〈4−7〉 バササササ⋯⋯
体調も整い、今日から職務に復帰しようとしたノクスは、執務室の前で立ち止まっていた。
(うん、どうしようかな)
扉の隙間から室内を覗き、思っていた以上の惨状だったので扉を閉め、今こうして困っている。
驚きというか、意外というか、凄いなぁというか。
特に目立った感想はないのだが、これが普通じゃないんだろうなぁ、ということくらいは分かる。
ノクスは背後に目を向け、アルカスに訊ねる。
「僕が休んでいたのって、どれくらいだっけ?」
「十日です」
眉間にシワを寄せ、アルカスが答える。
なるほど、十日でああなったらしい。
「ねぇ、アルカス。これって、普通のことなの?」
「恐らく、違うかと」
「そうなんだ」
納得したように声を上げ、どうしようかなとノクスは呟く。
長いこと宮廷管理官の仕事を務め、何度か寝込んでいるのだがこれは初めてだ。
「もう開けちゃおうか」
後のことは後で考えようと、ノクスは勢いよく扉を開き、後ろに一歩下がる。
それと同時に、バササササ⋯⋯と音を立て、足元に紙の山が雪崩落ちてきた。
「ふふっ、嫌がらせだね」
いつものようにニコニコしながら、ノクスは足元を見る。特に何の感情もなかった。
部屋の奥は、休む前と変わらず小綺麗だ。
扉の前にだけ、扉を開けると雪崩が起こるように紙の山が配置されていた。
これを嫌がらせと言わずしてなんと言おう。
散らばった書類を、アルカスが手早く集める。
ノクスも膝をつき、一枚を手にとって目を細めた。
「皆、どうして僕に構うのかなぁ」
宮廷管理官の執務室にある書類の九割は、嫌がらせで送られてきたものである。
二十歳という若さで宮廷管理官の官職を賜った、国王の覚えめでたき青年――ノクス・フェリスという人間に対する、周囲の認識だそう。
後ろ盾がいるわけでもなく、貴族出身というわけでもない。日頃の鬱憤を晴らすには最適というわけだ。
物価が高騰していると言われたとて、それは貴族議会に通してほしい。
宮廷管理官にはどうしようもない話である。管理するのは宮廷内だけだ。物価は管理していない。
ノクスは天を仰ぎ、呟く。
「暇だから、セレネでも来ないかなぁ」
「⋯⋯これのどこが暇なのですか?」
集めた書類を両手で抱え、アルカスが言う。
しばらくは暇をすることがなさそうである。主に仕分け作業で。
「セレネがいたら、ちょっと楽しいのに」
拗ねた子どものように呟き、ノクスは書類の仕分けにでも勤しむことにした。
そんなセレネがやって来るのは、そこから暫く先の話である。
◇◆◇
(⋯⋯いたたまれない)
花瓶の花を入れ替えながら、セレネは何かあるのだろうかと考える。
先程からずっと、ノクスがチラチラチラチラとセレネの方を見てくるのだ。
一体どうしたのだろう。
元気になって良かったですねとは言ったが、まだ何か言ってほしいのだろうか。
その後ろで書類を懸命に分けるアルカスもアルカスで、視線で何かセレネに訴えてくる。
言いたいことは、ノクスと違う気がした。
当然ながら、セレネは読心術など持ち合わせていない。
言いたいことは言ってもらわないと分からない。
かと言って、このまま帰るのも後味が悪い。
セレネは訊いてみる。
「⋯⋯何か御用でしょうか」
ノクスの笑顔が、少し嬉しそうなものになった。
アルカスが、諦観と優しさが半々の表情になった。
主従で反応が真反対である。やはり、どうしたのだろう。
ノクスは作業の手を止め、とびきりの笑顔でセレネに言う。
「ねぇ、何か面白い話ない?」
「⋯⋯⋯⋯」
セレネは無言の半目になった。
話題はこちらに全振りである。何だろう、面白い話って。
面白いどころか話すことすらないのだが、そんなことより気になったことがある。
「その書類、片付けなくてよろしいのですか?」
アルカスが力強く頷いているのが、セレネの視界の端に映った。
だがしかし、そんな苦労人従者に背を向けている主人はあっけらかんと言う。
「大丈夫だよ」
アルカスが後ろで頭を抱えている。
セレネは助け舟を出すべきだろうかと悩む。
「⋯⋯あの、アルカス様が困ってらっしゃいますけれど」
小声で呟くと、ノクスは振り向いてアルカスを見た。よく聞こえたなぁなんて感心する。
心なしか、琥珀の瞳が陽に照らされた宝石の如くキラキラと輝いている。
「良い?」
「⋯⋯⋯⋯どうぞ」
「やった」
たっぷり沈黙し、葛藤した後、アルカスは渋々といった様子で頷いた。大変そうである。
そりゃあ、こんなに顔が良い青年におねだりされては、誰もが聞かざるを得ないだろう。
全く持って便利な性質をお持ちでいらっしゃる。
「何でも良いよ」
にこりと笑いかけてくるノクス。
規則的に床に靴が擦れる音が聞こえるので、貧乏揺すりでもしているのだろうか。アルカスに肩を叩かれ、その音は止まったが。
(何か面白い話と言われても⋯⋯)
花屋で暇をし、庭弄りをするだけの日常を送るセレネに面白い話などない。
せいぜい、北部にいた頃の実験話くらいなのだが、万人受けするとは限らない話ばかりである。
爆発とか毒とか火事とか、とにかく物騒なのだ。
どこか子供っぽいお坊ちゃんには、刺激が強い気がする。
(せめて、話題だけでもないかな)
こちらが一方的に話さずとも、とにかく話題が欲しい。
やはり、ここは無難に天気の話だろうか。
話すことに困ったら「今日はいい天気ですね」というものだと相場が決まっている。
庶民のセレネは、貴族にも通じる話というものが分からない。
つまり、相当な無茶振りをされているのである。
過去の記憶を遡っていくセレネは、先日の出来事をふと思い出した。
いたではないか、ここに知り合いの貴族が。
これはしめたぞ、と思い、セレネは空色の瞳を柔らかく細める。
「チェスを教えていただけませんか?」




