〈5−2〉 お家に帰りたい
冬の寒さが僅かに残る中、迎えたくなかった春の薬草合宿の日を迎えてしまった。
風邪でもひいたりしないかと思っていたのだが、現実はそう上手くいかない。
バッチリ健康体でセレネは参加した。
開催場所は、シュタール王国東部、辺境の地にあるクローデル侯爵領。
その森の中にある、そこそこ広い屋敷である。寝泊まりも研修も、全てここで行うらしい。
クローデル侯爵領は、非常に自然豊かな土地だ。春の訪れを王都よりも感じられる。
柔らかな日差しを注ぐ太陽。ひらひらと舞う蝶。
新芽が顔を覗かせ、地面を緑に彩る。小鳥のさえずりも聞こえた。
特に絶景なのは、いくつものチューリップが花開いている丘である。
赤、黄、白、桃――様々な色のチューリップがグラデーションを作り、青空とのコントラストを生んでいる。
参加者は二十人ほど。研修官は五人の薬師。
研修官の彼らは分かりやすいよう、襟元に緑色のスカーフを巻いている。
人の顔と名前を覚えられないセレネにとっては、非常にありがたい仕組みだ。
参加費や後援者、もしくは貴族の推薦人が必要、ということからは予想できたが、相当大掛かりな会のようだ。屋敷をまるまる借りているだけでもすごい。
護衛として、王国騎士団までついている。深緑色の制服にマントを羽織っているのが彼らだ。
(あぁ、帰りたい)
まだ何も始まっていないのに、セレネはそんなことばかり考えていた。
そんなセレネの頬を、ミラがぷにぷにとつつく。
「ねぇ、セレネー! 元気出してよー、もうっ!」
集合時間人はまだ早いが、それでも既に全員集まっている。
故に、参加者たちは各々コミュニケーションを取り、楽しんでいた。セレネは別だが。
社交的なミラは、見知らぬ人の輪の中へも入っていき、時折セレネの頬をつつくことを繰り返している。
話したいのなら、こちらを構わず話してくれてもいいのに。
「あ、あのぅ⋯⋯」
控えめに肩を叩かれ、セレネは振り向く。
そこには、セレネよりも少し小柄な少女が、もじもじしながら佇んでいた。
「こ、こんにちは⋯⋯」
「こんにちは」
亜麻色の髪を指先で弄りながら、少女は虫の息ほど小さな声で挨拶をする。
セレネとは違った意味で、元気のない人だ。どうやら人見知りらしい。
緑色のスカーフはどこにもつけていないので、参加者だろう。
「セレネ・エストレラです。よろしくお願いします」
「あ、あ、えっと⋯⋯リ、リィナ・エレン、ですっ⋯⋯えっと、その、よ、よろしくお願いしまひゅっ!」
思いっきり噛んだ少女は、涙目になってプルプルと震えている。この世の終わりを迎えたかのようだ。
一体、何歳なのだろう。見た目だけで言うなら、セレネより年下に見えるのだが。
「セ、セレネ様、は⋯⋯」
「セレネで良いですよ。私、ただの花屋ですし」
何故薬師を志しているのかと言われそうである。そんなのセレネにも分からない。
「た、ただの花屋なんですかぁ⋯⋯?」
でも、推薦人が二人も、何だったら七星家の方も⋯⋯とリィナはブツブツ呟く。
情報量過多で、頭の中がパンクしかかっているようだ。分からなくもないが。
名簿を見ればどのような経路で来たかが分かるので、あらかじめ目を通していたのだろう。セレネにはない真面目さである。
どうせ覚えられないので、貰ったのだが見ようともしていなかった。
「リィナさんは、どうしてこの会に来たんですか?」
「りょ、両親二人とも薬師で⋯⋯それで、周りは薬師の知り合いばかりで⋯⋯」
両親は後援者になれないが、知り合いの薬師ならなれる。
本人の意思はともあれ、両親の熱い期待に押し負け、こうなったそうだ。
どことなく、セレネと似た経緯でここに来たようである。
「この会、とってもとっても貴族の人多いんです⋯⋯怖いよぅ」
確かに、周りを見渡すといかにも身分が高そうな者も多い。
怖いかどうかは分からないが、皆それぞれの矜持を持ち合わせていそうだ。
あんまり関わりたくないなぁ、とセレネは遠巻きに思う。
「わぁ! セレネ、新しい友達できたのー?」
「⋯⋯⋯⋯」
非常に失礼なことを大声で叫んで来たのは、案の定のミラである。
見るからに明るそうな雰囲気に気圧されたのか、それとも初対面だからか、リィナは小さく悲鳴を上げ、セレネの背後に回り込んだ。
ミラは太陽のごとく眩しい笑顔で、セレネの後ろにいるリィナの顔を覗き込む。
「はじめまして! 私、ミラ・ヘイズっていうから、よろしくね!」
「リ、リリ、リリリ⋯⋯」
恐らく自己紹介をしたいのだろうが、鈴を高速で鳴らしたかのようになっている。恐るべき滑舌だ。
「リィナ・エレン嬢だよ。優しくしてあげて」
鈴になったリィナの代わりに、セレネが言う。
リィナはベソベソと泣きじゃくりながら、そうです、ありがとうございますぅ⋯⋯と礼を言う。
「ミ、ミラさん、は、お師匠様が、薬師なんでしたっけ⋯⋯?」
「そうだよ! 私、見習い三年目。今年の抱負は、クローバーとカタバミを見分けられるようになること!」
ドン、と胸を叩き、自慢げにミラは言う。自慢するようなことではないと思う。
リィナは虚ろな目で、クローバーとカタバミ、全然違うのに⋯⋯と呟いていた。
両親も知り合いも薬師なので、薬草にふれる機会は幼い頃から多かったのだろう。
そうでなくとも、クローバーとカタバミの見分けくらいはつくが。
その時、リンリンリィンと高らかに鐘が鳴った。
リィナの声ではなく、集合時間を知らせる鐘だ。
「うぅ⋯⋯始まってほしくないぃ⋯⋯お家帰りたいよぅ」
涙目で訴えるリィナに、セレネも心の内で同意した。あぁ、帰りたい。
鐘を鳴らしたのは、総監督官だ。
動きやすそうな服を着た、強面の中年の男である。
怖いよぅ、とリィナが鼻を啜る。ここまで来ると、もう全部怖いのではないか。
小動物のような、保護欲をそそるタイプの人だ。
総監督官は周囲を見渡し、低く落ち着いた声で宣言した。
「これより、春の薬草合宿を開始する」




