〈5−4〉 人を幸せにするための花
一日目の午後は、筆記試験に費やされて終わった。
ひたすら薬の知識について問われるものだったので、その辺りに詳しいセレネには簡単だった。
そうして、時刻は夕方。
調薬と同義としているのか、合宿らしさを出したいだけかは知らないが、どうやら調理も自分たちでやるそう。
何を作るか、何を使うかは指定されている。
調理書を見て、その通りに作れというものだ。
今日の夕食の献立はライ麦パン、鶏肉のハーブ焼き、オニオンスープ、豆の煮込み、デザートには焼きリンゴ。飲み物は薄めた果実酒。
飲み物ですら、どれだけ薄めるかが指定されているので、水薬の濃度に関するものだろう。
セレネは普段から自炊をしているので、料理は得意な方だ。
料理人ほどではないが、それでも手際よく材料を用意していく。
貴族の者たちは、いかにも料理を嫌がっていたが。
普段から包丁なんて持たないのだろう。手つきが危なっかしい。
セレネは食材を自分の持ち場に運びつつ、同じグループのメンバーの様子を観察する。
リィナは非常にゆっくりと鶏肉を切っていた。
何か譲れないこだわりがあるらしく、一分の狂いもないよう、包丁と目線を合わせてまで丁寧に切っている。
アルディラは小器用なようで、調理書通りに進めていた。
「ねぇ、セレネ。私、玉ねぎ嫌いだから、オニオンスープ作らなくても良いかな?」
「ダメでしょ」
「ちぇー」
玉ねぎ嫌いのミラは、渋々玉ねぎの皮を剥き始める。
嫌いならば、食べなくても良いんじゃないかとセレネは思う。
今回の趣旨は、調理書通りに夕食を作るということだけあって。
(にしても、小ぶりな玉ねぎだな)
皮を剥きつつ、セレネは玉ねぎを観察する。
普通の玉ねぎなら、手のひらにちょうど収まるほどのサイズだろう。
けれどもこれは、手のひらに二つは乗りそうな小ささだ。
(まぁ、小さい品種もあるっていうし)
辺境の地であるクローデル侯爵領は、王都と植生が全く違う。
確か、エシャロットという小ぶりな玉ねぎが、この辺りでは有名だったはずだ。
(いや、でも⋯⋯)
エシャロットは、見た目こそ玉ねぎに似ている。
だが、味は別物だ。ニンニクのような風味に、独特な香り。
どちらかというと、ソースや風味付けに使われることが多い。
スープというには、少し違う気がするのだ。
セレネは試しに玉ねぎを薄く切り、その汁を肌に塗ってみた。しばらくすると肌が赤くなり、痛みも感じる。
(もしかして⋯⋯)
薄く切った玉ねぎを、今度は舌に乗せてみた。
生の玉ねぎとはまた違うピリピリとした刺激を感じ、セレネは僅かに目を眇める。
セレネはそのまま咀嚼し、嚥下した。
ぺろりと舌なめずりをし、セレネは扉の近くに立っていた総監督官に近寄る。
ハンカチ越しに掴んだ玉ねぎを見せて、ただある事実を確認するように問う。
「これ、玉ねぎじゃないですよね?」
「どうして、そう思った?」
総監督官はセレネを値踏みするように聞き返す。
食べたので分かりました――というのは根拠が欠ける。
それが証明されるのは、症状が出てからだ。
これが玉ねぎだとしても、エシャロットだとしても――起こるであろうことが、一つ起こっていない。
「刻めば目が痛み、涙が出るはずです。けれどもこれは、目に刺激は一切感じなかった」
その代わりに、舌には感じましたけど、という言葉は伏せておく。何か怒られそうだ。
調理に集中していた者は皆、手を止め、セレネと総監督官に注目している。
今から何が起こるのか、今何が起こっているのか――固唾を呑んで、話の終着点を探っていた。
「ならば、これが玉ねぎではないとするなら、何だと思う?」
見下しはしない。ただ試すように訊かれる。
「チューリップの球根です。摂取すると嘔吐や下痢、腹痛、呼吸困難などを引き起こします」
推測ではなく、断言。
セレネの言葉に、周りがざわついた。
それはそうだろう。誰も気が付かなかったら、自ら毒を摂取する羽目になっていたのだ。
チューリップは春に綺麗な花を咲かせるが、全草に毒を含む。
人間にも中毒症状を引き起こすが、犬や猫などはより重篤な症状を起こしやすいので、注意が必要だ。
ちなみに、肌の弱い者は球根を素手で触るだけで、皮膚炎を起こす。
扱うときには、手袋を着用するのが吉だ。
「素手で触った人は、すぐに手を洗ってください。決して、目や鼻などを触らないように」
