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沈黙の花  作者: ななせいな
幕間
35/36

〈幕間 3〉 看病

『〈4−3〉 苦労人従者のとある一日 後編』の際の、若者二人の様子です。

(一体、何者なのやら)


 新しい花が飾られた花瓶をぼうっと眺めているノクスを見て、セレネは思った。


 宮廷管理官の執務室を訪れてみれば、誰もおらず、鍵もかけられていた。

 はて、と首を傾げていれば、見知らぬ女性に声をかけられ『セレネ・エストレラ様ですか?』と訊ねられた。


 はいそうですと答えてみれば、連れ去られ、ここまで来たというわけである。


 そうして今は、この青年の看病に勤しんでいた。


 と言っても、本当に部屋にいるだけだが。

 強いて言うなら、たまにハーブ湯を飲ませている。


 にしても、王城で寝泊まりしているとは、どういう身分なのやら。

 泊まり込みで徹夜でもしない限り、各々の家や屋敷に帰るはずなのだが。


 部屋の調度はどれも、控えめで落ち着いた色味のものばかりだ。

 豪奢な装飾はなく、だが粗末さとも無縁。

 貴族の部屋らしい品格はあるが、王族の居室ほどの華美さはない。


 なんとも絶妙なバランスで成り立った部屋だ。

 このバランスが意図して組み込まれたのは、よく分かる。


(⋯⋯詮索しないでおこう)


 知ったところで、何になる。


 貴族の私情に首を突っ込んで、厄介事にも巻き込まれたくない。

 隠し子だの、実は貴族の血筋だのと王侯貴族はややこしいのだ。


「暇なら、そこにある本読んでいいよ。⋯⋯どうせ、もう読まないし」


 いつもよりゆっくりと喋り、ノクスは淡い笑みを浮かべる。

 ちょっと揶揄(からか)われた気がするのは、気のせいだろうか。


 ケホケホと乾いた咳の合間に、苦しげな呼吸音も聞こえる。

 どうやら、喘息持ちらしい。それはさぞ辛いことだろう。


 なにはともあれ暇なセレネは、とりあえず本棚の本でも眺めることにした。

 本に触れる機会は少ないので、読めるのなら是非読みたい。


 並んでいる本の種類は様々。歴史や地理、数学や語学など勉強に関するもの。

 これらは使い古されているらしく、背表紙からみて年季が入っている。


(勉強、必死に頑張ってきたんだろうな)


 植物学と薬学、己の好きな分野しか学んでいないセレネにとって、ここにある殆どは理解できないだろう。

 あの若さで宮廷管理官ということも合わせて、苦労してきたのは言われずとも分かる。


 まぁ、頑張ってきたという一言で片付けて良いのかは分からないが。


「⋯⋯課題をちゃんと終わらせないと、祖父の機嫌が悪くなるんだ」

「⋯⋯そうなんですか」


 セレネの視線を追って察したのか、ノクスはぽつりと零した。

 父母ではなく祖父ということは、親なし子なのだろうか。


「僕じゃなくて、従者が鞭で打たれる⋯⋯そうした方が効果があるって、見抜かれていたんだろうね」


 ノクスは長い睫毛を哀しげに伏せる。

 いつもより髪を緩く結っているからか、線の細い顔立ちと相まって、本当に女のように見える。


 この青年の従者と聞いて思い浮かぶのは、言わずもがな苦労人従者のアルカスである。

 十五年ほど前と仮定しても、それなりの歳だったと思うのだが。


「アルカスは割と最近出会ったんだよ。多分、十年くらい前」


(十年前?)


