〈1−4〉 教えてくれる?
(あぁ、眠い)
うつらうつらしつつ、セレネは夜の宮廷を歩いていた。
仕事なのでしっかりせねばならぬと、己の頬を叩いて叱咤する。
力加減を誤ったせいで、右頬がじんじんと痛くなった。夜風に冷やされることにでもしよう。
月下美人が一輪欲しいという注文が入り、久しぶりの客だという点は嬉しい。
嬉しいのだが、問題は届け先にある。
宮廷管理官の執務室――先日、縄で縛られた日に紙を挟んだ場所である。
(もしかして、バレたのか?)
いいや、そんなことがあるはずがない。
周りには誰もいなかったし、こっそり置いたのだから⋯⋯と自分で自分をなだめつつ、セレネは月を見上げた。
白い満月が美しく輝いている。その周りには、数多の星々。
注文が入ったのは五日前だが、店にある月下美人が咲くまでに時間がかかった。
それでも五日は運が良いほうだとセレネは思う。
蕾を愛で、花咲かせる姿に思いを馳せるのも一興かと思うのだが、注文者は咲いてからで良いというのだ。その意図はともあれ、セレネの仕事は花を届けることだけだ。
月下美人は、優美な花を一晩限りで咲かせる。
実を言うと、きちんと手入れすれば二回以上咲き、年に一度は花咲かせる。
だが、一般的に広まっているのは「一晩限り」だ。
そこは、ロマンというやつだそう。人とは不思議である。
西棟に入って突き当たりまで進み、飴色の扉を軽く叩く。
返事はなかったが、代わりに内側から扉が開いた。
扉を開けたのは、三十路をいくらか過ぎたくらいの、栗色の髪の男である。
真面目そうだなぁ、というのが第一印象だ。
もしかすると、本当に花を届けるだけで帰れるかもしれない。
淡い期待を抱きつつ、セレネは前を向く。身なりからして、本棚を眺めているのが宮廷管理官だろう。
確か、名はノクス・フェリスだったか。
「依頼された花をお届けに参りました」
「そう。ありがとう」
ノクスの姿を改めて見ると、なるほど月下美人が似合いそうだと思った。
束ねて肩にかけた黒髪に、琥珀の瞳。線が細く、端正な顔立ち。
女に見えるが、男だろう。服装と喉の凹凸がそれを示していた。
月下美人の別名である、夜の女王という名が相応しそうだなとセレネは思った。男だが。
花言葉である艶やかな美人という言葉も似合いそうだ。
「これからの時期は直射日光を避け、半日陰に飾ってください。上手く管理できれば、もう一度花が咲く場合もありますので」
「へぇ、それは初耳だ」
何の感情も籠もっていない「へぇ」だった。
どことなく、作り物めいた雰囲気の青年だ。美しすぎる容姿と相まって。
「そうですか。では、どうぞ」
セレネは腕にかけていた籠から花を取り出す。
花を左手で支え、茎を右手で持つ。くるりと反対に向けて、花が一番綺麗に見える面を相手に見せて渡す。
花束を渡す際の、基本の渡し方だ。
ノクスは花を受け取り、あらかじめ用意していたであろう花瓶に生ける。
満月の月明かりを受けた花は、先程よりも一層美しく咲き誇っていた。
(⋯⋯代金が欲しいのだが)
セレネは半目になりつつ、そんなことを思った。
渡すものは渡したのだから、貰うものは貰わねばならない。
ノクスがすっかり忘れているということはないだろう。
なにせ、先程から見せびらかすように銀貨を手元で弄んでいるのだから。あれは確信犯だ。
こんな格式高い場所にいると、居心地が悪い。
何だかいたたまれなくて、セレネは視線を下に落とす。
「芋と毒」
ノクスがぽつりと呟いた言葉に、セレネはぎくりと肩を震わせた。
先日置き手紙に書いた文字と、同じである。
あくまでも平然を装いつつ、セレネは言う。
「⋯⋯代金を頂いてもよろしいでしょうか?」
「そうだね。けれど、私の質問に答えてからにしてくれるかい? セレネ・エストレラ嬢」
代金はもういらないから、今すぐ帰っても良いだろうか。
何事にも巻き込まれず、平和に庭弄りだけしていたいセレネは、切実にそう思った。
行動を起こそうにも、扉の前には栗色の髪の男がいるので逃げられない。
在りし日の騎士たちを思い出す。彼らはその後、どうなったのだろうか。
「リスティヒ卿とアストゥート卿には、謹慎と減給の処分が下されている。君はとんだとばっちりを受けたんだ。彼らに代わって、私が謝罪しよう」
出てきた人物名は初耳のものだが、騎士一と二といったところだろう。
そんな名だったのか、とは思ったが、三秒で忘れてしまった。
植物名ならいくらでも覚えられるが、人名を覚えるのは苦手。それがセレネだ。
今後会うことはないので良いだろう。
ちなみに言うと、客の名前はしっかり覚えるので、ノクスの名前は覚えていた。
「失礼ですが、人違いではないでしょうか」
「そうかい? あの日、医局のもとを訪れたのは、君一人だけだったと思うけど? 用件は薬草配達といったところだろうか」
セレネは知らぬ存ぜぬを突き通そうとするが、ノクスの準備が良すぎて逃げられない。
一体どこまで調べているのか。
よもや、減刑の引き換えとして騎士に売られていたなんて、セレネは考えつきもしない。
「言い逃れができないことくらい、分かっているだろう?」
「私は事実を述べているだけですので」
大嘘である。
セレネは保身と少しの正義感から動いたわけであって、報酬欲しさに動いたのではない。
綺麗に咲き誇る花は、摘まれてしまう。目立たぬ蕾ほど踏まれにくいのだ。
それと同じで、賢さは大々的に見せないほうが良いのだ。目立たずひっそりと生きれば良い。
堂々と自分を誇示するのも良いと思うが、セレネはそうして敵を作りたくない。
ノクスはセレネに一歩近づく。つられてセレネは一歩下がる。
その逢瀬を何度か繰り返したところで、セレネの背中に壁が当たった。
セレネは冷や汗をかきながら、恐る恐る顔を上げる。
甚だこの世のものとは思えないほど麗しい顔が、目の前にある。
白く細い指が、耳の下から顎までをつうっとなぞる。
セレネの無表情が、嫌悪によって軽くひきつる。
「教えてくれるかい?」
穏やかな笑顔の圧が、凄まじい。
何だこいつ、というのが素直な感想である。
顔を横に向けて指から逃げつつ、セレネは自分が逃げられぬことを悟った。