何の感情も混ぜず、セレネは淡々と述べた。
空色の瞳は、真冬の氷のような冷たさを纏っている。
球根を素手で触っていたらしい者は、すぐに手を洗っていた。
「エストレラ、と言ったかな? 一つ、確認させてほしい」
「何でしょうか」
「私が見た感じでは、君はチューリップの球根を口にし、そのまま嚥下したと思うのだが」
バレてたか、という内心は綺麗に包み隠し、いけしゃあしゃあとセレネは答える。
「気のせいではないでしょうか」
総監督官は、目の奥に熱い炎と灯らせて言う。
「薬師というものは、気のせいという言葉が許されぬ世界だぞ。人の命を扱う仕事だ」
その言葉には、長年薬師として、王族の侍医として勤めてきた者の矜持が籠もっていた。
セレネはそれを否定しない。おかしいとも思わない。
けれども、馬鹿正直にそれを信念にしたりもしない。
――ただ、相手が誰であろうと、憤ることはあるものだ。
セレネはただ冷たく、感慨もなく言い放つ。
「値踏みするためであろうと、毒を盛った方が言うことではないと思いますが」
試すためとはいえ、結果的に人が死ねば、暗殺と同義だ。
命を落とすまでいかなくても、中毒症状が起きれば、毒を盛ったことになる。
セレネは甚だ疑問に思う。
――それが、薬師としての矜持なのかと。
人の命を守る者が、人に毒を盛って良いのかと。
「これを見抜けぬやつは、薬師になどなれぬ」
「そうですか。では、私からも一つ言わせてください」
セレネは総監督官を真っ直ぐと見据える。
そして、低く押し殺した声で、明確な怒りを滲ませて言う。
「人を幸せにするための花を、人を傷つける凶器に使うな」
次の言葉を待たず、セレネはスカートの裾を翻した。
花を売り、人を幸せにするのが花屋の仕事だ。
総監督官に薬師としての矜持があるように、セレネにも花屋の矜持がある。
総監督官は何も言わず、ただ唇を噛んで憤慨を押し殺していた。
◇◆◇
薄く雲のかかった群青色の空には、一番星が輝いている。
日は沈んでいるのに地平線の辺りだけオレンジがかったその空は、何とも魔法のようだ。
そんなことを考えつつ羽根ペンを動かしていたノクスは、ふと思い出してアルカスに問う。
「そういえば、今日はセレネが来る日じゃなかったっけ?」
定期的に花を届けてくれる花屋のセレネ。
確か今日がその配達の日だった気がするのだが、今日はまだ見ていない。
もう日は暮れてしまったし、今から来るわけでもなかろう。
「忘れてるのかな?」
そう呟き、ノクスはパタパタと子どもの如くつま先を上下させる。
彼なりの暇つぶしだ。構ってほしさを表しているというのもある。
そんなノクスに、アルカスはいつも通り眉間にしわを寄せる。
その仕草は見慣れたものなのだが、何だかやけに遺憾そうな雰囲気を感じ取った。
「それがですね⋯⋯先ほど、カロンから連絡がありまして⋯⋯」
「風邪をひいたのかな?」
じゃあ果物の詰め合わせでも持ってお見舞いに行かなきゃかな、と思案するノクスに、アルカスは噛みしめるように話す。
「『春の薬草合宿』というのが開催されているのを、ご存知でしょうか」
「あぁ⋯⋯ジェスタール公爵が出資してるんだっけ」
山積みになっている資料のどこかで目を通した。
ちょうど、今日からの開催だったか。
ほんの少し冷めた感情を滲ませた声色に勘づき、アルカスが顔色を伺ってくる。ノクスは続きを促す。
「そこにエストレラ嬢も参加しているようです。⋯⋯本当に、大変申し訳ないのですが」
アルカスは唇を噛み締めて言う。
セレネが逃げられないようにするため、カロンがノクスの名義を勝手に使用したと。
あまりにも予想外のことを言われ、ノクスは思わず、わぁ⋯⋯と声を上げた。全く持って、初耳だ。
「カロンには重々言い聞かせておきますので⋯⋯」
「別に良いよ。ノクス・フェリスの名なんて、勝手に使えば良い」
アルカスの言葉を遮り、ノクスは唇に淡い笑みを浮かべる。
「⋯⋯どうせ、この世で彷徨っている亡霊の名なのだから」
自分を責め苛むように言い切り、ノクスは長い睫毛を伏せた。
(にしても、ジェスタール公爵が主催か⋯⋯)
しかも、対象は見習い薬師のみ。
参加できる条件もかなり厳しい。どう考えても、きな臭い。
何も起こらなければ良いのだけど、とノクスは窓の外を見ながら、独り言を呟いた。




