〈5−5〉 大体全部、蓑虫と赤毛のせい
(あー、帰りたい)
夜、セレネはベッドに仰向けに寝転がって、放心する。
しれっとチューリップの球根を食べてそれっきりなのだが、今のところ症状はない。
まぁ、普段から毒を摂取しているセレネなので、多少だが毒に耐性があるのだ。
にしても、こんな合宿に推薦した蓑虫と赤毛に文句を言ってやりたい。
セレネは溜まった鬱憤を晴らすため、足をバタつかせる。
寝泊まりするのは一人部屋なので、誰にも気を使わなくても良いところが嬉しい。
疲れたので足を止め、窓の外を見る。今日は新月。
星のみが瞬く夜は、いつもより幾分か暗い。
夜空の星を一つ、二つと数えていると、コンコンと扉が叩かれた。
「セレネ・エストレラ嬢。少々、お話よろしいでしょうか」
扉の向こうから聞こえてきたのは、聞き慣れぬ女の声だ。
こんな時間に訪ねてくるのだから、研修官か誰かだろうか。
(⋯⋯⋯⋯)
怒られるかなぁと思いつつ、開けなかったらさらに怒られそうなので、セレネは扉を開いた。
廊下に立っているのは二人。
栗色の髪をさっくりと束ねた女性――規範官と、ルースだ。
「こんばんは。何か御用でしょうか」
「こんばんは。夜遅くに申し訳ありません。規範官のイザベル・フェーレと申します。中へ失礼してもよろしいでしょうか」
断る理由がないので、セレネは二人を中へ通した。
部屋は全く散らかしていないので、見られて困るようなことはない。
部屋にあった椅子に座り、三人は机を囲む。
セレネが紅茶を用意している間、イザベルとルースは何やら離している。
「おや、フィエルダ様は部屋の外にいらっしゃるのでは?」
確かに、護衛ならば部屋の中に入らず、外にいる気がするのだが。
イザベルの言葉に、ルースは首を横に振る。
「いいや、私も席につかせてもらう。今回は研修官、及び参加者同士が二人きりにならぬよう言われているからな」
「そうなのですか。何か変わった趣旨でも?」
ルースは腕組みをしたまましばし悩み、声を抑えて口を開く。
「聖女というものは知っているか?」
「ほう、聖女」
(聖女⋯⋯聞いたことあるな)
確か、柑橘の香水やベラドンナの目薬を出回らせたアクアが言っていた。
毒の知識は、聖女様に教えてもらったと。
「将来的に人の命を扱う者たちが集まる場で、その聖女に毒される奴らが出ないよう、会話の内容は全て聞かんといかんのだ」
言い方を変えれば、春の薬草合宿に関わっている者の中に、聖女という存在がいると見ていることになる。
そういうことを、今日出会ったばかりの人たち――ひいては、聖女かもしれない人に言っても良いのか。
上司に怒られやしないかと心配になる。
まぁ、セレネには関係ないので良いのだが。
「なるほど。何にせよ、聞かれても困ることはないので大丈夫ですね」
イザベルはにこりと笑う。
ちょうど紅茶の用意ができたので、それぞれの前にカップを置いて、セレネも席につく。
最初に話し始めたのは、イザベルだ。
「まず、本日の夕食の際に起きたことなのですが⋯⋯」
「⋯⋯言い過ぎましたよね。すみません」
合理性があろうがなかろうが、総監督官にあれはダメだったと猛省する。
貴族社会であるこの世の中は、真実よりも身分が重視される。
貴族が黒といえば黒、白といえば白になるのだ。
伏し目がちになるセレネに、イザベルが明るく声をかける。
「いえいえ。むしろ、お礼を言いたいほどで」
目を丸くするセレネに構わず、イザベルは続ける。
「私は規範官として参加させてもらった通り、薬師の責任や誓約についてを司っています。それを皆さんに教示する側の私が、薬師の責任について考えられていませんでした。それを改めて気づかせてくれたエストレラ嬢に、深くお礼申し上げます」
イザベルは深く頭を下げる。顔を上げると、優しく微笑んだ。
なるほどミラの言った通り、優しそうな人である。
「本日の夜の会議にて、同じようなギミックは全て廃止することが決定いたしましたので、ご安心くださいませ」
(他にもあったんだ)
おぉ怖い、とセレネは身震いする。
誰も気が付かなかったら、一体どうしていたのか。
確実に死者は出ていただろう。
「さて、私の話はここで終わりなのですが、何か質問などはありますでしょうか? 答えられることなら、何でも答えさせていただきますが」
答えられることならと言うが、何でも答えてくれそうな態度である。
それならせっかくだから聞いてみようかなぁ、とセレネは訊ねてみる。
「この会の目的は、何でしょうか?」
薬師を育てるためでは、確実にない。セレネはそう考えている。
薬の多くは、過剰摂取すれば毒になる。
たとえ毒があっても、少量ならば薬になる場合もある。
つまるところ、何か厄介事を起こすために、薬師という職はうってつけなのだ。
――失敗という虚偽を掲げるのが、容易な職とも言える。
イザベルは丸い目を瞬かせ、困ったように頬を掻く。
「そこのところは私も存じ上げませんが⋯⋯総監督官なら、何かご存知かもしれませんね」
そうですか、とセレネは相槌を打つ。
話をずっと聞いていたルースは、腕を組んだまま眉をひそめる。
「参加規定が厳しい割には、目標がこざっぱりしている会だな。主催がジェスタール公爵とだけあって、何か思惑があるのかもしれん」
(ジェスタール公爵?)
セレネは小首を傾げる。
はてさて、どこかで聞いたような。
ジャムみたいな、スコーンみたいな名前である。
考えていると、食べたくなってきた。紅茶もあるので、より揺さぶられてしまう。
ジェスタール公爵が何か分かっていないセレネを、ルースが呆れの目で見る。
「知らんのか。第二王子の祖父。第三王子派筆頭の大貴族だ」
「⋯⋯知ってますよ」
そう言えば、ミラに教えてもらったなと思い出した。そこで聞いたのだ。
ちょっとは人の名前を覚えられるようになったかな、と思いながらカップを手に取った瞬間、バン、と大きな音がした。
見れば、ルースが机に手をついて立ち上がっている。
「知らんだろ! 今の間は何だ! 今の間は!」
どうやら、大貴族の名をセレネが知らなかったことにお怒りらしい。
知っていたけど、思い出せなかっただけだとセレネは心の内で言い訳をする。
顔を真っ赤にして、今にも暴れだしそうな猛獣もといルースをたしなめるのは、イザベルだ。
「まぁまぁフィエルダ様、落ち着いて」
「いいか、今晩じっくりと、私が国内貴族について叩き込んでやる! 薬師を志す前に、国内情勢を覚えろっ!」
「私、花屋のままで良いんですけど⋯⋯」
何度も言うが、セレネがここに来たのは蓑虫と赤毛のせいである。
「花屋だろうが、薬師だろうが、んなもん知らぬわっ!」
「えぇ⋯⋯」
セレネは思わず声をこぼす。なんて横暴な。
花屋が国内情勢に詳しくなったところで、一体何になるというのだ。
その後、猛獣もといルースを、何とかしてイザベルが連行。
かくして、一日目の夜は途中からだが、静かに過ぎていったのだった。




