〈幕間 3〉 看病
『〈4−3〉 苦労人従者のとある一日 後編』の際の、若者二人の様子です。
(一体、何者なのやら)
新しい花が飾られた花瓶をぼうっと眺めているノクスを見て、セレネは思った。
宮廷管理官の執務室を訪れてみれば、誰もおらず、鍵もかけられていた。
はて、と首を傾げていれば、見知らぬ女性に声をかけられ『セレネ・エストレラ様ですか?』と訊ねられた。
はいそうですと答えてみれば、連れ去られ、ここまで来たというわけである。
そうして今は、この青年の看病に勤しんでいた。
と言っても、本当に部屋にいるだけだが。
強いて言うなら、たまにハーブ湯を飲ませている。
にしても、王城で寝泊まりしているとは、どういう身分なのやら。
泊まり込みで徹夜でもしない限り、各々の家や屋敷に帰るはずなのだが。
部屋の調度はどれも、控えめで落ち着いた色味のものばかりだ。
豪奢な装飾はなく、だが粗末さとも無縁。
貴族の部屋らしい品格はあるが、王族の居室ほどの華美さはない。
なんとも絶妙なバランスで成り立った部屋だ。
このバランスが意図して組み込まれたのは、よく分かる。
(⋯⋯詮索しないでおこう)
知ったところで、何になる。
貴族の私情に首を突っ込んで、厄介事にも巻き込まれたくない。
隠し子だの、実は貴族の血筋だのと王侯貴族はややこしいのだ。
「暇なら、そこにある本読んでいいよ。⋯⋯どうせ、もう読まないし」
いつもよりゆっくりと喋り、ノクスは淡い笑みを浮かべる。
ちょっと揶揄われた気がするのは、気のせいだろうか。
ケホケホと乾いた咳の合間に、苦しげな呼吸音も聞こえる。
どうやら、喘息持ちらしい。それはさぞ辛いことだろう。
なにはともあれ暇なセレネは、とりあえず本棚の本でも眺めることにした。
本に触れる機会は少ないので、読めるのなら是非読みたい。
並んでいる本の種類は様々。歴史や地理、数学や語学など勉強に関するもの。
これらは使い古されているらしく、背表紙からみて年季が入っている。
(勉強、必死に頑張ってきたんだろうな)
植物学と薬学、己の好きな分野しか学んでいないセレネにとって、ここにある殆どは理解できないだろう。
あの若さで宮廷管理官ということも合わせて、苦労してきたのは言われずとも分かる。
まぁ、頑張ってきたという一言で片付けて良いのかは分からないが。
「⋯⋯課題をちゃんと終わらせないと、祖父の機嫌が悪くなるんだ」
「⋯⋯そうなんですか」
セレネの視線を追って察したのか、ノクスはぽつりと零した。
父母ではなく祖父ということは、親なし子なのだろうか。
「僕じゃなくて、従者が鞭で打たれる⋯⋯そうした方が効果があるって、見抜かれていたんだろうね」
ノクスは長い睫毛を哀しげに伏せる。
いつもより髪を緩く結っているからか、線の細い顔立ちと相まって、本当に女のように見える。
この青年の従者と聞いて思い浮かぶのは、言わずもがな苦労人従者のアルカスである。
十五年ほど前と仮定しても、それなりの歳だったと思うのだが。
「アルカスは割と最近出会ったんだよ。多分、十年くらい前」
(十年前?)
