いますよ」


 セレネがしても良いのだが、そこは専門家に任せたほうが良い。


 そちらの方が、効率よく作業を進めることができる道具を持ち合わせているからだ。


 セレネができる苔対策と言えば、熱湯をかけるか灰を撒くことくらいである。

 それか、地道に削いでいくか。箸休めにもならない。


「私に言えることは以上です」

「うん、十分だ」


 ノクスは短く言うと、小声でアルカスに指示をした。

 アルカスは一礼して、一足先に貯水池を離れる。


「では、私もここで失礼します」

「ちょっと待った」


 帰ろうとしたら呼び止められたので、セレネは訝しみつつも足を止める。


 正直言って、この青年と二人きりは嫌なのだが。


 なんというか、完璧すぎて怖いのだ。


 綺麗すぎて、この世の人間とは思えない。

 神と言われた方がしっくりくるレベルである。


「手を出してもらえる?」


 言われるがままに、手の甲を上に向けて出す。

 今から手枷(てかせ)でもつけられるかのように。


 ノクスは苦笑し、セレネの手をひっくり返す。手のひらが上に向いた。

 そして、その上に小さな包みを乗せる。


「どうぞ」


 ノクスはにこりと優しく微笑む。

 まるで、秘密の約束を交わしたかのように。


 包みを開くと、ふんわりと甘く華やかな香りが広がった。


 中には砂糖漬けにされたスミレの花が入っている。

 いわゆる、花の砂糖菓子というやつだ。


 淡い紫や、白、縁は薄い紫で中心にかけて白くなっていくもの――色とりどりのスミレの花が、キラキラと宝石のような砂糖に包まれている。


(砂糖とは高価なものを)


 庶民の甘味といえば、蜂蜜か果物だ。砂糖なんて滅多に使えるものではない。


 こういうところで、この人は貴族なんだなぁ、と思ってしまう。

 絶対に越えることができない、身分差の壁である。


「⋯⋯ありがとうございます」

「どういたしまして」


 どうせ返すのも失礼にあたるので、セレネは大人しく受け取っておくことにした。

 そうして、ようやく帰路につく。


 やはり、餌付けされている気がするのは気のせいだろうか。


 気のせいにしたい。気のせいにしておこう。

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