〈4−4〉 雑草娘とウイスキー
新年から二週間ほど経った頃、セレネは王都に買い出しへ出ていた。
祭りが終わった後は、物価が下がりやすい。世の理である。今が狙い時だ。
さて、何を買おうか。
お腹が空いたので、たまには外食でもしようか。
そんなことを考えながら、セレネは人の多い王都を歩く。
やはり、露店の串焼きが食べたい。けれど、レーズンパンも捨てがたい。
食べ物のことばかり考えていると、焦げ臭い匂いが鼻をついた。
刺激的なスパイスの匂いなら食欲を誘って良いのにと、セレネは口を尖らせる。
周りを見渡すと、澄んだ青空に煙が立ち上っているのが目に入った。
その側で、男女が三人、一人の男を囲んでいる。
囲まれている男の方は、何か必死に弁明しているように見えた。
(小火か)
粉屋だったと記憶している建物が、一部真っ黒になっている。
早いこと消火できたようで、周りに燃え移っていることはない。
どうやら、囲まれているあの男は火付けだと疑われているようだ。
(まぁ、私が関わることじゃないか)
じきに警備兵だか何だかがやって来るだろう。
花屋のセレネが介入したところでの話だ。
というわけで、ただの野次馬として何食わぬ顔で前を通り過ぎようとするセレネ。
「もしかして、雑草娘か?」
懐かしい呼び名に、セレネは足を止める。
声の方を見ると、弁明している男と目が合った。
毛先に癖のある焦げ茶の髪。似合っていない片眼鏡。歳はセレネと然程変わらぬように見える。
(どこかで見たことあるような、ないような)
如何せんセレネなので、覚えていない。
眉をひそめて、首をひねる。
「覚えてないのか! いや、君はそういうやつだったな⋯⋯」
顎に手を当て、ブツブツ言う片眼鏡。何だこいつ。
「こいつ、嬢ちゃんの知り合いか?」
粉屋の店主が、親指で変な片眼鏡野郎を示す。
「いいえ、初対面かと」
「ひどくない!?」
大袈裟に声を上げる片眼鏡。
何だか、その大袈裟さに見覚えがあった。
必死に頭をひねり、セレネはポンと手を打つ。
「あっ、アルコール伯爵令息のウイスキー」
ざわざわと騒がしかった周りが、ピタリと静かになった。
皆、唖然としてセレネと片眼鏡を交互に見ている。
彼らが言いたいのは一言だろう。
――アルコール伯爵令息のウイスキーって、誰?
その沈黙を破ったのは、片眼鏡ことウイスキー。
「違う。違うから! アルケーツ伯爵令息のウィス! っていうか、今はそれですらないっ!」
「⋯⋯そうだったっけ?」
「ほんっと、君は何年経っても変わってないな!」
一向に終わりが見えない二人の会話。
野次馬たちは、伯爵令息って言ったか?
アルケーツ伯爵って、北の大貴族じゃないか⋯⋯とひそひそ話をしている。
「親に追い出されて食うに困り、新年早々火付けでもしたの?」
可哀想に。そこまで追い詰められていたなんて。
そして、新年早々火事場泥棒でもしようとして失敗したようだ。
セレネも少しは同情する。
アルケーツ伯爵令息でないということは、そういうことなのだろう。
昔の恩があるので、言ってくれたら食べ物くらい恵んであげたのに。
残念ながら、少し遅かったようだ。もう犯罪に手を染めた後だった。
「違う。違うから。追い出されてなんかないから。いやでも、形としては追い出されたのかも⋯⋯」
「ちゃんと罪は償うんだよ。じゃあね」
顎に手を当て考え始めるウィスを見て、セレネは踵を返す。
「ちょ、ちょちょちょっ!」
帰ろうと思えば、腕にしがみつかれた。
そして、藁にも縋るような目を向けられる。何だこいつ。
「僕は何もしていないから。この僕が、自ら美しい数字の並びを乱すと思うかい?」
うるうると目を潤ませて、こちらを見てくる。
これが別の人物なら、飼い主に懐く子犬のようで可愛かったろうに。残念である。
(でも、言われてみればそうかもしれないな⋯⋯)
残念だなぁと思いつつも、彼の言うことに一理あるかもしれないな、とセレネは思っていた。
昔からそうだったが、ウィスは少し⋯⋯いや、かなり変わった感性の持ち主である。
全てを数字で判断して、何よりも美しい数字を好む。
人も建物も植物も、何もかもが数字に見えるようなやつなのだ。
端的に言えば、数字馬鹿だ。
「この粉屋は黄金比で構成されていたんだよ。それが爆発したことによって、崩れてしまった⋯⋯なんと勿体ない」
何言ってんだ、と思いつつ、セレネはちょっとだけ形が崩れている粉屋を見る。
黄金比だか何だか知らないが、数字馬鹿のウィスが美しい数字の秩序を自ら壊すとは思えない。
どうやら黄金比の素晴らしさに見惚れて店を眺めていたら、爆発したそうだ。
で、火付けだと疑われている。本当だとすれば、とんだ災難である。
セレネはふっと気づき、ウィスの方を見る。
「爆発? 今、爆発って言った? 燃えたじゃなくて?」
「あぁ、そうだ。かなり大きな音で爆発した」
ドンッ、と鈍く大きな重低音が鳴り、燃えたではなく爆発したそうだ。
セレネは粉屋の店主に尋ねる。
「誰か、店の中や近くで煙管を吸った人は?」
「いねぇだろ。んな狭いとこで吸わねぇよ」
「僕も吸わないよ」
店主に続いて、ウィスも否定する。
一つの考えが頭をよぎり、セレネは粉屋の中に足を踏み入れる。
「何やってんだ? 危ないぞ嬢ちゃん」
「お構いなく」
店主の言葉を受け流し、セレネは水でびしょびしょな床を歩く。
店内入って左側に窓、右側に棚という簡単な作りだ。
人が横に並んで二人か三人ほどしか歩けるスペースのない、比較的狭い店である。
(粉まみれだ)
セレネは軽く咳き込む。粉屋だから当然だが。
小麦粉やライ麦粉が袋に詰められ、大量に棚に積んである。
これも半分はダメになったのだろう。勿体ない。
(玻璃製の花瓶⋯⋯良いものだな)
セレネは床に転がっていた、透明な玻璃でできた花瓶を拾い上げる。
下の部分が膨らんでおり、洋梨みたいな形をしている。
落ちた衝撃によるものか、少しヒビが入っているが、水が漏れるほどではないだろう。
近くの窓辺には、中心だけ円状にくっきり粉が乗っていない場所があった。花瓶の底と同じ大きさだ。
花瓶はここに置いてあったのだろう。
「この花瓶、何か花は生けてありましたか?」
店の外にいる店主に尋ねる。
「あぁ⋯⋯種類は覚えてねぇが、飾ってたぞ」
(なるほど)
散らばったピースが、一つに繋がる。
口の端が自然と上がり、セレネは笑みを浮かべていた。
窓からは陽が差し込んでいる。
少し前なら、日差しはもっと強かったはずだ。
粉が舞った店内。水を入れた玻璃製の容器。しかも、曲面がある。
そして、陽が差し込んだ先には粉の入った袋。麻で包まれているので、燃えることは十分にあるだろう。
「これ、借りても良いですか?」
セレネは粉袋と花瓶を見る。
粉袋は、もう売り物にはならないが使い物にはなるものだ。
「嬢ちゃん、何する気だ?」
店主は腕を組み、訝しむように言う。
なので、セレネはこう答える。
「火付けでないことを、実験によって証明しようと思いまして」