 それでも、十四歳である。もっともっと幼い頃の話に聞こえるのに。

 この青年のことなのだから、器用に立ち回っていたと思うのだが。


 ならば、前にも従者がいたということだろうか。


(前の従者は、どうなったのだろう)


 深く詮索しないでおこう、とセレネは頭を横に振る。

 関わって良いことなんてないであろう。


 植物学か薬学にしか興味の向かないセレネは、特に興味を唆られるものがなかった。

 第一、この本棚には参考書や専門書しかないのだ。


 どれも、歴史や貴族の嗜みであるものばかり。セレネには到底理解できないものであろう。

 住む世界が違うのだと実感させられる。


 布同士が擦れる音がしたので見てみれば、先程まで座っていたノクスが横になっていた。


「眠るのなら、カーテンを閉めますけど」


 どうしますか? と尋ねたら、大丈夫だよと返事が返ってきた。


「寝たら良くなると思いますが」


 睡眠は大事である。

 きちんと眠らないと、良くなるものも良くならない。


 目を瞑るだけでも良いから、眠れば良いのに。


「⋯⋯どうせ、眠れないだろうから」


 ノクスはそう呟く。


 背中を向けているので、表情は見えない。

 だが、その言葉はどこか自嘲するような響きを持っていた。


 午前中に寝すぎたから、今は眠気が全くない――そんな軽い理由ではない言葉に聞こえた。


(子守唄とかがあったら、寝るのかな)


 妙なところで子供っぽいこの青年だ。

 従者に寝かしつけられたりするほどなので、日常的に(うた)ってもらっているのかもしれない。


「確かに、唄ってくれたら、眠れるかもしれないね」


 どうやら声に出ていたらしい。


「下手ですけど」

「⋯⋯暇なんでしょ?」

「⋯⋯⋯⋯」


 セレネは黙りこくる。

 ぐうの音も出ないというのは、こういうことなのだろう。


 セレネの中で「暇」という単語が、嫌いな言葉ランキング上位三つのうちに入った瞬間だった。


「唄ってほしい、な」


 どこか縋るように、甘えるようにノクスは呟く。


 セレネは小さく息をつき、ベッドの近くにある椅子に腰掛けた。

 ゆっくり、優しく拍子を取りながら、小さい頃によく聴いた子守唄を口ずさむ。


「『一つ目星は 帰り道

 二つ目星は 窓明かり

 三つ目星で 眠くなり

 四つ目星で おやすみなさい


 数え切れずに 眠ったら

 夢の続きで また明日

 星は 夜ごと 声もなく

 またねと 光って 待っている』」


 静謐で美しい星空を彷彿(ほうふつ)とさせるその唄は、少し籠もった部屋の空気に優しく溶けてゆく。


「その、唄⋯⋯」


 必死に音程を取るセレネは、気が付かなかった。

 ノクスが、涙を一筋流したことに。


 唄い終わった頃には、すやすやと寝息が聞こえていた。

 どうやら、寝たらしい。


(何もしてないのに、疲れたなぁ)


 セレネはぐぐっと伸びをする。

 どれくらい経った頃だろうか。青い空を流れる雲を眺めていた、その時だった。


 寝ているノクスが、寝返りを打つ。

 だがしかし、その先にはもうベッドはない。


 絨毯(じゅうたん)が敷かれているので、衝撃はいくらか緩和されただろう。

 それでも、とてつもなく痛そうな音が聞こえた。


 そんな音が聞こえたのに、依然ノクスは寝息を立てている。

 起きる気配は、これっぽっちもない。


(なんか、蓑虫(みのむし)みたいだな)


 早くベッドに上げないと、とか、怪我をしていないだろうか、とか言う前に出てきた感想が、これだった。


 セレネはしゃがみ込み、蓑虫の顔を覗き込む。

 嫌になるほど整っている顔は、いつもよりいくらか幼く見えた。セレネと同年代くらいだろうか。


 にしても、毛布にくるまっているその姿は、見れば見るほど蓑虫である。

 そう思ったからか、気がつけば蓑虫を見るような目でノクスを見てしまっていた。


(はてさて、どうしようか)


 結構な熟睡だが、起こしたほうが良いだろうか。


 いやでも、眠れないと言っていたのに寝ていたのだから、起こすのも忍びない。


 けれどもけれども、いくら絨毯が敷かれているといえど、土足で歩いているところである。汚いものは汚い。


 葛藤すること三十分。


 結局何もできず、ノクスが起きることもなく、苦労人従者のアルカスが帰ってきた。

帰り道、本物の蓑虫と遭遇したセレネは、こう思いました。

やっぱあれ、蓑虫だ、と。

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