それでも、十四歳である。もっともっと幼い頃の話に聞こえるのに。
この青年のことなのだから、器用に立ち回っていたと思うのだが。
ならば、前にも従者がいたということだろうか。
(前の従者は、どうなったのだろう)
深く詮索しないでおこう、とセレネは頭を横に振る。
関わって良いことなんてないであろう。
植物学か薬学にしか興味の向かないセレネは、特に興味を唆られるものがなかった。
第一、この本棚には参考書や専門書しかないのだ。
どれも、歴史や貴族の嗜みであるものばかり。セレネには到底理解できないものであろう。
住む世界が違うのだと実感させられる。
布同士が擦れる音がしたので見てみれば、先程まで座っていたノクスが横になっていた。
「眠るのなら、カーテンを閉めますけど」
どうしますか? と尋ねたら、大丈夫だよと返事が返ってきた。
「寝たら良くなると思いますが」
睡眠は大事である。
きちんと眠らないと、良くなるものも良くならない。
目を瞑るだけでも良いから、眠れば良いのに。
「⋯⋯どうせ、眠れないだろうから」
ノクスはそう呟く。
背中を向けているので、表情は見えない。
だが、その言葉はどこか自嘲するような響きを持っていた。
午前中に寝すぎたから、今は眠気が全くない――そんな軽い理由ではない言葉に聞こえた。
(子守唄とかがあったら、寝るのかな)
妙なところで子供っぽいこの青年だ。
従者に寝かしつけられたりするほどなので、日常的に唄ってもらっているのかもしれない。
「確かに、唄ってくれたら、眠れるかもしれないね」
どうやら声に出ていたらしい。
「下手ですけど」
「⋯⋯暇なんでしょ?」
「⋯⋯⋯⋯」
セレネは黙りこくる。
ぐうの音も出ないというのは、こういうことなのだろう。
セレネの中で「暇」という単語が、嫌いな言葉ランキング上位三つのうちに入った瞬間だった。
「唄ってほしい、な」
どこか縋るように、甘えるようにノクスは呟く。
セレネは小さく息をつき、ベッドの近くにある椅子に腰掛けた。
ゆっくり、優しく拍子を取りながら、小さい頃によく聴いた子守唄を口ずさむ。
「『一つ目星は 帰り道
二つ目星は 窓明かり
三つ目星で 眠くなり
四つ目星で おやすみなさい
数え切れずに 眠ったら
夢の続きで また明日
星は 夜ごと 声もなく
またねと 光って 待っている』」
静謐で美しい星空を彷彿とさせるその唄は、少し籠もった部屋の空気に優しく溶けてゆく。
「その、唄⋯⋯」
必死に音程を取るセレネは、気が付かなかった。
ノクスが、涙を一筋流したことに。
唄い終わった頃には、すやすやと寝息が聞こえていた。
どうやら、寝たらしい。
(何もしてないのに、疲れたなぁ)
セレネはぐぐっと伸びをする。
どれくらい経った頃だろうか。青い空を流れる雲を眺めていた、その時だった。
寝ているノクスが、寝返りを打つ。
だがしかし、その先にはもうベッドはない。
絨毯が敷かれているので、衝撃はいくらか緩和されただろう。
それでも、とてつもなく痛そうな音が聞こえた。
そんな音が聞こえたのに、依然ノクスは寝息を立てている。
起きる気配は、これっぽっちもない。
(なんか、蓑虫みたいだな)
早くベッドに上げないと、とか、怪我をしていないだろうか、とか言う前に出てきた感想が、これだった。
セレネはしゃがみ込み、蓑虫の顔を覗き込む。
嫌になるほど整っている顔は、いつもよりいくらか幼く見えた。セレネと同年代くらいだろうか。
にしても、毛布にくるまっているその姿は、見れば見るほど蓑虫である。
そう思ったからか、気がつけば蓑虫を見るような目でノクスを見てしまっていた。
(はてさて、どうしようか)
結構な熟睡だが、起こしたほうが良いだろうか。
いやでも、眠れないと言っていたのに寝ていたのだから、起こすのも忍びない。
けれどもけれども、いくら絨毯が敷かれているといえど、土足で歩いているところである。汚いものは汚い。
葛藤すること三十分。
結局何もできず、ノクスが起きることもなく、苦労人従者のアルカスが帰ってきた。
帰り道、本物の蓑虫と遭遇したセレネは、こう思いました。
やっぱあれ、蓑虫だ、と。




