〈1−3〉 宮廷管理官
王都スティアの南側には、王国騎士団の詰所がある。
王国騎士団とは、何らかの功績を上げて騎士爵を賜った者のみが所属する、一流の騎士たちだ。
その騎士団長の執務室に、一人の男が足を運んだ。
「ご多忙の折、お時間割いていただき誠に感謝いたします。王国騎士団団長レオンハルト・エルンスト殿」
そう丁寧に礼をするのは、宮廷管理官のノクス・フェリス。
一つに結って肩に流した黒髪。宝石のような琥珀の瞳。
線が細く、女性的な顔立ちは端正で、人間離れした美しさを持っている。
人々は、しばしば彼のことをこう謳う。天上の女神が地に舞い降りたようだと。
誰もが見惚れる美貌と、謎の多い神秘さを持つ彼は、穏やかに笑みを浮かべていた。
「こちらも、わざわざご足労いただいて感謝いたします。どうぞ、お座りください」
ノクスは勧められた通り、レオンハルトと向かい合う形で座る。
王国騎士団団長のレオンハルト・エルンストは、五十路を過ぎたベテランの騎士である。
くすんだ金髪を撫でつけており、彫りの深い顔立ちは厳つい雰囲気を醸し出している。
一見怖そうな男だが、根は実直で優しい。
今ですら、紅茶も出せなくて申し訳ないと謝るほどである。押しかけたのはノクスの方なのに。
自ら剣を振るい、民を守る姿を見て、あんなかっこいい騎士になるんだと憧れを持っている者も少なくない。
「して、ノクス殿。今日は何用でしょうか」
「先日の外交の場で起きた中毒事件、王国騎士団の者が調査していましたよね」
レオンハルトとの付き合いは長い。お互いに忙しいので、前置きは端折って良いだろう。
「ペリス王国との、農作物の輸出入についての外交ですね。確かに、我が部下が調査しています。報告によれば、貴殿のもとへ犯人を向かわせた⋯⋯と」
レオンハルトの言葉に、嘘はないだろう。
何にせよ、彼が嘘をついたとてメリットは何も無い。
やはりそうか、とノクスは確信する。
「実は、私のもとにそういった者は訪ねてきていないのですよ。代わりにこれが」
ノクスは懐から紙切れを出し、机の上に置く。
それを見るなり、レオンハルトは眉根を寄せた。
執務室の窓に挟まっていたものだ。執務机に置いていたのではない。
宮廷管理官の執務室は一階に位置する。
その気になれば、紙切れを窓に挟むくらい、外からでも容易だろう。
そんな紙切れに記されているのは、たった二語。
『芋 毒』
焦っていたのか、或いは筆跡を誤魔化ためか、拙く書き殴ったような字だ。
匂いからして、草を潰した汁がインク代わりだ。
そして羽根ペンではなく、木の枝でも使ったのだろう。ところどころ、不自然に掠れている。
「この言葉をそのまま解釈すると、こうなりますよね。『芋に毒が含まれていた』、と」
つまりは、毒を盛った者などいないのだ。あくまでも偶然で紛れ込んだ。
「しかし、宴会で使われた芋は、ペリス王国でも常食されているはず⋯⋯」
レオンハルトの指摘は最もだ。
常食されている芋に、何故毒が含まれていたのか。
そこはノクスも分からない。
ペリス王国側に聞けば、何か分かるのかもしれない。
「ところで、この件の調査をした部下とはどなたでしょうか?」
それは穏やかな声色だが、どこか冷酷な響きを纏っていた。
もし、芋に毒が含まれていたのなら。
本当にそれが偶然なのだとしたら。
或いは、不注意によって紛れ込んだだけだったのなら。
レオンハルトはしばし考え込み、一言言ってから席を立った。
王国騎士団に名を連ねる者は多い。たとえ団長といえど、団員すべての仕事をきっちり把握している訳では無いだろう。
書類で確認してもらったほうが、より正確な情報を得られるのでありがたいが。
レオンハルトはすぐに戻ってきた。
分厚い書類をノクスに見せるように開いて置き、該当部分を指でなぞる。
「⋯⋯リスティヒとアストゥートです。あの二人は優秀だが、無精者だと聞いたことがあります。完全に、こちらの采配ミスです。大変、申し訳ない」
レオンハルトは頭を下げる。さすがの誠実さだ。
王国騎士団団長という立場についていながら、決して傲慢になることはない。
どうやら、こちらもノクスの予想通りらしい。
その犯人というものは、手柄欲しさによるでっち上げではないか、と。
でないと、わざわざ書き置きなんて残して去らないだろう。
自分は何もしていない無実だと伝えるために。
まぁ、それを逆手に取ろうとしているのなら、とんだ策士だが。
「いいえ、貴方は悪くないですよ、エルンスト殿。頭を上げてください」
国が誇る王国騎士団。
そこに名を連ねておきながら、このような事態を起こしたとは。
一体、騎士の誇りとやらは埃以下の価値なのであろうか。
何の感情もなく、ノクスは考える。
ノクスには野心も誇りも目標も、何も無い。だから、何も分からない。
(⋯⋯この書類、誰かが細工しているな)
ノクスは静かに目を細めた。本当に僅かだが、レオンハルトのものと筆跡が違う。
似せているように見えるが、ノクスは彼の字を見慣れているので分かる。
一体誰が、何のために。
その問いはあえて口に出さず、ノクスは立ち上がる。
「貴重なお時間、ありがとうございました。では、これで失礼いたします」
「お力添えになれず、むしろお手を煩わせてしまって申し訳ない」
「お気になさらず。これが私の仕事ですので」
ノクスは柔らかに微笑み、部屋を出る。
見送りをしようかと尋ねられたが、断っておいた。今は誰にも邪魔されず、一人で思考したい。
(さて、この書き置きを残したのは誰かな?)
手に持った書き置きの紙を見て、ノクスは目を眇める。
この知識が本当なのか。
念の為、ペリス王国にも確認を取っておこう。
もしも本当ならば――僅かだが、興味を唆られる。
この者が、どんな者なのか。
相応の知識があるのなら、是非ともご教示願いたい。
まずは、リスティヒとアストゥートという名の騎士たちに話を聞こうか。
良い暇つぶしになりそうだ。
甘い笑みの中に、ほんの少し意地の悪さが混ざった。




